第89話 消えない痛み
「白い薔薇を置くのですよ、レアルド」
黒いドレスを着た母上がそう言って、一凛の白薔薇をくれた。
(…白は、弔いの、色)
今にも泣き出しそうな曇り空は、自分の心と同じ色だ。どこまでも続く白い回廊に、大きな扉。
真っ白い棺はその奥へ奥へ運ばれていく。
「嫌だ…そっちに、行きたくない」
「…諦めなさい」
「でも!そっちへ行ったら…兄さまは」
その先は、王族が眠る墓地。新たに作られた小さな部屋に運ばれた棺には、宝石花と呼ばれる魔法の花に護られ、ゆっくりと土にかえるという。
「お前が最後だ。…責任を取りなさい」
「僕は…」
(そう、僕が殺した)
「嫌だ…」
(大好きな兄を、弓で…)
「嫌だ!!!」
「早く白い薔薇を置きなさい!!!!未来の王になるのは、お前なんだ!!」
それは、レアルドが10歳になったばかりの頃。初めて参加した王室の公式行事の一つ、狩猟大会での出来事だった。
「私は既にこの世のものではない。ただ、君たちと同じような姿をして、君たちと同じような存在のふりをしているだけだ」
そう語る、兄の表情はとても悲し気で、どこか苦しそうだった。
「兄上…あなたは、本物か?それとも…【造られた】のか?」
「…まがい物は、いずれ消え失せる」
「それは…」
「約束してくれ。お前は目の前にある真実だけを見て、前を見ろ。誰かの甘言にも惑わされず、それを信じて挑めば、必ず道は開ける筈だ」
「目の前にある真実…?」
その答えは、もしかしたら目の前にいる存在そのものかもしれない。
「お前が辿ってきた道…今この瞬間まで歩いてきた道は、確かなものでその記憶は正しいから…これから何があっても、その事実は絶対に揺らがないように。困難な局面でも、絶対に投げ出さず、進んでほしい」
「…あなたは一体、何をするつもりなんですか?」
「私は…絶対にやり遂げなければならないことがあるんだ」
「やり遂げないとならないこと?」
彼は、それ以上答えなかった。レアルドもまた…それ以上聞くことができなかった。何があっても全うする覚悟を感じたから。
「目の前にある真実だけを信じぬく強さを持て」
「!!」
「まがい物は、自身では止められないから…誰かが終わらせてくれるのを待ち焦がれているんだ」
「終わらせる…?」
「その方法を、私の代わりにお前が見つけてくれ。‥‥‥待っているから」
(ああ、この人は)
あまりにも切なる言葉に、胸が苦しくなる。
彼は間違いなく、かつてヒューベルトという名前の存在だったのだろう。
「…わかりました。その言葉、決して忘れません」
レアルドがそう言うと、彼はどこか安堵のような表情を浮かべた。
「本当に困ったとき、グランシア家を訪ねると良い。‥‥必ず《《君》》の力になってくれる」
「グランシア家?」
ふと、レアルドは懐にしまってある、青い扇子を思い出した。
「‥‥む、胸に留めておきます」
どこかばつが悪そうな表情を見やり、彼はふっと笑った。
「それと…聖女には気を付けて。彼女こそ、本当の…《《偽物》》だから」
「!」
最期にあった瞳は、兄とは違う…もっと別の誰かの瞳の色をしていた。突如、強い風が吹き、そこにはもう誰もいなくなっていた。
**
「帰ってこない…もう、三日…」
私は今日、何度目かわからないくらいため息をついている。…ラヴィが消えて、アードラが消えてどれくらい経っただろう。
(どこ行っちゃったのよ…)
この二日間だけで、私はたくさんの情報量を目の当たりにした。もう限界、容量オーバー。知らなくてもいいことと、知りたくなかったことと…一石二鳥どころか三鳥程降ってきたような感覚だ。
「はあ…ただいま~…」
「!!!」
「ふぎゃ?!」
思わず跳ね起きると、窓から滑り込んできた小さな物体をむんずと鷲掴んだ。
「ご、ご主人さ」
「どこ行ってたの!!心配したじゃない!!」
「…っそんなに心配してくれたなんて…!」
「え?うゎ?!!」
突然視界がぐるりと反転し、私は長椅子に寝転んだ…というか、押し倒された。
しかもいつの間にか変身した人間型アードラに。
「ちょっちょっと!」
「あ、ごめんごめん。うん、不可こうりょ…イテテテて!!」
関節技の基本は、自分の腕をしならせることから。
…ヘルトの教え通りやったら、美しい関節技が決まった。
「…ちょっと」
「せ、積極的なご主人様も素敵だよ」
「何かあったの」
「少し怪我して、左腕…いてて」
押さえつけた左手には赤黒く血が滲んでいた。
「…?!やせ我慢、しないで!」
「ちょ、ちょっと、カサンドラ、僕にも心の準備ってものが?!」
「うるさい!黙って!」
「えぇえ?!」
そのまま力づくでブラウスを引っぺがすと、左肩から腕にかけてぱっくりと口を開いたような切り傷を見つけた。
「何で…血が出てる、他は?怪我していない?」
思った以上に真っ白い肌に赤い線がにじむ。
夢中で他の場所にけががないかチェックしているのだけど…あれ?なんか様子が変だ。
「あ、あの…」
「何よ!」
「ちょっと…これは、その」
弱々しく、なんだか可愛らしい声で抗議の声が囁かれ…アードラは、赤くなる顔を手で隠しながら、さっと目をそらした。
「心配してくれるのは嬉しいんだけど…も、もう少し魔力が戻れば。だからその、僕から、降りて?」
「!!!!」
経緯はどうあれ、私は今、シャツがはだけて胸元があらわになってるアードラのお腹の辺りに馬乗りになっている…わけで。叫ばぬよう静かに離れた。
「あの、カサンドラ」
「?!ひゃいっ」
「その、心配させるつもりはないんだけど…以外に深くて」
いそいそと服を着崩れを直しながらそう言うアードラに背を向ける。
「ご、ごめん、ねえ、魔力ってどうやったら戻るの?私に何かできることはない?」
「あ―…とりあえず、傍にいてくれたら、それで」
「そ…そう?」
ふと、開いた窓から雨の匂いが流れ込んでくる。
(また、雨…)
雨音がどこか胸が締め付けられるような、せつない気持ちになるのはなぜだろう?
「…腕、見せて。あ、それとも他の姿になった方が治りやすい?」
「ううん、このままの方が楽だから」
「…わかった。ほら座って」
「!」
私とアードラと、向かい合わせに座る。
「だいぶ前に、包帯と薬を取っておいたのが残ってるから」
「…う、うん。うまいね。包帯巻くの」
「前…ヘルトから教わったのよ」
「ふぅん……っ」
アードラの腕に手が触れると、びくりと震えた。
「痛い?」
「あ、そうじゃなくて…その、めったに素肌に触れられることがないから…ちょっと、かなり」
「ん?」
「なんでもない…」
ケガをしてきたのは驚いたけど、いつもは余裕ぶってるくせに、今日のアードラは赤くなったり、青くなったり…なんだか新鮮だ。
優しい雨音を聞きながら、私は自然と言葉に出た。
「…実はね。たまたま見つけたの。…カサンドラの秘密の手紙」
「?…差出人は?」
「リオン・フォスターチ」
「!!!」
一瞬、動きが停まると、アードラは私の手をしっかりと握りしめた。
「…?私は会ったことがないけど、もしかしたらユリウスの亡くなったお兄さんかも、って…」
「それ、僕だ」
「え?」
「以前、君が言っていただろ?僕らにはモデルがいるかも、って。…僕の原型は彼みたい」
「アードラが…リオン?え、待って…でも」
ユリウスは、兄が亡くなったと言っていた。
「そう。‥‥僕も、片眼鏡の紳士も、恐らくラヴィも、死んだ人間を元に新しく作り直された存在みたいだ」
「…アードラ」
言いながら、自分が傷ついているような顔をしている…それが、冗談ではなく、本当のことなんだと、思い知る。
「なんだか、自分で口に出してみると…嫌なものだね」
「そんな」
「…さっきまで、実はユリウスと一緒にいたんだ。それで…たまたま」
「たまたま、だなんて…」
どういう理由で、どうやって、とかいろいろな思いが交錯するが、その答えを誰も知らないだろう。
「片眼鏡はファルケン・ビショップ・フォスターチ。そして、僕がリオン・フォスターチ。…二人もフォスターチ家から出てるのは偶然かもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「アードラ…」
「ユリウスには平気で話せたんだけどな…なんか、今は怖い。少なくとも、普通の原理の下で産まれた存在ではないことは確かで」
「アードラ!」
「…まるでばけも」
その言葉を聞いた瞬間、私は、思い切り包帯の結び目をきつく縛り上げた。
「い゛っ」
「馬鹿ね」
更にべちん、傷口を叩く。
「い、痛い」
「誰か化け物よ。…なあに、弱気になって。」
「‥‥‥」
「らしくないわよ、アードラ。あんたが化け物なら、私だって同類になる。」
「同類?」
包帯をしまいながら、アードラの横に並んで座る。
「手紙、見たわ。でもね、私には初めて見る手紙で、何も知らない。誰がくれたかも、どんな理由でやり取りがあったのかも…全然知らなかった」
「カサンドラ…」
私は今、どんな表情をしたらいいのかわからない。
哀しいのか、それとも。
「全部私宛てなのに、よ?おかしいじゃない。私は初めて読んだのにね」
「……僕も、読んでみてもいい?」
「ええ。いいんじゃない?アードラも知る権利があるでしょう」
アードラは、一枚、一枚、大事そうに取ってある手紙を開いた。最後まで…リオンが命の灯を燃え尽きるその瞬間の想いを、彼はどう感じるんだろう?
「元がどんな人物だったのか、興味がなかったけど。ユリウスに言われたことがある。」
「…うん」
「今の僕の姿は、リオンが理想としていた姿なのかも、って。」
きっと、迫りくる死の向こうにある夢を想い描いたのは…望むままに自由で、大切な人とどこへでも行ける。そんな存在だったんじゃないだろうか。
彼にとっての、夢そのもの。
「もしかしたら、の話だけど。…君に逢えたのは、リオンの執念かもしれない」
「執念ねえ。だとしたら、がっかりしちゃったかもね…」
「何で?」
「だって…私は、本物じゃな」
ふわりと柔らかい髪が頬に当たってくすぐったい。
「リオンだったら…どんな風に君を口説くのかな」
「何よ、それ」
「僕がリオンだろうと、何だろうと…ご主人様に惚れないわけないじゃない」
「アードラ…っ?!」
ぴったりと寄り添いあうと、ふと身体の隅々から何か見えない力が沸き起こるような不思議な感じがした。
「ん?…ああ、なるほど」
「どうしたの?」
「今、僕とご主人様、心が通ったよね?…だからかな、魔力が戻ってくる」
互いを想い合い、互いを認めることで、魔力は増減するのかもしれない。まさに、使い魔と主人の関係性がもたらす『絆』が力の元なのだろう。
「じゃあ、怪我も?」
「まだ痛むけど、さっきよりは大分ましになってきたかも」
「良かっ…」
私が安堵すると、ぐっと強い力に引き寄せられた。
「ちょ…こ、こら!」
「君は、僕の事、どう思ってる?」
「どう…って」
「僕にとって…君は」
(え?なんか…違う人みたい??)
いつもの雰囲気とは真逆の様相に、私はドキドキしっぱなしだ。こう間近で見ると、やっぱり綺麗な顔で、睫もすごく長くて…妙な色気を感じ、落ち着かない。
「ふふ、真っ赤」
「っ!!!」
「そっか、こういう感じで行けばご主人様も」
「このバカ!!」
「うっ」
…うん、いい音。
「…あのさ、どれだけ思っても、リオンを知ろうとしても…僕の中に彼はいない。それは、単純に僕に伝えることなんてなくて、思いを残していないからじゃないかな?」
「…思い残すことがない?」
「そう。…だから、カサンドラもきっとそうじゃないかなって」
「…アードラ」
「そう、思った方がなんか嬉しく感じない?」
「――そうね」
そう笑うと、アードラは改めてリオンの手紙を見てみる。
「初めまして、リオン・フォスターチ。」
とりあえずは、と。
最初の一通目から読むことにしたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークもとても励みになります!精進します!




