〈13〉 ゲコゲコ、チリチリ、ギュワンギュワン
僕達はこの犬らしき生物に担ぎ込まれたんだ、と影山から聞いた。
このカフェから少し離れた場所にある無人コインランドリーへと運ばれたのだと。
人がいないのを見計らったのだと考えると、こいつは案外賢いのかもしれない。
「そんなに強く叩いたつもりはないんだけど……ごめんね」
スマホ画面に映る自分の顔を見ると、手のひらの形状でくっきりと赤くなっている頬があった。
影山の手のひらより少し大きい手の形だった。
この手形は神様が付けたものなのだと思う。
「影山……あの後どうなったんだ?」
「詳しいことは僕も分からないけど、さっきも言った通り妄想さんが生み出した〝こいつ〟が僕達を咥えてここまで逃げてくれたことだけだけが分かってて、どういう顛末で逃げ果せたかまでは、うん。全く想像つかないかな」
そう言って影山は犬らしき生物の毛並みを撫でた。
懐いているのか、犬らしき生物はお返しにとペロペロ影山の頬を舐めた。
「じゃあ影山も、妄想さんが無事かどうか判ってないのか……」
影山は犬らしき生物の止まらないペロペログルーミングから逃げるように立ち上がって、近くの椅子に座った。
「いや、この犬らしき生物……長いから『いぬらしき』って呼ぶけど、いぬらしきが今もこうやって元気にしてるってことは、イコールで妄想さんが未だに能力を解除していないということの証左なんだ」
「――確かにそうか。つまり、まだ妄想は無事だってことか」
ひとまずはまだ最悪の事態に至っていない。それが分かっただけでも良かった。
「……でも全くもって楽観してはいられない。むしろ事態は一刻を争っていると言っていい。何せ相手は能力を使って悪事に及ぶような奴だからね」
同意しかなかった。
妄想さんはワタシと仲良くしてくれた数少ない能力者であり、これからあるべきはずの――青春と見紛うような日常を共に過ごす予定の友達なのだから、この命を賭けても救わなければならない。
「でも、姿を見失っているこの現状でどうやって居場所を割る? ――影山、ひっそり発信機とかくっつけたりしてないのか?」
「ちょっと! 僕のことなんだと思っているんだ! 自分で言うのはどうかと思うけど、こんなに線が細くて耽美な美少年がそんな犯罪すれすれなことするようには見えないでしょ!」
「…………そうだな。見えない」
「わざとらしい返事と変な間――疑ってる! 君は今僕を疑っているんだね! 僕には解る。四方八方に存在する『真実の目』が君の心を透いて見ているんだ……うぅ」
「冗談――冗談だ。たとえそれに似たことをしていたとしても、そこには明確な理由があるのは分かっているから……な?」
「……全然弁明になって無くないかい?」
「くくっ」「ふっ、もう」
必要な閑話休題。
おかげで張り詰めていた空気が少し和らいだ気がした。
「正直なところ、僕達が妄想さんのいる場所を把握する手段は皆無と言っていいでしょう。だけど僕達には……
――いぬらしきがいる」
影山は確信めいた表情でそう言い放った。
「……その犬コロがなんなんだ?」
「こいつなら妄想さんの居場所が分かるのです」
「どうしてそう言い切れる? そんな確証はないだろう」
「ちっちっち、見ててください…………いぬらしき? 妄想さんの居場所、分かるよね?」
「ぶわん!」
「……ほらね、言ったでしょ?」
心なしか口角を上げているようにも見えるいぬらしきの表情を見ていると、隣で得意げな顔をしている影山の顔と重なるものがあった。そのことから『飼い主はペットに似る』という言説を思い出さざるを得ない。
――いぬらしきの飼い主は妄想じゃないのか、という至極当たり前の疑問が浮かぶけれど、今も目の前でじゃれ合っている一匹と一人を見てそんな無粋なことが言えるのか? いや、言えないね。
いや今はともかく、影山の一見突飛な提案についての真偽を問おう。
「……本気で言ってるんだな? 今冗談を言っている暇はないぞ」
「本気だよ」
そうだ、影山はこの目をする。決意と信念に満ちた自信満々の目だ。
「犯人がいぬらしきを始末しなかったこと、今に後悔するさ」
影山が能力を使っていなければ、いぬらしきがこんなに強く大きくなっていなかっただろうし、ワタシと影山が何事もなく今ここに居られなかっただろうことを考えると、多少半信半疑であっても彼の言葉を信用したい。
それに影山はもう〝友達〟だ。
間違っていたとしても、ワタシがそれをフォローすればいい。それが友情ってものだろう?
「……納得は出来ないが影山が言っているという信頼でその提案を飲み込むさ。急ごう」
「! ……ありがとう。よし、いぬらしき! 妄想さんがどこにいるのか教えて!」
「わん!」
鳴き声が「わん」になったら、それは〝いぬらしき〟ではなくただの『犬』じゃないかとは思ったが……まぁ、いいか。
元々妄想さんが犬だと思って描いたのがいぬらしきなのだから、少しでも犬に近付いていった方が本人(本犬)も本望だろう。
―――………
日が暮れて辺りはもう薄暗い。
ここら辺一体は田舎なので、元々明かりが少ないというのもその要因の一つだろう。
それに比べて、都会の街並みというのは煌びやかな喧騒がいつまで経っても収まらない。
……実際、深夜になってから出向いたことは無いので知識としてではあるけれど、夜に浮かぶ光に憧れるのも若さの証拠だろうと大人ぶって言ってみる。
まぁ良し悪しはそれぞれだ。
そんな暗さの中でもいぬらしきは本能で創造主の居場所を予測できるのか、後からついてくるワタシ達を気にしながらも迷うそぶりなく目の前を駆けていく。
犬は夜目が効く。狩猟時代の名残なのだろう。
なるべく遅れを取らないように走って付いていくが、やはり人間と犬とでは機動力と体力が違った。
戦闘になったときの体力を温存するために、十分休憩を挟みながら妄想さんがいるであろう方向へとひたすら進む。
ひたすら田舎道を駆けていく。
そんな中でワタシは黙々と考えていた。
神様がくれた能力とはどんな性能なのかを。
能力を持っていたとしてもいきなり初見で使えるわけがない。なので、一度試しておきたかったのだ。
神様が言っていた『逃げれなくする能力』だけど、人を逃げれなくすることに際しては様々手段がある。
例えば紐のようなもので拘束するとか、金縛りのように神経に訴えて痺れさせるとか、精神に畳みかけて逃げるという思考を考えられ無くするとか。
まぁ、どれにしたって「物理的な攻撃手段」ではないのは確かだけど、元々逃げるだけの能力だったことから考えればまだ影山や妄想さんに加勢できるだけマシだろう。
そもそも自分自身に能力を使うことはできるのだろうか。
というのも、どうなったって責任が取れるのはこの身しかないわけで、自分自身を実験台にしたかった。
精神に訴えるタイプだとしたら、本当に励ますことしか出来なさそうなのがあれだけど。
次の休憩時間を設けた時、ワタシは影山に話してみることにした。
「影山」
「ん? どうしたんだい?」
「実は君の能力を受けた後、神様と名乗る人から新しく能力を貰ったんだが」
そう言うと影山はハッとして翡翠色の綺麗な瞳孔を大きくした。
「……それは本当かい?」
「え、あぁ、本当だ」
「そうなんだ……いやね? 僕も神様に会ったことがあるから驚いたんだ」
「それはその……街中とかで?」
「んんや、街中じゃない。僕が会ったのは神社だよ」
「神社……」
ワタシが神様と会ったロケーションとは全然違うと思ったが、神様自身が「ここは別荘みたいなもの」と言っていたのを思い出す。
影山の口ぶりからして、あんな白い空間ではなく多分日本の何処かに実在する神社を指して言っているのだろう。
だとすると、ワタシが見たあの神社は本来『逃走の神様』がいるのであろう神社を模倣した御社だったのだろうか。
覚えていたら見かけた時に挨拶でもできたら……と思ったけど、あのぐーたらの体たらくを思い返してみると、御社に籠って出てこないのがオチだろうと思った。
「それで、神様から貰った新しい能力ってどんなの?」
「あぁ、神様は『逃げられなくする能力』と言っていた」
「へぇー! じゃあ今持ってるのは『逃げる能力』と『逃げれなくする能力』なんだねぇ……僕と逆な感じなんだなぁ」
顎に手を持ってきてうんうんと頷く影山。
「逆? というか影山も能力を貰っていたのか?」
「うん、僕の場合は元々『視点を増やす能力』を持っていて、それから神様に会った時に『全ての視点で同じものを見るとなんか起こる能力』を貰ったよ」
「……なんか起こる能力? ……なんか雑じゃないか?」
「僕もそう思う。でも神様も『よく分からないにゃ~』とか言ってたから、神様が分からなかったら当然僕も分からない」
何というか責任感のない神様だった。
「影山の神様も雑な感じなのか」
「〝も〟ってことは君が会った神様も?」
「何というかこっちは『めんどくさがり』って感じの雑さだった」
「へぇー面白い」
雑なのが神様の共通項目なのか。いや、一括りにするのはまだ早いのか。
いつの日か解明される時が来たらいいけれど果たしていつになるのか。というかそもそもそんな日が来るのか来ないのか。
「そんな神様を見習って雑に能力を使ってみるか……ということで、今から能力を自分自身に使うから影山はなんかあった時のために近くで見ていてほしい」
「そういう事ならばお安い御用さ」
頼りになる男だ。
「じゃあ頼んだ」
ワタシは目を閉じて自分自身に問う。
妄想さんが今も辛い目に遭っているのに逃げていいのか?
いや、逃げていい訳がない。
――――。
その瞬間、周りの音が消えた。
耳がおかしくなったわけでもない。ただ静寂が訪れただけ。
何故静かになったのか。
そもそも能力を使えているのか。
「能力は発動……したのか?」
自分の手を見まわしても変化はなく、足も疲労で少し鈍くなっているとはいえ何の違和感もなく足踏みできる。タンタン、タタン、タン! ……トトン。
「うーん……僕から見ても特に変化ないね」
「ただ世界が静かになっただけ……何なんだこれは」
「世界が静かに? 何を言ってるんだい? ここら辺は田んぼに囲まれててずっとうるさいじゃないか。何の声だかゲコゲコ、チリチリ、ギュワンギュワン、ピーヒャラピーヒャラ、シュルルルル……騒がしすぎる。まぁ、耳が慣れたという説も無くはないけど」
やっぱり精神に干渉するタイプの『逃げれなくする』だったのか。
だとしたら音が聞こえなくなったのも〝覚悟が決まってゾーンに入った〟と言えなくもない。
これは何というか……拍子抜けだったな。
「……すまない、時間を取った。そろそろ休憩は終わりにしよう」
「もうちょっと様子を見てみてもいいんじゃないかい?」
「急がないと、だろ? 能力のことは後でいくらでも調べられるが、妄想さんは後でどうにかなる状況にいないんだ。〝優先順位〟ってやつだよ」
そう言ってワタシはいぬらしきに先導するよう促した。
そして、一歩踏み出した。その瞬間だった。
「ちょっと待ってよ――えっ」
背後にいるはずの影山の声が前方から聞こえてきたと思ったら、そもそも本人が目の前にいた。
そして、困惑している影山の奥にいぬらしきがいる。
「全世界君! ど、どこに」
「……こっちだ」
ひとまず名前を呼んで無事を確認させ安心させるが……一体これはどうなっているんだ。
「え、う、後ろ!? いつの間に回り込んで……」
いぬらしきもさっきまで後ろにいたはずの奴が、瞬く間に遠くへ移動していることに驚いたのか、すぐに影山の近くまで駆け寄って来た。
何が起きたのかは分からなかったが、一つ試したいことがあった。
ワタシはいぬらしきと影山に視線を向けたまま、後方に一歩踏み出した。
――――。
「え、また消えた!」「わわわわん!」
なるほどね。そういう能力か。
「影山、行こう。何となく理解できた」
再び先程と同じ位置――いぬらしきが影山に駆け寄る前に居た位置の少し手前に立ったワタシは、喜びを噛み殺しながら先を歩いていく。
「ちょっと! どういうことか説明してもらっても?!」
「歩きながら説明する」
横を通り過ぎたいぬらしきが再び少し先を歩いていく。
その先は山であり、鬱蒼とした木々が月明かりを塞いでいて真っ暗だった。
街灯の光が闇に吸い込まれて、灯りというにはあまりに心許ない。
能力を解除した瞬間に吹き返してきた虫の声と蒸し暑さだけが現実感を与えてくれる。
うねりながら角度を増すコンクリートの道は闇が咥え込んでいるのか先が見えない。
そんな闇に向かって一歩、また一歩と進んでいく。




