第71話 知らざるを知らずとせよ
「公爵様。先日、何者かが植物園の中に侵入したそうです」
ここは、フォスターチ城館・公爵の執務室。執事のサングリストは、かたずをのみながら、主の次の言葉を待った。
(この家にお仕えしてから何十年と立つが…こんなことは初めてだ)
「鍵は?」
「こちらに…私がしっかりと管理しております」
そう言って、懐から取り出したのは、複雑な装飾の施された少し大きめの鍵である。
「ならば、なぜ中に入ることができた?」
「…わかりません。ですが、総出で」
「いや」
「え?」
「……その件は、特段調べる必要はない」
「ですが…わかりました」
植物園…とは、フォスターチの直系のみ入ることができる封鎖された領域である。特殊な魔法術が使われており、鍵を持たない者は迷い、死に至るとも言われている。そんな場所にも拘らず主は黙認せよ、と言っているのだ。
(ユリウス様も…そう言えば気になされていた。ならば、もしや)
「そう言えば…来週、ユリウス様が婚約者の令嬢のエスコートを頼まれたそうです。伯爵家のパーティーとのことです」
「…機会があれば、令嬢をこちらに案内するように伝えておけ」
「かしこまりまして」
執務室を出て、サングリストはため息をつく。
(ユリウス様と、公爵様は…相変わらず、か)
「それにしても…あの坊ちゃまが。ふふ」
例えば、親子の関係の何かを変えるような…そんなきっかけを作ってくれるような人であればいいのに、と切に祈った。
場所は変わり…ギルド・シュヴァル。
ノエルは机の上に置かれた時計を見て、ため息をつく。
「王家の印章が入った…なんて、管理する方も大変だなあ」
「へえ…すごいね、透かし?が入っている…綺麗な時計だね」
兎のラヴィは相変わらずこちらにいた。
物珍しそうに、自分の身体の大きさの半分もある懐中時計を見ながらくるくると回っている。
さほど大きくはないが、銀で作られた蓋の表面には王家の紋章たる鷲と、瞳の部分に赤い宝石がはめ込まれた蔓草が描かれている。内部の文字盤は陶製で、長針と短針の煌めく光は恐らく黄金だろう。
時計の価値と大きさとが反比例しているので、持ち運ぶだけでも気を遣いそうだった。そんなものを対して仲もいいわけではない者に渡すなど、真なる大物か、それとも。
「これを使うといい。…恐らく、高名な貴族の家にも面会ができるだろう」
それは、先ほどの出来事のこと。
途中経過の確認のためにやって来たレアルドは、報酬の一部とこの時計を置いていった。
「こんな貴重なモノ…いいんですか?」
「ああ、それだけ信頼しているという証にもなる。…君は、それを無碍にできるような人間じゃないだろう?」
「…それは、勿論」
ちらりとみるレアルドは、本当にまるで別人のようだ。
(こんな御仁なら、この国の未来も悪くはないかもな)
「それにしても…こんなにしょっちゅう街中に出てきても大丈夫なんですか?…護衛がいるとはいえ」
「…最近の王宮はおかしい。私一人の行動など、誰も気にも留めないだろう」
「おかしい…って」
思いがけない言葉にノエルはぎょっとした。それを隠す様子もなく、レアルドはたんたんとノエルが持ってきた資料を一枚一枚丁寧に見ている。…例の墓荒らしの被害に遭った家門の一覧である。
「フォスターチ公爵家もリストに入っているのだな」
「はい。……今は亡き、三番目の公子様です。お会いしたことは?」
「いや…ユリウス殿とは、何度か顔を合わせているが」
「ああ…あの方も何かと話題に上る方ですね。突拍子もない転職から、高名な公爵令嬢とのロマンスが取り沙汰されて、羨ましい限りです」
「へえ、あの彼が」
「?…初めてお聞きに?」
「ああ。…最近の行事《社交界関連》に私はあまり参加していなかったから」
どこか自虐めいた言葉に不信を感じていて…、つい先日まで彼が例の聖女に入れ込んでいたことを思い出した。
(公務にまで支障を…なんて、恐ろしい女だな全く)
「ちなみにその令嬢はどこの?」
「ああ…カサンドラ・グランシアです」
「えっ?!」
「え?」
バサバサと、書類の一部がずれ落ちた。
「あ、すまない」
「……いいえ」
(おいおい、ちょっと待て。いや、まさか…なあ?)
「…ひとまず、今日はここまでに。続報があれば、また頼む。…それと、フォスターチ家に話を聞きに行くなら、私も同行しよう」
「レアルド殿下も?」
「ああ。…ゲオルギウス公は、気難しく、苛烈な方…ご自身よりも下位の者とは一切口も利かぬ御仁だ。私が行けば、何かと力になれるだろう」
「わかりました」
「では」
「あの」
「何か?」
カサンドラと、知り合いですか?など、聞けるはずもなく。
ノエルは静かに首を振る。
「なんでも…」
「そうか。失礼する」
「……」
王宮がおかしい、という話も…カサンドラの話を出た時のあの反応の理由が気になるところだが、ノエルは頭を切り替えた。
「はあ…いや、仕事仕事。今日はラヴィも来るか?」
「ん?僕?」
「ああ。ま、経験だよ、経験。…何かあれば力を貸してくれよ?異国の言葉で一宿一食という言葉があるんだからな?」
「わかった。ウサギのままでいい?」
「ああ、持ち運びも楽だしな」
そう言って、ラヴィはノエルのジャケットのポケットに飛び込んだ。
「今日はどこ行くの?」
「そうだな…まずは墓荒らしの被害者筆頭、ザルツ男爵家かな…ここなら、そう遠くないし、被害者サリー・ザルツの死は色々と事情があるみたいだからな」
「事情って?」
「うーん…駆け落ち失敗だの、なんだの」
「駆け落ち…って?」
ずきん、とラヴィの身体がざわついた。
(?何だろう、身体が強張る)
「ラヴィ?」
「あ、ううん…二人は、愛し合っていたのかな…」
「え?」
「あ!ごめん!何でもない!!」
「まあ…身分違いの恋愛ってのは、どの時代でも後ろ指を指されるから」
「…その人たちって、どっちも死んでしまったの?」
「いや。生き残ったのは、男の方」
「生き残ったの?!」
「ああ。…しかも。あ、ここだ」
そう言って、ノエルは乗ってきた馬を引きながら、田園風景の向こうにポツン、と佇む家を見た。
「け、結構、年季が入ってる…ね??」
「貴族も色々いるからなあ…すみませーん」
ノエルが声をかけると、その声に気が付いた農婦らしき女性が振り返る。
「先日こちらにお伺いする旨を…」
「ギルド・シュヴァルさん?」
「え?」
鍬を持っていた手を止め、軽く汗を拭き帽子をとる。束ねていた髪は白く、すらりとした姿は凛としていて、年齢を感じさせない。どこか影を感じる儚げな笑みを浮かべると、日焼けた口元に濃い皺が浮かんだ。
「こんな格好で申し訳ないわね」
「…まさか、ご自身が作業をされているとは…」
「フフ、いいのよ。…野菜が育つのを間近で見るのも意外と楽しいものよ。…さあ、中へどうぞ。粗末なお茶ですが…ご用意しますわ」
そう言って案内された邸は、規模はさほど大きくないにしても、外壁も庭園も手入れが行き届いている。
玄関を開いてまず目に入ったのは…家族の肖像画だった。夫人とその夫と、まだ幼い子供たち。はめ込まれた玻璃は綺麗に磨かれており、手垢一つない。
「大事にされているんですね」
「もうずいぶんと年季が入っているでしょう。息子は別の場所に自分の家族と邸宅を持っているわ。でも…娘の方は」
一瞬、どこか遠い目をし、夫人はうつむいた。
「……今は、とある方から調べなおしてほしい、という依頼を受けております」
「ええ」
「娘さんの…」
「あの子は、まだ…《《全部》》帰ってきていない」
抑揚のない言葉に、ノエルは背筋が凍る。
「全部…とは」
「そのまま。…人間には、206個程、骨があるらしいけれど…あの子の身体は、その一片の欠片も…見つかっていないの」
「あの…娘さんは」
「サリーは。」
「!」
「大人しくて…部屋で本を読んでいるばかりのような娘だった。順調にいけば、我が家門よりも格が上の家に嫁ぐこともできたでしょう。なのに…ある日突然、とある男に恋をしてしまった。…それも、身分もなにもない、ただの平民に」
ノエルの言葉を遮るように、婦人はまるで感情のない淡々とした言葉で語る。
(未だ心の整理がついていないんだろうな…)
「バカよね。たかが愛一つで、命まで投げ出すことないのに」
「命まで…というと」
「…どうせ調べているんでしょ?あの子の死の理由」
「……」
「そうよ。…ラウベル河に飛び込んで心中…でも、相手の男は助かってしまった。そのまま逃げだせばいいものを…わざわざ詫びに来て、あの子の墓を参りに来たのよ。信じられる?」
「心中、お察しします」
「それから直ぐ…あの子の遺体が盗まれた。それは、雨の日…雨がやんで、次の日の朝訪れたら墓は荒らされて…もう…」
かたかたと、夫人の手元のカップが揺れる。
「その時のこと…覚えていますか?」
ノエルの質問に、婦人はふっと笑った。
「……忘れるわけがない。あれは、雨が降っていた」
「雨?」
「そう。…しとしと、しとしと…って。まるで誰かが泣いているみたいな雨。だから、その日は墓参りに行かなかったわ。…雨など気にせず、行けばよかったのに」
「夫人…」
「お願い。あの子の身体のほんの一部でいい。…どうか、見つけて」
「できるだけ…尽力します」
絞り出す声に、それ以上、ノエルは何も言えなかった。
(…嫌な事件だよな)
この一連の事件の犯人は、このサリーの生き残った恋人だった。別の場所で同じような墓荒らしをしていた際、墓守がその現場を発見し、男はその場で首を掻っ切って自害したという。
事件を調べている内に気になったのは、このサリー・ザルツの遺体だけ、亡くなって間もなくすぐに綺麗な状態のまま盗まれた、という点だった。
その他の遺体は、ある程度時間が過ぎた…骨の状態のものが盗まれることが多く、彼女のようにまだ腐敗する前の状態で盗まれた、という事実が異様だった。
しかし、それを語る前に犯人である恋人は自ら命を絶ち、盗まれた骨が何処に行ったのか?彼一人の単独なのか?様々な疑問は解決されないまま、真実は闇に葬られたまま、終わってしまったのだ。
(それを、殿下がなぜ今更…?)
そして…ノエルは調べていくうちに、もう一つの事件を知ることになる。この貴族の墓荒らしの事件は、サリーの遺体から始まった二年前の事件と、今から数えて五年前にも似たような事件が起きていたのである。どちらも、犯人死亡のまま、全貌は明らかになっていない。…不自然なほど。
「あー…やだやだ。繋ぎたくない点と、つながるはずもない点がつながっていった先…何があるんだか」
それを知った時、自分はどんな真実を見ることになるのだろう




