第115話・終話 これが【私】の物語
さーラストです!
「…記憶が、ない?」
「みたいだね」
アードラはそう言うと、長椅子に腰かけた。
「まあ、グランシア公爵や、フォスターチ公爵たちと同じような症状、と言ったところ。…全部じゃない。本当に、砂時計に関係する部分がほとんど抜け落ちている…そんな感じかな」
「…俺も似たようなものだが」
言いながら、ヘルトは苦々しい表情を浮かべた。
「忘れた方がいいこともあるのでは?」
「…ユリウス」
「私の記憶が残っているということは…もしかすれば、それを教訓にせよ、との啓示かも知れません」
「……信仰嫌いのお前にしては、珍しい発言だな」
ユリウスは、小さく息をはく。
「別に、神を否定していたわけではありません。…そう言う人智では及ばぬことがあることは、今回の件で思い知りました。…それで、専属医の見解は?アードラ先生」
「あー…とげがあるね。そりゃあ僕は魔法にも周知しているし、錬金術にも見解が深いし?どうどうとカサンドラの傍にもいられるしね!」
「……」
アードラは、前回の大聖堂の一件で、まさに時の人となった。
【異形の悪魔を退治した英雄!!】
【空から舞い降りた神の使者!!】
…日々、新聞はここ数日で起きた異常と大地震とこのアードラの記事でお祭り状態となっている。
大至急王宮は彼を英雄として爵位を与え、アードラ・ウィザードリィという名を与えたのである。
「レアルド殿下としては…王家での異常を表面にすることなく、うまく生贄を使って収めた、というだけの話だろう」
「拗ねるなんて見苦しいよー?いくら大一番の告白をご主人様が忘れちゃったからと言ってもさあ」
「っ…一度、殴られたいか?」
「いい加減、アードラに絡むのはよせ、ユリウス」
「!…はい」
(ユリウスはどうも鷹が絡むと子供じみるな…)
微笑ましいともいえるやり取りを見ながら、ヘルトは紅茶をすする。
…【第一王子が生きていた】という、瞬く間に広がった噂はいつの間にか立ち消え、人々の記憶から消失していた。同様に砂時計に関する記憶も、グランシア、フォスターチ両公爵、そして…王宮に眠る歴史書からも失われ、アロンダイトが使ったとされる天秤の刻印が付いた剣と杖だけが遺された。
それでも、深くかかわったとされる人物たち、アードラ、ユリウス、ノエル、レアルド、レイヴン、カシル、リンジー…そして、ヴィヴィアンこと、聖女ユイナの記憶だけはなぜかとどまったままだった。
リンジーに至っては、忘れないうちに物語として残して見せるわ!!と意気込みを見せ、近々出版に向けて本を作製中とのことらしい。
「ごほん!そう言えば…フォスターチ領のある西部は、そこまでの人的な被害はありませんが、老朽化もあり、玻璃の生産が一時止まっているようです。」
「東部はフラムベルグがあるからな。ノエルもギルドの網を駆使して北部の方も物資の流通は回復しているらしいし…危機は脱したな」
「早く収まるといいのですが…王宮は、一月後の聖典祭をひと月伸ばし、二月後の復興宣言を目指しているようですね」
そして、その騒動が原因か…5日前にハルベルン全体が前代未聞の大地震が襲った。収まってきてはいるが、余震とみられる頻発している地震のせいで、様々な問題が山積みとなっている。
「時は決して止まらない、か。…それもいいよね」
「……少し、カサンドラ様と話をしてきても?」
「ああ」
ユリウスの背を見送っていると、アードラが興味深そうに尋ねる。
「…いいの?」
「何がだ」
「公認してるのかなーと思って」
「認めてはいるが、許しているわけではない」
「ソレ賛成!…傷心のご主人様に手を出すのは赦せないからねえ」
「……傷心、か」
「僕は見て来たから…わかるよ」
「……」
アードラの言葉の意味を、ヘルトは知らない。
「俺も、少しだけならわかる…かも、知れないな」
「……そうかもね」
カサンドラの中で、【ラヴィ】は消えてしまった。
アードラは、二人の間に何があったのかはわからないが、自分にはない特別な絆のようなものを感じていた。
同志でもあり、友人でもあり、親子のようでもあり…長年連れ添った夫婦のようでもあるような、不思議な関係を羨ましく思っていたのは事実だ。
(でも…いくら僕が覚えているからっていっても、やっぱり切ないよ、ラヴィ)
「…カサンドラ様?今、少しよろしいでしょうか」
「はい、…あ、ユリウス」
うつむきがちだった表情が笑顔に変わり、ユリウスは安堵した。
「そう言えば、持ってきてくれたお花、とても綺麗です。…こんな、大変な時に」
「――ポインセチアは、元気を出して、という花言葉があるそうです。地震があっても、我が邸の庭師は優秀なもので…今度、ぜひいらしてくださいね」
「ふふ、ありがとうございます、落ち着いたら是非」
「…カサンドラ様」
「はい?」
「本当に…」
「?」
「あ、いえ…」
(覚えていない、のだろうな)
あの切羽詰まった状況の中、カサンドラに告げた言葉を思い出すと、今でも少し胸が痛む。
――私は、あなたにその感情を持っていませんから…!
(一度、振られている…ことになるのだろうが)
その真意を確かめる術はもうない。
ここ数日、迫りくる仕事をこなすことで気を紛らわせていたが、いざ対面するとなんとも言えない面持ちになるのである。
「…っあの、カサンドラさ…」
「サンドラ!!」
バン!と豪快に扉があき…やって来たのは。
「ノエル!久しぶりね」
ちら、とノエルはユリウスの姿を確認する。
抜け駆けはさせん、というノエルの意志と、邪魔をするなのユリウスの意志が一瞬交差した。
そのピリッとした空気をぶち壊すかのように、メイドのアリーが意気揚々と茶菓子とティーセットをもってきた。
「あっ…ええと、なんか、すみません??」
「…いや」とふい、と目をそらすユリウス。
「これ貰ってもいい?」そう言って綺麗に積み重なっていたてっぺんのマカロンを奪い去るノエル。
「あ!!それカサンドラ様のお好きなオレンジマカロンですぅう!!!もう!」
「サンドラ…よかった、心配した。はい、あーん」
そう言って更にもう一つマカロンを獲ると、カサンドラの口に押し込んだ。
「ンぐ…あ、美味しい」
「実はこれ持ってきたの俺なんだ。…一部の店はもう営業再開しているからね」
「ノエルの方は大丈夫なの?」
「うん、全然。サンドラの顔見たら一気に元気出た♪」
「また調子のいいこと言って」
一気に和やかな雰囲気の中、執事のトーマスが遠慮がちに扉から顔を出す。
「お嬢様…その」
「?トーマス…どうし うっ」
「君が目を覚めたと聞いて!」
その横からやって来たのは…黒い外套をしているにもかかわらず、尋常じゃないオーラを放つレアルドの姿だった。
「レ、レアルド様…」
「よかった…無事で。あの後急に倒れてしまうものだから…」
この場において最も身分が高いレアルドが前に出れば、残りの者は引かざるを得ない。さっと手を取り、一気に距離を詰める。
「あ、アハハ…ごめんなさい。私、そのあたりの記憶が曖昧で…」
「…記憶が?」
さっと横目でユリウスを見ると、ユリウスはさっと目をそらした。
「そうか。…体調は?」
「そ、それより…大丈夫ですか?お忙しいのでは…」
「大丈夫、ルイスが頑張ってくれているからね」
「あ…はあ」
(そ、それでいいの??)
「少しやせているようだ…目が覚めたばかりだから無理もないが」
「え?!!い、いいえ!その、け、けけんこう、ですから!」
真剣な面持ちでそっとカサンドラの頬に触れる。
その動作があまりに自然で、見るに見かねたノエルが苦言を呈した。
「…ご多忙な殿下がこんなところで何をしているんです…」
「あ…ノエル。ちょうどよかった、君に渡すものがあるんだ」
「え」
あくまでカサンドラの手を離さず、レアルドはノエルに一通の書状を渡した。
「これ…」
「シュヴァルヘルツ…爵位は伯爵だったね。君に、これを返すよ」
「?!伯爵…って」
成り行きを見守っていたユリウスとヘルトが顔を見合わせる。
「マジで…?!これは…父さんの領地だった場所の権利書…それと、爵位復活の」
「言っただろう。約束は守る…君の報酬だ。これを機に、ハルベルン王国全体の貴族の爵位を一度見直そうと思っている。今までは盾と剣、二つの公爵家を頼りきりだったからな…神殿との在り方も、考え直さなければならない」
「…レアルド様」
「あなたのおかげだ、カサンドラ・グランシア。…君は私を信じてくれたから」
もう片方の手をしっかりと握り、両の手にチークキスを贈る。
「え?!あ…あのっ」
「殿下!!そろそろお時間です!!!オラ、ルイスがまってますよ?!」
「さ!執事殿、ご案内を」
つい言葉遣いが荒くなるノエルに、ユリウスも便乗する。
「ルイスなら大丈夫だ!こういうことに慣れっこだからな」
「そう言う問題じゃなくて…」
なんだか騒がしい様子に、カサンドラはつい声をあげて笑ってしまった。
「アハハ…もう、みなさん!私ばっかりに構っている場合じゃないでしょうに」
「全く、その通りだ」
ヘルトが力強く頷く。
「ヘルト兄さまも、ね?」
「俺は手を抜かないからな」
(…たくさん人がいて、私を見てくれている人もいる。・・・でも)
心の奥の奥の方で、なぜかぽっかりと穴が開いているようだった。
心から笑っていても、どこかぎこちないような、そんな感覚。
――ひとりになった後、カサンドラは窓の外をずっと見ていた。
「‥‥雪」
ふわふわと落ちる雪を見て、なんとなく自分の唇に指をあて、なぞる。
「……私、誰と」
「ご主人様」
「っアードラ?!」
シン、と静まり返った部屋に、とてとての猫の足音が聞こえた。
「人型と、猫型、どっちがいい?」
ゆらゆらと尻尾を振りながら、そっと膝の上に乗る。
「何よ、慰めてくれるの?」
ごろごろと喉を鳴らしながら、アードラは膝の上でくつろぐ。
「猫の方が人間より体温が高いんだって」
「みたいね。…別に、平気なのよ。これでも」
「……嘘ばっかり」
「ほんと。いっそ、なくしてしまったほうが…幸せなこともあるんだと思う」
「どうしてそう思うの?」
「思い出そうとすると、苦しくて、泣きそうになるから」
ポタリ、と一筋の涙が頬を伝う。
「……」
「あ」
するりと腕から抜けると、アードラは床に着地した。
そのまま人型になる。…相変わらずの黒ジャケットに、紺色の瞳。見慣れた姿にふっと笑みがこぼれる。
「やっぱ、黒い方がらしい感じね?」
「こっちの方が魅力的でしょ?それに…よしよし、できるしね」
「何よ、もう…」
ぐっと頭を胸元に引き寄せる。
(あれ…?ドクンドクンて…)
思わず顔をあげると、アードラはにっと笑った。
「女神様がご褒美にって。人間にしてくれた」
「人間…に、って」
「人としての機能…心臓とか、内臓とか?よくわからないけど、何もなかった体の内側がとても騒がしくて、ちょっと戸惑ってるよ」
「騒がしいって…」
つい、べたべたと身体のいたるところを弄ってしまう。
「ほんとだ…!暖かい」
「え?…っう 」
すると、妙に色気のある声がアードラから漏れてくる。
「ちょ、ちょっと!ご主人様ぁー」
「だって、なんか不思議で…」
「だから…人としてってことは、そっちの機能も感じやすいわけで…」
「え?」
「…おいたをすると、襲っちゃうよ?」
ちゅっと額に口づけされて、思い切りのけ反る。
「!!!ご、ごごめん…」
「ね。元気…でた?」
「あ…」
「僕は…あらためて、君に感謝しなければならない」
静かで、ゆっくりとした口調。
それに、優し気にほほ笑みながらも凛としたたたずまいが、どこか懐かしく思える。
「ありがとう、君の物語の中に…僕を連れてきてくれて」
「……うん」
(私の…物語)
これから先、何が起こるかわからない。
突然世界が崩壊してしまうこともあるかもしれないし、ないかもしれないし。
でも、それは…誰にも分らないからこそ、【未来】と呼べるんだろう。
遠くで鐘の音が聞こえる。
それは、新しい未来への予感を象徴するような明るい音だった。
――本編終了。
やり直しの再編のつもりが、違う話に。本当は使い魔エンドにしようと思ったのに…難しい。




