第104話 赤いお茶会の招待状
その日は、カシルにとっては厄日だったのかもしれない。
いつもなら絶対に行かない女神神殿の「祝福の日」。別に女神信仰を否定するつもりはないが、本日だけは『父の代理』という名目でこの場にやって来た。
フラムベルグ家の特に父は、自身が商売人ということもあって『商売繁盛』や『縁起』というのを担ぎがち。
先日自身が起こした騒動の顛末があのような残念な結果となり、カシル自身が変わらねばと普段と違う行動を起こしてみた結果がこれである。
「な、なななんでっ 空から え?!」
「チッ…お前か、カシル・フラムベルグ」
「んな?!」
橙色の長めの前髪を鬱陶しそうにかきあげながら、こちらに向ける視線は冷たく、舌打ちまでされる始末である。
(クソ…今舌打ちしたな?!相変わらず背もでかいし、身体もがっちりしてるし、整った顔もしてるし!!)
そして、同様に涼し気な表情で華麗にやって来たのは、ばっさり振られた女性の兄であり、気まずいことこの上ない。
別に避けているわけではないにしても、一度完膚なきまでに敗北を喫した相手達とまたこうして遭遇してしまうのは、まだ完全に癒えていない自尊心の傷がしくしくと痛む。
「か、カサンドラ様がいないのが唯一の救いか…」
ぶつぶつと言うカシルなど気にする風もなく、ヘルトはぐるりとあたりを見渡す。
「ここは…王宮裏の森か、どういう状況だ?」
「え?!えっと…」
「あーーもーつかーれたー」
「?!」
すると今度は一羽の鷹が空から落下してきた。
「うわ?!」
「ん?あれ、サンドラに振られたひよこ坊ちゃんだ」
「鳥がしゃべ?!っていうか、ひよこって!!」
「やれやれ、ヘルトにユリウス。君たちは本当に僕使いが荒いね…」
そしてこちらも二人に負けるとも劣らない、絵本の中から出てきそうな黒い髪の青年がやって来た。
全員カシルより背が高く、近くにいたバルクを見てなんだか安心してしまった。
「…お前見てると、なんか安心するよ…」
「何がだよっ!!」
「バルク・ベルヴォン…だな」
「!レイヴン・クロム」
「先日は申し訳なかった」
そう言って、レイヴンはバルクの前にやって来て頭を下げた。
思い返せば、バルクはあまりいい遭遇の仕方とは言えないが、直接的に関わったことがある。
「いや、別に…今のこの国の現状を見ていたら、異常なことの一つや二つあってもおかしくないさ。それで…何でそこの背の高い連中は空からネズミになって空から落ちてくるんだ?」
ユリウスとヘルトは顔を見合わせ、頷き合う。
「…一度、それぞれの情報を整理しましょうか?」
「ああ、なんかやばい奴らがずっとうろうろしているし…でも、どこに行けば」
「いや…もしかしたら、もっと簡単な方法があるかもしれない」
ヘルトはそう言うと、懐から赤い封筒を出して見せる。
「それは…何でヘルトが持ってるんだ?!」
「鷹…お前は知っているのか?」
「それは…ヴィヴィアン・ブラウナ―がカサンドラに寄越した手紙だろう?」
「!ヴィヴィアンだって?」
「……この手紙、招待状だ。今日の日付で、茶会の開始はあと30分後。場所もここから直ぐだ」
「でも!…まだ周りにはうろうろしている連中が…」
今もすぐ近くにいるようで、カシルは思わずしゃがみ込む。
「いや…多分、大丈夫かもしれない」
「え?レイヴン…?」
「そ、そうよ。さっきの状況、覚えてるでしょ?私たちは、あそこで【あの話】をしたわよね。そしたら、みんな目の色を変えてこちらを見てきた。それまでは普通だったじゃない?…だから、一種の洗脳?とか、催眠だと思うんだけど」と、レイヴンの陰に隠れつつ、リンジーは意見を述べる。
「洗脳って…」
「そちらのお二人は、君と違って冷静ですね」
「…いちいち、腹立つ言い方をするな~」
「【あの話】と、言うのは…フラムベルグ令嬢?」
ユリウスの言葉を受けて、リンジーは小さい声で答える。
「第一王子のお話し、です!」
「その回答で十分です。ここにいる全員の共通認識として…その話には否定的、ということになりますね。ヘルト殿、その招待状見せて頂いても?」
「ああ」
「この場所は…女神神殿内の外苑にある庭ですね。では、行きましょうか」
「…罠かもしれない、けど?」
「アードラの心配も分かるが…今いるメンバーを見てみろ」
そう、促されて改めてメンバーを見る。
「騎士三人に、勇気あるお嬢様と、ひよこ君とデザイナー君…」
アードラが言うと、ひよことデザイナーは何かを反論しようとはしたもの、ぐっと飲み込んだ。
「…リンジーとカシルは俺にお任せください!ユリウス様!」
「君は…」
「その…俺はレイヴン・クロムと言います…!その、俺、ユリウス様を尊敬してます!!!」
「…あ、ああ」
何となく、カシルとは真逆の反応にユリウスも少し面食らった。そのタイミングで、バルクが恐る恐る手をあげる。
「その…俺は、体力ないのはわかってるから、誰かを頼らないといけないんだけど…どうしても、その、ヴィー…ヴィヴィアンに会いたい」
「ふうん。なら、デザイナー君は僕と行こうか」
「あんたは」
「僕はアードラ。…実は結構君のこと、気に入ってるんだよね。一途じゃん、君」
紺色の瞳に、きらりと星が光る。
一瞬惚けたが、額面通りバルクの顔は真っ赤になった。
「い、いい一途って…」
「アハハ、トマトみたいだねー」
「…これで、全員の配分は決まったな。これほどのメンバーがいるなら…俺は別に行動しても?」
「ヘルト殿?」
「俺の記憶が正しければ…王宮の東にあるサルーンに行こうと思う」
「…黒曜の間、ですか」
「知っているのか?」
「すみません。レイヴン…どうやら、君とアードラ君二人の負担が起きるかもしれないのだけど」
くるりと振り返るユリウスに、レイヴンは力強く頷いた。
「はい!!」
「…まあ、僕もいるし。ユリウスはヘルトと行くの?」
「はい」
「ちなみにその黒曜の間…何があるか聞いても?」
「国に変事が起きた時…盾と剣の当主たちはそこに向かう沈黙のしきたりがありますから」
「なるほど、なら君たちが適任だね。じゃ、気を付けてね」
「アードラ…」
くるりと背を向けるアードラは、振り返らずに告げた。
「悔しいけど、ユリウスなら多分大丈夫って思ってしまうんだ。まあ、僕が知ったことではないけど、さ」
「……私も同感だ」
何が同じではなく、互いの心が認め合っていることを、二人は知っている。
その正体を、人は【絆】と呼ぶのかもしれない、とユリウスは思う。
「はいはい。じゃあね!ほら行くよ、ひよこたち」
「ひよ子っていうな!!」
律儀に礼をするレイヴンを最後に、彼らを見送った後、二人は前を向いた。
「…ヘルト殿は、何か確信があるようですね?」
「ああ。…時間逆行、という話はしたな。その方法を俺は知らないが、覚えている、と。」
「ええ」
「俺と同様に、あの人たちも以前の世界にいた頃の記憶があるかもしれない」
「……それは、つまり」
「繰り返す時間の正体と…この一連の出来事を、あの人たちは全て認識しているかもしれない、ということだ」
「来ない……」
向かい合った席は空いたまま。
その隣の席も同様で、誰も座っていない。お気に入りのティーセットはテーブルの上に、けれどもカップは伏せたままだ。
テーブルに並べられた赤い飾りのついたクッキーを口に運び、赤いドレスを身にまとったヴィヴィアンは、ため息をつく。
「残念ね。…見捨てられたちゃったかなあ、結奈ちゃん。でも……」
(ヒューもいないなんて、どういうこと?)
今日のこの時間、ヴィヴィアンは、カサンドラにお茶会の招待状を送ったが、返事が返ってくることはなかった。
ヴィヴィアンの仕掛けたもう一通の手紙は、空振りに終わってしまった。
グランシアの公爵令嬢が行方不明とのうわさも聞いたが、かといって、公爵家が捜索している様子もなく、グランシア家は沈黙を守ったまま。
中にはレアルド王子の失踪に関係しているのではないかと揶揄する声もあったが、真相に至るまでの二人の接点も、その証拠もないまま時は過ぎ、結果的にただの噂話の領域を超えることはなかった。
「今、私を祝福しない者などこの国にはいない。なのに、どうしてこんなに不安になるのかしら……」
彼女の名はヴィヴィアン・ブラウナー。
聖女と呼ばれる彼女のこれまでの詳細は触れられておらず、彼女が何処から来たのか、どこで生まれたのか…多くの者は知らないまま。
(―――私は一度、いいえ。二度…死んだはずだった)
今よりずっと、ずっと前のこと。
この場所で覚醒するより以前のある日、彼女は白い棺の中で目が覚める。
周りには自分の他にもいくつか棺が置いてあったが、どれも蓋が固く閉ざされていた。
「生きてる…でも、私…」
血の匂い、倒れた人々の姿。…割れた砂時計。
何があったのかわからぬまま、茫然としていると…何処からか、多くの大人がやってきて少女をその場所から連れ出した。
「お前は特別な子供。特別な使命を持って、誰よりも有能で高貴なる地位に就く権利を持っているのよ。感謝なさい」
「……」
(身体が動く、言葉も。それなら…)
「わかった。ねえ、私の名前は?」
そう、問うと…手を引いていた大人たちの中にいた、モノクルの眼鏡の老人が言う。
「そうだな…元の名よりも一つ文字を足すとしようか。なら、これはどうだ?」
そして、彼女は【VIVIAN】という名前を貰った。
それから…ヴィヴィアンは、自由がない鍵のかかった部屋で、一日中勉強、作法、礼節を学ばされた。
彼らが【公爵】というモノクルの眼鏡の老人に従事していること、そして、どこまでも秘匿性が高く、いわゆる大衆には非公開とされている特別な任務を請け負っていることが分かった。
そして、それは自分だけではなく、他にも自分と同じ赤い瞳を持つ何人か似たような境遇の子供たちがいることも知った。
しかし、ある日のこと。
いつもは鍵のかかっているその扉も、その時ばかりは誰かが鍵をかけ忘れていたのだろう。運命のいたずらか、それとも…彼女は少しためらいながらもドアノブを握った。
「…誰もいない」
そうっと外に出ると、彼女の頬を優しい風がなぞる。
さわさわと流れる風の向こうには、黄金色に染まった広く高い空。ゆらゆらと揺れる雲は、形を変え、好き勝手に流れては遠ざかっていく。
「綺麗…」
そろそろと裸足のまま歩いていくと、次に瞳に飛び込んできたのは、美しい女神様の象の姿だった。大きな白色の石で造られたその像はとても美しく、つい、ずっと見入ってしまう。同様に、女神像もまた、こちらに何かを問いかけるようにこちらを見ている。
「お母様って、こんな感じなのかな?」
そう、彼女は自分に母親という存在がいないのを知っている。
(だって、私は人間じゃないから)




