第85話 リオン・フォスターチ
狼とも犬とも思えるその声を、ユリウスは知っている。
姿勢を低くし、懐からナイフを取り出すと慌てることなく確実にその影に向かって打ち込む。ぎゃん、という断末魔の声と共に獣は影に融けるように消えていく。
「お前たちは」
「ガァァアアッ!」
咆哮と共に襲い来る獣をかわしながら、急所を狙って一匹づつ確実に仕留めていく。
(一匹一匹は大したことはないが、数で来るとこちらが不利だ)
ユリウスは窓に向かって走りだすとそのままガラスごと打ち破って外に出た。
続けざま複数の影が出現するが、剣を抜いて切り捨てながら闇が深い場所に逃げ込んだ。
木の陰から周囲を確認すると、少し離れた草むらに、一人の紳士が立っているのが見えた。
「モノクル眼鏡の紳士‥‥!」
目深にシルクハットを被り、この夏の暑い日に黒いフロックコートを着用しているその姿を改めて見て、ユリウスは深く息を吐いた。
(これで…確信した)
復活祭で遭遇した時、その姿にとある人物を思い浮かべていた。無論、常識的にはあり得ない存在で、いる筈のない人間。
その後何度も遭遇し、それは確信と変わる。
「私の知っている世界では、あなたはもう既に死んだ人間のはずだ」
「さあ、この世というのはどの世界を差しているだろうな?ユリウス・フォスターチ」
「死人が…!」
「フフフ、実に面白いなあ。君は私の正体を知っているのかな?」
紳士の質問に、答えるべきか迷ったが、やめた。
「名乗りたいのなら自ら名乗ればいいだろう。」
「ふふふ、そうきたか。…やはり君は賢いな。上の二人とは違うようだ」
「‥‥シグマを唆したのはあなたか」
いくら兄弟間の仲が悪いとはいえ、シグマがあそこまで失態を犯すことは思えない。誰かに何かを焚きつけられたに違いないだろうと予想していた。
「賢いお前のことだ。もう気が付いてるのだろう?そう、私の名前はファルケン・ビショップ・フォスターチ。この植物園を開拓し、毒を研究し続けた…君の祖父にあたるものだ」
「……」
ざあっと風が吹くと、空に浮かんでいた月は雲に隠れ、辺りは真の暗闇に包まれていた。ユリウスが窓から飛び出していったあと、アードラはデスクの上の写真を見つめていた。
(これが…フォスターチ家の家族写真?)
幸せそうに微笑む女性と、四人の子供たち。そしてそれを守るように立つ父親の姿…幸せな瞬間が全て詰まったその一枚の向こうで笑う姿は皆嬉しそうだ。
そして、ユリウスがいとおしむようにそっと指でなぞった…兄と呼んでいた少年。
(ユリウスの隣にいるこいつが…兄、だと?)
写真の中で柔らかく微笑む少年は、年齢は違うようだが、瞳、髪の色ともに、気持ちが悪い程自分に酷似している。
(似ているなんてもんじゃない。これは、僕だ。それでこっちの老人が)
割れた窓ガラスの向こうに立つユリウスとファルケンを見ながら、ため息をついた。片眼鏡の紳士とユリウス、二人の会話は、猫の姿をしていた特性のお陰だろう。離れたアードラにも聞こえていた。
(盗み聞くというのは正直、不本意だが…)
「前にカサンドラが言っていた…僕の原型となった人間…それが、リオン・フォスターチということならば、あの二人と【リオン】は関係者同士となる」
(偶然?そんなわけがない)
あのファルケンという老人の話を聞く限りでは、彼は自身の記憶そのものも所持しているようだが、アードラにはそんな記憶などこれっぽちもありはしない。
だからこのリオンと呼ばれた写真の中の少年は自分ではないことが確かだろう。
(死んだ人間達を元に新しい人物を作り出し、この世界を管理しろ、なんて…どうかしている)
つまり、カサンドラ同様、自分とラヴィは来訪者の一部ということになるのかもしれないのだ。
「なら、ラヴィの役割は…?僕すらモデルがいるんだ。あいつにいないわけがない」
アードラは一度深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「ひとまず、落ち着け。ここで一人で考えても答えなど出る筈もない…。今はあの二人の会話に集中するとしよう」
*
夜の風はねっとりと蒸し暑く、澱んだ空気が肌にまとわりつくようだ。
不快なのは空気のせいだけではないのだろう。
ユリウスはなるべく平静を保ちながら、大きく深呼吸をした。
「…死んだはずの人間がなぜここに存在しているんだ?」
「あまり驚かないところを見ると、やはり気づいていたのか?ユリウス。」
「ありえない点が…気持ち悪いほどつながっていった」
(本当に…誰が冥界から呼び戻したんだ?)
祖父が亡くなってもう15年になるというのに、この目で見てもまだ信じられない。
フォスターチ家にとってファルケン・ビショップという人物は、【毒公爵家】としての名声をあげ、畏怖の対象になるまで国に貢献した偉大な存在である。
しかも、あの写真よりも大分若く見えるので、既に魔物とかそう言う別の種類の存在なのだろう。
「…仮面舞踏会で興奮剤を使ったのは貴方か?」
「楽しいイベントには、少し位のハプニングがつきものだろう?それに、そのお陰でこうして私と再会できたんだ。結果としては満足かな」
「まさか、わざわざ私に自分の正体を気づかせるために仕組んだと?」
興奮剤の薬の出所を調べていけば、必ずこの植物園に行きつく。
やはり、わざと自分の正体を知らしめるために用意したということだろうか?
(なぜだ?隠れて行動すればいいものを)
【影の獣】が現れたのは復活祭、仮面舞踏家、そして今…と、彼の痕跡が確認されたのはこれで三回目になる。
結果として、全ての出来事にこのファルケンの影が結びついていたという証明になった。
「———あなたの目的はなんだ?なぜ、自らの存在を誇示するかのように行動しているんだ?」
すると、ファンケルはこれ見よがしにため息交じりに告げた。
「…フム、何でも人に聞けばいいという考えは捨てるべきではないか?たまには自分で調べてみてはどうだろうか?」
ユリウスは一瞬言葉を失う。
(…このくそジジイ。何様だ。)
ふつふつと怒りが込みあがるが、あえて飲み込む。
「‥…事前情報の提示位は協力してくれてもいいでしょう。既に死んだ人間が生き返るというだけでも非常識極まりない出来事なのだから」
「まあ、しょうがないな…そうだな、可愛い孫に免じて三つまでなら答えてあげようか」
「三つ?!」
(これは恐らく取引に近い。…見方を変えれば、どんな質問でも三つは答える余地があるということ)
聴きたいことなど山ほどあるうちの三つとなると、質問の内容を考える必要がありそうだ。
「…質問には必ず答えてくれるのでしょうね?」
「では、まず一つ目の答えだな」
「なっ?!」
「私にも答えられるものとそうでもないのもあるということは理解してほしい。それより、姿は見せてくれないのかな?せっかくなんだから、感動の再会と行こうじゃないか。」
(冗談じゃない…なんでこいつのペースに合わせないとならない)
だが、しかし。
現実問題この化け物や魔物の類であろう目の前の人物の対処法など、そう簡単に思いつくはずもない。
ここは出来得る限り譲歩して、情報を集める方がいいのかもしれない。
しかし、先ほど【影】で散々人を襲わせておいたくせにどの口が、という思いも強いので、そのまま木の影で黙って息をひそめることにした。
「‥…では一つ目。【影】が出現した一連の出来事は、全て貴方の独断で行ったものなのか?」
「ふむ。私は与えられた権限の中で好きなように行動しているに過ぎない。つまりはそういうことだ」
「与えられた権限…つまりは誰かの元にいるということだな。」
「ふふ、いい答えだ」
うまくかわされはしたものの、否定はしないところを見ると、やはり誰かが故意にこいつを地獄から呼び戻したということになる。
(随分と悪趣味な主人だな…)
「では、次。カサンドラ様がその出来事に関わっているのは、偶然か?三回の影の出現の内、二回は彼女が直接襲われている。これは偶然とは思えない。」
仮面舞踏会の事件、ユリウスが見た限りでも、カサンドラは襲われていた。それは偶然なはずがない。
ユリウスの問を答えるまでにややしばらく間があいた。
「そうだな。彼女を必要としない存在がいる…とまでにとどめておこうか」
「ならば私とあなたは相いれないもの同士ということですね」
「…なんだ、寂しいなあ」
(このくそじじい…)
ユリウスとしては、この二つの確認が取れたのは収穫だった。しかし、最後に一つだけ、絶対に確認しなくてはならないことがある。
「…では、最後。お前の目的は?」
ユリウスがそう言うと、ファルケンは満足げに頷いた。
「三つの質問には答えたはずだが…まあいい。それは、世界を変える事、さ」
「変える…?!」
ファルケンはそう言うと、何かに気が付いて空を仰いだ。
「…面白い。もう一人来客が隠れているようだ」
「来客…?」
「くくっ、やはり、全て大いなる意志の下に仕組まれているのだな…!」
ファルケンがパチン、と指を鳴らすと、影の中から一匹の影の獣がしゅるり、と飛び出した。
咄嗟に構えるユリウスだったが、影の獣はユリウスを無視して横を通り過ぎ、館に向かって走りだした。
すると突如、バサバサ、という翼の音が闇夜に響くと、館から一頭の鷹が姿を現した。
「…鷹?」
影の獣は、たちまちうねうねとした触手のような姿に変わると、今度は鷹を追いかけ始めた。
ぐにゃぐにゃ曲がる触手をかわしながら空の上へと上昇していくのだが、それに合わせて影の速さも上昇していく。
『くそ、あいつ気が付きやがった』
「ふふふ、名前をもらって少しか成長したようだが、まだまだ足りないなあ!」
鷹は良く動いてかわしていたものの、逆の方向から飛んできたもう一つの黒い影に空中で片翼を貫かれた。痛々しい声が虚空に響き、ばっと風切り羽根が散らばると、そのまま影によって地面に叩きつけられてしまった。
「…やめろファルケン!」
たまらず、ユリウスが木の陰から姿を現すと、同じタイミングで空を覆っていた雲が晴れる。
「!!」
隠れていた月が姿を現すと、ファルケンは何かに怯えるようにフロックコートをひるがえした。
同時に鷹を襲っていた影が消え、舞い散った羽根の中から人影が現れた。
「?!人間…?」
駆け寄ろうとしたユリウスは目を見開いてその場に立ち尽くした。
その青年の姿は、かつて、自分が慕っていた人物にあまりにもよく似ていたのだ。
アードラは自身の腕で顔を隠そうとするが、ちょうど影に貫かれた箇所だった為、激痛に顔をゆがめた。
「…ちっ、僕が姿を現すわけにはいかないのに」
「あ…貴方は」
「僕より後ろ!」
「!」
二人の視線が交わる頃、既にファルケンは姿を消していた。
ファルケンがいた場所を見てアードラは苦々しげに吐き捨てる。
「あンのジジイ…このややこしい事態を引き起こした責任も取らず、逃げやがっ…」
「リオン!!!」
そして、アードラは気を失った。




