第28話 不穏
「お姉さまーー!!」
「あ?!ちょっと、クレイングランを」
「っわあ?!」
ガシャーンという音共に、椅子ごとユリウスは倒れてしまった。
私はつい、両手で顔を覆ってしまう。
(あちゃ~…。なんてこと)
「ありゃりゃ~?すみません、フォスターチ公子様」
にへら、なにやら企んでいるような笑顔のクレインだったが‥すぐさまその表情は驚きに変わった。
私も慌てて駆け寄るがどうやら心配無用のようだった。
「ゆ、ユリウス様!!大丈夫ですか…」
「はは…っあははは!!くす‥くすぐったい!!」
見れば、ユリウスはグランの巨体に襲われながらも顔をべろべろんと舐めるわんこと楽しそうに戯れていらっしゃる。
(う…、こ、これは)
「グランというんですか?このこ…、可愛いですね!」
「わんわんわん!!」
イケメンが笑顔でレトリバーと楽しそうに戯れる‥言ってしまえば、なんか、尊い。と、言うか、アイドルのフォトグラフのようで、はっきり言って目の保養である。
(す、スマホがあれば記念に写真に収めたい‥!って、そうじゃなくて!)
「!ゆ、ユリウス様召し物が…こら!!グラン離れなさい!!」
私はスキルを発動させてなおもユリウスに駆け寄ろうとするグランを無理やりグランを引きはがした。
えー?なんで?といわんばかりに首を傾げるグランの耳元でそっと囁く。
「は・な・れ・な・さ・い。…ヘルト兄さまに言いつけるわよ」
「きゃん!きゅうん…」
ヘルトという名前を出した途端、グランは耳をピッとたててすごすごと引き下がった。…本当にきっちり調教したのね、ヘルト兄さま。
「‥ッチ。すみません、命の恩人であるユリウス公子がいらっしゃると聞きまして。お礼をと参上しましたが、グランが突然走り出しちゃってー!」
「いいえ。御礼など不要ですよ、クレイン公子。可愛らしいお客様に少し驚いてしまいました」
言いながら頭を撫でると、グランは嬉しそうにデレデレしている。少なからず邪気を感じるクレインと違って、まさに無邪気の勝利だわ。
「坊ちゃま!!!」
「あ、やば」
遠くから鬼の形相でクレインの家庭教師がこちらに向かってやってきた。
「授業中でございますよ!!!さ、お戻りなさいまし!!」
「え、いや…大切お客様だし‥」
「ご挨拶の為にももう一度マナーを叩き覚えていただきましょうかねえ?!失礼しました、お嬢様。お客様」
律儀に礼をして年配の家庭教師はクレインを引きずって戻っていった。
(邪魔しに来たのね、全く…)
後姿をため息をつきながら見送っていると、後ろからはクスクス笑い声が聞こえた。
「ご兄弟、仲がよろしいのですね、カサンドラ様。敵情視察、というところでしょうか?」
(うう…クレイン!こっちが恥かしいわ…)
「敵だなんてそんなこと」
「カサンドラ様、貴方はどう思われているのでしょうか?両家の縁談について」
先ほどまでの穏やかな空気が一変して、ユリウスは私を真っすぐ見つめてきた。
「…正直に言ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「私は今のところどなたかと、とは一切考えておりません。もしかしたら、名のある公爵家同士、私の意志など関係のないもっと深い理由があるかもしれませんが、それでも私はお断りするべき、という認識です」
「それはなぜですか?」
「今が時ではない、としかお答えできません」
というか、一応私にもこのカサンドラとして転生した責任があるのだ。
フラグもあるし、やるべきことは少なくない。…無論、何をどうすればいいのか手に余っている状態ではあるが。
「ならば、ぜひ、今回の縁談は形式的なだけでも結んだ方が貴方にとって利になると思います」
「…何ですって?」
この目の前にいる人物は本当に、「ヘブンス・ゲート」の登場人物なの?
攻略本とはかけ離れた印象だし、時折見せる鋭い眼差しに射貫かれると、恐怖すら覚える。しかし、その印象も、その後で放たれる笑顔に誤魔化されてしまうから、恐ろしい。
ふわりと微笑むと、ユリウスは答えた。
「これからありとあらゆる家紋が貴方と…ひいてはグランシア家と縁を結ぼうと躍起になるでしょう」
「それは…そうですね」
うん、今実はとても実感している。
毎日届く意味不明なプレゼントには辟易している。
「ならば、同じく高名な公爵家と婚約という公式的な形をとった方が、お互いの為になると思いませんか?」
「……お互いの、為?」
なるほど、これが世にあるお決まりのネタ、「契約結婚」ていうやつか!!
小説の中の出来事に、つい感動してしまった。って、そんな場合ではなくて。
彼の言うことは、確かに現実的で根拠のある言い分だ。
でも、この人は何を考えているのかよくわからないから、本能が危険と囁いている。
「今すぐにお答えできません」
「ならば、よく考えていただければ、と思います。…当日はこちらにお迎えに上がらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「…それは…」
実は最近の趣味は「読書」なのだが…とある愛読書があるのだ。
それは『気高き誇りある令嬢の手引き』という、グランシアの図書室で見つけた本。内容は…現代の感覚からすると「悪女の手引き」といえるだろう。
古今東西、悪女とは何故かは知らないが、能力のある女性の代名詞なのかもしれない。その本に書いてあった。
「いいえ、これからの世の中、私は自立した女性こそが社交界をリードしていくと思っています。なので、エスコートは不要ですわ」
「…わかりました。では、当日楽しみにしております」
気高き誇りある令嬢の手引き。著書、「マダム・ベルヴォン」である。
**
フォスターチ公爵家———
ハルベルン帝国にて、公爵の名を持つ二つの家柄の一つである。
この世界において公爵とは、ハルベルンの国から直接爵位を授かった名誉ある称号であり、その他の追随を許されない。
二つの公爵家は力が強大で、今や王族を凌ぐほどにまで大きい。
女神神殿はフォスターチ公爵家が、国を守る王国騎士団はグランシア公爵家がそれぞれ管理していて、その血統を持つ公子や令嬢たちは、王宮内でも然るべき地位が約束されている。
二つの公爵家はそれぞれ、互いに関わることを避けており、今までそこまで大きな事件もなく双肩を並べて来た。
そして…、今。この二つの公爵家は、ある転換期を迎えようとしていた。
それがカサンドラの結婚である。
(想像以上に、聡明な人だったな)
先ほどの会話を思い出すと、どうも口元が緩んでしまう。
だが、その気持ちをぶち壊すに相応しい声が聞こえた。
「ユリウス」
「シグマ兄様。私に声をかけてくるとは珍しいことです」
フォスターチ家は四兄弟であるが、兄弟間の仲はあまりよくない。特に長男リカルドと次男シグマは、互いに足を引っ張り合うような仲だ。
リカルドは幼少から父から爵位の後継の英才教育を受けており、実質今は表向きのフォスターチ公爵として社交界のみならず、公爵家の当主としてその職務を全うしているといえよう。
しかし、次男であるこのシグマは、優秀な兄と弟を間に持つせいか、他人の不幸を喜び、悪事に手を染めることで自身の存在価値を証明しようとしている節がある。
(…視界にも入れたくない)
無視して先を行こうとすると、ヒュッという音ともにユリウスの顔めがけて手が飛んできた。
「!」
「お前、グランシアの令嬢を落とせ、と父上に命令されたようだな…どう取り入った?」
「…言葉より先に手を出すとは、本当に野蛮な方ですね」
「な…うわ?!」
ユリウスはそれを寸でのところでいなして手首をつかむと、シグマは勢い余ってそ尻餅をついた。
「…っく。調子に乗るなよ、この人形め‥!」
「なんでも力で解決しようとする知能の低い木偶の棒よりも相当ましだと思いますが」
(昔は…この兄からぶたれるのは本当に怖くて恐ろしかった。けれども今は)
再び伸ばしてきたシグマの手首を思い切りひねると、身体ごと床に叩きつけた。
「ぐは…ッ」
「私はこれから夜会の準備があるので、多忙につきこれで失礼いたします」
「くっそ…待て、調子に乗るなよユリウス…っ!」
追いすがる声を無視してユリウスは歩き出す。
「化け物が…!」
そう吐き捨てた弟を見て、シグマは地団駄をふむ。
「くそ‥くそっくそぉ…!!一番下のくせに‥」
『なんとも、惨めな姿だ』
「?!な‥誰だ!!」
周りを見渡しても、自分と猫以外人の姿は見受けられない。
しかし背後に気配を感じて振り返ると、いつの間にか漆黒の長い豊かな毛並みを持つ一匹の猫がたたずんでいた。…片目には、大きな傷がある。
『敵わぬ相手に虚勢を張り、自分を大きく見せるのは‥まあ、力なきものの宿命ですね』
「なんだと…!!」
シグマは猫をにらみつけるが、猫は悠然とこちらを見つめている。
『あなたが公爵のお目に叶うように動けばいいのでは?公爵の目的を思い出してみてください』
それだけ言うと、猫は柱の影の中にすうっと消えていった。
「‥公爵の、目的…」
そうだ、とシグマはひらめいた。
ならば、あいつよりも先にグランシア令嬢を手に入れればいいのではないだろうか?
聞けば、グランシアの令嬢はあまり社交界では評判も良くなく、ほとんど邸から出ることがないという噂だった。
「フン、今に見てろよ‥ユリウス。このフォスターチで、お前がいかに無力か思い知らせてやる‥!」




