第95話 血の清算
その日、街は異様に静まり返っていた。
普段は夜中でも人通りの多いはずのメインストリートに人の姿はない。練り歩くのは、何かを探す黒い騎士たちの姿。
締め切ったカーテンの隙間から少年が窓の外を覗くと、大きな手がその瞳をふさぐ。
「見ちゃダメだ」
「…お父様」
「お前は見なくてもいいんだよ」
「……」
少年は、綺麗な布にくるまれた自分の上半身ほどもある本をしっかりと抱え、うつむく。
「…僕は、行ってはいけないの?」
「そう。あなたは来ちゃダメよ」
ふわりとほほ笑む母の姿を見ると、少年は涙が出そうになるが、ぐっとこらえる。
「では、頼んだよ」
「旦那様、奥様…どうかご無事で。さあ、坊ちゃま」
「お母さま…お父様」
「大丈夫よ。…大丈夫、行ってきます」
そう言って、手を振る両親の姿はいつまでも笑顔だった。
この時――いわれのない罪状を突き付けられ、家族との別離を強要された子供たちは数多くいたと言われている。
あまりにも異常なことが起きていることを誰もが気づいていたが、多くの者は目をそらし、ひた隠しにした。
【昏い歴史】として、都合の悪いことを全て「国の為、正義の為」と口にしながら。…全ての始まりは、ある時欲を持った一人の王がこうつぶやいたところから始まる。
「一つの国に、王は二人もいらないのではないか?」
その言葉を聞いた忠臣であり、友であった公爵は、王の真横でそっと囁く。
「ならば、いっそもう片方を消してしまえばいいのでは?」
―――この国には、【ルベリアム】と、【エイリアス】、二つの王冠があった。
創世の神話の時代、女神アロンダイトがその名を天上に返し、地に眠ることを選んだ。
その時二人の男児をもうけるが、争いを好まない女神は、一つの国に二つの王冠と役割を与えた。
それが【女神を祀る法皇】のエイリアス、【国を束ねる王】のルベリアムと、二人の王が長きにわたりこの地を君臨することとなる。
その子供たちの血統が現代まで受け継がれその名を家名とし、77代を迎えた頃。
偉大な創始者の死後も【約束】は受け継がれ、反発しあいながらも互いに共存し続けた二つの王家だったが、ある事件をきっかけにそのパワーバランスが崩れる。
それが、【ノン・ネームド】…敬うべきは王家でも女神でもなく、倫理と合理性を説くすべての源こそ神、という思考の蔓延だった。
女神の存在や見えない力に恐れを抱いた多くの民衆にその思考は伝染し、女神神殿を束ねるエイリアスの一族に、懐疑的な目が向けられ始めていたのだ。
「…………しかし」
ためらいを見せる王に、公爵はある提案をする。
「…では、こういうのはどうでしょう。エイリアスの血筋の者達は、皆、女神に反旗を翻したノン・ネームドの提唱者である」
「まさか…」
「過ぎた信仰は、時に間違った思考で正道を踏み外し、ねじ曲がった思想を生んでしまった…その第一人者が、他でもないエイリアスの王だなんて」
思考の根源たる存在の元凶を、エイリアスの王に擦り付けることでルベリアムの正統性を定義しようというものだった。
「尊き血は一つに清算され…民衆は今、力あるあなたを求めています」
取り返しのつかない決断は、結果としてエイリアスの血統である者達を反逆者とし、汚名を着せることに成功してしまった。
それが、結果的に悲劇を引き起こす引き金となったのだ。
「これで…これでいいのだろうか」
街を見下ろせる一番高い場所で、若き王は膝をつく。
遠くではどこかの家が燃えているのが見えた。時々風に乗って何かの破壊音と人の叫び声のような物がうっすらと聞こえ、思わず耳をふさいだ。
「…この国は平和です。女神の恩恵か、大きな災害もなく戦争も起こらない。更なる安定を求め、多少の間引きがあってこそ、国は更なる発展を遂げるのです」
「ファルケン…」
誰に問いかけるでもなく、茫然とつぶやく。
「私は…正しいのか?」
「ええ。ご安心ください。陛下がなさっていることは、旧き習慣をなくし、新たな世界の礎となる時代の転換を担う重大な変革なのです」
「変革…?」
「女神の尊厳は地に堕ちた。それをもたらしたのは…他でもない彼らでしょう?それを正し、彼らの罪を終焉という名の免罪符で贖ったのです」
「そうか、私が…新たなる時代を築く…」
「何かを破壊してこそ、新たな再生が生れるのですよ、バロル・ルベリアム。あなたこそ、新しい国の創生の王となるのです」
この時、無防備のまま反論する暇も抵抗する気力すら与えぬまま、亡くなった者は千を超えるという。
虐殺とも取れるこの行為は、後に皮肉を込めてこう呼ばれる。
【血の清算】、と。
**
「さむ」
カサンドラは、宿場で借りたブランケットを片手に湖のほとりを歩いていた。いたるところで虫が鳴いており、首都と違った秋の気配を感じた。
夜の闇にすっぽりと覆われた湖は、天上の星を映しまるで宇宙にいるみたいだった。…だが、うっすらと雲がかかっているせいか、星々は月の光に負けてしまっている。
「月が大きいから…星は少し小さいかな」
あの後…結局、それ以上の話もできず、解散となった。
(あんな話を聞いた後じゃあ、眠れない)
さわさわと流れる心地よい風に、ふと自分が今現実にいるのか、夢の世界にいるのか一瞬戸惑う。
「変なの。どこの世界でも‥‥月と星は、必ずあるんだね」
ぼんやりとそう呟くと、遠くのベンチに人が座っているのが見えた。
(ノエル?)
いつもはきっちりまとまっている短めの後ろの髪も、この時ばかりはおろしているようで、一瞬誰だかわからなかった。
いつもの軽薄そうな雰囲気もなく、どこか物憂げ表情で空を見上げる横顔は、声をかけるのをためらうほど。
「あれ?……こんばんは、サンドラ」
「あ…」
「嬉しいな。こんな綺麗な月夜に君に会えるなんて」
「……」
ここしばらく、ノエルとは着飾ったような派手な場面で一緒にいたことが多く、自然な感じでこうして顔を合わせるのは本当に久しぶりだ。
「となり、どう?」
「……うん」
短く答え、なるべく距離を取ってすとんと腰掛ける。
「…あのさ、サンドラ。なんでそんな離れてるの?」
「別にすぐ近くなければいけない理由もないじゃない」
「それはそうだけどさ…」
「眠れなかったの?」
「まあ…君も?」
「私は…なんだか気が立ってしまって。散歩でもすれば、すっきりするかなって」
先ほどの様子が気になり、ちらりと盗み見する。
どことなく元気がないように見えるのは、気のせいだろうか。思いを巡らせていると、ばっちりと目が遭ってしまう。
「…何?俺に見とれた?」
「バカ」
「ひどいなー」
「でも、なんだか久しぶりな感じがする」
「だね。…俺に会えなくて寂しかったでしょ」
軽口をたたくこの感じになぜか安堵する。
「……そうね、少しだけ」
「えっ」
「ん?」
(何か気に障ること言ったかな)
そう思ったのだが、どうやら違うらしい。
「あの…大丈夫?」
「?!あ、いやいや。…大丈夫だって」
「顔赤いけど…どこか具合悪いの?なんだか元気ないでしょう?」
「…元気が、ない?俺が?」
「うん」
「…あー…そう、見えるか」
「?」
「ちょっと色々重なって」
それきり、ノエルは黙りこくってしまった。
何か話した方が…と考えもしたが、カサンドラはノエルの次の言葉を待った。
「……前、言ったろ?今、ちょっとめんどくさい依頼があったって」
「うん。…あったってことは、無事終わったのね」
「…まあ、そうなんだけど。あまり、後味のいいものではなくて」
「後味?無事に成功できたわけではないの?」
「成功っていうか」
その時は、いつも何でもこなせそうなのに珍しいこともあるものだな、位に思っていたのだが、この様子を見る限り、よほど大変だったらしい。
「結構、メンタル的にしんどかった…ってのが、本音かな」
「メンタル…そう」
「でも、そう言うときに限って、サンドラを思い出した」
「私を?」
「ああ。…俺さ、君の瞳の色、好きなんだ」
「?!と、突然何っ」
「だって、天気のいい時に見る青空と同じ色なんだよな」
いつもの軽薄さが感じられない率直な言葉は、正直嬉しい。
「今も…乗り越えたと思っていたんだけどな」
「え?」
ぽつりと呟く声は、良く聞こえない。
しかし、徐々に距離を縮めつつ、ノエルは続けた。
「さっき寂しかったって言ってくれたね?…どれくらい?」
「え?!!す、少しって…」
「俺は凄ーく寂しかったんだぜ?…いーっつもあの堅物兄貴とか、腹黒婚約者とか、鳥だのなんだの君の周りにはいっぱいいるだろ?」
(堅物兄貴と腹黒婚約者?!!)
あまりにも的を射た発言に、思わず吹き出してしまう。
「フフ、何それっ!」
「最近じゃ、真面目殿下まで…ほんと、君といると飽きないけど、誰かしらに邪魔されるからなー」
「お兄様は私のことが心配なだけだろうし…ユリウスは、ああいう人だもの。殿下に至っては、同じ釜の飯を食った…というか食わされた?感じだしね」
この表現が正しいかどうかは別として。
本来なら、対極の位置にいたレアルドとも妙な縁ができたものだ、と思う。
「ふうん…じゃ、俺は?」
「え?ノエル??」
「そう」
「……」
さっきのしおらしさはどこへやら。
いつもの調子を取り戻したらしい様子に、安堵する。
「気の合う友達かな!」
「…ぐ。と、友達か」
「うん!そうだ、ねえ今度手合わせしてよ!」
「手合わせぇ?!…俺と?」
「そうよ!えい!」
「ふうん…」
ひゅっと出した拳は難なくノエルに掬いあげられ、そのままカサンドラの視界はぐるりと反転する。
「わ、わあ?!」
「まだまだだね」
軽々と抱き上げられ、そのままくるくると回転する。ノエルの体幹がしっかりとしているせいか、回転軸がまるでブレない。
「ちょ、ちょっと危ないわよノエル!」
「はいはい、それより上見てみなよ」
「上?あ!」
ぱっと顔をあげると、先ほどまで緩やかに動いていた薄い雲はすっかりと晴れ、月に負けないくらい星が瞬いてる。
いつも視線とは違う高さに思わず手を伸ばしてしまう。
「綺麗…!」
「…ありがとう、カサンドラ」
「え?」
「俺のこと、元気づけてくれようとしたんだろ?」
「べっつにー?」
「手合わせもいいなー。そしたら、君のこと独占できるし?」
「なら、足技とか…」
「え、マジなの?」
「ヒールで戦えたら、格好いいじゃない!」
「…ヒールで戦う公女様ってのは、聞いたことないけどなあ…」
他愛もない冗談を言って、笑いあえる。なんだか心が温かくなっていく。
(こういう、夜は…なんだかほっとする)
むくむくと冷たく湧き上がる不安や心は、徐々に解れていったのだった。




