第111話 選ばれた者
「私は…!」
金色の砂が舞い上がり、空間が静かに震えた。
彼の目の前には、横たわるカサンドラの身体――魂の抜けた器が、静かに横たわっていた。思わず手を伸ばすと、自分ではない別の声が重なる。
「!!」
…それは、ヘルトだった。
「カサンドラ!!!」
自分の身体をすり抜けるように、ヘルトが駆け寄る。
横たわるカサンドラの身体には宝剣が突き刺さり、どくどくと流れる赤いものはとても痛々しく、思わず目をそらした。
(これは…過去の、記憶?ヘルト殿の……一体何が)
「彼女を取り戻したいですか?」
「…お前は、錬金術師…」
「ヘルト・グランシア…あなたはこの世界で多くの者を失った…。父に、母に、兄妹に。…そして更には、愛する彼女さえ」
「黙れ…!」
「死は決まっている、生きるすべての物の定め。そして、その宿命から逃れることなどできやしない。この滅びゆく世界のように」
「黙れ!!」
見れば、そこには倒壊した時計塔に、瓦礫だらけの残骸があちらこちらに転がっている。まさに、世界の滅亡という言葉に相応しい場所だった。
(本当に…この結末が起こることが決められてるのか…?!)
「ですが…全てを取り戻す方法がありますよ」
錬金術師はそう言ってにやりと笑った。
そして、銀色の砂時計を差し出した。
「これの天地を返せばいいのです」
「…なんだと…?!」
「そうすれば、全てが元通りに…彼女も生き返り、あなたはもう一度やり直すことができる。心残りがたくさんあるでしょう?亀裂が入った関係も、彼女を救うことも…全てパぁ!と……もとどおり」
「お前の戯言など…」
「そうだ、今度はカサンドラ・グランシアとの関係をあなたが望む通りに構築することだってできるんです!…知りたかったんでしょう?彼女の心を。奪いたいのでしょう?…何もかも」
「……っ」
「奴の戯言を聞くな!!ヘルト殿!」
こちらの声は届かないとわかっていても、ユリウスは言わずにいられない。
だが、自分が同じ立場になったらどれを選択できるのか。
真実を知った今、砂時計を返すことが正しいことなのか。
(同じ状況だとしたら、私は…)
ぎゅっと目をつぶった時、ふと、背中に何か暖かいものを感じた。
「全く、しょうがないね。…お前の悪い癖だ」
「?!」
それはとても懐かしく、優しい声だった。
「僕も大概だが、物分かりが良すぎるのかな、リウは」
「…あなたは」
「もっと、やりたいことや言いたいことを押し殺さず、直接伝えればいいものを」
思わず口元に笑みが浮かぶ。
(言いたいことや聞きたいこと…)
「あなたはどうですか?…リオン」
「…僕は、少し後悔している。きちんとした言葉に出さないと、肝心なことは伝わらないだろう?自分がどうしたいのか、相手に何をしたいのか。自分の中で抱えているだけじゃ、一生誰にも分からない。…墓場まで持っていくのなら別だけど、ね」
「……」
「たとえそれで傷ついても、何もしないよりずっと幸せなことだ。次に向けて新たな改善点を見つける材料が生まれるのだから」
夢かもしれない。だが。
「…私は、リオン兄さまのように強くありません」
「そんなことはないだろう」
「いいえ。不安ばかりです。…いつも迷っている」
これでいいのか、とそればかり考えてしまう。
「僕は一人じゃなかったから。リウ、お前もだろう?」
「……」
「僕のレディーは、希望そのものだったよ。だから、負けるな、ユリウス」
「希望…」
「大事なのは…自分よりも、お前の大事なものがどう思うか、さ」
そう言えば、リオンは晩年誰か特別な人と手紙のやり取りがあったことを思い出す。…それが、誰だったのか、結局わからずじまいではあったが。
(自分の想いよりも…何が、大事か)
次の瞬間、トン、と誰かが肩をたたいた。
「はあ…しょうがないな、嫌な予感がしてきてみれば」
「!!」
先ほどの口調とは打って変わった明るい声に、思わず振り向く。
すると、闇が融け、光が戻った。そして、一番最初に目に入ったのは…深く青いディープブルーの瞳。
「おーい、起きてる?ユリウス・フォスターチ!」
「…アードラ…?」
アードラは、にっと笑うと、ユリウスの外套についた灰を払った。払われた灰に息を吹きかけると、それは跡形もなく消えた。
「化け物の残骸、かな?大丈夫?なんか、ひどい顔しているよ?」
「ここは…」
見れば、そこは変わらない黒曜の間だった。
「何を見た?」
「!ヘルト殿…」
じっと見つめる瞳に、ユリウスは軽く頷いた。
「夢を…いいえ。…父上たちは一体どうして」
「…時間が歪んでいる」
「え?」
見れば、ロッシとゲオルギウスはすっかり気を失っている。やがて、金色の光に包まれ、消えていった。
「出よう。早く!」
アードラが声をかけると、二人はそれぞれの父親を担いで走りだした。
扉を閉めた途端、ぐにゃりと空間が歪む。
「これは…?!」
「あの部屋は、もともとハルベルンには存在しない場所…砂時計をひっくり返す奴をおびき出させる、ファルケンの罠みたいなものかもしれません」
「…!まさか…」
「何でそんなことをユリウスが?」
「…私は、あの部屋にいて影と名乗る錬金術と対峙していました。奴が言うには、おぼろげな記憶を持つ回帰者達にこの部屋を強く印象つかせここに来るように仕向けていた、とそう言っていた」
「…なるほど」
ヘルトは苦し気に息を吐く。
「まさか…俺は、なぜかあの部屋に行けば何かがわかる、とそう確信していたのは」
「あなたが気にすることではありません…それより、女神の砂時計は今、誰が持っているのでしょう」
「それなら、当てがある」
「あて…って」
「ほら、来た」
アードラがそう言うと同時に、黒曜の間のあった扉から、徐々に空間が周囲に侵食し始めた。
「世界は絶対に滅亡する運命、なんだろ?どんな形であれ、ね!!」
言いながら鷹の姿で飛び立つと、アードラは二人は先導するように飛んでいく。
「アードラ!!」
「安心しなよ、二人とも!」
「あ、安心できる要素があるのか?!!」
「ほーら!走って走って~」
たまらずヘルトが叫ぶが、アードラは構わず叱咤激励ながら飛んでいく。
「さあ!ついたよ!」
バタン、と扉が開かれると…そこは、王宮内にある女神アロンダイトの拝殿だった。そして、そこに傅く聖女・ユイナの姿。
2人が息を整えながら見ていると、傍らには神官服を着た者達がずらりと並んでいた。
「女神アロンダイト様…どうか、私の願いを‥‥!」
同時に、どこからか鐘の音が鳴り響く。
「これは…」
『ギャアああああ!!!』
「?!」
断末魔のような叫び声がしたと同時に、拝殿内のありとあらゆる影が吸い寄せられるように集まると、宙に収束していく。
「影…」
「うわああ!!」
神官たちは怯え、逃げるそぶりを見せる者もいた。
ステンドグラスから光が注ぎこみ、ユイナがゆらりと立ち上がる。そして、そのままゆっくりと振り返った。
その瞳は金色に輝いている。
「め、女神様…?!」
すっと影の塊に向かって手を差し伸べると、そこから一筋の光がユイナに向かって伸びる。
『やめろ…!それを奪われては!!』
光はやがてユイナの手元に届くと、一丈の杖となった。
それは、多くの文献や書物で女神の神話の中で必ず描かれるもの。剣と同様に、女神アロンダイトはその手に杖を持っていたという。
しかし…ある時から、その杖は描かれなくなっていた。
「――返してもらいます」
それをさっと振りかざすと、影の塊から半分焼けただれた人間らしく物体がボトリと落ちてきた。
「あれは…」
「ファルケン?!」
ひゅうひゅうと息を漏らした塊はゆらりと立ち上がる。
『返せ…つえ よこ せ』
「ああ…よかった。まだ生きていた」
ばさり、と鷹の姿のアードラが飛び立つと、ファルケンの元に人の姿で降り立つ。
やがて腰を低くし、しゃがみ込むとにやりと笑った。
「さっきはユリウスに譲ったけれど…僕はお前を殺したくて、滅したくてしょうがない」
『り …お』
そして、笑顔でそっと呟く。
「これは、僕の意志かなあ?ふふ…それとも、もう一人の私の意志、かな」
言い終えるより前に、アードラは手元から取り出した突剣をファルケンの脳天に突き刺した―――
その様子を、まるで時が停まったかのようにユリウスは見届けた。
「リオン…兄さま」
その名を呟くと同時に、アードラと目が合う。
彼はどこか得意げに笑って見せた。そのままくるりと身をひるがえすと、ユイナに向かい、跪き胸に手を合わせて一礼する。
「そう言えば…一番得意な武器は、レイピアでしたね…」
「…ありがとう。あなたの勇気に敬意を…そして」
ユイナはそう言うと、アードラの頭をそっと撫でる。
「!…あ」
「これはお礼です。…さあ、最後の仕事をお願いします」
「はい…!」
大衆が茫然と見守る中、アードラはユリウスの手を取る。
「?!」
「ご主人様が呼んでる。…一緒に行く?」
「…アードラ」
「今回砂時計が欲しがっているのは…君だからね」
「!」
「ユリウス」
「…ヘルト殿」
傍らにいたヘルトは、一度瞳を閉じ、きっと前を向く。
「お前は、俺と同じ過ちをするなよ」
「はい」
「…行け」
「託されました」
力強く頷くと、ユリウス様!とユイナが叫んだ。
「カサンドラをお願いね!!あの子も…私の中と同じだから…!!」
「中と…?」
「行けば、わかるよ」
ぐっとアードラがユリウスの手を引く。…そして、二人の姿は忽然と消えた。
その残像を見送りながら、ヘルトは上を向く。
「…外はどうなってる?」
ぼうっとしていたレイヴンに声をかけると、我に返ったように一礼した。
「はい!…未だ、眠ったままの人も数多く…正気に戻っても動けるものは少数です。街の方も同様で、事態を心配する民衆たちが神殿に集まってきています」
「わかった」
ちらりとユイナの方を見ると、頷いた。
「私、この世界のことを全部知っているわけじゃないけれど…女神様は私に託宣をくださいました」
「託宣?」
「世界の滅亡は止められない。…砂時計が壊れるその時まで」
「……」
「でも…まだ、迷っている。今世では、その答えをみつけることができそうだから、と」
「…わかった。俺たちにできることは」
ヘルトが問うと、ユイナはすっと胸元にAを切る。
「祈りなさい、信じなさい…我が前に」




