第102話 最後の鐘の音
ある日、突然鏡の中の自分に「あなたは何者か?」と聞かれたら――
私はなんて答えるんだろう。
「サンドラ、大丈夫か?」
「え?」
「ぼうっとしているから…さあ、手を」
そう言って差し出してきたのは、目も覚めるほどの美しい顔の青年。
繊細な顔に似合わない大きな手は、ぎゅっと握られると思った位以上にごつごつしてて少し驚いた。
「あ、大丈夫…それより、本当にここであってるの?」
「…そのはずなんだが」
馬から降りると、まだ揺れている感じがあって、少しだけふらつきそうになる。
「おっと、大丈夫?」
「…そんなに、か弱いように見える?」
「俺は女性誰にでも優しい男だから」
そう言って斜に構えたような笑顔を見せるノエル。
少しだけ支えてもらって、態勢を整え、さっと身を引く。どこか名残惜し気にさ迷う手に、思わず笑ってしまう。
「調子に乗らないの!」
「なんだよ~」
ちらりと後方を見るけれど…どうやらアードラはこちらに来ていないらしい。彼なりに考えがあってのことだろう、とアードラなら大丈夫という妙な安心感があるから不思議だ。
それよりも…レアルドが困惑している表情で目の前に広がる廃村を見る。
「この場所であってるんですよね?」
「ああ。…半年くらい前の報告では、この場所にあるはずだ。聖女が誕生したとされる村は」
「この様子だと、軽く10年は放置されたままじゃないか…?」
ざあっと吹いた風が、土ぼこりをあげて舞い上がる。
目のまえに広がるのは、相当年月が経っているような半壊した家の数々。斜めに落ちた屋根には容赦なくツタがはびこり、周囲の草花を巻き込んで家屋の損壊を更に加速させている。
「俺が先頭行こうかな」
「ノエル…大丈夫?」
「ああ、お嬢様と王子様に何かあっては大変だから。いいな?レアルド殿下」
「すまない。…よろしく頼む」
所々かつての生活の名残りが見受けられ、看板や柵、井戸の痕のような物が確認できるが、腰くらいまである草が行く手を阻む。
ノエルは懐から懐から小ナイフを、レアルドも普段使いの剣を取り出し、周辺の草を刈ってくれるおかげで、私は苦労することなく歩くことができた。
(うーん…私って、けっこう足手まといよね…)
だめだ。こういう時は、嫌でもネガティブに物事を考えてしまう、悪い癖だ。
気持ちを切り替えて、せめてこの廃村に何か発見がないかとぐるりと見渡してみる。すると、8個ほどある廃屋の中でも、一番奥にある大きな家に目が留まる。
「あ…」
錆びてはいるが、鉄柵のような物がぐるりと建物の周りを囲んでいる。
際限なく伸び切った草や木や、長い間放置された際にできたであろう汚れのせいで確信はないが、よく見れば建物の形状が円形だ。
「もしかして…あれって、アロンダイトの聖殿?」
「どれ?…ああ、本当だ、薄汚れているけど、壁が白い」
「ちょっと行ってみる?」
「……うん」
なぜか、今身体がぞわっとした。
実を言うと、私はあまりアロンダイトの聖殿の中に入ったことがない。元々、グランシア家自体そこまで信仰心が篤いわけでもないので、いわゆる【祝福の日】などに礼拝をしに行く習慣があるわけでもない。
《《この場所》》に来てから、そう言った神様に関係するような場所は、この間たまたま迷い込んだ旧信仰の廃教会位なものである。
だからなのか、あの場所に行くことには妙な抵抗が付きまとう。
先を行く二人を追いかけるけれど、なんだか重しが付いたように足が動かないのはなぜだろう。
(気のせい、よね?)
「…この間、といっても3か月ほど前の調査結果だけど、この村に名前はない。ただ、半年前聖女ヴィヴィアン・ブラウナ―が神託を受けた聖殿も、10年前の亡くなったとされる聖女もこの場所でアロンダイトからの神託を受け取ったとされている」
「その調査結果の信ぴょう性は?」
「…今となっては、確かだと断言できる要因はほとんどないかもしれないな…って、サンドラ?」
レアルドがこちらを振り向いた瞬間、彼の腰の帯びていた宝剣が急に光りだした。
「?!」
「なんだ…?!」
「カサンドラ!!!」
「眩し…!」
ノエルの声が聞こえた、そう思った瞬間、私の目のまえの景色が一変した。
「!!!」
足を踏み込んだ途端、かつん、と音が鳴る。
ひゅう、と生ぬるい風が頬をなぞり、どこからかやって来た花びらが小さな竜巻を描いて空を舞う。
「ここ何処?空…青い」
なんだか久しぶりに見る、抜けるような青い空。
そして…
「…どうして」
聞きなれたこの声。
ついこの間までは凄く近くにいたのに、今は全然遠い場所に行ってしまったみたい。驚いて見開いた瞳は、私が知る兎のような赤い瞳ではなく…太陽の光を帯びて少し金色が混じったような赤い色。
「…久しぶり、でいいのかな」
戸惑うような表情のまま。
白い燕尾服ではなくて、黒い服を着ている姿はなんだか見慣れない。
「たくさん、色々聞いた後でこうして逢うのは、思ったよりも複雑かな。ね?ラヴィ…ううん、今は、ヒューベルト様…かな」
「!それは…でも、違う」
「違う…わけじゃ、ない よね」
「そうだけど!でも僕はヒューベルトかもしれないけど、ラヴィなんだ…」
「…あなたの言ってることは、わかんない。でも…きっと、それが《《ラヴィ》》の本当の姿なんだろうね」
「それは…」
ラヴィは自分の正体を知りたがっていた。
それがわかったであろう今、私はそれを祝福すべきなんだろうか?
…でも、それは何かが違うような気がしてならない。
私は…ここ数日で得た情報を頭の中で整理してみて、一つの懸念に気が付いてしまった。
(本当の姿…)
それが、実は自分もアードラやラヴィ、ファルケンと同じ―――とある人間、カサンドラ・グランシアという《《人間》》を《《原型》》に《《造られた》》何者なのかもしれない、ということ。
あなたは何者か?そう聞かれたら、私はなんて答えるんだろう。
橋本 真梨香?それとも、カサンドラ・グランシア?
「…サンドラ?大丈夫?」
「何が?」
「だって、泣いている…君は」
そう言った表情は本当に人型のラヴィと話している時のことを思い出す。
「やめて…混乱する」
「!」
「どこから?」
「え…」
「どこから、あなたはラヴィで、どこまでがヒューベルトなの?」
私自身はヒューベルト、という人間を知らない。
顔も見たことないし、どんな人だったか、なんてわからない。レアルドの亡くなった兄君でとても弟に好かれていた、ということくらい。
それなのに、ラヴィの影と混雑して、よくわからなくなってくる。
…それに、胸の奥の方で湧き上がるこの言いようのない感情の正体がわからない。
(哀しい?切ない?……嬉しい?)
ラヴィに会えたから?
ラヴィが、本当の自分を見つけたから?
どうして?何がそんなに嬉しいの?
誰に問いかけているのか、それすらもうわからない。ただ、ぼろぼろと涙があふれて、訳の分からない感情が苦しい。
「さ、サンドラ…!」
「来ないで!私は…っ」
遠くで、ガランコロン、という例のあの音が聞こえる。
そして、乾いた声。
『おめでとうございます!あなたは全てのフラグを破壊することに成功しました!!』
(フラグを全部、壊した?)
『これにより、世界の崩壊はもう誰にも止めることができません!』
「?!!なんで、待って…話が違うじゃない!」
思わずうつむいていた顔をあげる。
あの鐘が鳴るとき、私はいつも謎空間にいた。今も、ほら―――
「‥‥っえ」
そこは、かつて見た真梨香の部屋。
見慣れた家具に、見慣れたソファー。ちょっと奮発して購入した中古の43インチテレビ。テーブルの上に置いてあるコントローラーと「ヘブンス・ゲート」のゲームパッケージ。
「リアルな乙女ゲームはやるもんじゃないよね~」
(この声…私、だ)
そして、流れるあの紙芝居。
茶色の髪の女の子がプラチナの髪の王子様と一緒に抱き合うシーンから始まる。
(これ…この後、王子様がバラバラになっちゃうんだよね)
女の子は涙を流しながら大きな天まで高くそびえる扉に向かって、何かを必死に祈っている。
(たくさん、たくさん…祈った。でも)
けれども、彼女の必死の祈りもむなしく、足元から地面がガラガラと音を立てて崩れていくのだ。同時に…私の唇が自然と動く。
「巫女の願いは最後まで女神様に届くことはなかった。彼女が誰か一人を愛することを特に嫌ったの。だから許されなかった。それは、かつてあった物語の一つ」
「…だれ、だっけ。…どっかであったことあるような…?」
気が付くと、目のまえに…真梨香が立っていた。
(そうだ…このやり取り、覚えてる)
「うん、このおいも?のお菓子…なかなか美味だわ」
「それ、ポテトチップスっていうのよ。それであの―…あなたはどちら様?」
「ぽてと…ちっぷす??へええ~、そうなんだ!」
(それで…この後、私は)
「ねえ、あなたは今の生活、楽しい?」
「…えっと、そうだな。やらなきゃいけないことが多すぎて困るくらいだけど。こっちよりは随分とスリルもあるし、色んな人と出会えるし…面白い」
晴れやかな笑顔の真梨香。
…少し、羨ましい。
「うん…私も楽しい。真梨香を通していろんなこと経験できるんだもの!」
「…でも、自分で体験したいとか…思わないの?」
(体験できたら、って)
「…私はね、色んなものに失望してしまったの。自分が努力を怠った結果といえばそうだけど空っぽだったから…、真梨香みたいに強くなかった」
「空っぽなんて、そんなこと…」
(本当はずっとそう思っていたんだよ。)
「だから、私のできなかったことをあなたが代わりにやって。私はここでずっと見てるから」
「え?待って。そんな…」
(待っているから…って。ずっと見ていた。真梨香のこと)
誰よりもかっこよく活躍して、明るくて。
たくさんの人と出逢って、あなたはあなたらしく生きて。
大好きな人と結ばれて、その世界を生き抜いたあなた。
「とても、憧れた。…誰よりも見ていたから」
そこは日本のとある都会にある洋館をモチーフにしたホテル。
私は宴会サービスのウェイターのアルバイト。身長も顔も普通、大学の専攻は法学部で占いが趣味の、夢は裁判官か検事のごくごく普通の勤労学生。長所は体力がやたらあること、欠点があるとすれば…人が好過ぎるところ。
「いやーいっつも動いてくれるし、頼んだら何でもやってくれるし、いい子だよね、橋本さん!じゃ、お疲れさまー」
基本的に真面目な為、頼まれたことは成果以上に成し遂げてみせる。文句も言わない、それが災いしていつしか面倒事は全部回ってくるようになった。
「橋本さーん、これ運ぶの手伝ってくれない?」
「は、はい!」
「あ、ごめーん、こっちもー。はっしー、備品庫の掃除もお願いできるかな?」
ごくありきたりで普通の日常だった。
この後は家に帰ってご飯を作って、好きなネット小説を見て、ゲームして…で、明日も大学に行って勉強して、その繰り返し。
…だから、つい声をかけてしまったの。その先に起こることを知っていたから。
「あの、すみません」
「はい?」
そして…今。
分かってしまった。
糸が切れるような、全部が壊れるような。
《《私》》の世界の崩壊。
「…カサンドラ?」
「……ああ、そうか。そうだった」
そう、思いだした。
《《私》》が、《《誰》》なのか。
「私は…カサンドラじゃない」
そう。かつて私はある名称で呼ばれていた。
それが。
「―――Vの38番、それが私」




