第36話 仮面
「行ったかな?」
「行ったんじゃない?」
誰もいなくなったシグマのプレイ・ルームでは、部屋の片隅に転がっていた帽子がもそもそと動き出した。
帽子の隙間から一匹のウサギがぴょこん、と顔を出す。と、同時に帽子屋は姿を人に変えた。
「ふう、やれやれ…危機一髪だったね」
「すごいなあ、あの子。まさにトラブルメイカー…あんな変態を呼びよせるとは」
「へ、変態…まあそうだね。彼女は無駄に美しいから」
ひゅうっと帽子屋が茶化すように口笛を吹いた。
「おやおや、べた惚れだねえ」
「う、うるさいな。私は彼女のサポーターだ、大事なのは当然だろう。それより…お前は感じた?あの、異様な気配」
ラヴィの言葉に、帽子屋は難しい顔をした。
「…僕の持っている記憶には、そいつの詳細はない」
「私だって。…変だよね、あいつ」
(目的は…なんだろう?それよりも)
ラヴィはちらりと、散らばったカサンドラのドレスの破片と、ぼろぼろになった靴を見て、うなだれる。
「…結局、危ない目に合わせてしまった」
「落ち込んでるのかい?うさぎさん」
「…そうだよ!文句あるかい?!」
「別にないけど…ウサギさんがいなくても、彼女の兄やらなにやらが助けてくれたでしょ?気に病むことないと思うけどなあ」
「…そんなこと、わかってるさ!」
一度帽子屋をきっとにらむと、ラヴィはそっぽを向いて歩き出した。
「どこに行く気?」
「戻るんだよ!」
「どうやって?」
「う…」
言われてみれば、今自分が何処にいるのか、ラヴィにはさっぱりわからない。
「しょうがない、ここは僕が連れて行ってあげようか」
そう言うと帽子屋は、ひょいと首根っこを掴んで持ち上げると、シルクハットの中に収納する。
「その小さい四つ足じゃあ日が暮れてしまうだろ」
「…そりゃ、どうも。それよりここがどこかわかるの?」
「ああ、ここはフォスターチの北の棟の空き部屋だろ」
さも当然のように言う帽子屋に、ラヴィは首を傾げた。
「…?なんでこの場所がそうだって断言できるんだい?」
「何でって…そりゃあわかるから」
「??私にはさっぱりわからないけど、君にはそう言う機能でも付いているのか?」
「……ふむ?」
帽子屋はくるりと周囲を見渡した。
(…僕にとっては、見慣れた景色…に思えるが)
それと同時にどこか懐かしい気がするのはなぜなのだろう?そして、ここからどう行けば館を出られるのか、その道順さえもはっきりと自分にはわかるのだ。
帽子屋は少し考えるが、結局答えが見つからないので考えるのをやめることにした。
さて、あの騒ぎの後のこと。この事件はハルベルン第三師団が調査することになったらしいのだが、当事者である私は詳しい話は後日、ということでとりあえずあの場を後にした。
ヘルトが去り際にこちらをものすごい顔で見ていたので…後で私は説教されるかもしれない。
そして、今はなぜかユリウスにお姫様抱っこをして運ばれている。
「あのう…」
と、言うのもあの得体のしれない薬のせいですっかり身体のあちこちがしびれてしまってうまく動かせないわけだけど。
(お、落ち着かない…)
「申し訳ありません、あなたに使用された薬は我が家に伝わる独特の製法で作られた毒薬なので…恐らく完全に毒気を抜くためには、解毒剤が必要です」
「そ、そうですか…それで、私は一体どこに運ばれているのでしょう?」
先ほどから大分歩いてきているのは分かるけど…どんどん奥へ奥へと運ばれている気がする。ここって恐らくゲストは近づけないプライベート・エリアよね??
「…ご安心を。今のあなたに何かしようなどは考えていません。…着きました」
そう言って案内された場所は、どうやら賓客がくつろぐための寝室のようだ。ユリウスは私を寝台に運ぶと布団を被せ、申し訳なさそうにうつむいた。
「いま、信頼できる侍女に替えのドレスを持たせて連れてまいります。解毒剤をすぐに…」
「待ってください、ユリウス様。…その、あなたは大丈夫ですか?」
「…え」
私はしびれる手をなんとか動かして、ユリウスの服の先っぽをつかんだ。
「…先ほど、一緒にダンスをしたとき、あなたが話してくれた悪魔の仮面が見える人物とは、あなた自身のことでしょう?」
「カサンドラ様…」
ユリウスは、私の腕に手を重ねてベッドの脇に腰かけた。
相変わらずユリウスの表情は暗い。ヘルト並みに真面目そうだし、気に病んでいるに違いないと思ったのだ。
自分の身内にあんな悪魔みたいな奴がいたら、と思うと。
あの悪趣味の部屋を長男もご存じだったというんだから、暗黙の了承の可能性だってある。…おぞましいことだ。
「あのシグマを見ていたら、なんとなく。今日だって、自分の実兄があんな変態じみた行為を楽しむ趣味があると知ったら、私だったら泣いてしまいます」
幸い、カサンドラの兄上様は清廉潔白、質実剛健、非の打ちどころのない人だけどね。しかも男女ともに人気がある自他ともに認めるできた人物だ。
…本当に私は幸運だったのかもしれない。
「そうです。おっしゃる通り、です」
(やっぱり…)
「子供の頃…母が亡くなりました。それからでしょうか、この家の人間が全員欲深い化け物のような顔に見えるようになったのは」
「…一体、何が?その、嫌なら」
私の言葉に、ユリウスはゆっくりと首を左右に振る。
「いいえ」
「…いつ頃から?」
「8歳ごろ。それこそフェイリーお嬢様と同じくらいの年頃ですね」
「…その、どうせなら全部吐き出してください!何か解決策につながる発見があるかも!あ、嫌ならいいんですけど!!」
そう言って私はユリウスの手を握り返す。すると、彼はどこか弱々し気に笑った。
「では…よければ聞いてくださいますか?」
「勿論です!…その、気が楽になるかもしれないし」
何を隠そう、今の私は身体がしびれてはいるけど頭は暇なのだ。
(うう、これ、私は平気だけれど、状況によっては地獄ね)
私が言った言葉に、少し驚いた様子のユリウスだったが、やがてほっとしたように笑った。
「ありがとうございます」
「……いいえ」
元々その症状というのも、システムの影響かもしれないって、そう言う特性が身についているのでは、と。だから、フラグを壊した今なら、もしかしたら治るかもしれないと思ったのだ。
私は何も言えず、ただ黙って彼の言葉を待った。
「―――『はじまり』は、長兄と次兄の二人でした。」
「お兄様?」
「初めて、彼らがそう見えたのは、母が死んだ直後のことでした」
「!」
「…母はもともと身体が強くとも心が弱く、政略結婚でこのフォスターチという闇深い家に嫁いだ時点で、どこかしら壊れていたのでしょう。」
彼が握る手に力が入る。多少の痺れはあってもわかるくらい強い力だった。
「母の死に方は…凄惨なものでした。何かの化け物に怯えるように、この邸の最奥の部屋の窓から自ら身を投げてしまいました。」
「…そう、だったんですね」
「本来ならば公爵夫人が亡くなったとなれば、それ相応の弔いが行われるものです。けれど…母の扱いは非情なものでした。ありとあらゆる遺品は全て金に換えられ、一族の墓に入ることも許されず、全く別の場所に埋葬されてしまい…この邸にあった母の痕跡は全て跡形もなく消え去りました」
「そんな…」
その先の言葉は、とても私の口から出せない。
(…思った以上に重い話だ。グランシアって平和なほうなのね‥)
「母が亡くなった時のことを今でも覚えています。…あれは、雪が今年初めての雪が降っていて…割れたガラスの上を歩く母を見て、どこか尋常ではない様子でした」
ユリウスは何かをこらえるようにぎゅっと目を瞑る。
(ガラスが割れている…)
割れたガラス窓から、満天の星空がこちらを覗き込んでいる。
吹きすさぶ風と共に舞い上がる雪花は、この暗く冷たい内側の世界へと迷い込んでは消えてなくなっていく。
「お母さま…?」
砕かれたガラスの破片の上に立つ一人の女性。
「ユーリ…」
ギシ、と血まみれの素足で窓のすぐそばまで行くと、おもむろにそこに座り込んだ。
「おかあさま!けが、しちゃう…!」
「お前はいい子だから、ちゃんとお父様の言う事を聞けるわね?…決して、逆らってはダメよ」
「え?おか」
そして母は…微笑みながら奈落の向こうに身を投げ出し、深い底に落ちていった。
以来、ユリウスは、周囲の人間の顔がまるで悪魔の被り物をしているように見えるようになってしまったのだ。
「…それから、『化け物の仮面』を認識するようになり…その正体が、彼らの内側に眠る欲望だということに気が付きました」
哀しい顔をしたふりをして、ほくそ笑むふたり。
彼らは表面的に涙を流しながら、ずっと悪魔のような仮面をかぶったまま笑っているように見えたのだ。以来、幼い少年のちっぽけな疑問など置き去りにして、どんどん増えていった。
…不安の中、唯一話を聞いてくれたのは、三番目の兄・リオンだった。リオンだけは唯一、顔は綺麗なまま。
何時も優し気の紺色の瞳でこちらを見ていた。
「ねえ、どうして?みんな悪魔に見える」
「ユーリ…」
「兄さまもおじ様も叔母様も、みんなおかしくなってしまったの?」
「それは違うよ、ユリウス。…お前はきっと母様と同じ不思議な目を持って生まれたんだ。だから、怖がることはないよ」
彼の言葉は今でも心の支えになっている。
今思えば、母が心を病んでいたのは、自分と同じように人間が悪魔に見えていたからかもしれない。
そう納得し始めた頃…リオンは他界してしまう。
同時に時がたつにつれ、ユリウス・フォスターチは、人前で自身も仮面をつけることを学んでいく。そして…母と兄を弔うために聖職者への道へと進んだのだった。




