第56話 提案
午後の昼下がりの時間。
今日は天気もいいし、風も少しあって散歩にはちょうどいい。
そんな日に、思いがけない非番の休みと、思いもよらない想い人との出逢いがあるとはなんと幸運なことだろう。
今までの人生にはあり得なかった日常をかみしめていたというのに…なぜこうなったのか。
「ああ!やはりあなただ!!貴方に間違いありません!!!」
「?!」
「……」
理由は明白。そう、この無礼な子供のせいだ。
「…カサンドラ様?」
「あ…あのっ私は」
「カサンドラ・グランシア令嬢!!!どうか私と結婚してください!!」
「は?!」
「……なんですって?」
この子供、いっそ殴って病院送りにした方がいいのだろうか。
殴りたい衝動を何とか抑える。見れば、彼女は茫然とし、言葉を失っている。…この状況はあまり良くない。
「グランシア令嬢…!答えをお聞かせください!」
「い、いぇっと、いまここでえ?!」
「そう!いますぐ!ここで!!」
じりじりと迫る公子の様子に見かねた私は、そのまま彼女の身体を横からかっさらう。
「!」
「無礼が過ぎるのでは?」
公子は一度オレンジ色の目できっとこちらを見ると、尚もめげず再びカサンドラ様を見た。
「どなたか、想い人でもいらっしゃるのですか?!」
「はぁ?!」
「!!」
「それなら僕にもチャンスはあるでしょう?!僕はこの国で将来性も有望性も、勿論家柄も!!あなたを妻に迎える資格を兼ね備える最高の婿候補だと自負しております!!!」
「自負…?!」
若さゆえの暴走なのか、思い込みによる願望なのか。
カシルは信じられないようなことを恥ずかしげもなくぺらぺらとしゃべりとおす。
「容姿は…まだあどけなさは残っていますが!!あと二年もすれば顔つきも変わり、身長もあなたを追い越すでしょう!あなたが望むものも、願いも僕が全てかなえて見せます!」
「あ…あの」
「僕の趣味はチェスです!!これも今まで負け知らず…社交界では天才と呼ばれておりますし、知識もさることながら、行動力は見ての通り…僕こそあなたに相応しいといえるでしょう!!!!さあ!カサンドラ様!!」
有無を言わさず両手を掴み、跪くその姿にその場にいる全員が釘付けになり、いい見世物となっている。
「い…わ…わたっ」
「カサンドラ」
「っひゃ?!いっ?」
さらりと肩にかかった髪を払いのき、片手でそっと顎に触れる。
…青い目と交差する。
「あ…あの…っ?」
「だから、言ったでしょう。私とあなた…公爵家同士で婚約という公式的な形だけでもとった方が、あなたのためになる、と」
そのまま、唇を押し付ける。
流れでカシルから彼女の手を奪うと、バタバタと暴れないように右手をしっかりつかみ、ゆっくりと目を閉じる。
「…?!!んんぅ?!!」
角度を変えて彼女の吐息を根こそぎ奪うくらい押さえつけると、やがてふっと力が抜けた。ふらついた身体を抱き寄せると、腕の中に閉じ込める。
「…ッユ…」
互いの吐息がわかるくらい至近距離で一度見つめ、そのままの姿勢でカシルの方に視線を向けた。
思った通り、顔を真っ赤にして口をぽかんと開いている。
「……残念ながら、彼女は私の婚約者です」
「……!!真実ですか?」
「…っあ の」
「もう一度しましょうか?」
「ぃ…」
カシルに聞こえないよう耳元でささやくと、観念した様子で赤くなる頬を両手で抑えながら、小さくうなずく。
「な…そん な!」
「これでお判りいただけましたか?残念ながらあなたが必死にご自身を売り込もうとも、私がいる限りそれは無意味なこと…」
「か、カサンドラ様!僕はあなたを一目見た時から…!」
追いすがろうとする公子を振り切るように、カサンドラ様を抱えたまま抱き上げる。
「もう日が暮れます。‥‥すっこんでろ、子供」
「…な な…っ馬鹿に」
「ぼ、ぼ坊ちゃま!!!きょ、今日はこの辺で!!」
「うるさい!!ユリウス・フォスターチ!!僕と決闘しろ!!」
「私闘は法律で禁止されてますからっ!!」
「坊ちゃま…」
二人が去った後、その場にいた見物人たちははいたわるような視線を向けて方々へ散っていった。
カシルは握った拳に力を込める。
「まさか、ここでフォスターチ家のご令息が登場とは、計算外だった…」
カシルの中では、うまくギャラリーを味方につけ彼女に断る退路をうまく断たせた上で、了解の返事をもらうつもりだったのだ。
その為に、わざわざ目立つような馬車を用意して、派手に場を作り上げたのだ。
「確か、彼女は一度フォスターチ家の婚約話を破棄したと聞いていたが間違いないな?」
「は、はい。そのはずです」
ならば、アレは、あの場を誤魔化すためのパフォーマンスということだろう。じゃあ、いくらでも隙は出来るはずだ。
「僕は手に入れたいと思ったものは、どんな手を使ってでも手に入れる…覚悟しといて、カサンドラ…!」
そう、時間も手もいくらでもある。カシルはにやりと笑った。
「ええと…まだ、怒ってらっしゃいますか?」
「…当然」
「す、すみません」
場所は変わり、ここはスイーツで有名な喫茶店。午後も過ぎたあたりの今頃、カフェ内の人はまばらで、いつもは混雑しているらしいこの店も、奥の個室が空いていた。
(…頼めるだけ、スイーツを頼みはしたけれど。どうしたら、ご機嫌を直してもらえるだろうか)
カサンドラ様はもくもくとケーキをまた一つ、平らげた。
「…初めてだったのに」
「え?」
「なんでもない」
「あ…」
それは、なんと光栄なことだろう。
などとは口が裂けても言えず、少し上がりそうだった口角は紅茶をすすって誤魔化した。こうして、限りになく故意に近い事故を装うのは二度目だ。
それは自覚しているつもりである。
「ひとまず、助けていただいてありがとうございました。けれど…私が怒っている理由、わかりますか?」
「‥‥あなたの意思とは関係なく、話を進めてしまったからでしょうか」
「それだけ?」
「…え」
「ユリウス様が私にしたのはそれだけじゃないでしょう」
「ええと…」
まずい、あの時の感触を思い出しそうになり、慌てて口元を抑える。
「もしかして…忘れてました?」
「?!そ、そんなわけありません!!…ですが、後悔も、して ません…」
「……」
「……」
何を口走っているのか。
とにかく軌道を修正をしようと今度は水を飲み干す。
「どんな女性にだって雰囲気は大事なんです…」
「そ、それなら次はもっと手順を踏んでカサンドラ様の意に沿うような演出を…ってそうではなくて!その、先程申し上げたことは…嘘ではありません」
「…私との婚約、ですか?」
「ええ。…あなたも然り、私もですが…公爵家というのは、この国に二つしかありません。盾のフォスターチと、剣のグランシア。そこに後継とは違うスペアたちがいるとなると、そこを狙って国中のありとあらゆるおびただしい自称花婿候補とは嫁候補というのがこぞって縁談を申し込んできます」
「それは…まあ。うちには妻帯者のいない後継になりそうな人もいるから…先日結婚の申し込み状がついに荷台一つ潰したとか」
「…そ、そう言えばそうですね。ヘルト殿…」
結果、互いの状況を察し、ため息を同時についた。
「ユリウスは…あのカシル・フラムベルグをどう思われますか?」
「…生意気で計算高い子ネズミ…」
「え?」
「比喩です。…それで?」
「あ・は、はい…あの黒い服の手下達といい、馬車のタイミングといい…全て最初から仕組んでいたとしたら…少し恐ろしく感じます」
「全て、計算済み、でしょう。遠くでどう対応するか観察して、手下に行かせた上で反応を見る…姑息な手段だ」
「あ…は はい、やっぱりそうなんですね」
そう。あのまま自分がいなければ、どうなっていたことか。
…もしかしたら、無理に押し切られて自体はややこしいことになっていかもしれない。
「まあ…公子にとっては屈辱的な展開となったことでしょう。この世の中には自分よりも更に上がいるということをまだ学んでいないようですから」
「…え…」
「一番の計算違いは、あなたが一人ではなく、私がいたというところだろう。ざまを見ろ、というところでしょうが」
「あー…あはは」
しまった。つい、自分を律することもできず、余計なことをぺらぺらと。
「彼とはどこで?」
「仮面舞踏会で少し。例の…黒い影の獣に襲われていて…」
「助けてしまった、と」
「その、黙っていられなかったから」
この方ならそうなるだろうな、と思う。
それにしても、厄介な小物に目をつけられてしまったものだ。
「フラムベルグ家は、ハルベルンでは政治力の高い優秀な家門です。恐らく、今一番グランシア家の力を欲しているのは彼らかもしれない」
「ええ…公爵家である私と姻戚関係ができれば、強力な力をつける事でしょうし」
最も、たとえさっきのような状況で婚約を押し通したとしても…ヘルト殿の逆鱗に触れ、グランシア公爵も黙ってはいないだろう。
更に、珍しく父上が気にしているあたり、フォスターチ家からも圧力がかかることは明白。
彼らの行き着く先を考えると、姻戚関係など限りなく不可能に近いとは思うが。
(問題は…彼らの力が、思った以上に帝国全体に浸透しているところだろう。二大公爵家が圧力をかけたとして…その後に我々に及ぶ影響は少なくはない)
「正体が知られた以上、恐らくあらゆる手を尽くしてあなたを手に入れいようとするでしょう。どうされますか?」
「……それは、私も分かっています。だから…」
彼女はそういうと、すっと顔をあげこちらを見つめた。
「ユリウス。ならば、私とあなたと、形式的に姻戚関係を結ぶのは、どうでしょう?」
「え?」
思いがけない提案に、思わず持っていたカップを落としそうになった。




