坂元栄 金髪
来客の対応をしてくれたらしい、初の声がしたが、其れが、何処と無く涙声なのを、栄は感じ取った。
稍あって、納戸に、初が、泣きながらやって来た。
「彦兄、母上が御見えですよ」
納戸の戸の外に座している初の傍らには、同じく、正座して丁寧に一礼している、初老の女性が居り、此方も泣いていた。
此の兄弟の母親の逸である。
逸は、泣きながら納戸に入ると、そっと顕彦の傍らに座って、彦、と言った。
顕彦も、少し泣きそうな顔をしながら、母上、と言った。
「いらしてくださるとは。有難う御座います。御加減は宜しいのですか?」
逸は、里を転出してからというもの、あまり調子が良くないのだ。
其処に、今月、娘二人の婚礼で無理をしたらしい。
栄には、義母の姿が、つい此の前会ったというのに、以前より小さく見えた。
逸は、次男坊の言葉に首を振って、優しい声で言った。
「今日は随分良いのだ。捻挫したと聞いたのに、直ぐ来られなくて、済まない」
痛かったろうに、と言って、逸は更に泣いた。
自身も納戸に入ってきた初が、逸の肩を、そっと抱いた。
上方限の女性は、目下には男言葉である。此の習慣で育てられると、方言には、なかなか馴染み難かろう、と栄は思う。
母親の謝罪に、顕彦は、そんな、と言った。
「母上。態々御越し頂くまでも御座いませんでしたのに。骨は無事でしたし」
逸は、涙に濡れた優しい顔を上げ、何を言う、と言った。
「御前は痛い時、痛いと言わぬのだから。足首が、こんなに腫れて」
俊顕も、優しい声で言った。
「後で父上がいらっしゃるぞ。先に、清水本家に御挨拶に伺って、仲の様子を見てきてくださるらしい」
長兄の言葉に、顕彦は慌てて言った。
「そんな。父上までいらしてくださるとは」
「否、飲みの口実も有ろうよ」
逸が、優しげな風貌に似合わず、意外に冷たい声で、そう言ったので、栄には、逸が、夫である忠顕の飲酒量を快く思っていない事が、よく分かった。
俊顕は、母親の言葉を聞いて、くくっ、と、小さく笑った。
逸は、懐から出した手拭いで涙を拭くと、そういうわけで、と言った。
「あまり長くは居られないのだが。彦の顔を見られて良かった。栄殿、ハナを少し御借りして、御宅を拝見させて頂いても宜しいでしょうか。炊事場で、此れが上手く遣っているか気になって」
「勿論です、義母上。どうぞ、御随意に」
栄は、そう言うと、居住まいを正して、逸に、正座の儘、一礼した。
逸も初も丁寧に一礼して、納戸から出て行った。
逸が去ったのを確認してから、顕彦が、悲しそうに言った。
「…うちに泊まっていかれないのですね。やはり、あまり良くないのですか、母上は」
其処までではないのだが、と言って、俊顕は渋い顔をした。
「何と言ったら良いか…。本人の態度に焦りを感じる」
顕彦は、其れを聞いて、愈々悲しい顔をした。
俊顕は、更に言った。
「体力を考えると、今日くらい此処に泊っていかれて、明日、向こうに御戻りになっても構わないと思うのだが。何だが、ソワソワ、ソワソワなさっていらっしゃるのだ。以前の母上と、少し違う感じがするのだ。俺には、まるで、一秒でも長く、孫と一緒に過ごそうとしているみたいに見える」
ああ、と栄は言った。
「静ちゃん達の所に戻りたいのですか」
俊顕は、悲しそうに笑って、言った。
「孫が可愛いだけなのだと思いたいのだが。御年を考えると、な」
死期の話はあまり好かない栄だが、此の時代、平均寿命は四十五歳から四十八歳というところなのだ。そう考えると、五十を疾うに越している逸は、長生きの部類に入ると言えるのである。
栄は、優しい義母の残り時間の事を考え、唇を噛んだ。
沈んだ空気の中、開けていた納戸の窓から、よう、と声がした。
忠顕である。
「彦。如何だ?」
「父上。態々御越し頂いて、有難う御座います」
「顔色は、まぁまぁだな」
次男坊に対して、そう言う忠顕の方は、未だ昼だというのに、少し赤い顔をしていた。
やはり、逸の予想通り、清水本家で酒を飲んだのであろう。
―飲みの口実って、何でも構わないものなんだよなぁ。例えば、嫁いだ娘の様子を見に行くのが口実でも構わないわけで。…義母上が良く思わないのも分からなくはないな。
忠顕は、上機嫌で、それ、と言った。
「土産だ。先刻捕まえた兔だ」
忠顕は、ゲラゲラ笑いながら、傍らに居たらしい、土足の儘の子供三人を次々に捕まえて、ポイポイポイッと、窓から納戸の中に入れた。
―わぁ、酔ってるなぁ。
見れば、三人は、先刻、走る練習に行った筈の、双子と辰顕だった。三人は、畳に土が付かない様に、慌てて裸足になった。
―偉いけど、不憫。酔っぱらいの御爺さんに掴まっちゃったんだね。其れにしても、義父上は御元気だなぁ。
細君の逸よりも年上の筈なのに、体格も良く、かなり元気に見える。此の年代の割には背が高く、息子達と横並びの身長で、武芸に秀で、力が強く、体も丈夫なのだ。勿論、里の中では、かなりの長身で、本家の前当主という立場に相応しい、立派な風貌である。
―此の子達三人を軽そうに持ち上げて、平気そう。御酒も好きだし、節制もしていないのに、人間の体って不公平に出来ているのかもねぇ。
気の毒な土産の兔、双子と辰顕は、履物を抱えて、慌てて、しかし丁寧な礼儀で納戸を去ると、玄関に草履を置いたらしく、再び戻って来た。殊勝な事である。
納戸の戸の外で、丁寧な、座した一礼をする綜の傍らで、周と辰顕は、ニコニコしながら、綜の真似をして座っていた。
納戸に入って来た辰顕は、顔を輝かせて、れんしゅうした、と、誇らしげに言った。
双子は綺麗なものだが、辰顕は一人だけ泥だらけであるのに、実に満足そうだった。
手応えが有ったのかな、と、義理の甥の様子が、実に愛らしく思えて、栄は微笑んだ。
―此の年代の一歳差は大きいからなぁ。双子に後れを取らない様なら、自信も付くってものだよね。
俊顕も微笑んで、良かったなぁ、と言った。
「綜、周、有難うな。助かったよ。辰、綜達に御礼は言ったのか?」
辰顕は、はい、と言って、二カッと笑った。
周同様、前歯が一本抜けている。
もう大人の歯が生えるらしい、と思い、栄は微笑ましかった。
忠顕を含めた大人達に、口々に礼を言われる綜も周も満足そうで、周は普段通りニコニコしているし、納戸の空気が明るくなって、栄は安心した。
辰顕は、ニコニコしながら言った。
「綜ちゃん、おれいに、ないしょ、見せてあげるね」
「…内緒を此処で言って良いのか?皆居るぞ?」
対する綜は、至極尤もな事を言ったが、辰顕は、特に気にした様子は無い。
―さては、あまり、内緒の意味が分かっていないな。
辰顕は、両耳の上の髪の毛を持ち上げた。
硬そうな黒髪の、両耳の上の方に、一房ずつ、短い金色の髪が生えていた。
双子は、揃って、あ!と言った。
「おもしろい?いつもは見えないでしょう?」
そう言って、辰顕は、ニッコリ笑った。
「ああ、そうだった。辰は其処なんだよなぁ」
俊顕が、そう言って、左耳と旋毛の真ん中辺りに位置する髪を、サッと掻き上げた。
ほんの一房だけ、辰顕の髪と同じ色の物が確認出来た。
双子は、また、あ!と言った。
「あ、何だ。兄上もでしたか」
顕彦が、両耳の上の髪を持ち上げると、俊顕が、おー、と言った。
「彦、若しかして、何時も前髪の其処だけ長いの、其れを隠す為か?」
「そうです。兄上もですか?其処が何時も長めに切ってあるのは」
「そうそう。一部分だけ髪の色が淡いんだよ。金髪って言うかなぁ。何だ、御前もかぁ。ああ、幼い時分は髪が長かったから、御互い分からなかったんだな。俺も、長じて髪を切ってから、自分の髪の事を知ったんだよ」
忠顕が、ゲラゲラ笑って、ほれ、と言って、クルリと背を向けて、自分の襟足の毛を持ち上げた。
項の辺りに、一房、金色の毛が有った。
双子が、揃って、ええ!?と叫んだ。
忠顕の場合、白髪が増えてきてはいるが、金髪は、やはり、白髪とは、色が明白に違った。
「あ、何だ。単に遺伝でしたか」
俊顕が、納得した様子で、そう言うと、忠顕は、呵々大笑した。
「おお。知らんかったか?うちは、何故か男にだけ此れが出るんだ。昔は皆、髷を結っておったから隠し易かったらしいぞ。其のうち、金色と白髪が混ざって生えて来て、隠せんようになるが。染めてる御先祖も居たらしいしな。坊主頭だと却って分かり難いらしいぞ。剃るか?辰」
「おじいちゃま、いっしょ、いっしょ」
教えてくだされば良かったのにぃ、と、嬉しそうに言う辰顕に対し、誰の子か直ぐ分かっちまうから話題に出なくなったんだよ、と、忠顕が小声で言った。
―おっと。…確かに、誰が男系の子孫だって、一目瞭然だものな。随分自己主張の強い遺伝子だけど、便利であり、不便でもあるな。
大人達は、女性側の不貞の可能性等々の話題を避けたくて一瞬黙ったが、男の子三人は、忠顕の言葉に、キョトンとしていた。
顕彦は双子に笑い掛けて、言った。
「な。割と居るだろ」
双子は、コクコクと頷いた。
今度は、辰顕だけ、キョトンとした。




