第98話 たどり着いた一つの事実
カラーン…コロ———‥ン
女神神殿の聖殿で、12時の合図の鐘が鳴り響く。
その鐘の音を聞きながら、レイヴンは空を見上げた。
「…目に見えるものを疑い、心にある事実を信じよ。さすれば、進むべき道が見えてくる」
女神神殿では、その代の神巫女が女神神殿に奉じ、国の平穏と安定を祈り、女神に祈りと真心を捧げる時間がある。
それが昼の12時で、女神神殿に仕える聖騎士達は鐘の音と共にその時間には必ず聖堂で祈りを捧げなければならない。今日は日曜ということもあり、一般の民衆も多く、神殿内はごった返している。
(…何が起こっているんだ)
先日、全騎士に一つ通達があった。
それが、レアルド王子謀反の疑い、という驚くべきものだった。レイヴンの記憶では、ついひと月前まではレアルド王子自身、聖女に入れ込んでいるという噂があり、後継としての資質を疑う声が複数あったと認知している。
しかし、今は彼を心配する声も非難する声もなく、ただ新たにやって来た第一王子の話題ばかり。
(だめだ。…俺一人が考えたところでどうにかなるわけでもないのに)
「どうしたんだ?ぼーっとして」
「あ、いいえ。少し考え事を」
壇上にある瞼に白布をした女神像を眺めていると、年配の聖騎士の隊長が声をかけていた。
「…ロイモン隊長は、聖騎士になってどのくらいですか?」
「そうだな、正式な聖騎士として叙勲式を終えてからかれこれ15年目か」
「15年…というと、ヒューベルト殿下を昔からご存じだったんですか?」
レイヴンが尋ねると、ロイモンは少し間が空いてから答えた。
「…ウーーン…それが不思議でなあ」
「不思議?」
「ヒューベルト殿下については、確かに子供の頃のお姿を知っているのだが‥どこか違うような気がするんだ」
「違う、とは?」
ロイモンはそう言うと、きょろきょろとあたりを見渡し、こそっと呟いた。
「まあ、子供は大人になるものだろうから…そんなものだろうがなあ」
「…?」
あごひげを手で触りながら、首を傾げた。
「随分と、雰囲気が変わったものだ」
「それって」
レイヴンが言いかけると、高らかと神殿の銀の鐘の音が鳴り響く。――神巫女が祈りを捧げる刻である。
(目に見えるものを疑え…)
鐘が止んで祭壇に神巫女・ヴィヴィアンが登場した。
どこか気まずいような…落ち着かない気持ちで見やるのだが、その姿を見て、驚いた。
「黒い神官服?」
「巫女というよりこれは…」
ざわざわと神殿内が騒がしくなる。
無理もない。女神に仕える巫女は基本的に白が基調で、神官服もすべて純白で統一されているはずが、今は巫女に付き従う神官たちもまるで喪に服した時のように黒衣のドレスのまま。
(以前、彼女はこう言っていた)
『あ…聖女には、良く白がお似合いですね』
『あなたは、神官の騎士様ですか?白は…ちょっとだけ気恥ずかしいけれど』
初めて出会ったとき、そう言って笑っていたヴィヴィアンを思い出す。
レイヴンが覚えている限り、ヴィヴィアンがこの神殿に来てからというもの、黒い服で登場することは一度もなかった。
しかし、今はどうだろう。
壇上に上がる姿があまりにも気色悪く、何か気持ち悪い物を見ているような、そんな気分になる。
「…うっ?!」
「あ?レイヴン・クロム?」
耐え切れず、その場を逃げるように拝殿を抜けようとするが、入り口を門番に封さされてしまった。
「…祈りが始まるお時間です」
「今から退出るするのは赦されない行為」
「……しかし」
言いかけてはっとなる。門番二人の様子がどこかおかしい。
目がうつろで、かつての自分と同じような姿を見ているようだ。
(‥‥何で、誰も気が付かない)
その姿を見ていると、レイヴンは急激に眩暈のような吐気の様なものを感じ、とてもその場所に留まることは出来ず、拝殿に背を向けた。
どくどくと心臓が波打ち、自分が自分じゃないような、不快な感覚にとらわれる。
「体調が…」
「お通しできません」
「…通してやってくれ」
突然涼やかな声を聴き、はっとなる。
(…この人が)
「体調が悪いなら、無理することはない」
白金に近い髪に、金色を帯びた赤い瞳。
整った顔立ちに、巫女とは違う、白い礼服のまま。佇まいだけで彼が誰か一目でわかった。
「しかし」
「私がそう言っている」
「…はい」
「……ヒューベルト殿下」
「行くといい」
にっこりとほほ笑む姿にどこか安堵さえ覚える。
レイヴンは一礼して急ぎその場を離れ、逃げるように聖殿から外に出た瞬間、先程まで感じていた謎の体調不良は嘘のように解消され、呼吸も楽に感じる。
「!」
振返り聖殿を見るが、もう門はしっかりと閉ざされ、祈祷中は中に入ることさえ敵わない。ただ、いつもは穏やかな空気で包まれている筈の聖殿から感じるのは、底知れぬ恐怖に似たひりひりとした感覚だった。
(一体何が行われているんだ?)
ざわざわと寒気のする身体をなだめながら、先程まで話していたロイモン隊長のことを思い出した。
四半刻後、聖殿の大きな大理石の扉が開かれた。
全ての扉から人々が吐き出されてくるが、その姿は皆生気がない。
「…?」
ふと、見慣れた人物の姿を発見し、慌てて駆け寄る。
「ロイモン隊長!」
「…ああ、レイヴン・クロム」
肩に手を置くと、ロイモンは虚ろな表情でゆっくりとこちらを見た。
(この…姿は)
その姿は、嘗て自分がヴィヴィアンに焦がれていた時の表情に似ている。
まるで生気のない、虚空を見る瞳に何が映っているのだろう。
「喜ばしいことだ。これから新しい世界が生まれる」
「新しい世界‥‥?」
「喜ばしいことだ。…なんて喜ばしい」
ぶつぶつとそれだけ呟きながら去ってゆくロイモンの姿を呆然と見送った。
周りに眼をやると、神殿から出て来る人間は皆同じような症状で、皆どこかに向かって列を組んで歩いていく。
どこか異様な光景で、未だ冷え冷えとする空気を聖殿から感じながら、レイヴンはその列を見送った。
「やはり、様子がおかしい…誰かにこのことを」
その帰り道、レイヴンの目の前にずらりと自分の同輩たちが立ちはだかった。
皆、先程のロイモンと同じように正気の目をしていない。
「何か用か?」
「……」
しばらく見つめ合っていると、突如全員剣を抜いてこちらに向かってきた。
「!!!」
(相手は6人だが、こちらから剣を抜くわけには)
一撃、二撃と避けながら、退路を確保しようとする。
しかし正気じゃないとはいえ、なまじ訓練を積んだ正規の騎士達に複数同時で本気でかかってこられたら、レイヴンと一人でかなうはずもない。
「くっ…分が悪い」
「‥‥新しい世界の為に、《《来訪者は》》滅せよ」
「新しい世界に、来訪者…?!お前たち、いったい何を…」
レイヴンの声もむなしく、騎士達はうつろな表情のまま襲い掛かる。
(先ほどまで普通だったのに、なんで!)
左右に眼をやり、抜け出せるすきを窺いながら応戦するも、かつての仲間たちに剣を向けることなどできない。
そうしている間にも騎士達はじりじりと距離を詰め、あっという間に壁際に追いやられてしまった。
「!!」
見知った同輩の攻撃を間一髪で避けると、バランスを崩した瞬間を狙ってに当身を食らわし、その場を切り抜ける。
そのまま神殿の外に向かって走っていると、今度は正面の方向から別の騎士達がこちらに向かってきた。
彼らに命を脅かされるようなことをした覚えはないが、見る限り、こちらの話を聞こうとする雰囲気ではない。
「くそ、このままじゃ」
「おい!!何をしているんだ!」
「!」
突然の声に、その場にいた全員の視線がある一点に集中する。
やって来たのは…緑の髪青年。おぼろげながらも、何度か見たことがある。
「ええと、お前は バルク・ベルヴォン…」
「早く!こっち!!」
「?!あ…」
ぐっと手を引っ張られ、慌ててその場から逃げ去る。
襲ってきた騎士達も、なぜかバルクには目もくれず皆背を向けた。
「何がどうなってるんだよ…祈りの日ってこんなに殺伐としているものなのかよ!」
「…お、お前は正気なの か?!」
「はあ?!当然じゃん。別に騎士さんのこと襲っても、俺には何の得もないぞ?」
憎まれ口に近いような気もするが、この他愛もない会話がレイヴンを心底安堵させた。
「…かしい」
「は?」
「皆!どこかおかしいんだ!!!」
「あれ……あんた。あんたこそ…随分まともそうじゃないか」
「それはとうぜ…」
言われて、はっとなる。
過去、自分は一度この青年を嫉妬し、心底憎んでいた時があった。剣すら向けて敵意を持っていたのは自分ではないのか。
「俺も…おかしかったのか…」
「なあ、騎士さん。…あんたはどうやって元に戻った?」
「それは…」
ぐるぐると記憶が混濁している。
記憶が随分と明確に覚えているのは、先日のガーデン・パーティーの出来事から。後に聞かされた話では、自分は突如カトラリーのナイフを持ち出し、カサンドラ・グランシアを襲おうとしたという。
(いつから…あの時…?)
その直前のことをゆっくりと思い出していく。
何か見えない力が後押しをしてくれるように、固く結ばれていた糸のような物がほぐれていく感覚になる。
「…心にある、事実を」
ざわざわと聞こえる雑音、木々のざわめき。石畳の音、そして…彼女の声。
「あなた《《も》》、欲しいな」
小さな枝が折れる音、そして、鳥が飛んでいく翼の音。
「あーあ、逃げちゃった」
「鳥…?」
「うん。可愛いよね?それと、ウサギも可愛いなあ」
「兎?兎なんて飼っていたんだっけ?」
「ううん。これから飼う予定!…私だけの大事なペットにするんだ!とっても楽しみ、ね!あ、そうだ…レイヴン。お願いがあるんだけど」
急激に冷たくなる声と、するりと抜けていく手。
「あなたはもういいわ」
「…っえ?」
「解放してあげる…あなたには、ちゃんと大切な人がいるでしょう」
「大切な…?」
「…想い合う二人を壊すほど、私は貴方に執着していないし…《《彼》》がいればいい」
「それは」
「でも、その前に。…あの子を殺してもらおうかな」
そして…次の記憶は、応接室のソファに寝ているところにつながった。
「お、おい騎士さん?」
「…お前もそうだったのか?バルク・ベルヴォン」
「……え?」
「今の聖女、ヴィヴィアン・ブラウナーは…俺やお前の知っている彼女とは全くの別人だ」
お読みいただき、ありがとうございます。随分と間は空いてしまいましたが、ちゃんと完結させます!
引き続き最後まで読んでいただけたら嬉しいです。




