外伝1 暁に見る夢
本編の続きというか、後日談となります。一部登場人物が振られたバッドエンドとなっておりますが…ご了承を。
曇天に突如光が差し込むように、霞がかった思考は急速に晴れていく。
鮮やかな暁色の髪が波のように揺らめくと、一度だけ振り返り、空色の瞳がこちらをとらえる。そして、風のように去っていった彼女の足元に落ちていたのは―――
「青色の扇子…?」
それは、雲一つない夏の空の色に似ていた。
「…殿下の様子がおかしい?」
その言葉を聞いた時、従者のルイスは両手に抱えていた大量の書類を、危うく落としそうになった。
(…思い当たる節がないわけではない…)
報告をしに来た第一秘書は、困り果てた様子で、ただでさえ太い眉毛をへの字にしてため息をつく。
「仕事をしては下さるんですけど、時折、ふっと窓の外を見てはため息をつき、たまに休憩する時はどこで拾ったのか、青色の扇子をじっと見てはため息をついていらっしゃるんです」
「…勤務に支障は」
ルイスの問いに、秘書はゆっくりと左右に首を振る。
「特には…いいえ、むしろ週に一度くらいでしょうか。尋常じゃない速さで書類に印を押し、意気揚々と外出されるようで」
「勤務に支障がないのであれば、問題はないのでは?」
「はあ…まあ」
なんとも歯切れの悪い返事である。
ただ、彼はまじめに仕事をしているうえで、報告すべきことがあったから自分に相談してきたのだろう、と思う。
「で、何があった?」
「あの~…レアルド様は、こう、見目麗しくていらっしゃるし、我が国においてはなくてはならぬ存在でありまして…」
「…前置きはいいから。それで?」
秘書はちら、と周りを確認し、こそっと口元に手を当てた。
「……あのように、ご婦人方が使用される扇子をいつまでも飽き足らず眺めておりますと…、花嫁探しに奔走し、仕事がおろそかになる連中が多く、一部の仕事がたまる一方なんですぅっ!」
「……国王陛下夫妻も、隠棲されたしなあ…」
「今日も、ダンゲル伯爵が勤務見学と称して、ご令嬢を連れていらっしゃったり、書類をこちらに持ってくるのがやたらと女性ばかりだったり!!皆さん派手に着飾ってらして、執務棟に努める連中みんな浮足立ってしまってぇええ」
「職務怠慢だなあ…」
(だが、無理もない)
このハルベルンという国は、様々な役職がある。
大きく騎士と、神職と、政務官と三つに分かれており、それぞれが個々に権力を持っている。
騎士は国内と王宮内の警備や鎮圧、犯罪の摘発など多岐に分かれているが、武器や武力の行使など、その活躍は多岐にわたる。
神職は皆女神神殿の管轄となり、神事一切から、神殿の管理、神巫女と呼ばれる代行者の警護など限定された範囲での権限が大きく、こちらは王宮も管理できぬ特殊な機関となる。
そして…ここ、政務官のいる王宮は、国に関わる政の一切を執り行い、そのトップに立つのが王族となるわけなのだが…、今から約一年程間に起きた大地震の折、国王陛下は心の病を患い、その座を退いた。
現在は王宮の外苑の向こうにある、北の棟で王妃ともども隠棲している。
今は第一王子は既に逝去し、現在は第二王子となるレアルドがその執務一切を取り仕切っている。
が、…その夫人の座は、空白のままである。
国を統べる国王となるには、その技量だけなく、共に立つ妃を迎えなければならず…結果この国の頂点の座には、いまだ誰も就いていない。
「はあ…わかった、要は…その扇子の持ち主を見つけ出し、国妃となってもらえばいいのだな?!」
「さすがです!ルイス様…ですが」
「ああ…」
「その方のみ心が何処にあるか、だな…」
――ハルベルン帝国にして、第一王位継承者、レアルド・ルメイア・ルベリアム。
幼少期、「ルル」と呼ばれた彼は、取り返しのつかない事故を起こした。
狩の最中、レアルドが誤って放った矢が、乗っていた馬の鼻先をかすめ、第一王子である兄は、落馬が原因でこの世を去ってしまった。
しかし…今から丁度一年ほど前、『悪魔』と呼ばれた錬金術師によってハルベルンに危機が起こる。亡くなったとされる第一王子・ヒューベルトを名乗る人物が姿を現したのである。
しかし、彼は悪とされる錬金術師が造り上げた幻影で、レアルドは国の危機を救うために出奔、最終的には、女神アロンダイトの代行者たる現在の神巫女・ユイナによって事態は収まるが、同時期に起きた規模の大きい地震により、その詳細はうやむやのまま、人々の記憶から忘れ去られていった。
しかし、中には…その記憶を詳細に覚えたまま、今を生きる者達も少なくはない。
彼もまた…その一人だった。
「今日も色々なご婦人が来たな」
「えっ?!!」
休憩中、何気なくつぶやいたレアルドの言葉は、ルイスの心臓を震わせる。
「皆、この執務棟にそぐわない恰好で、お帰り頂いた…困ったものだね」
「困って…らっしゃるんですか?レアルド様は」
「それはそうだろう。彼女体の目当ては誰でもない、この俺であるわけだし…それを貴族院の連中が仕掛けてくるんだから、迷惑な話だよ」
「はは…ハハハ」
(やっぱりご存じでしたか~…)
「いっそ、要職以外の女性は立ち入り禁止にした方がいいかな?…どう思う?」
「……そうですね」
ふと、ルイスは心の中でガッツポーズを決めた。
…まさか、チャンスが向こうからやってくるとは。
「立ち入り禁止もいいですが…もっと良い対策案がありますよ」
「へえ、それは?」
思わず生唾を飲み込み、意を決して告げる。
「殿下が、その扇子の姫君を探し出して、妃に迎えることです!!!」
「……え?」
そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
レアルドは目を点にしてルイスを見る。その手に、例の扇子を持って。
「一体、どれだけ無自覚なんですか…それ、暇さえあればいつも見ていらっしゃるでしょう」
「…これか?」
「はい。貴族院の人間がやたらと年頃の娘を引き連れてくるのも、あなたがいっつもそれを眺めてはため息をつかれるもんだから、色めきだってしまうんですよ」
「ああ、そうか…だから、皆無駄に扇子を開いてはアピールしているのか…」
(朴念仁…という言葉がこの人にはぴったりだ…)
ルイスは心の中でついた悪態をごまかすようにため息をつく。
「だからと言って、別に扇子をもつ女性が好きなわけでもなし。…誰でもいいわけでもないからなあ」
「じゃあ、どなたならいいんですか?」
「ん?」
「…その扇子の姫君、身分も立場も後ろ盾も…何もかもの条件が整っているのに」
「彼女は」
そう、一言だけつぶやき、押黙る。
長めの沈黙の痕、レアルドは扇子を懐にしまい込んだ。
「……言葉にするのは難しいな」
「こ、このハルベルンの一番の権力を持つあなたがどうしてそこで退かれてしまうんです…?」
「……うん」
なんとも嚙み合わない言葉の端はしに、何かをこらえるような、そんな痛みを感じた。
実を言うと、従者たるルイスも他の大衆と同じように、一年前の出来事がどこか曖昧で、記憶がぼやけている。
あの扇子の姫君に関しても、どんな状況で拾い、いつ誰が落とした者なのか。などの記憶はあるが、朧げなまま一年が過ぎてしまった。
…もう、思い出すのも難しい。
(事情、があるのでしょうが…)
これが、レアルドに強く言えない理由の一つでもある。
「そうだ…明日は、一日中休む」
「え?」
「祝福の日、だろう?随分と香水の匂いが漂う日常が続いていたから」
「あ…はあ。ならば私も」
「いや、大丈夫」
「ですが…万が一何かあったら」
「心配いらないよ。…強力な護衛が一緒にいるからね」
「…?わ、わかりました」
誰もいなくなった執務室で、大きく伸びをする。
執務に夢中で気が付かなったのか、玻璃の窓はうっすら水滴が張り付いていた。
(…雨?)
さらさらと窓に当たる雨は、独特のリズムを奏でる。
少しだけ窓を開くと、雲間から月の光が差し込み、濡れた木々や花を優しく映す。
頬杖を突き、しばしその光景を見入っていると、雨のせいか、草花の独特の匂いが鼻孔をかすめた。
「…うん。自然な香りは好きだが、人工的なものは好きじゃない」
思わず深呼吸をし、大きく息を吐いた。
(妃…か。正直、億劫だな)
かつて、自分は一つのことだけに夢中になりすぎて、心が惑い、道を失いかけたことがある。
その枷から外れ、少しずつ自分を取り戻した辺りに、彼女に出会った。
ぱっと開いたエヴァンテイルは、月の光を映し、影を作る。
――氷が飛び散るようなきらめきを放つ、この扇子を拾ったあの日。
青い瞳が振り向いたその瞬間、息が止まるかと思うほど。すっと伸びた身体の線も、たたずまいさえひと時も目が離せぬほど、時が停まったように鮮やかで、美しかった。
その後は、見ているだけで心が満たされ、ともに行動することで、彼女を深く知ることとなる。
知る度に心が近づいていくようで、嬉しかった。
何も望んでいない、答えてほしいと思わない…それは憧れや崇拝に近く、それで心に蓋をした。それでよかったはずの心は、思わぬところでふたが開くこととなる。
あまり長くなる予定はありません.。が、きっちり完結します




