第107話 女神の砂時計
南の廃村、廃聖堂
周囲は闇に包まれ、様々な気配を感じる。
明かりは勿論、人間が出す機械音や、生活音などが一切しないこの廃村は、この場所だけ空間が切り離されたように静かだった。
相当年数誰も足を踏み入れていない廃棄された聖堂は、その瞬間だけ目を開けてられぬほどの閃光に包まれた。
「カサンドラ!!!」
咄嗟に叫んだ声なは届かぬまま、伸ばした手は空を切り、カサンドラの姿は突如跡形もなく消えてしまった。ノエルは今だ瞬くような小さな光に包まれた宝剣を見るなり、ため息をついた。
「なんだって…こんな」
「……どこかに、移動した とか?」
聖堂内に佇む女神像に目を向ける。
(白布をしていない…?)
「これは…旧時代の、女神像」
「…白布で目を覆っていない女神像は、噂には聞いていたけど…初めて見た」
ノエルが感嘆の声をあげると、レアルドは眩しそうにひとみを細めた。
「ああ…ここにも」
咄嗟にAの字を切ち、その場に膝をつく。
「目に見えるものばかり信じず、心で見よ…か」
「…白布で目を覆うのは、神秘性を増すために女神にわざと布を被せた…と聞いてましたが」
「それは、少し違う…だが、人間とは、随分勝手なものだから…どんなに信じていようと、都合のいいように事実を捻じ曲げる」
「随分、淡々と仰る。それを遂行したのは、王家の皆さまでしょう」
皮肉じみた言葉だが、レアルドは否定することもなくただ静かに呟いた。
「君の言う通りだ。女神もさぞ失望したことだろう」
「…!」
(てっきり、もっと怒るとか否定するとかするのかと思った)
「恐らく、彼女は無事だろう」
「その根拠は?」
厳しいノエルの視線を流し、剣を空に抜き放つ。
「この剣は、王家の権威の象徴だが、本質は迷うものを正しく導くと言われている。サンドラは、何か女神のとかかわりがあるのかもしれないね」
「そんなのんきな…」
「言っただろう?女神の教えは…目に見えぬものだけを信じるな、さ」
「……!」
ここにきて、ノエルはレアルドという人間性に初めて触れた気がした。
「あー全く、かないませんね…それより」
「ああ」
レアルドがそう言って目を向けた先には、がっちりと蝶番で閉ざされ、鮮やかな色彩が塗られた木製の扉だった。
建物の内部で日に当たらない場所にあったため、その模様の形状を確認することができる。
「地下に向かう通路、ですか。…これはエイリアス王家の紋章のようですが」
「微かな魔力を感じる」
双頭の鷹をモチーフにしたルベリアムの紋章に対し、エイリアスの紋章はアロダイトの【A】が、二つ上下に重なったような模様となっている。
若干薄れてはいるが、何かの塗料で塗られたような跡はいまでも確認できる。
「君には、この扉を開く権利があるだろう、ノエル」
「…え」
一瞬、言葉に詰まるが、ノエルは肩をすくめた。
「まあ、ご存じですよね。オレの出自についてはもう調査済みだったようですし」
「ああ。…ノエル・シュヴァルヘルツ。君も、エイリアス王家に連なる者の家門の一つ…シュヴァルヘルツ家は、エイリアスの諜報部の中核となる家柄だろう?」
「オレが受け継いだのはその基盤と情報の網そのもの。血の清算では、それが役に立ったようです。…その代償として、両親は二度と帰ってくることはありませんでしたが」
「……恨んではいないのか?」
「誰を?」
「……」
ノエルは振り返らずに、持っていた携帯用のオイルを扉に振りかけた。
「…これで良し」
「燃やすのか?」
「簡単なギミックです。油性の塗料で塗られ、年月が経ってもろくなった蝶番なんて、発火性の高いオイルですぐに燃え尽きるでしょう」
「炎は私に任せてほしい…下がって」
「え?」
レアルドが軽く手をかざすと、炎は一気に燃え上がり、木製の扉は歪んだ。同時に、何か見えない作用が働いたのか、扉はあっという間に焼失した。
「…何か、魔法的な作用??か」
「どうやら簡易的な結界の役割をしていたようだね。…進んでみるか。何となくだけど…カサンドラが招かれた先と関係があるような気がする」
「招かれた…?」
「私の予想だけど。…この剣は、王家の墓に入る際に必要な鍵でもある」
「王家の…墓?」
「アローヴァ。私の勘は当たるんだ」
「…!」
「彼女も、きっとこの奥にいる」
(そう言えば…レアルド殿下は、この国でも女神に仕える最高位の神官の一人だったな)
ノエルが階段を降りていくと、更に長い回廊のようなものが伸びており、先を歩くレアルドの姿が目視で確認できた。
「思ったより暗くはないようで」
「…女神アロンダイトは、地上に降り立ち、我が王家の先祖と契りを結んだ後、この地で永遠の眠りについたという。ノエル、君は女神の墓が何処にあるか、知っているか?」
「……?その、アローヴァにあるのでは…」
その問いに答えず、レアルドは足を止める。
…その先は行き止まりだった。
「行き止まりですね。戻って…」
「いや、大丈夫だ」
そう言って鞘のままの宝剣から刀身を抜くと、そのまま壁ごと断ち切った。
「?!!」
「言っただろう。微かな魔力がある、と」
「…これも、結界の一つ、ですか?!」
「恐らく…ほら」
ふわりと風が吹くと、先ほどの静寂が嘘のように鮮やかな音が溢れ出す。
瞬きをした途端、ノエルの視界は一変した。
「これは…」
風の音、鳥のさえずり、草花が揺れる音。
黄金色が混じった光が空を覆い、その空はどこまでも続いている。
光に包まれたその空間は、静謐としており、息をのむほど美しく、言葉を失った。
「やはり、君も歓迎されているようだ」
「…歓迎って…」
知らずうちに、ノエルの瞳に一筋の涙が落ちる。
(なるほど…体を流れる血か)
「私が知っている場所ではないけれど、この景色はアローヴァに違いない。この地は、資格ある者しか足を踏み入れることができないんだ」
その先にあるのは、王都でよく見る女神神殿と同じような造りの円筒状の聖堂だった。中央には『アロンダイト』の【A】の刻印と共に、ハルベルンの国章である一本の剣で象られた天秤の紋章、それにどこか不思議な表情でこちらを見つめる月桂樹の冠を被った女神の姿。
そして左右に鷲と獅子が向かいあって跪いている。
「もしかして…ここって」
「どうやら…ここが女神の墓と言われている場所のようだ」
レアルドは慎重に様子を見て、一切躊躇わず扉の取っ手に手をかける。
ゴゴゴ…という地響きのような音が辺りに響き渡ると、扉は人ひとりやっと通れるようなすきまが開いた。
「…あいたな」
「開きましたねえ…」
思わず二人は顔を見合わせるが、幾重にも設置された扉は、二人を迎えるように次々と開いていく。
中は外側からは想像もつかない程も綺麗なままで、足元に続く深紅の絨毯も美しかった。
そして最後の扉が開かれると、その先の光景に二人は眼を疑った。
そこは、王都にあるような聖殿とは異なり、祀られているのは、女神象でもなく、祭壇でもない。
がらんとした円形のホールの中心にあるのは、高さ3メートルほどはありそうな巨大な砂時計だった。
「砂時計…?」初めて見るものに、ノエルが呆然と呟く。
静寂に包まれた場所で、輝く銀色の砂の落ちる音だけがさらさらと聞こえてくる。その音は、誰かのすすり泣きにも聞こえた
「…俺の目は、不思議な者の声を映すわけですが。…ここには、無数の顔と声が聞こえる」
「無数の…声と、顔」
(彼が見ているのは、また違う世界なんだな)
「この砂時計…中の砂は一体どういうものなんでしょう。俺はそこまで魔力を感じたりできるわけでもないが…亡霊の力も重なって凄まじい力を感じる」
サラサラと流れる砂時計の砂は、繊細な銀色の粉末で、周りの光をすべてそこに集めたようにきらきらと光を放っているようだった。
その中にはところどころにほんのりと赤い光も混じっているように見える。
「銀色の砂に、赤い砂……もしかしたら、これは骨、かもしれない」
レアルドの言葉を聞き、ノエルは顔をしかめた。
「…まさか」
「本当かどうかはわからないが、古い文献で呼んだことがある。ここが本当に女神の墓であるなら、この砂時計の中にあるのは、亡くなった女神の骨を砕いた物かもしれない」
「砕いた、骨?!」
「ただ…量が。それに、ノエル、君が見たものがそうだとしたら…」
ノエルは自分の見えるものと、レアルドの言葉を聞き、衝撃の事実に戦慄した。
同時に、足元からゾッとするほどの悪寒を感じた。
「…王位を継ぐとき、先代の王から託される三つの至宝がある。この剣と、今は失われた錫杖、そして女神の骨を細かくした砂の入った…女神の砂時計、だ」
「…エイリアス家には、近しい人が亡くなった時、その骨を砕いて粉末にして持ち歩くと言われていますが…」
「ああ、そしてその砂時計の中身が…」
「アロンダイトの…」
言葉を失っていると、どうやらとなりに並んだレアルドも同じような考えを持っているらしく、眉間深いしわが刻まれていた。
「アロンダイトと言えど…まさか、死後自身の骨がこうして残っているなど、思いもよらなかったでしょうね」
「こういう事実を目の当たりにすると…我々人間の傲慢さがよくわかる」
古今東西、宗教というのは、どの世界でもある程度時代の大いなる流れの元に、政治的に利用されるのが常である。とはいえ、一度は神とも呼ばれた存在が、どうしてこうも歪められてしまうのだろうか。
見れば、上から落ちる砂は残り僅かのように見える。
(…一体どのくらいの人間の骨があそこにあるんだ?!)
小さい時計であれば、分単位でわかるかもしれないが、これだけ大きいとどれほどの時間がかかるのか想像もできない。
「…ダメだ、ここにいると頭が痛くなる。出ませんか?…カサンドラを探さないと」ノエルが思わず根をあげるが、レアルドは今だ何かを考え込むような表情をしている。
「ああ…だが」
「何か気になることでも?」
「君は気にならないのか?」
「……」
レアルドの言葉を、ノエルは否定することはできなかった。




