第79話 ステイルメイトの罠
「一件落着…ですね」
応接室から出た後、私はほっと胸をなでおろした。
「無事、勝利できてよかった…ありがとうございます、ユリウス」
「当然でしょう?…あなたに、勝利以外の結果を贈りたくはありませんから」
「すごい自信…」
「これくらいでないと…あなたのパートナーは務まりませんから。それより」
ぐぐ、と距離を縮めると、ユリウスは私の顔をじっと見た。
私はというと…先ほどのピンクの液体の件を思い出し、更には先ほどの騎士のリボンのくだりが頭の中を行ったり来たりとしはじめ、徐々にじわじわと顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。
思わず両手で顔を隠すと、ユリウスの笑い声が聞こえる。
「こ、こっちを」
「ご褒美は?」
「え?!‥‥うっ」
ぱっと手を離した瞬間、おでこのあたりに柔らかい感触を感じた。
「ふふ…隙だらけ、ですね」
「!!!」
(ソレ…アードラにも言われたんだけど…なんか、ショック)
すると、私が持っていた鞄の中がちいちいと何やら叫んで暴れだした。
あ、そう言えば忘れてた。…ここにいたのよね、アードラ。
「?それは…」
「ま、間違ってもぐりこんでしまったみたい」
黙れ、という意味でぐいぐいと鞄に押し込むと、小さなネズミは不服そうに鳴いた。
「そう言えば…何かお礼をしないと…」
「えっ?」
あ、目がきらっとした。
いやいやいや!流されないわよ。
「ええと、できる事…に限ります」
「そうですか…では、どこまで?」
「で、できる事に限定します!」
「ふふ、そうだ、ならカサンドラ様。今度の土曜日、私と出かけませんか?」
「え?…どちらへ?」
「我が領内にある、植物園です」
「植物…園?」
「あ!!!おかえりなさい!!サンドラね―様!」
応接室を出ると、ヘルトとクレインが笑顔で迎えてくれた。
フェイリーはヘルトに抱っこされながら、すやすやと寝息を立てている。どうやら、疲れて眠ってしまったらしい。
「あら、フェイリー寝ちゃったのね」
「無事だったか」
「当然でしょう?」
私の代わりにユリウスが得意げに答える。
…時々妙に子供っぽいところがあるのよね、この人。末っ子気質という奴かしら?
「フェイリーも頑張ったもんね。クレインもお疲れ様」
「それでその…無事、サンドラ姉さまの貞操は守られましたか?」
「て、ていそうって……あのねえ。意味わかってるの?」
「もちろんです!!」
あまりにもクレインが力強く頷くので、それ以上は聞かないことにした。
「ほんとはデザートだけでも食べたかったけど…フェイリーが寝てるんじゃ、もう帰った方がいいかしら」
「…別にいいんじゃないか?フェイリーとクレインは俺が連れて帰ろう」
「えーーもうですかあ?」
「ダメだ」
クレインが不服そうな声を出すも、ヘルトは一喝する。
「…でも」
「実際ろくに食べてもいないだろう?…一応礼儀として、招待された以上はゲストとしての仕事を全うすることだ」
「う。そりゃ、まあ…」
「何事も経験だ…ただ、食べ過ぎるなよ?」
「はあい…」
何処までも、ヘルトは私のトレーナーなのね。
「それと…これを」
「?」
そう言ってヘルトが私に差し出したのは…なんていうか、血のように真っ赤で見たこともない蝋のスタンプが押された便せんだった。
「これは?」
「聖女・ヴィヴィアンからだ。…いらなかったら」
「いいえ…一応、目は通します」
「…わかった。だが…何かあったら相談しろ、いいな?」
「ありがとう、ヘルト」
「……」
馬車を見送りながら、私は心の底からほっとした。
(はぁ…もう。負けないとは思っていたけど、ユリウスが勝ってくれてほんとに良かった。)
もうこういうのはこりごりだわ。
そんな思いで空を見上げると、太陽はすっかり傾き、辺りは血のような赤い夕陽の色に染まっている。
なんとなくその色がこの便せんと同じで、胸がざわついた。
「気を遣ってくれたのでしょうか?」
「え?」
「いいえ。…それよりその便せん、どこか不吉のように感じますが」
「うん…」
「カサンドラ様。ヘルト殿の言う通り…問題があれば、相談してください」
「わかりました…大丈夫」
うん、私にはみんながいるからね。
その言葉は、胸の奥にしまい込んだ。
――二人が退出した後。
「…っうわぁあ―――――ん!!」
「‥‥はあ。全く」
フラムベルグの奥深く、プライベートルームにて。
ガーデンパーティーの挨拶もそこそこに、カシルは一人葡萄酒を飲んでいた。
「カシル、お前飲み過ぎだ。…ってこれアルコールはいってないじゃないか…」
「くそぉ!僕のバカ者!!どうしてあそこでっ」
「もう!みっともないわね。子供のくせに調子に乗るからこうなるのよ?」
事情を察知した姉二人が来賓客の対応をしてくれたおかげで、無事ガーデンパーティーは終了した。
そして、カシルはリンジーとレイヴンに付き添われながら今に至るわけである。
「ほら、よく言うじゃないか。初恋は実らないもんなんだよ」
「レイヴン!お前に言われたくない!!」
「無理無理。高嶺の花を射止めるにはあんた、力なさすぎ。…みたでしょ?!あの強烈なお二人に護られているんだもの、相手が悪すぎるのよ!…もっとあんたにはお似合いの子がいるって!」
「うるさいっ!未だ小説ばっか読み漁って恋の一つもしてないくせに!!」
「なんですって?!!一連のあんたの行動術全て、黒歴史よ黒歴史!!!ほんっと、官能小説に出てくる、二流の悪役そのもののムーブメント!かっこわるぅううう!!!」
「~~~くそおお!!!」
リンジーなりに素直ではないが、励ましているつもりなのだが、結果的にカシルの傷口に塩を塗りたくっている。
それを察してか、レイヴンはさらに深くため息をついた。
「もういい、リンジーは少し黙っていた方が、カシルの精神衛生面には良好だ」
「ちょっと!レイヴンあんたもよ?かの有名な巫女姫様にこっぴどく振られていたじゃない!あーあ、なんでこう二人とも選ぶ相手を間違えるかなあ。」
「「うるさい、リンジー!!」」
(でも、結局…ヴィヴィアンにきちんと詫びることもできなかった。)
まるで夢から覚めたように意識がはっきりした時、自分がしてきたことの片りんを思い出しただけだった。ただ、覚えている限りでもその行動は異常で、彼女を知らず知らずのうちに追い詰めていたのかもしれない。
「はあ。まるで幻想に惑われていたみたいだ……」
「僕も…」
そう言って、アルコールが入った方の葡萄酒を瓶ごと飲み干した。…カシルだけは、相変わらずノンアルコールではあるが。
「あら、いい飲みっぷり。よしよーし、もっとお酒を持ってきてもらいましょう!」
「全く…リンジーは変わらないな」
「当たり前でしょ?…でも…元に戻ってよかった。その、心配したんだから!」
「リンジー…」
「レイヴンは…その、くそ真面目なとこあるし?!せ、せせせっかく、美形に生まれたんだから…その、だから変な子にひっかるのよーだ!」
「それは褒めてるのか、けなしてるのか…」
「フン、誉め言葉よ!ユリウス様とかヘルト様には足元に及ばないけどね!」
「やめろぉおお!!その二人の名前を呼ぶなよ!リンジーーー!!」
カシルが叫ぶと、レイヴンは少し得意げに笑う。
「ユリウス様にケンカを売るほうが場違いなんだよ、全く」
「よし!あの野獣姉さまたちも呼んで打ち上げでもしちゃう?!レジー姉さまなんて、ヘルト様にこっぴどくふられていたしぃ。今頃扇子でもぶっ壊してんじゃない?」
「…ほどほどにしておけよ」
「よーし!おつまみも持ってきちゃおーっと!」
こうして、フォスターチ家の夜は更けていった。
**
夢の中で、誰かが泣いている。
泣くな、と慰めたいのに身体が動かない。
「どうして?一生懸命、一生懸命お願いしたわ。なのにどうして?…こんなの、あんまりだわ」
彼女が天に向かって叫んでも、何も返ってこない。
けれど、天の代わりに答えた者がいた。
「こんな世界、なくなっちゃえばいいと思わない?」
彼女の影からぞろぞろと何かがあふれ出してくる。
やがて触手のように伸びると、彼女を包み込む。それだけはいけない、と叫びだしたいのにもう声も出ず、視界もぼやけてきた。
やがて自身も闇に呑まれて、何も見えなくなってしまう。
抗いたくても、もう動けない。そして―――覚醒する。
「…!!!」
ラヴィは、自分の息遣いで目を覚ます。
(夢…?なんだ今の?)
まだがくがくと手が震える指先から動かし、ぎゅっと握りしめると、徐々に力が戻っていくようだった。
今はカサンドラの元を離れている為、ノエルが住んでいる部屋の一部を間借りさせてもらっている。ゆったりとした長椅子から身を起こすと、窓の外を見上げた。
まだ夜の闇は降りたばかり。薄い三日月が浮かぶ空は藍色というよりも紫がかった深い紺色で、きらきらと星が瞬いている。
「夢の中にいた女性も、同じ色だったな…でも」
顔も思い出せない、声も知らない。
けれど、胸が締め付けられるように苦しい。こういう夜は無性に寂しく、まるでこの世界に独りぼっちのようで、落ち着かない。
こういう時は、明け方みたいな明るい薄赤の髪と、空色の瞳を思い出す。カサンドラの瞳は晴れた空の色に近くて、気分がパッとなる。その瞳で笑いかけられると、なんだか元気になるのに。
(会いたいな…なんだか、君と出逢う前に住んでいたあの狭い空間の中にいるみたいだ)
もう何度か、逢いに行こうとも考えたが、どうしても自分の持つ記憶のような得体の知れない何かの正体が掴めず、躊躇ってしまう。
「…苦しいの?」
「……?!」
突如、何もない場所から声が聞こえる。
ラヴィは驚いて周りを見渡すと、いつの間にか目の前に一人の女性が立っていた。
腰まで長い茶色の髪、それに夜の空と同じような色の瞳。
「君は、夢で」
「ああ……やっと逢えた」
そう言うと、彼女はふわりとラヴィに抱き着いた。
「え…?き、きみは」
「でももう大丈夫。もう、寂しい思いなんてさせないわ」
ゾッとするほどの優しい声が耳元を滑る。
恐怖に似たようなものがラヴィに襲い掛かり、身体の自由が奪われていく。
「…迎えに来たわ。私の大切な愛する人、ヒューベルト」
その声を最後に、【ラヴィ】の意識がぶっつりと途絶えた。




