第77話 仕掛けられたホワイトスキュア
「少し寝かせておけば、大丈夫だろう」
カシルに案内されたのは、伯爵家の奥にある応接間の一つ。
すっかり伸び切ったレイヴンの身体をソファーに寝かせると、ヘルトはそのまま退出する。
「あ…」
「フェイリーとクレインのところに行く、後は頼んだ。ユリウス」
「…ええ」
「ありがとう、ヘルト」
「……ああ」
(さて、と)
「カサンドラさ」
「フラムベルグ公子様」
「は、はい」
「先日のお話し、覚えていらっしゃいますか?」
ちらりとユリウスがこちらを見る。
「…何のことでしょう」
カシルは気まずそうに視線をそらしたまま。…すっとぼける気?
「私は貴方に、正式に家門を通して謝罪をしてください、とお願いしました。…なのに、送られてきたのはこの招待状のみ。どういうおつもりか、お伺いしても?」
「それは…っだからこうしてあなたに」
「あきらめの悪いことです」
それまで黙っていたユリウスが、ぴしゃり、と切り捨てる。
静かに立ち上がり、私の手を取るのだけど…思わずびくり、とひっこめそうになってしまう。けれど、逃げようとする手を掴み、真っすぐ私を見てチークキスをする。
「お借りします」
「…あ」
そして、するりとグローブを外すと、そのままカシルに投げつけた。
「ユリウス…」
「!!!」
「フラムベルグ公子…私と勝負をしませんか?あなたの得意なチェスで」
「…チェス?」
「ええ。万が一、あなたが勝ったら…私は婚約者としての地位を退くとしましょう」
そう言うと、きらりとカシルの目に光が走る。
「いいんですか?僕はこれでも」
「齢12にして、大人をみんな打ち負かしたとか?」
「そうです!僕は」
「それが?」
「え…っ」
「子供の自尊心を傷つけるのは忍びなかったのでしょう…力のある家柄の子供に、社交界の大人は皆優しい」
絶対零度の笑顔でこの一言。
うわあ…あまりにド正論過ぎて、何も言えない。でも、待って。それより重要なことがある。
「…でも、騎士は私的な決闘は」
そう、この帝国法では、騎士の身分にある者は私的な決闘というのを禁じている。もし、それが行われた場合、ユリウスの騎士身分はく奪だってない話ではない。
「ええ。ですが私の前にあなたが彼に決闘の申し出をしたでしょう?」
「そ、それは…そうですけど」
「なら、私をあなたの代理の騎士としてお使いください。それも騎士としての役割の一つです」
「…わかりました」
(確かに…ユリウスはカシルは自分でずたずたに打ちのめすって言っていた)
これは彼の意地?それとも。
「私は、あなたの傍に立つのに相応しいと認めてもらいたいだけです」
「えっ?」
「意地ではなく…私は、この国であなたに最も選ばれる価値のある人間だと、証明したいんです」
一瞬心の中を見透かされたかと思った…でも、強い視線に嘘はない。
(落ち着け、心臓…)
以前…どこかで誰かに、この国での決闘のルールのことを聞いた記憶がある。
「お願いできますか?私の騎士様。」
すっと手を差し出すと、ユリウスは一瞬驚いたような表情をするけれど…私の前に立ち、跪いて手の甲にキスをする。
「…仰せのままに、マイ・レディ」
「ユリウス」
私は、彼に立つように促すと、少しつま先をあげて頬にキスをする。そして、耳元で囁いた。
「!」
「…私の運命を貴方に託します」
そのまま髪に括り付けていたリボンを外して、彼の手首に巻き付けた。
「…ええ。負ける気がしません」
**
「戻ってこないですね、皆さん」
「うん、そうだな。今頃戦っているんだろう」
「たたかう?…けんか?」
フェイリーが心配そうにつぶやくが、その頭をそっと撫でた。
「フェイリー、男にはどうして譲れないものがあるとき、戦わないとならない時が来る」
「ゆずれないもの…??」
「フェイリーは子供だからわかんないかなあ」
クレインが茶化すように言うと、フェイリーはむっと頬を膨らませた。
「フェイリーこどもじゃないもん!きっと、きっとおねーさまやおかーさまみたいなかっこいいレディになるんだから!」
「はいはい…ま、姉さまが負けるはずありませんけどね」
どこか事情を知っているかのような口ぶりのクレインに思わず笑みがこぼれる。
(どこまでわかっているんだか)
「そうだ、ねえ兄さま!今度、僕にもチェスを教えてください!」
「チェス?」
「だって、兄さま、お父様に一度も負けたことがないでしょう?」
「そうだな…でも、俺は馬鹿正直な手しか使わないから…」
「何言ってるんですか!兄さまの使う手は、最初は防戦一方ですが、攻めに転じると容赦がありません…僕、いつもそれを見て、かっこいいなあと思っているんです!!」
子供の純粋な感想というのは、どんな誉め言葉よりも嬉しい。
「この間だって…ルークの駒でキャスリングを使った後はポーンの駒をうまく使って、場を完全に支配されてちゃいましたよね。ほんと、3手先も4手先も…どこまで読まれているのやら」
「ほう、よく勉強しているな」
「勿論です!…あ、でも、ユリウスさんと兄上はどちらが強いんですか?」
「今のところ…50戦中26試合が俺の勝ちかな」
そう、以前二人でチェスで勝負したとき…結局、25敗26勝という絶妙な数字で時間切れ、となってしまった。
最も、ユリウスは元々チェス・ゲームにさほど興味はなかったようで…ほぼ初心者だというのだから、末恐ろしいものだ。
「兄さまは…まさにキングって感じです。と、なると…サンドラ姉さまはクイーンとして。お師匠様はルークかなぁ」
「ノエルがルーク?…それは意外だな」
「ルークは【城】の駒でしょう?クイーンの次に強い駒です!…何せ、僕お師匠様ですから!!」
「なら、ユリウスは?」
「ユリウス様は斜め上の攻撃をしてくるあたり、ビショップですね!!うーん、ナイトでもいいけど…」
「じゃあ、ナイトはクレインがなればいいじゃないか」
「え~、僕は名だたる駒よりも、ポーンが好きです。」
「ポーン?なんでまた」
「そりゃあ、敵陣に乗り込んだ時、キング以外だったら何にでもなれますから!可能性の駒です!!…僕は、もっと大きくなって…兄さまのお役に立ちたいんです」
「クレイン…」
真っ直ぐで、それでいて、曇りのない純粋な願い。
それは時に、ヘルトの心を貫いて少し苦しくなる時がある。
「俺は…」
「なんだか、とっても楽しそう」
「!」
ぞっとした。…この声は夢の中で聞いたことがある。
「ごきげんよう、ヘルト卿」
「…聖女、ヴィヴィアン・ブラウナ―」
「あら、良かった。覚えて下さっていたんですね」
(瞳の色が違う…?以前見た時は赤い色だったはず)
「あなたのパートナーは意識を失って伸びているようだが」
「ああ…いいんです。あるべき場所に帰った方が…彼も幸せでしょう?」
「…?どういうことだ」
「ふふ、ねえそれより…この手紙をカサンドラに渡してもらえますかしら」
そう言って、差し出したのは…血のように赤い手紙だった。
「これは?」
「彼女にどうしても伝えたい言葉があるので。…私はもう、ここから立ち去らないとなりませんの」
いうだけ言って、ヴィヴィアンはくるりと背を向ける。
「それでは…」
「待て!」
「お兄様?…あの人は」
「!…いや」
彼女は去っていく、一度も振り返らずに。そして…何度か過去に見たことがある、片眼鏡の紳士の元に行ってしまった。
(あいつは…!)
「…よろしかったのですか?」
「いいのよ。これで、あの子の元に彼は帰れるでしょう」
「随分とお優しい」
「ええ。思いあう二人がいるなら、幸せになってもらいたいもの。最も、ファルケン、あなたからすれば余計なお世話…だったかもしれないけれど」
くるりとヴィヴィアンが振り返ると…モノクルの紳士はにやりと笑った。
差し出した腕をヴィヴィアンがとり、二人は出口に向かって歩き出した。
「さあ…若者の考えは理解できません」
「あら、あんな薬まで渡したくせに…まあ、いいわ。さあ、私は私の王子様を迎えに行かなくては。ふふ、どんな顔をするかしら…私の大事な兎さん」
**
「…ユリウスは、意外と堅実なチェスをする」
「え?」
「お前と組んでから手合わせを何度かしているが…剣の打ち合いでは、どちらかというと奇をてらったような、小難しい手や弱点を突いた容赦ない攻め込みが多いが、チェスでは慎重さがよく出ている」
「へえ…」
「随分と他人事だな。自分のことだろう?」
「……」
ヘルトの一言は、ユリウス自身も気が付かなかったような思いがけない特徴を指摘された。
子供のころから、名門と呼ばれ裏では王家の力に勝るとも劣らない権力を持つ一族の中でも直系に当たる4番目の公子として育てられた。
長兄と次兄は総合的な能力よりもどちらかというと謀や、騙し合いなどの方が得意であり、奇しくも長兄は政治的な能力に優れていたため、何とか次期後継としての体面を保つことができた。すぐ上の兄は体調を崩しがちではあったものの、剣術・語学術・戦術・学問、どれをやらせても人並み以上にできてしまうような優秀な兄だった。
そんな兄を持った末の公子に期待する者など誰もいない。普通の一般的な常識では誰もがそう思うことだろう。
しかし…このフォスターチ家は違った。
末子だろうが、その身に流れる血がフォスターチのものである以上、全てにおいて他とは一線を画す。求められる能力は勿論立ち振る舞い、所作、言葉遣いに至るまで徹底的に英才教育をされてきた。
直系の子供たちに『役割』を与え、ハルベルンの中枢にかかわる多くのことにその眼が行き届くようにフォスターチ公爵は徹底した。
(慎重…根底にあるのは、負けることが許されないという重圧だろうか?)
チェスという遊戯に子供のころから一度も興味を示したことはない。
兄二人はそれなりに打ち込んでいたようだが、女神神殿の内部に入ることを約束されたユリウスには、縁のないただの盤面遊戯に過ぎない。
「リウ、どうせなら一度やってみるかい?」
「…兄さまがそういうなら」
一度だけ、すぐ上の兄に手ほどきをしてもらったことがあるが、一度も兄・リオンに勝つことはなく、彼が亡くなった後はゲームをする相手もおらず、次第に忘れていった。
「僕が先行でも?」
「どうぞ」
カシルは、先手でポーンの駒を動かす。
「公子はチェスが好きですか?」
「…僕が今まで唯一勝ったことがないのは、父上位です」
「羨ましいことです」
ユリウスも同じようにポーンの駒を二歩進めていく。
「私は父とあまり顔を合わせたことがありません…何を隠そう、このチェス・ゲームも先日ヘルト殿に教わったくらいです」
「!…へ、へえ」
笑みを崩さずじっと見つめるだけで、カシルの顔色が青ざめていくのがよくわかる。
(ここ一番の大勝負は、あまり得意ではないようだ。そんな様子では)
「…ユリウス公子様のような庶子であれば、プレッシャーも何も感じずに穏やかに過ごせたかもしれませんね」
「あなたが思うほど、重圧も期待も…ましてや教育も、穏やかなものではありませんでしたよ」
時にチェスは、相手の集中力をかき乱すことも戦略の一つとなりうる。
しかし、ユリウスはカシルの返答にも構わず着々とゲームを進行させている。顔色一つ変えない姿に、カシルは少なからず恐怖を感じる。
(カシル・フラムベルグ。お前は私に勝つことはできない)




