第103話 聖女ヴィヴィアン・ブラウナー
女神神殿中央・拝殿の奥の控室にて。
祝福の日の業務をすべて終えた巫女ヴィヴィアンは、控えの間で短く息を吐いた。
「ふう…」
(この黒い巫女装束を見ても、誰も何も言わなかった…)
女神の代行者たる巫女の衣裳は基調は白。
その範例を無視したにもかかわらず、それについて誰も違和感を示さなかった。
(……錬金術師の言う通りね、口をぽかんと開けて、まるでお人形さんみたい)
気が付いたら、口元がほころんでしまう。
それを手でそっと抑えると、自分の姿が映る鏡を見た。…その表情はどこか強張っているように見える。
「……悔しい?それとも、諦めたかしら。偽物のヒロインさん」
『あなたは何?』
「私?私はヴィヴィアンよ、結奈ちゃん?…このハルベルンという世界を統べる女神の代行者で、全ての人に愛されるべきヒロイン…それが私」
両手を広げ、くるりと回転する。
「私、あなたの分まで幸せになれるって、断言できる…!」
『そんなの、認めない…!』
「不思議。内側の自分との対話って…すごぉーく、自己肯定感?が高まるわ!…素敵」
悦に入った表情で、ヴィヴィアンは鏡の中のユイナに飛び切りの笑顔を見せる。
「王子様も、この国も、世界も…全てわ・た・し、のものなの。…だって、それがシステムが認めた主人公ですもの」
『…あんた』
「巫女様!」
こんこん、と高らかに鳴り響いたノック音。
「はい」
「巫女様、お疲れ様です」
やって来たのは、女神の代行者に付き従う白服の乙女たち。
彼女たちは通称「花の神官」と言い、爵位ある貴族の令嬢や、神殿より特別に拝命を受けた年若き乙女たちで、巫女の付き人兼侍女のような役割を持っている。
「いいえ、これくらい当然のことですわ」
長時間の祈りの行にも関わらず、全く疲労を感じさせない笑顔のままのヴィヴィアンに乙女たちはほう、とため息をつく。
「さすが巫女様…」
「お着換えをお持ちいたしました。…でも、その、このドレスでよろしかったのでしょうか…?」
ひとりの乙女が遠慮がちにそう言って見せたのは、深紅のドレスだった。
「大丈夫よ、ありがとう…この後、大事な約束があるから」
「そ、そうなんですね…では、お手伝いを」
「いいの」
手を出そうとした乙女たちを、ヴィヴィアンはぴしゃりと制した。
「あなた達の手を煩わせるわけにはいかないわ。…自分で着換えるから、大丈夫」
「す、すみません」
そう言って、張り付いた笑顔のまま、ヴィヴィアンは衝立の奥に消えた。
化粧台と、衣裳が収められたタンスとが置かれているこの控えの間は、常に大きな百合の花が飾られているせいで、甘い香りが充満している。
花の乙女たちは思わず互いの目を合わせた。
「巫女様って、お手伝いを拒否されるのよね」
「やっぱり平民だからかしら?」
「こら、辞めなさいよ!あなた達」
小さい声で話しているにもかかわらず、控えの間ではその噂話が筒抜けであることに、彼女たちは気が付かない。
…それが、時折自身の命や立場を危うくさせるものだとも。
「…ねえ」
「!は、はい!巫女様」
「やっぱり一人、ドレスを着るのをてつだってくれないかしら?…そうねえ。手前のあなた…ミケラン家のご令嬢、メリアだったかしら」
率先して悪口を言っていたせいもあり、メリアはばつが悪そうに表情を顰めた。
「あ、は ハイ…」
恐るおそる衝立の中に入ると、メリアは思わず声をあげて叫びそうになる。
「しい―――…」
「!!」
ヴィヴィアンは人差し指を口元に当てると、そのままメリアの口元を手のひらでふさいだ。
「命には、全部理由があって優位性と劣性…搾取するものと差し出すものと二種類あるの。あなたは…今までどれだけの人を搾取してきたのかしらねえ?」
「…っ…っ」
「差し出す側になってみたら…もっと祝福されるかもしれないわ」
涙目だった瞳は、徐々に色を失っていく。同時に、口からはみ出た赤い光は結晶となり、小さな宝石に変わった。
瞳の色が完全に消失すると、ヴィヴィアンは自分の手のひらにある赤い石を思いきりかみ砕いた。
「さあ、メリア。いい子ね…着替えさせてくれるかしら?」
「…はい、ご主人様…」
「お人形さんはお人形さんらしく、お行儀良くしていないと…ね?」
満足げにほほ笑むヴィヴィアン。すると、耳元でもう一人の自分が呟く。
『この…魔物め』
その声を聴き、一度にやりと笑うと、深紅のドレスの裾をもち赤い靴を履く。
「…あの子、来るかな?」
その問いに、内側の自分に返答はなかった。
「カサンドラ。あなたが消えたら、この世界のヒロインはこの私だけ。すべての祝福も、賞賛も羨望も全部私のものになるのよ」
それって、とっても素敵よね。
そう呟いた。
**
その頃、大広場の大門前にて―――。
「あ!しまった…五回目の鐘が鳴る。最後の鐘だ…」
その鐘を聞き、カシル・フラムベルクは馬車の窓から顔をのぞかせた。
…既に、馬車置き場の向こうの大門は閉じられていた。
「ほらあ!間に合わなかったじゃないか!リンジー!」
「だ、だってしょうがないでしょ?!いつもつけてるブレスが見つからなかったんだから…」
慌てて馬車から降りようとするリンジーに、さっと手を差し出す。
「あら」
「なんだよ」
「…いや、昔のあんたならこの私に手を差し出すなんて絶対しなかったじゃない」
「う、煩いな。紳士として当然だろ?!」
「……ふうん」
顔を真っ赤にするカシルに、リンジーがにやにやと含み笑いをしていると、扉の前にポツンと一人佇む聖騎士の姿が目に入る。カシルたちと同じように大門に入れなかった群衆の中で、門番でもない眩いほどの白い制服は異彩を放っていた。
「あれ?…あそこにいるのって。レイヴンじゃない!」
「…あ」
一瞬、何か怯えたような妙な表情を見て、リンジーは首をかしげる。
「何?どうしたの。今日は巫女様の身辺警護って言ってなかったっけ?」
「……外された」
「え?」
ぽつりと呟いた言葉には、悔いるような感情もなく、むしろどこかほっとているように聞こえた。
「…随分、急な話じゃないか」
「ああ…でも、これでよかったのかもしれない」
思いがけない言葉にカシルとリンジーは首をかしげるばかり。
「なあ…二人とも。第一王子の帰還の話を知っているか?」
「え?!」
「第一王子って…数年前に亡くなったんじゃなかったっけ?」
「!!やっぱりそうだよな!」
「何言ってるんだ?レイヴ…」
「ね、ねえ、ちょっと、二人とも」
突然、リンジーがどこか怯えたような声を出す。
気が付いた時には、三人は見知らぬ群衆たちに囲まれていた。
「え、え?」
「…なにか、おかしい。リンジーは俺の後ろに」
咄嗟にレイヴンはリンジーの前に出る。
その場にいた老若男女問わず、全員が三人をジィっと見つめている。武器を持つわけでもなく、何かを問うわけでもなく…瞬きをせずに。
「なになに何なのよ…?!なんでみんなこっち、見てるの…?」
「これじゃ…」
同時に、拝殿へ続く大門が大きな音を立てて開いた。
そしてやって来たのは、聖騎士の集団…つまりはレイヴンの同僚となる。しかし、彼の瞳に光はない。
「!…マズイ、逃げよう!」
「え?!ちょ、ちょっと…!!」
「あいつら、なんかやばそう!」
カシルが叫んだ瞬間、突如周囲の人間たちは豹変した。
「巫女様の命により!貴様らを排斥する!!」
「捕まえろ!!!」
「危険因子!!」
意志などない、口々に憤怒や口汚い言葉を叫びながら襲い来る姿は、まるで獣のよう。やみくもに走り続け、王城前広場の公園まで差し掛かった。
「馬車で逃げるって言ってもなあ…」
一瞬馬車事強奪してやろうとも考えたが、残念ながらカシルにはそれを成し遂げるほどの力はなかった。
「大丈夫?!もう少し頑張ってよリンジー!!」
「わ、わかってるわよ!!でもなに、なに、なんなのおお!!!…キャっ」
「リンジー!!」
履きなれない靴でバランスを崩しそうになったリンジーを、レイヴンが横からかっさらう。
「?!!いっ?!ちょ、ちょ どこ触ってるのよ?!」
「黙って!!そのまま俺にしがみつけ!…守るから!」
「まも?!」
みるみる顔が赤く染まり、こんな状況にも関わらず、リンジーは口をパクパクとさせる。心臓は異常なまでの早鐘をうち、まともにレイヴンの顔さえ見れない。
耐え切れず、両手で顔を隠した。
(別の意味で死んじゃう!!!)
何となく妙な空気を察したカシルは走りながらも、長めのため息をついた。
「…は~あ…ったくさあ。場所と情況をわきまえろよな…それにしても」
ちらりと後ろを振り返ると、襲い来る群衆は増える一方で、捕まった時のことを想像すると頭が痛くなりそうだった。
「マジでヤバイ…どうしよ」
「お前達!!」
「!!」
突然、前方から大きく手を振る緑色の髪の人間を見つけた。
よく目を凝らしてみるが、青年は一目でまともな精神状態であることが予想でき、安堵した。
「こっち!地下に続く道があるから!!」
「わ、わかった!!」
青年の指示通り、後を追いそのまま公園の中を突っ切る。
裏門の方まで来ると、辺りは王家直轄の森に続いており、身を隠すのは容易い。
木の陰に隠れ、カシルはその木にもたれかかって座り込む。
「はあ、はあ、はあ…なんだよ…」
「大丈夫か?あんた」
「きみこそ…まとも、だよね?…俺はカシル。そっちは?」
「バルク…」
それだけ言うと、バルクは顔を真っ青にしてしゃがみ込む。
「…大丈夫か、はこっちのセリフだよ…顔真っ青だよ、君」
「ちょ、ちょと久しぶりに走ったから…」
「あ、そ。・…で、あの二人は」
くるりと振り返り、カシルは後悔する。
「あの…リ、リンジー?もう大丈夫だから、そろそろ腕をはなし」
「いや!」
「嫌って…」
「だって、守ってくれるんでしょ?」
「そ、それはそうだけどさ」
「怖かったんだから…」
(やれやれ…まるで二人の世界じゃないか。)
そんな姉と姉弟みたいな幼馴染のやり取りに、カシルはつい、笑ってしまう。
「全く、あいつらってホント…痛い!」
言いかけて、何かもっふりしたものがカシルの頭上に落ちてきた。
「何…これ、ネズミ?」
そっと手を伸ばそうとすると、ネズミはキィ、と一啼きし、カシルの手を払いのける。
「…んな…ッ」
「私に触るな」
「え」
そして、現れたのは…宿敵、ユリウス・フォスターチと。
空から宙がえりをして華麗に着地したねずみ…こと
「ふう」
ヘルト・グランシアの姿だった。
しばらくぶりの投稿となります。
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