第81話 雨
「雨が降りそうだ」
蒸した空気と共に、汗のにおいが充満している訓練所では、ユリウスをはじめとする数名がため息をついた。
「湿気ごときに負けるとは」
どんな状況でも顔色一つ変えない鬼の副団長がにらみつけると、数人は黙りこくった。
(…そう言えば、ヘルト殿はカサンドラ様のトレーニングの監督もしているんだったな)
多忙な勤務でも、必ず時間通りに帰路につく。
貴重な休日も、出勤前の時間を削ってでも、トレーニングを欠かさないという。
「いつも思うのですが…ヘルト殿は、カサンドラのことをどう思っているのでしょうか」
「…幸せになってくれれば、と。そう思っている」
「ふうん…そうですか」
(ヘルト殿もなかなか腹の内を見せない方だな。)
ユリウスは短く息を吐くと、気を取り直して再びヘルトに向き合った。
同時に、周辺にいた騎士たちは、好機とばかりに距離を取っていき…二人の周りには誰もいなくなった。
「先日、仮面舞踏会で見つけた興奮剤について、調べてまいりました。」
「!…やはり、フォスターチ由来のものか?」
懐から黒い手帳を取り出すと、あるページに印をつけてヘルトに手渡した。
「紫スズラン?」
「ええ。ご存じですか?」
「…聞いたことはある」
「過去、現皇帝陛下のご即位のいざこざの時に活躍した過去の遺物です。市場にでも出回っていない、至上の毒…毒公爵家の名を世に知らしめた、我が公爵家の象徴のような物です」
「…言葉に気をつけろ。ここは王宮だ」
「周知の事実でしょう?誰もが知っているのに、知らないふりをしている…歴史の闇とはそういうものです」
それ以上は何も言わず、ヘルトはその続きを促す。
「…で?そんなもの、ただの噂だと思っていたが」
「噂は時にどんな口伝えよりも正確な場合もありますから。…とにかく、この花は根から茎、葉に至るまで、調合次第では様々な効力の薬が作れます。その調合をできる人間は非常に限られていますが」
この帝国にも、昏い歴史が確かに存在している。
今から25年前…特に、現皇帝バロル・ルベリアムの即位の時代は不義理や裏切りが日常茶飯事で起こりえる時代だったと言われている。
ユリウスは続けてピルケースに入った小さな破片を見せた。
「そして、これも」
「それは?」
「レイヴンが持っていて、あなたが壊した瓶の破片です。もう少し大きい破片がああればよかったのですけど」
「……そ、それは悪かったな」
「成分などは、後日伯爵家に依頼をして例の場所にしみ込んだ土と草の根をいただきました。詳細まではわかりませんが…少なくとも、紫スズランと同じ成分を発見することができました」
「つまり、原料は同じ、ということか」
「恐らく…甘い独特の香りは記憶にありました」
「香り?」
「ええ。甘く、どこか恍惚な気分に変わる香りは紫スズラン独特のもの。ベラドンナ、スパイス系の香草が少しと、その紫スズランの根を溶剤抽出法で作った精油をある数値に調合すれば…その薬が完成します」
「……それは、ユリウス。お前でも作れる毒なのか?」
ユリウスは何も言わずにっこりと笑って見せた。
(大智は愚の如し…とは、よく言ったものだ)
「これを作るには、フォスターチ家の門外不出の記録に調合法がありますので、ある程度の知識と原料があれば作成するのは可能ではあります。でも残念ながら、この原料を入手するのは恐らく我がフォスターチ家の人間にしか不可能でしょう」
「理由が?」
「言ったでしょう?市場には一切出回っていない、と。この原料自体、我が公領にある限られた場所でしか生育できず、その場所に立ち入ることができるのは本当に限られた一部の者だけなんですが‥‥残念ながら、ここ最近この場所に立ち入った記録は残されておりませんでした」
「例えば…スズランを乾燥したものや、何か特殊な技術で加工したものが残っていたとしたら?」
「それは不可能です」
「…言い切れる理由があるのか」
「ええ。これに関係する資料も、技術も…全て外部に漏れないように徹底して我が家が管理しているからです。過去、これが活躍した時代の証言者は皆…もう生きてはいらっしゃらないですから」
「……」
王の盾と王の剣。
グランシアが剣ならば、盾はフォスターチとされている…が、フォスターチが盾と呼ばれる所以がその一言に凝縮していた。
「では一体誰が…」
「この毒を説明するのにあたり、ある人物の名前が必須です。それがファルケン・ビショップ。私の祖父に当たる男です」
「まさか…彼はもうすでに」
「あなたもあっているはずです。いたでしょう?人外のモノクルの男」
「……!」ふと、ヘルトはガーデン・パーティーにいた聖女ヴィヴィアン・ブラウナーと、その紳士が一緒にいた姿を見ている。
「あの時現れた、片眼鏡の紳士。彼の姿かたちは、フォスターチ家の先代、毒公爵の名を世に知らしめたファルケン・ビショップと同じです。証拠はありませんが、血縁の私がそういうのですから…信ぴょう性はあるでしょう」
「俺は…あの男をガーデン・パーティーで見た」
「?!まさか…」
「そして、聖女ヴィヴィアン・ブラウナーと親し気に歩いていて…カサンドラに一通の手紙を渡してきた。手紙は渡さずに始末しようかと思ったが…」
「それを知ったら…彼女は激怒するでしょうね…」
なぜか二人は同時にため息をつく。
「どちらにせよ、影の化け物が出るくらいです…死んだ人間が蘇っても不思議ではないかもしれない」
「どういうことだ?」
「あなたのご友人、ノエル・シュヴァル殿が今、とある出来事を研鑽しているようで…フォスターチ家の公爵宛に面会の要請が来ました」
「とある出来事?」
「ええ。それが…数年前頻発していた墓荒らしの事件、です。…と、言うことで」
「…墓荒らし?」
ユリウスはぴたりと敬礼し、訓練所を後にする
それを見送りながら、ヘルトは頭を抱えた。
「ファルケン・ビショップ…それに、ヴィヴィアン・ブラウナー。あの二人は一体どういう関係なんだ?」
訓練所を出たユリウスを待ち構えていたのは、黒いフードの男性だった。
「…お忍び、とは感心できませんが」
「そう言わないでくれ」
「あ…そのままで。その髪をお持ちの方は、この国では限られていますから」
「ありがとう」
フードから見えるオレンジ色の瞳は、澄んでいる。
同様に、以前見た時とはまるで別人のような姿に驚いた。
(以前見た時は…殿下の顔は黒く歪んでいた…なのに)
「や。…悪いね、わざわざ来ていただいて。ユリウス・フォスターチ殿」
紫色の髪と瞳の背の高い男性。…ノエル・シュヴァルだった。
「いいえ。…仮面舞踏会、ぶりになるのでしょうか?」
「そうなるかな。オレ、一度ゆっくり話したいと思っていたんだ」
「同感です」
2人のただならぬ雰囲気に従者のルイスは引き気味だった。それを苦笑し、レアルドは二人を促す。
「手紙の概要は知っているだろう?…案内を頼めるだろうか」
「はい。…父からも許可をもらっています」
ガーデン・パーティのあとのこと。
執事のアランから渡されたのは父であるゲオルギウス公爵からの手紙だった。
手紙と言っても、内容は簡潔だった。
―――レアルド殿下と連れの人間を案内するように
ただたった一言、それだけ。
あの公爵が自分に向けて手紙を送ることだけでも異常事態なのに、まさか人を墓地に案内せよ、というのもあり得ないことで…ユリウスは事の重要さを理解した。
「数年前の墓荒らしについてお調べとか」
「ああ。私は10年前の方を、そして、彼が2年前の方を」
「…本当に調べていたんですね」と、ノエル。
「ああ、君に負担をかけたくなかったからね」
「お気遣いくださったわけですか…殿下は、この二つがつながっていると?」
ノエルの問いに、レアルドは頷いた。
「少なくとも…目的は同じだろう、と思っている」
「…なぜ、このようなことを今お調べに?」
ユリウスが聞くと、レアルドはぴたりと足を止めた。
「…君達なら、恐らく大丈夫だろう」
そして、くるりと振り返る。
「つい先日…王家の墓から、兄・ヒューベルト・アスク・ルベリアムの墓が暴かれた。…保管されてあった棺がこじ開けられ、骨は大部分が持ち去られてしまったんだ」
「…?!」
「なんだって…?」
驚くユリウスだったが、ノエルの驚きようは尋常じゃなかった。
「…君がどうしてそこまで?」
「……いや、ちょっと待て。あー…もう少し整理がついてから、説明する」
「………ここで話すのは良くない。場所を変えようか」
そう言ってレアルドはずんずんと進み…王城の門の前に止めてあった適当な馬車に乗り込み、馭者に二倍の金額を渡す。
あまりに自然な行動に思わず顔を見合わす、ノエルとユリウス。
「て、手慣れていらっしゃいますね…」
「ああ、彼女に教えてもらった」
「?!かの…じょ」驚くユリウス。そして、
「……ええと」思わずひきつった笑顔を見せるノエルに、レアルドは首を傾げた。
「どうした?」
「彼女さんとは…もしかして、グランシア公女だったり…」
「…?そうだが」
ようやく事の成り行きを理解したユリウスもまた、ひきつる。
「どこで、お知り合いに…っ?」
「街で偶然」
「ぐうぜん……」
「そう。偶然。…あ、行き先はどこだい?」
「あ…はい」
そして、馬車に乗り込む男三人。
微妙な雰囲気に、ノエルはこっそりため息をつく。
(まーた…サンドラは、まさか王子様まで誑かすとは…)




