第14話 「彼女の普通」
三条光華が俺の元に現れた日の翌日。
夕暮れの公園。俺と透華は並んでベンチに座っていた。
透華との噂が学校中に広がって以来、あのファミレスで会うのは少し気が引けた。なんなら噂はもう周りにまわっているので、ガヤが現れてもおかしくない。
とういうことで今日は、場所を移し、人通りの少ないこの公園を選んだ。
適度に静かで、周りを気にせず話せる場所だ。
俺はさっき自販機で買った缶コーヒーを開け、一口飲む。そして、ふと頭に浮かんだ疑問を口にした。
「お前って普段どうしてんの?」
隣の透華が、小さく瞬きをする。
いきなり喋りかけられて驚いたのか一瞬あわわとなったように見えたが、気を取り直すとゴホンと咳払いをし、俺の方に向き直った。
「……どうして急に?」
「いや、ちょっと気になってな」
昨日のことが頭から離れなかった。
昨日俺の元に現れた御影学園の三条光華。
そして彼女が言った、「透華は"氷室透華"でいるべき」 という言葉。
それがどういう意味なのか。
透華は普段、どんな風に過ごしているのか。
俺の知らないところで、俺の知らない透華はどんな顔をしているのか——。
「どうって……普通よ」
透華は視線を前に向けたまま、ため息をポツリと着いて淡々と答える。
「普通、ねぇ」
「何よ」
「いや、お前の“普通”ってどんな感じなのかなって」
俺がそう言うと、透華はわずかに眉をひそめた。
「……何が言いたいの?」
透華の言う"普通"が普通じゃない気がしてならない。俺の思う普通を透華にぶつけてみた。
「例えばさ、友達と遊んだりとか?」
その瞬間、透華の指がピクリと動く。
透華は一瞬唇を噛んだ。そして手に握ったまだ開けていない缶ジュースの蓋の部分を指でクルクルとなぞった。
それから、一瞬の沈黙。
「……別に、そういうのは必要ないわ」
透華は、静かにそう言った。
「……必要ない?」
「ええ。私は“氷室透華”としているだけでいいの」
「……そりゃまた随分割り切ってるな」
俺は苦笑しながらコーヒーをもう一口飲む。
周りが透華が"氷室透華"でいることを望んでいるように、本人もまたそれを望んでいるのであればそれでいい。
――でも。
「でもさ、本当にそれでいいのか?」
「……何が?」
「お前、本当に普段からそんな感じなのか?」
「当然でしょ」
透華は淡々と答える。まるで、それが当たり前のことだと言わんばかりに。
俺はカフェでの三条光華の言葉を再度思い出す。
「透華は“氷室透華”でいるべきだからよ」
その言葉と、今の透華の態度が、どこか重なる気がした。
「……昨日、三条光華に会ったんだ」
「三条光華って……私の高校の光華さんに?」
「ああ。お前のこと、なんかやたら気にしてたよ」
「……何を言ってたの?」
「“透華は氷室透華でいるべき”だってさ」
透華の表情が、わずかに硬くなる。
「……そう」
「お前はそのことについてどう思ってんの?」
「……別に、どうとも思わないわ」
そんなわけが無い。さっきと明らかに反応が違う。
「でも、何かあるんだろ?」
「あなたには関係のないことよ」
透華は俺を見ずに、そう言い切った。バッサリ切り捨てた……いや、頑張って切り捨てようとしているように見えた。
いつも通りの、冷たい口調。でも、その奥に何か隠しているのは明らかだった。
「……そう言うと思った」
「なら、余計な詮索はしないことね」
「そうもいかねぇよ」
「なんで?」
俺の言葉に対して透華は眉をひそめた。
「御影学園の"茨姫"って言われてる氷室透華が、俺の知ってる“透華”と違う気がするから」
透華が、ようやく俺の方を見る。
「……どういうこと?」
「いや、お前ってさ、たまにすげぇ分かりやすく感情出るじゃん」
「……は?」
「この前もファミレスで、俺がからかったらムキになってたし」
「……それは」
透華は手元の缶ジュースの方を向き、コツンコツンと爪で缶を何度か鳴らす。
「そういうの見てるとさ、“氷室透華”っていう肩書きに囚われてる時と、素のお前って、ちょっと違うんじゃねぇかなって思うんだよ」
「……」
「で、その素のお前がどんな奴なのか、俺は知りたいだけだ」
透華は黙ったまま、ジュースの缶をゆっくりと揺らす。
「なんか周りとかの話とか聞く感じ俺が一番本当の氷室透華を知っている、ってそう思ったから」
そう俺が言うとやがて、なにか諦めたのか透華は小さく息をついた。
「……さっきから、しつこいわね」
「悪いな。でも、俺は気になったら聞かずにいられねぇんだ」
「……変なところで面倒くさい男ね」
透華は呆れたように言いながら、それ以上何も言わなかった。
風が吹いた。
俺は透華の横顔を見つめる。
「ま、今は答えたくないなら、それでもいいけどな」
「……当然よ」
透華は缶ジュースを一口飲み、それからふっと少しだけ笑った。
「あなた、ほんとに変な人ね」
「今さら?」
「ええ、今さら」
それはどこか呆れたようでいて、ほんの少しだけ、柔らかい笑みだった。
「駅前で訳分からないことを叫んだ時から」
「もうそれはやめてくれ……マジ……!」