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section 17 初めてのラブホ

 蒼真は六甲山に誘った。

「どうだ、いい眺めだろう、100万ドルの夜景と呼ばれる日本三大夜景のひとつだ。長崎と函館とここだ。ほら、街の灯りが見えるだろう。僕はサッカーを諦めたときよくここに来たが、眼下を埋め尽くす灯りに腹が立った。僕には灯りがなかった。何もすることがない明日が悔しくて、自分が情けなくてどうしようもなかった。わずか3年前だが、ずいぶん昔のような気がする」

 由紀はロンドンで過ごした日々を思い出して、じっと聴き入っていた。私にはピアノがあるけど、蒼真さんの夢は砕け散った。それに比べればまだ幸せだ……

 由紀は爪先だって蒼真にプチュした。

「悪かった、柄にもなくつまらんことを言った。ごめんな」

 そんな蒼真を由紀は優しく抱きとめた。由紀の頭を撫でながら、

「僕のリクエストを聞いてくれるか?」

「なんの曲でしょう?」

「リクエストは君だ。たまらなく抱きたい、いいだろう? ずっと一緒だったがもう10日だぞ、ガマン出来ない! 行こう」

「えっ、どこへ行くんですか?」

「ラブホって知ってるか? そこに行くぞ、ついて来い。社会勉強だ」


 HOTELと小さな看板があるだけのコンクリートの建物に入った。無人のロビーの片隅で、蒼真は何やら文字や数字が並んだパネルを何度かプッシュして、何枚かの千円札を機械に入れた。

「さあここだ。これがラブホだ」と、部屋の前に立つとドアは音もなく開いた。不思議そうに室内を見渡す由紀の服をさっさと剥ぎ取って、ベッドに転がした。シァワーさえ惜しんで羽交い締めにし、痛いと叫んだ由紀を無視してガムシャラに突進して、幾度も突き上げてゴールした。突き上げられるたびにどこかへ飛んで行きそうで、由紀は必死で蒼真の胸にしがみついた。

「ごめん、夢中になってワガママやってしまった。次は優しくするからこのままじっとして。ほら君が好きなパーツにキスしよう」

 ドリブルのロコモティブそっくりに、攻めるかと思わせてスピードダウンし、再び加速してたっぷり燃え上がらせてシュートした。ほんのり紅色に染まった細い裸に幾度も重なった。


 今日が最後の練習日、

「ありがとうございます。最後の練習をさせていただきます。ショパンのエチュードのメドレーです。特に“作品10-1”はピアノ曲では最難曲で有名です。ゆっくり弾くので、指をしっかり見てください」

 室田家の娘に微笑んでピアノに向かい、2小節ごとに目まぐるしく変化する悪魔のアルペジオを披露した。ゆっくり弾くと言ったがそれでも目で追えないスピードで指が動いている。そのとき、後ろの気配に気づいた娘が振り返ってひえっと声をあげた。そこにはデキソコナイがサックスを手に立って、気づかずに弾き続ける音色に耳を傾けた。次の曲に進もうとした由紀に、

「セッションしてくれないか? ジャムしたい。譜面はあるが頼めるか」

「出来るかどうかわかりませんが、私でよかったらいいですよ」

 差し出された譜面をちらっと見た由紀は、

「これはテナーサックス用でピアノとは違いますが、この曲は知ってます、弾けると思います」

 ただならぬ表情のデキソコナイが気になった蒼真の母は、室田家の親を呼びに部屋を出た。

 リクエストはジョンレノンの“イマジン”だった。ピアノに合わせてサックスのアドリブが入った。

「君は尾崎豊の“15の夜”や“卒業”は弾けるか?」

「メロディは知ってますが弾いたことはありません。リードしてくれたら追いかけます」

 驚いた両親が駆けつけた時、やり場のない憤りと寂しさをぶちまけるサックスと、哀しく歌うピアノがジャムを繰り広げていた。デキソコナイは溢れる涙を拭おうとせずに3曲を吹き、「ありがとう、楽しかった」と出て行った。


 このハプニングを母から聞いた蒼真は、何だ? 俺はさっぱりわからんが? 首を捻った。

「由紀、あの男のサックスは上手いのか?」

「うーん、サックスのことはよくわからないけど、あんなに吹けるのになぜ練習してないのかと不思議でした。サックスのアルペジオはピアノのように一度に複数の和音は出来ません。分散和音と云って少しずつ音をずらすコードアルペジオで表現するんです。ちょっと遅れたパートがあったから、毎日は吹いてないと知ったけど、記憶の奥底から何かを引きずり出して吹く音は、哀しい色がありました。あの曲は辛い思い出の曲かも知れません」

 蒼真の両親の見送りを受けてふたりは東京へ戻った。

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