第105話 赤のお茶会への招待状② 聖女という化け物
本で読んだことがある。
人間というのは、お母様がいて、お父様がいて…ふたりが愛し合って産まれた生命なのだという。でも、私にそんなものはいない。
だから、きっと化け物なのだと…そう思っていた。
(このまま、どこか遠くに行ってしまえば)
そんなことをふと思うが、それがどれだけ難解で不可能であるかをヴィヴィアンは知っている。
ひゅう、と風が吹くと、風に乗って複数の人間の気配を感じた。
「…?」
この場所は、普通じゃない。
自分と、自分と同じ存在達以外に誰かが来るなんて…まず、ありえない。
出ていく者達はあっても、ここに来る者は誰もいないはず。
―――でも、今日は少し違うみたい。
恐る恐る声の聞こえる方に行くと、ずっと向こうの方から黒い服を着た集団が複数こちらに向かっているのが見えた。
(人間だ…!)
思わず物陰に隠れて様子を窺うと、自分より年上だろうか?複数の大人に囲まれた一人の少年を見つけた。大人の中に混じっていても遜色ないくらい少年はしゃんとしていて、思わずじっと見つめてしまう。
白いふわふわの髪が風になびくと、夕焼け色の光が透けてキラキラして、とても綺麗だった。なんだか、以前お勉強した図鑑で見た生物を思い出す。
「…あの子、ウサギみたい」
すると、少年が何かに気が付いたようにこちらを向いた。
「!」
「…?」
こ、こっちを見た。
どうすればいいのかわからず、そのままくるりと背を向けて走り出した。
(どうしよう…!!見つかったら、きっと)
見つかったら…どうなるのだろう?
ふと、そんなことを考えると、自然と足が止まってしまった。
「待って!!」
「!!」
突然力強い力に引っ張られると、勢い余って二人してその場で転んでしまう。
「あ…!ご、ごめん」
「い、痛い」
「!!!大変だ!!ケガさせちゃった?!」
真っ白いウサギは顔を真っ赤にしてる。その姿をなんとなくぼうっと見つめた。
金色の瞳は、この空と同じ色。
(近くで見ると、きれい…)
「大丈夫?」
「え?…あ、痛っ…」
言われてみれば、膝から少し血がにじみ出ている。
「これくらい、平気」
「でも、血が…」
「だいじょうぶだから…」
「だめ、じっとして」
「え?」
彼はそう言うと、懐から白いハンカチを取り出し、ヴィヴィアンの膝に巻き付ける。
ヴィヴィアンははっと我に返ると、立ち上がった。
「も、もう行かなきゃ」
「え?でも」
伸ばした手を振りほどくと、そのまま走り出した。
「あ…待って!ぼ、僕はヒューベルト!君は?!」
「‥‥ヴィヴィアン!」
どうしたらいいかわからず、咄嗟にあの名前を叫んでしまった。…ただのコードネームなのに。
それを聞いて、ヒューベルトが微笑んだ。
「ヴィヴィアン!僕、明日も来るから!!その時たくさん話そう!!」
「…明日?」
明日。自分に明日は来るのだろうか?
何時壊れるかも分からない、不完全な存在。それが自分ではなかったか。
「私は…何?」
ヒューベルトが大きく手を振って叫んでいるのが見える。
彼には明日が来るのはきっと当然の事だろう。でも、自分は。
「……わかんない」
そのままぽつりと呟くと、一度も振り返らずに走り去ってしまった。
その後ろ姿が見えなくなるまで、ヒューベルトはずっとずっと手を振り続けていたことに、気づいてしまったから。
「…ヒューベルト…」
きっと、多分もう会えない。
でも、もしかしたら…もう一度、彼のところに行けば、何か変わるかな?
たたらを踏み、振り返ろうかどうしようか迷う。しかし、それはかなわなかった。
「見つけたわ!!」
「!」
思わずびくりと肩を震わせる。向こうからやってきたのは、白い服を着た老婆だった。その姿を見た瞬間、ヴィヴィアンは自分の膝にまかれたハンカチを取り、服の中にさっと忍ばせた。
「なんてこと!勝手に外に出るなんて…!」
ぐい、と引っ張られた腕は容赦なく、とても痛い。
ポケットに入れたハンカチにどうやら気が付いていないようだ。ほっと胸をなでおろすと、一度ヒューベルトのいた方に振り返る。彼の姿も、もう見えない。
「いい子にしなさい。そろそろお前も行き先が決まるころだから」
「……行先?」
「そうよ、それがお前達―――女神の《《落胤》》の宿命なのだから」
「らく…いん…」
その言葉を聞いた瞬間、どきりとした。
意味は分からないが、何かとても恐ろしいような、おぞましいような嫌悪感を抱く。
(何か…とても良くない言葉)
「早く戻りなさい!公爵様が戻られるわ」
「……はい」
公爵様、というのは、以前自分に名前を付けたあの人だろう。
自分を造り上げた人であり、自分の絶対的支配者…そう、教えられてきた。
(絶対的支配者…でも、本当にそう?)
一度思うと、あとからあとから色々な疑問が浮かんでくる。…どうして、今まで気が付かなかったのだろう?
「…私」
ちらりと、老婆の顔を見る。
息は荒く、ギラギラと光る眼はまるで化け物のよう。でも、この人を取り巻く黒い影は何?
じっと目を凝らし、ヴィヴィアンは唐突に理解する。
「あ、そうか…もう直、あなたは死ぬんだ」
「…えっ?」
ふふ、と笑みがこぼれる。
命あるものは、いつか死ぬ。繰り返し、生まれては老いを迎えて、ゆっくりと時間を浪費して…それが、皆に等しく与えられた魂の宿命なのだと。
この朽ちかけた楽園にいる者も、公爵も、いずれ全員等しく女神…ううん、大いなる意志の元に死を迎える。そうなれば…私は自由になる。
自由になって、私は自分を全うするために産まれてきたんだ。
(自由になれたら…そうね、また、彼に逢いたいな。)
それまで、私のことを忘れないで。
「…待ってて」
いつかまた、会える。
会えなくても…きっと何度でも何度でも、魂が繰り返す。
私は、私のために生きているのだから。
…予言通り、半年もたたないうちに老婆は息絶え、ヴィヴィアンは仲間を引き連れてその朽ちた楽園を脱出することに成功した。
子供たちは散り散りに、それぞれの行く先が不透明なままだったが、ヴィヴィアンだけは、脱出した先にあった小さな村に受け入れられることに成功する。
そこで、【聖女】が誕生したのだ。
「すごい…!あの子の言う通りにしたら、病気がちだった妻が治った!」
(そんなもの…薬草を煎じれば治るじゃない)
「きっと女神様の声を聴く聖女様が…私達の村に舞い降りたんだわ!」
(天気を読めるのは、風の流れを見ればわかるし)
いつの間にか周囲は盛り上がり、その噂は王宮まで届くこととなる。
そして…ヒューベルトと再会を果たす。
「私のこと、覚えてる?」
「…そのハンカチ!やっぱり君だね、ヴィヴィアン!」
「嬉しい…ヒューベルト!」
夢にまで見た自由と称賛。
この国において、王家の人間にとって聖女という役職の女性は第一王子にとって【縁】を結ぶほどまでに魅力的だった。
しかし…ほどなくして、例の弓の誤射事故が起きる。
――結果的に、聖女は偽物だと認定されてしまう。そして、その偽物を輩出したその村もまた、原因不明の火事が起き一夜にして焼失してしまう。
そして…自然の摂理とは異なる経緯で生まれた化け物・ヴィヴィアンもまた、その火事で命を落としてしまった。
こうして、偽の聖女を認定してしまった王家は、第一王子の存在とこの一連の出来事を共に葬り去ってしまったのである。
それが、二度目の死。
けれど…その死の間際、かつて絶対的支配者だった、公爵と再会してしまった。
「君は数奇な運命から生まれた最高傑作の一つだったのですが…」
遠ざかる意識を必死に引き戻し、声の方に集中する。
「けっ…さ く、ごほっ」
「ふむ、斬られたのは右腕、首は無事。内臓は綺麗なまま…肺は使い物にならなさそうだ。だが、骨は使えるな」
骨?肺?…何を言っているのかわからないが、逃げなければと思うと同時に、一縷の希望を感じてしまった。
「もう一度、彼に会いたいとは思わないか?」
「……会いたい」
「ならば、私の叡智を持って…その身を蘇らせてやろう」
「なにを すれ ば?」
伯爵は笑った。
「お前が望み焦がれた、聖女という存在にしてやろう」
「……」
「骨を使って、ない部分を足して…ふふ、他の部位にも、魂の残滓があるかもしれないが、そこまで執念があるなら大丈夫だろう」
「身体…?」
「ただ…あの身体は実験段階だからなあ…他の残滓と競合するかもしれない」
「いいから はや く!」
「お前ひとりではなく、何人もその身体に入っているということだ」
いい、彼に会えればそれでいい。
「欲しければ、内側で戦って、自分で奪い取れ」
…これが、悪魔のような公爵との契約の始まり。
(ヒューが好き。彼がいい…愛されたい、一番になりたい、みんなに称賛されたい、お母さんに会いたい)
昔聞いた。
この身体の中に何人いるの?って。
そこには…たくさんいた。一人、また一人と対話をして、どんどん私が私になっていく。
(そうだ、私は私。…あれ?でも)
私って誰だっけ?
あ、そうだ。ヴィヴィアン・ブラウナーだ。
私が主人公で、ヒロインで、聖女で?
つぎはぎの残滓は塊になり、身体は出来上がり、記憶を入れる入れ物に変わった。それが、ホムンクルスと呼ばれるなんて、知らなかった。
【聖女】と呼ばれる魂を伯爵が何処からか見つけてきて、私はユイナという少女になった。
そして、今。
「ちょっと…!ここから無用な立ち入りは!」
ざわざわと入り口の方が騒がしい。
「‥‥?」
ざわ、と風が凪ぐ。
空から一羽の鳥が舞い降り、突如黒い髪の青年が姿を現した。
「…あなたは。まあ、自分から私の元に来てくれるなんて」
「代理だよ、代理」
「代理?…もしかして、彼女の」
「ああ。でも、僕は付き添い。用があるのは…」
「ヴィヴィアン!!」
「!あなたは…」
ヴィヴィアンは大きく目を見開く。
やって来たのは、バルク・ベルヴォンだった。




