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声聞くときぞ 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第三章 養生
32/34

坂元栄 金髪

 来客の対応をしてくれたらしい、(はつ)の声がしたが、其れが、何処と無く涙声なのを、栄は感じ取った。


 (やや)あって、納戸(ナンド)に、(はつ)が、泣きながらやって来た。

(ひこ)(にぃ)、母上が御見えですよ」


 納戸(ナンド)の戸の外に座している(はつ)の傍らには、同じく、正座して丁寧に一礼している、初老の女性が居り、此方(こちら)も泣いていた。


 此の兄弟の母親の(はや)である。


 (はや)は、泣きながら納戸(ナンド)に入ると、そっと顕彦の傍らに座って、(ひこ)、と言った。


 顕彦も、少し泣きそうな顔をしながら、母上、と言った。

「いらしてくださるとは。有難う御座います。御加減は宜しいのですか?」


 (はや)は、里を転出してからというもの、あまり調子が良くないのだ。

 其処に、今月、娘二人の婚礼(ゴゼムケ)で無理をしたらしい。

 栄には、義母の姿が、つい此の前会ったというのに、以前より小さく見えた。


 (はや)は、次男坊の言葉に首を振って、優しい声で言った。

「今日は随分良いのだ。捻挫したと聞いたのに、()ぐ来られなくて、済まない」


 痛かったろうに、と言って、(はや)は更に泣いた。

 自身も納戸(ナンド)に入ってきた(はつ)が、(はや)の肩を、そっと抱いた。

 上方限(カミホーギリ)の女性は、目下には男言葉である。此の習慣で育てられると、方言には、なかなか馴染み(にく)かろう、と栄は思う。


 母親の謝罪に、顕彦は、そんな、と言った。

「母上。態々(わざわざ)御越し頂くまでも御座いませんでしたのに。骨は無事でしたし」


 (はや)は、涙に濡れた優しい顔を上げ、何を言う、と言った。

「御前は痛い時、痛いと言わぬのだから。足首が、こんなに腫れて」


 俊顕も、優しい声で言った。


「後で父上がいらっしゃるぞ。先に、清水本家に御挨拶に伺って、(なか)の様子を見てきてくださるらしい」


 長兄の言葉に、顕彦は慌てて言った。

「そんな。父上までいらしてくださるとは」


「否、飲みの口実も有ろうよ」


 (はや)が、優しげな風貌に似合わず、意外に冷たい声で、そう言ったので、栄には、(はや)が、夫である(ただ)(あき)の飲酒量を(こころよ)く思っていない事が、よく分かった。


 俊顕は、母親の言葉を聞いて、くくっ、と、小さく笑った。


 (はや)は、懐から出した手拭いで涙を拭くと、そういうわけで、と言った。


「あまり長くは居られないのだが。(ひこ)の顔を見られて良かった。栄殿、ハナを少し御借りして、御宅を拝見させて頂いても宜しいでしょうか。炊事場(ナカエ)で、此れが上手く遣っているか気になって」


「勿論です、義母上(ははうえ)。どうぞ、御随意(ごずいい)に」


 栄は、そう言うと、居住まいを正して、(はや)に、正座の(まま)、一礼した。


 (はや)(はつ)も丁寧に一礼して、納戸(ナンド)から出て行った。




 逸が去ったのを確認してから、顕彦が、悲しそうに言った。

「…うちに泊まっていかれないのですね。やはり、あまり良くないのですか、母上は」


 其処までではないのだが、と言って、俊顕は渋い顔をした。

「何と言ったら良いか…。本人の態度に焦りを感じる」


 顕彦は、其れを聞いて、愈々(いよいよ)悲しい顔をした。


 俊顕は、更に言った。


「体力を考えると、今日くらい此処に泊っていかれて、明日、向こうに御戻りになっても構わないと思うのだが。何だが、ソワソワ、ソワソワなさっていらっしゃるのだ。以前の母上と、少し違う感じがするのだ。俺には、まるで、一秒でも長く、孫と一緒に過ごそうとしているみたいに見える」


 ああ、と栄は言った。

(しず)ちゃん達の所に戻りたいのですか」


 俊顕は、悲しそうに笑って、言った。

「孫が可愛いだけなのだと思いたいのだが。御年を考えると、な」


 死期の話はあまり好かない栄だが、此の時代、平均寿命は四十五歳から四十八歳というところなのだ。そう考えると、五十を()うに越している(はや)は、長生きの部類に入ると言えるのである。

 栄は、優しい義母の残り時間の事を考え、唇を噛んだ。




 沈んだ空気の中、開けていた納戸(ナンド)の窓から、よう、と声がした。

 (ただ)(あき)である。


(ひこ)如何(どう)だ?」


「父上。態々(わざわざ)御越し頂いて、有難う御座います」


「顔色は、まぁまぁだな」


 次男坊に対して、そう言う忠顕の方は、()だ昼だというのに、少し赤い顔をしていた。

 やはり、(はや)の予想通り、清水本家で酒を飲んだのであろう。


―飲みの口実って、何でも構わないものなんだよなぁ。例えば、嫁いだ娘の様子を見に行くのが口実でも構わないわけで。…義母上(ははうえ)が良く思わないのも分からなくはないな。


 忠顕は、上機嫌で、それ、と言った。

土産(みやげ)だ。先刻(さっき)捕まえた(うさぎ)だ」


 忠顕は、ゲラゲラ笑いながら、傍らに居たらしい、土足の(まま)の子供三人を次々に捕まえて、ポイポイポイッと、窓から納戸(ナンド)の中に入れた。


―わぁ、酔ってるなぁ。


 見れば、三人は、先刻(さっき)、走る練習に行った(はず)の、双子と辰顕だった。三人は、畳に土が付かない(よう)に、慌てて裸足になった。


―偉いけど、不憫(ふびん)。酔っぱらいの御爺さん(オンジョ)に掴まっちゃったんだね。其れにしても、義父上(ちちうえ)は御元気だなぁ。


 細君(さいくん)(はや)よりも年上の(はず)なのに、体格も良く、かなり元気に見える。此の年代の割には背が高く、息子達と横並びの身長で、武芸に(ひい)で、力が強く、体も丈夫なのだ。勿論、里の中では、かなりの長身で、本家の前当主という立場に相応しい、立派な風貌である。


―此の子達三人を軽そうに持ち上げて、平気そう。御酒も好きだし、節制もしていないのに、人間の体って不公平に出来ているのかもねぇ。


 気の毒な土産(みやげ)(うさぎ)、双子と辰顕は、履物を抱えて、慌てて、しかし丁寧な礼儀で納戸(ナンド)を去ると、玄関に草履を置いたらしく、再び戻って来た。殊勝な事である。


 納戸(ナンド)の戸の外で、丁寧な、座した一礼をする綜の傍らで、周と辰顕は、ニコニコしながら、綜の真似をして座っていた。


 納戸(ナンド)に入って来た辰顕は、顔を輝かせて、れんしゅうした、と、誇らしげに言った。

 双子は綺麗なものだが、辰顕は一人だけ泥だらけであるのに、実に満足そうだった。

 手応(てごた)えが有ったのかな、と、義理の甥の様子が、実に愛らしく思えて、栄は微笑んだ。


―此の年代の一歳差は大きいからなぁ。双子に後れを取らない(よう)なら、自信も付くってものだよね。


 俊顕も微笑んで、良かったなぁ、と言った。

「綜、周、有難うな。助かったよ。辰、綜達に御礼は言ったのか?」


 辰顕は、はい、と言って、二カッと笑った。

 周同様、前歯が一本抜けている。

 もう大人の歯が生えるらしい、と思い、栄は微笑ましかった。

 忠顕を含めた大人達に、口々に礼を言われる綜も周も満足そうで、周は普段通りニコニコしているし、納戸の空気が明るくなって、栄は安心した。


 辰顕は、ニコニコしながら言った。

「綜ちゃん、おれいに、ないしょ、見せてあげるね」


「…内緒を此処で言って良いのか?皆居るぞ?」


 対する綜は、至極(しごく)(もっと)もな事を言ったが、辰顕は、特に気にした様子は無い。


―さては、あまり、内緒の意味が分かっていないな。


 辰顕は、両耳の上の髪の毛を持ち上げた。

 硬そうな黒髪の、両耳の上の方に、一房ずつ、短い金色の髪が生えていた。


 双子は、揃って、あ!と言った。


「おもしろい?いつもは見えないでしょう?」

 そう言って、辰顕は、ニッコリ笑った。


「ああ、そうだった。辰は其処なんだよなぁ」


 俊顕が、そう言って、左耳と旋毛(つむじ)の真ん中辺りに位置する髪を、サッと掻き上げた。

 ほんの一房だけ、辰顕の髪と同じ色の物が確認出来た。


 双子は、また、あ!と言った。


「あ、何だ。兄上もでしたか」


 顕彦が、両耳の上の髪を持ち上げると、俊顕が、おー、と言った。


(ひこ)()しかして、何時(いつ)も前髪の其処だけ長いの、其れを隠す為か?」


「そうです。兄上もですか?其処が何時(いつ)も長めに切ってあるのは」


「そうそう。一部分だけ髪の色が淡いんだよ。金髪って言うかなぁ。何だ、御前もかぁ。ああ、幼い時分は髪が長かったから、御互い分からなかったんだな。俺も、(ちょう)じて髪を切ってから、自分の髪の事を知ったんだよ」


 忠顕が、ゲラゲラ笑って、ほれ、と言って、クルリと背を向けて、自分の襟足(えりあし)の毛を持ち上げた。

 (うなじ)の辺りに、一房、金色の毛が有った。


 双子が、揃って、ええ!?と叫んだ。


 忠顕の場合、白髪が増えてきてはいるが、金髪は、やはり、白髪とは、色が明白に違った。


「あ、何だ。単に遺伝でしたか」


 俊顕が、納得した様子で、そう言うと、忠顕は、呵々大笑(かかたいしょう)した。


「おお。知らんかったか?うちは、何故か男にだけ此れが出るんだ。昔は皆、(まげ)を結っておったから隠し(やす)かったらしいぞ。其のうち、金色と白髪が混ざって生えて来て、隠せんようになるが。染めてる御先祖も居たらしいしな。坊主頭(ボシビンタ)だと却って分かり(にく)いらしいぞ。剃るか?辰」


「おじいちゃま、いっしょ、いっしょ」


 教えてくだされば良かったのにぃ、と、嬉しそうに言う辰顕に対し、誰の子か()ぐ分かっちまうから話題に出なくなったんだよ、と、忠顕が小声で言った。


―おっと。…確かに、誰が男系の子孫だって、一目瞭然だものな。随分自己主張の強い遺伝子だけど、便利であり、不便でもあるな。


 大人達は、女性側の不貞の可能性等々の話題を避けたくて一瞬黙ったが、男の子三人は、忠顕の言葉に、キョトンとしていた。


 顕彦は双子に笑い掛けて、言った。

「な。割と居るだろ」


 双子は、コクコクと頷いた。


 今度は、辰顕だけ、キョトンとした。


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