〈12〉 目下全世界の人生の壮大なオチ
〝ワタシ〟は意識を取り戻した。
一眼レフカメラがピントを合わせるみたいに、ぼんやりと見ていたものが急に彩度を帯び始め、意識がゆっくりと自分のものになっていく。
何があったかは|朧気》おぼろげ》である――ということだけが間違いない事実として存在していた。
そうなったのなら、時系列順に思い出していくのがよいだろう。
――まず、突然の敵襲があった。
妄想さんがどろどろの液体に捕まって、あげく口元まで埋まりそうになっていた。
影山が事前に「考えがある」と言っていた通り、いつの間にかワタシの胸ポケットに入り込んでいた「犬のような生き物」を筋肉質の獰猛な動物に変えて攻撃させていた。
……ワタシが覚えているのはここまでである。
うーん、大して覚えていなかったようだ。
「いや、そこまで覚えてたら十分かもよ」
突然声が聞こえた。その声の出処を探そうと周りを見渡す。
そこで初めて気が付いた。
今自分が全く知らない場所――〝四方八方見渡す限りの白が広がっている謎の空間にいる〟ということに。
正確には少し違う。
目の前には、古い木造の御社と真っ赤な鳥居が、土地丸ごとコピー&ペーストしたような感じで存在している。
だから「見渡す限りの白」ではないのだが、そのおかげもあってか目の前の御社と鳥居がとてつもない異彩を放っているのは間違いなかった。
その真っ赤な鳥居は一つではなく、一番手前の大きな鳥居に続くように並び、まるでこれからドミノ倒しでも始まるかのような仕上がりだった。
「兄ちゃん、こっちだよ! こっち!」
耳を澄ますとその声は頭の上――目算10メートルぐらいはありそうな赤い鳥居の上からだった。
「目下全世界君だよね! こっちおいでよ」
その声は遠くて小さい。
だけどワタシは感じていた。この声の主が只者ではないという直感。圧倒的な何かがそこにいる、という畏敬に近い感情が心中を渦巻いている。
「あのーすみません! そこにいるのはどなたですか?」
「それもこっち来たら教えてあげるからさ! ほらおいでよ」
飄々とした口調でそう言ってくれるが、10メートルはあろう鳥居の上までどうやって行けというんだ。
まさか、このつるつるで何の引っ掛かりも無さそうな円柱を登ってこい……なんて言わないだろうな?
「えーっと……どう考えても無理です。あなたがこっちに降りてきてください。お願いします」
「僕は別にそれでもいいけどさー、君一回も試してないじゃん! 一回ぐらい試してみなよ! コツ教えてあげるからさ」
「……どうやるんですか?」
「簡単だよ。目を瞑ってイメージしてごらん。鳥居の上に座っている自分を。ゆっくり深呼吸して」
嫌々ではあった。でも、やってもないうちから全てを否定するのはワタシのポリシーに反する気がして――それで結局、一切合切の文句を飲み込んで従うのだから、ワタシという人間はさもありなんという感じだ。
今は人間か怪しいけれど。
「すぅー……ふぅー……」
言われた通り目を瞑り、深く息を吸いながら脳内で想像してみる。
すると、なんとなく鳥居の上から見下ろした神社の映像が想像出来る気がして……。
隣に座っている糸目の男が、ニコニコ笑いながらこっちに手を振っているようなそんな情景が見えるような見えないような……。
「結構なお手前で」
隣からはっきりとした声でそう聞こえた。
その方向を見ると、そこには寝ぐせ頭をそのまま悪化させたような金髪に、くたくたになった薄灰色パジャマを上下に着た、一見すると治安が悪そうな男が腰に手を当て、こちらを見下ろすように立っていた。
にやけ顔で立っていた。
「ワタシはその……どうなってしまったのでしょうか」
「うーん、なんだろう。今の君は言うなれば〝人間ではない〟っていう状態だねぇ」
「えっと、それってつまりどういう……」
「人間じゃないっていうか、もっと言えば生き物ですらないね。もっとこう概念的な……〝高次元的な存在〟へと一時的になっちゃったってとこかな」
そんな眉唾的なことをさも当たり前に言われても、今しがた信じかねる。
そんなこっちの心情など慮ることもなく、金髪の男は間抜けな顔で口を開いた。
「ここ高くて怖いからやっぱり下に降りてもいい?」
「じゃあなんでここまで呼んだんですか……」
「それはまぁ……レクリエーション的なやつだよ。なにー? 君は風情が無いなぁ、まったく」
こんなものに風情も何もない気がするが……なんて、いまさらこの人に何か言っても勝てる気がしないので、ここはぐっと反論を飲みこんでおく。
「じゃあ行こうか」
そう言って金髪の男はポケットに手を突っ込んだまま、この目算10メートルはあろう鳥居から滑るように落ちていった。
「おいっ! なにやってんだ!!」
すぐに男の腕を掴もうとしたが、その手はそこにあった空気を掴むに終わり、残酷にも落ちていく男の姿をただ呆然と見送ることしか出来なかった。
誰かに心臓を〝ぐしゃり〟と握り潰されたかのような痛みを覚えた。
目の前で人が死ぬのを見るのは何ものにも耐えがたいのだと、今まで生きてきて初めて知った。まざまざと思い知った。
証拠の無いただの推測だけど、もしかしたらあの男はこの何もない空間に閉じ込められていて、そして、この空虚な空間で過ごす時間に耐え切れなかったのかもしれない。
それでいて死ぬことを許されず、ただ茫然と過ごしていたが、ワタシという存在を見て、「あぁ、こいつと代わってここから出れるのか」と思い、最後に見せ付けるような形でここから飛び降りたのだろうか。
――あぁ、ということはワタシもさっきの男と同じように、無限のような時間をここで過ごすんだ。
ここはそういう地獄なんだ。
あの時あの瞬間、ワタシは死んだのだ。
あぁ――
「おい、なに小さな声でブツブツ言ってんだ、新手の呪文か何かか? とにかく、いつまでもそんなところにいないで早く降りてこい」
足下の方から声が聞こえてきた。声から察するにさっきの男だ。
しかし、これが幻聴の可能性もある。
無暗に覗いて落ちないよう注意をしながら、おそるおそる下を覗いてみる。
すると、さっきここから落ちて死んだはずのあの男が、吞気にこっちを見上げて頭を掻いていた。ついでに苦笑いを浮かべながら。
男は続ける。
「早くしろ。どうせそこから落ちても死なねぇし、怪我もしない。痛くもない」
「あぁ、やっぱりワタシは無限地獄に落ちたんだああ!」
「あ? 無限地獄だぁ? 何言ってんだ。ここは俺が作った〝別荘〟みたいなもんだよ。適当なこと言ってんじゃねぇよ、ったく……」
「地獄じゃ……ないのか。そうか」
その発言で気が抜けたのか、はたまた、ただ足場が悪かったためかは知りようがないけれど、結果としてワタシはそこから落ちた。
つまり目算10メートルはあった鳥居の上から落下したのだ。
死が「可能性」から「現在進行」へとグレードアップした。
大体目算7メートルぐらい落ちたところで、ワタシの意識はこの体と同じようにストンと落ちていく。
これが目下全世界の人生の壮大なオチ――なのかもしれない。
〝落ち〟だけに。
↓ずるり。
↓ひゅ~ん。
↓ぱたぱたぱた。
☆☆ドスーンッ!!!!☆☆
チーターが落っこちーたー。
などと最初に言った奴は実際にその場面を見たことがあるのだろうか。
――くだらない駄洒落。
では、お洒落な駄洒落は存在するのかしないのか。
だってそれは矛盾しているようでしていないような……まぁ今はどうでもいいか。
そんな冗談を、冗談みたいな場所で、冗談みたいな状況で言ってみたところで何の意味も持たないのだから。
「意味が無い、なんてことはないんじゃない? ちょっとは気が紛れたりするかもしれないよ」
治安の悪い見た目の男が無様に横たわるワタシを見下ろしながら、ちょっと高めで、軽めで、浮遊感のある声でそう言った。
そんな治安悪金髪パジャマ男は、誰が入れるのであろう賽銭箱の前にある五段の小さな階段まで歩いていき、どっかりと腰掛けた。
そういえば、この人の名前をワタシはまだ知らない。
「……名前、なんですか?」
上体を起こし、地面に胡坐をかいてそう聞いた。
「うん? それ知ったところでどうなるの?」
「えっいや、特に意味があるかといえばないけれど、でも何というか呼び方があった方が便利かなと」
「……ふーん」
その男は一考する価値があると判断したのか、数秒口を閉じ思索に潜る。
そして、考えがまとまったのか再び口を開いた。
「名前無いよ」
「え、無いんですか。じゃあ今考えてたのは何だったんですか」
「え、自分の名前何にしようか考えてた」
「……あなた、他の人からなんて呼ばれるんですか?」
「別に呼ばれない。見れば分かるし……あ、でも確か種族名みたいのはあったわ」
「種族名?」
「そう。トウソウの神っていう種族名」
「トウソウの神? ……あぁ、闘争の神か」
「いや、違う違う。〝逃走〟の神だよ! 逃走の神! 逃げる方、逃げる方」
「あぁ! 逃走の神! ふーん、そうなのかー……」
それが一体どういうことなのか。
つまりこの男は今、自身が神様であるということを自白したのだ。
神様が目の前にいる……見た目では分からなかったし、威厳があるかと言われればまぁ無いとも言えないほどだった。
では、現実味があるかと言われれば、それはもう、全くもって無かった。
「別に神様が一人や二人いたっておかしなことじゃないさ。だから、こんな一面真っ白の世界があったって、超能力があったって不思議なことじゃない。それに、僕からしたら君がいまさら驚いていることの方が驚きだ」
そう言われて、確かに納得する――納得せざるを得ない――反論の余地もない。
だがそんな神様ともあろう者が何故ワタシなんかと関わっているのだろうか。
「それは知っての通り影山君のせいだよ。まぁ、この場合は〝おかげ〟と言ってもいいけどね」
やはりそうだったか。
「だけど、こうなる運命だったのは避けられなかったと思うよ? どの世界線を辿ったとしても回り回って僕達は会うことになったはずだ。ここでね」
「それは……どうしてそう言い切れるのですか」
「お役目があったからさ! 神様としての大事なお役目。ちょっと待ってて」
そう言って神様は立ち上がり、御社の中へと入っていってしまった。
一人取り残されたワタシは、その様子を見ようと立ち上がってみたが、ほぼ同時のタイミングで障子戸がピシャリと音を立てた。
ワタシは御社へと近づき、壁に耳を当てて盗聴する。
すると、棚か何かから物を引っ張り出したり、扉を開けたり閉めたりと慌ただしく動いている物音が聞こえてくる。
「あれ、どこだっけ」……「ここに入れたはずなんだけどなぁ」……「うわ! これ懐かしい!」……など独り言をぼそぼそと言っている。
……一体いつまで待たせるのだろうか。
この空間には時計がない。スマホも点かなければ、太陽もないので時間を認識する手段が無いのだ。
もしかしたら神様が時間に対して無頓着で、放置しているととんでもない待ち時間が発生するのでは? という危惧が発生した。
しかし、相手は神様である。
ワタシだって初詣には行くし、願掛けや決意表明をしに参拝することだってある。文化として生活の一部に馴染んではいるが、恩恵を一ミリも授かっていないかといえばそれは違うと思う。
……しかし、それはそれとしてだ。
御社から物音が聞こえなくなってからどれぐらい経っただろう。
流石にもうしびれを切らしてしまった。
「ふんっ!」
――バンッ!
「うぇ?」
勢い良く障子戸を開けると間抜けな声が聞こえてきた。
結果として、中に居たのは横になって漫画らしき物を読んでいる神様だった。
「なーーーにやってんだおめぇは! さぼってんじゃねぇか!」
「いやぁだってさぁ、奥に閉まったまま忘れてた漫画が見つかっちゃったら、そりゃあしょうがないだろう?」
「一人だったら「あるある!」で済んだだろうが、こっちはあんたを待ってんだよ! 人を待たせてまでやることがそれかよ」
温厚なワタシといえどここまでルーズなのは看過しきれない。この空間じゃなかったらまだもう少し穏やかだっただろう。
多分、この空間は理性に対する濾し紙の目が粗くなるのだ。
「まぁまぁまぁ……見てみなってこれ、懐かしくないか?」
表紙は日で焼けていてよく見えないが、その輪郭から察するにSFタヌキ未来道具ファンタジー漫画だった。
「……え、いや確かに懐かしいけど」
「うち全巻あるよ?」
それが危険な誘いだということは重々承知していた。
ただ、その誘いに対抗する抗体を持っていなかったらが意味ない、ということは残念ながら承知していなかった。
「ま、まぁ一話だけ読もうかな……」
パラッ……パラッ……。
……パラッ、パラッ……。
…………。
パッ……パッ……パッ……。
パッ、パッ、パッ……。
……ぽすん。
「……あれ、次の巻ってどこだろうか」
「あぁ、これじゃない?」
「おー、すまない、ありがとう」
……パラッ。
ぱら?
――はっ。
くそ! こいつのペースに呑まれてる場合じゃない!
ワタシは読んでいた漫画を畳に置き、その場に立ち上がって、涅槃の如く寝そべっている神様を見下ろした。
「……なにさ」
「ワタシにこんなことをしている時間は無い。もう行く」
そう言い残して踵を返そうとしたところで、神様は観念したのか、
「あー、あー、分かったから! 久々に人と話してちょっと舞い上がっちゃっただけだから! もう、そんなに冷たくしなくてもいいじゃんね」
と言ってズボンのポケットから細長い何かを取り出した。
「見て、ここを引くと」
――シュ。
鏡面のように反射する刃物が飛び出して現れた。
「物騒な物をお持ちで」
「そうかい? これ結構神聖なものなんだよ。ほら取っ手見てみ?」
刃の部分を仕舞った後、取っ手だけになったナイフを手渡された。
クルクル回転させながらジッと見る。
考古学的な雰囲気を醸している記号が隙間なく刻まれている。こういうタトゥーがあっても不思議じゃない、という平易な感想が浮かんだ。
「何というか……中二病っぽいですね」
「だろう! 結局そういうのがいっちゃんカッコイイってのにさ……まったく、昨今の男の子は変に大人ぶっちゃって可哀想だよ」
揶揄で言ったんだけど。
何というか、ほとほと神様のポジティブシンキングには驚かされる。……うん、見習いたいほどに。
「本心だよ。ポジティブとかじゃない。龍だっているし、呪いも超能力もある。昔は普通だったよ? 今は世に蔓延る〝冷笑〟に呑まれて信じる人減ったけどさ。でも男の子がそういうの本能的に好きなのは、実際に存在するからなんだよなぁ、って僕はほくそ笑んでるからまぁ、別にいいけどさ」
神様がそれを言うのはズルい気がする。だって、あなたという存在そのものが幻というか伝説みたいなものなのだから。
「んじゃ本題に戻るね」
「本題?」
神様はその柄から、先ほど同じく刃を出して、片膝をつき、屈んだ。
「僕は君を褒めたいんだ」
「……突然何ですか」
「はは、照れなくていいよ。それよりも自身を誇ってくれ。……僕はね褒美をあげないとなって思ったんだ。君は〝逃げるという行為から逃げた〟ようだからね」
「逃げるという行為から逃げた? そんなことは……」
「〝妄想さんが泥に呑まれた時〟君は逃げずに抗ったんだ。自分に危険が及ぶのを承知でね」
神様は持っていたナイフを手慰みにかちゃかちゃと、ペン回しみたいな要領で指の間に伝わせた。それも刃が出たままで。
「……よくできますね、そんなこと」
「僕は神様だからね。傷ついたってすぐに治るさ」
『神力で傷つかない』とかじゃなくて『傷ついてもすぐ治るから気にしない』の方がより恐ろしいと感じた。人の理と違う思考回路というか。
「君たちと違って僕には〝痛い〟とか無いからね。だけど……」
神様はナイフを握るその手を天高く振り上げた。
そして、重力のままに振り下ろす。
その切っ先は自身のアキレス腱めがけてだった。
それは束ねた藁を切る日本刀のようだった。
刃先はスムーズに動き、何の引っ掛かりもなくスパンと斜めに通過した。
畳の上が鮮血で濡れる。
ドクドクと脈拍を感じるようなペースで溢れては弱まるのを繰り返す。
「神にだって弱点はある。そこを切ればこんな風に深く傷が入ってよく血が流れる」
神様は笑顔のまま淡々と説明した。
「だ、大丈夫なんですか!?」
「うーん、まぁさっき言った通り痛みはないよ? ただこの後どうすれば助かるかを忘れちゃっててさぁ……まぁ何とも言えないかな」
「っ……ワタシにできることは」
「まぁ、無いかな。敷いて言うなら歯を食いしばっておいて、あまり動かないでもらえるとありがたい」
言っている意味が解らなかった。だってその発言は、神様自身が大丈夫かどうかとは関係無いし、もっと言うと、死ぬこととか生きることを何も考えていない発言だから。
……ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。「よし!」
神様は自らの手のひらを血で真っ赤にして立ち上がった。
やはりというべきか、出血し続けている自身の足を気にかける様子はない。
「これから儀式を始めるよー!」
「え、ぎ、儀式……?」
「じゃあ僕から言い残すことは一つ! 逃げずに向き合うようになったのはいいけれど、たまには逃げてもいいからねー! ……んじゃ『逃げれなくする』能力のプレゼントだ!」
そう言って神様は、ワタシの頬に思いっ切り平手打ちをした。
――パアアァァンン!
飛び散る血しぶき。
急速に動いてぶれる視界。
唐突の出来事に働かない思考。
残るのは残像。残像。残像。
―――………
「あ、本当に目が覚めた……」
目の前には驚いた顔の影山が、何かを振りぬいた手のひらをそのままにしていた。
ワタシが仰向けで、影山そこに馬乗りになる形だった。
ジンジンと痛む頬に手をやって、今自分がどこにいるのかを確かめて、初めて自分があの神様だけがいる世界から離れたということを自覚したのだった。




