第84話 写真
「マジか…ここ何処?」
鷹の姿に変えたアードラは、帰路の途中にあった大きな木の上で雨宿りをしていた。ざんざんと容赦なく降りしきる雨は止みそうにない。
濡れた羽根をバサバサと広げながら、たっぷりと含んだ水を払おうとするも、うまい具合にならなかった。
「この辺りに…気配を感じたんだけど、気のせいか?」
今自分がいる場所は…王都よりやや離れた場所。地平線の向こうまで広がる葡萄畑を超えた先にある森の中である。
実を言うと、消えたラヴィを探していて…気が付いたら、この場所に迷いこんでいた。
「馬にでも姿を変えるかなー…でも、馬で王都を駆け抜けたら暴れ馬として捕まりかねない…」
などと考えていると、ふと、足元の森に灯りが一つ通り過ぎていくのが見えた。
「あれ…?」
鳥は遠くのものがよく見える。
それが幸いして、その灯りの正体がわかった。
(こんな時間に正気か?…ていうか、あの姿)
それは、愛しのご主人様の婚約者とかいう羨ましいポジションを得ている、ユリウス・フォスターチの姿だった。
夜の森は静かだ。
ユリウスは足元に十分注意を払いながら前に進んでいく。先ほどよりも雨脚は大分収まったようで、細く白い雨がしとしとと降り注いでいる。
聞こえるのは、風の音と時折聞こえるフクロウの声、雨の音…そして、自分の足音だけだった。
「…雨は止んだか」
王都より西の方に進み、広大な葡萄畑を超えて、壮麗なフォスターチの城下街をさらに南に行くと…この大きな森にたどり着く。
年柄年中鬱蒼とした木々が生い茂るこの森は、【迷いの森】だとか、【魔女が住んでいる】などと噂され、世間では良いイメージはない。
しかし、フォスターチ家の人間にとってはなじみの深い場所だ。自分たちしか知らない道導があり、夜だろうが昼だろうが、彼らが迷うことはまずない。
迷いなく進んでいくと、大きな湖に出た。
美しい夕暮れ時には、湖は朱色に染まり、夜になると星を映してまるで星座盤のように見える。
その湖を横目に更に森の奥深くに入っていくと、ガラス張りでできた六角形の建物が見えてきた。
厳重に施錠された扉を執事から借りた鍵で開くと、ギギギ…と不気味な音を立てて門が開かれ、さらに奥へと進んでいく。
いくつかの門を抜け、3つ目の扉の中まで進むと、高濃度の湿気が含まれた熱風が襲ってきた。馬を少し離れた場所に休ませ、ジャケットを脱いで中に踏み入れる。
「ここに来るのは、随分と久しぶりだ」
ここは、フォスターチ公爵家所有の特殊な温室。
有毒から無毒な植物、珍しい植物に観賞用の植物…様々な種類の植物が植えられている。
とはいえ、毒の需要も廃れている昨今、毒薬そのものをまともに研究をしようとする者はいない…はずだった。
しかし、建物の中には真新しい靴底の後が残っていたり、その他にも何種類かの植物に刈り取られたばかりの鋏の後も残っている様子。
しかも、荒れている筈の庭は少なからず整備されているように見える。
「…やはり、な」
温室の中は相当な高湿度で、立っているだけで汗が流れてくる。額の汗をぬぐいながら更に歩いていくと、嗅ぎなれた強い芳香が鼻をつく。
日の当たらない場所に大量に咲く紫色のスズラン。
これはこの環境下でのみ育つ、特殊な品種改良をされた猛毒の植物だ。香りが強く、主に幻覚作用をもたらす…いわば麻薬の一種と言えるだろう。
(鍵が使った形跡はない、でも…誰かが入り込んでいる)
初代のフォスターチ公爵は、ある時変種の植物を見つけた。
研究を重ねた結果、過酷な環境下でしか咲かないこの紫スズランの栽培に成功した。
用途は様々で、病を治す薬の元にもなるが、同様に調合次第で強力な毒にもなる為、薬学について無知であれば自らさえも死に至らしめるのもの。
それでも、明らかに何輪か毒性の強い根元ごとごっそり摘み取られていた。
「まだ、掘り返されて日はたっていない」
主に毒を扱うことが出来るのは、公爵家の一族のみ。
今現在この温室に入ることが出来るのは、捕まっているシグマを除いて公爵本人と兄のリカルドとそれに連なる者、そしてユリウスしかいない筈だった。
もし、万が一誰かがこの場所を一族以外の者が知っているとしたら…それはそれで大問題であるが、例外がある。
(鍵を持っているのは、執事だけではない)
実は執事が管理している鍵は、いわゆるマスター・キーではなく、元のカギを模倣したものである。元のカギは、祖父が墓地に入るときに一緒に入れられ…そして、《《失われ》》た。
以前の仮面舞踏会で使われた香り付きの興奮剤と、先日のフラムベルグ家のパーティーでレイヴンが持っていた薬の出どころは想像がつく。
彼が本当にいるのなら、何かしら痕跡を残しているのでは、と思った。
(もしくは…全て自分の正体へと導くために仕組んだ出来事だとしたら?)
「!」
自分以外の気配を感じ、ユリウスがくるりと振り返る。
**
(…あんな危なっかしいもの、誰が作るもんかと思ったら…)
特殊な効用を持つ薬の主原料は、基本的には色鮮やかな毒性の強いものばかり。
形も様々だが微量な魔力を感じるものが多く、それがこの狭い温室に所狭しと並んでいるので、なんとも不気味な空間だった。
(…気持ち悪い…)
足音をたてずに進む猫の存在に、ユリウスはいまだ気が付いていない。
アードラにとってはありがたいことなのだが、いかんせんこの辺りの植物は有毒なのか無毒なのかそれすら確認できないので猫の身にとっては危険極まりない。
‥‥つまり恐ろしい。
(よし、ここはもう姿を現そう)
そう決意したユリウスは思い切り、にゃあ、と叫んでみた。
「!!…驚いた。猫?」
闇の中ランプの光に照らされる木々や花々は一層不気味で、光に吸い寄せられるようにひらひらと舞い近づく蛾は、幻想的でもあり、どこか異様な光景を作り出していた。
その中心で、ユリウスは驚いた表情でこちらを見ている。
(ま、まさに幽霊でも見たかのような顔をしている…)
アードラはここは猫らしく、足もとにすり寄る作戦に出た。
「君は迷子か?しょうがないな、ついておいで」
「にゃあ」
「ここは有毒な植物ばかりだ。よく無事だったね」
(…やっぱりか)
アードラはこっそりため息をつくと、着かず離れずの距離を保って、ユリウスについていった。
**
この植物園には、温室から少し離れた敷地内に、研究所が併設されている。
祖父・ファルケンはその研究所で助手と共に様々な研究をしていたらしいが、彼の死後、助手はどこかに消えその研究所も後を継ぐ者がいないまま放置され、今は誰も管理していない。
「もし、本当に薬を作っているとしたら…ここだ」
温室部分を抜け、外に出ると中とは比べ物にならない程爽やかな風が吹いており、思わず深呼吸をしてしまう。膝ほどまである草をかき分けながら進んでいくと、古びた館が見えてきた。
「思ったよりも、綺麗なままだ」
祖父の晩年は、ほとんどこの離れを居住スペースとして利用していた。
一見すると広さはそこまで大きくはないものの、二階建ての館には、外側から見る限り複数の部屋があるようだ。万が一を懸念し、一度ランプの灯を消して窓から中の様子を窺った。
(誰もいない、か…?)
そうっと忍び足で入り口に向かう。
両開きになっている扉の突起に触れると、扉は難なく開いた。…鍵がかかっていない。
(やはり、誰かいるのか?)
中に踏み込むか思いあぐねていると、開いた隙間にするりと先ほどの猫が入り込んでしまった。
「!あ、こら…はあ、全く」
放っておこうとも考えたが、もしあの猫に何かあったとしたら、それはそれで後味が悪すぎる。
ユリウスは観念して、中に踏みこんだ。全体的に汚れていたり、壁紙がはがれている箇所が見受けられるものの、廃屋と呼ぶにはもったいない程綺麗だった。
扉を開け放った瞬間、ツン、とかび臭い匂いが鼻を衝く。
玄関のエントランスホールの床に敷かれている赤い絨毯は、だいぶ色褪せてはいるようだが、想像よりも傷みを感じさせない。
にもかかわらず。二階に続く階段は不自然な程損傷があり、半分落ちている状態だった。
「二階…」
エントランスホールを抜けると、長く真っすぐ伸びた廊下に出た。等間隔の部屋が並ぶが、なぜか一番奥の部屋は少しだけ開いていた。
今は雨も止み、空が晴れているせいか、窓のガラスを通して月の光が差し込み見通しは悪くなかった。少し進んだところに、先ほどの猫が奥に続く扉の前で待ち構えていて、こちらをじっと見ている。
「…帰るぞ、猫」
「にゃー」
ユリウスが声をかけると、猫はまるでその扉を開けといわんばかりに、カリカリと引っかく。
ためらいはするものの、そっとドアノブに手をかけた。
「!これは…」
そこは祖父が生前使っていた私室らしく、生活に必要な家具がそろっていた。
奥にある作業用のデスクも、痛みもなくまだ使えそうだ。
「本…随分と種類が多いな」
毒薬の基礎的な本から、過去の代から伝わっているのだろう、手書きの図鑑などもあり、ある程度の薬学の知識を持つユリウスにとっても興味深い資料も多く、つい見入ってしまう。
(いくつか持って行こうか)
そんなことを考えていると、カタン、という物音にはっと我に返る。
「しまった。…目的を忘れるところだった。…おい、猫、そろそろ」
見れば、先ほどの猫はデスクに飾られている写真立てをじっと凝視しているようだ。猫でも写真に興味あるのか、と思い、見てみると…それは生前の祖父も写っている家族写真のようだった。
「…そう言えば、本当に子供の頃は、今ほど兄弟同士の仲はこじれていなかったな」
ユリウスが五歳になる頃、家族全員で何度かこの館に来たことがある。
記憶の中の祖父は、穏やかでは決してないが、物静かな人だったと思う。まるでこの植物園の植物たちと同じように淡々としていて、いるだけで存在感があるようなそんな人だった。
まだすぐ上の兄のリオンはまだ体調は悪くなく、シグマとリカルドもお互いの存在を意識してはいるもののそこまで不仲でなかったはずだ。何より、母の心はそれほど病んでいなかった。
最も…その後、二年と立たず祖父は亡くなり、母は病み命を落とす結果となる。
そっと写真立てを手に取ってみると、思ったほど汚れていない。誰かがほこりを払った後のようだ。
「…私の前に誰かがこの写真に触ったのか?」
写真の向こうには祖父を中心に父と母、それに祖父の膝の上にぎこちなく座るユリウスと、それを微笑みながら見守る亡き兄のリオン、そして年齢相応にかっこつけている二人の兄の姿が映っていた。
本当に幸せで、大切なかけがえのない時間の全てが、この写真の中に凝縮されている‥‥心が痛むほどに。
「‥‥リオン兄さん」
その名前を呟いた瞬間、隣にいた猫は突然全身の毛を逆立て、威嚇するようにドアの方に向かって唸った。ユリウスも同じように急に背筋が凍るような視線を感じ、壁を背に後ろを振り返る。
「…何者だ」
すると、ユリウスの声に応えるように誰もいない筈の場所から獣の唸り声が聞こえてきた。




