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声聞くときぞ 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第三章 養生
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坂元栄 近況

先刻(さっき)もだったんだけどさぁ、見ただろ、(たつ)の奴」


 俊顕は、ドッカリと胡坐を掻いて、溜息をつきながら、言った。


「ハナには(たつ)って呼ばれても何も言わないんだよ。美人には甘い」


()だ、そんな歳では無いのでは」


 栄の言葉に、俊顕は、いいや、と言って、首を大きく振った。


「近所でも、可愛い女の子には優しいんだよ。そうでも無い子には興味が無さそうに見える。母親が美人な子にも優しい。将来美人になりそうな子を見抜いているんじゃないかと思うんだ。思うに、顔で()(ごの)みしてるんじゃないか、とね」


 顕彦と栄は、口々に、其れは考え過ぎでは、と言ったが、俊顕は、そうかぁ?と言って、再び溜息をついた。


「全く、今から面食いなんて、誰に似たんだか」


 顕彦と栄は、俊顕の顔をジッと見た。


 俊顕は、驚いた(よう)に言った。

「え?俺?」


「兄上そっくりですよ」


 顕彦が真顔で、そう言うと、俊顕は、俺かぁ、と言って、頭を抱えた。


 顕彦は、其れが本当なら、の話ですけど、と、小声で付け足した。


―そうなんだよなぁ、此処までの話、全部、俊顕さんの主観だからなぁ。


 少なくとも、栄には、俊顕が、特定の女児の母親を美人だと認識している、という内容の話にも思えたのだ。『俊顕が』そう感じているから、辰顕が『面食いに見える』、というだけなのではないか、と思う次第である。

 無論、現場を見ていないので、真偽の程は定かではないが。


「ま、親子ですからね。(たつ)が兄上に似るのは、仕方が無い事だと諦めましょうよ」

 顕彦が、実に軽い口調で、そう言った。


 全くねぇ、と、俊顕は更に嘆息した。


(ひこ)叔父(おじ)もハナ子おばちゃんも、()だ、ちゃんと言えないし。大体、ハナ子じゃないってのに。(やわ)らかい、は、や()()かい、とか言うし。玉蜀黍(とうもろこし)は、とう()()()し、とか言うし。何を殺すってんだ。『とうも』って何だよ」


 俊顕は、ブツブツと、其の(よう)に文句を言うと、ああもう、と(なげ)かわし()に言った。

 色々と心配らしい。


 親というのは大変そうだな、と思いながら、そう言えば、と栄は言った。

「周も、はなこばちゃん、って言ってましたね。あぱち、とか」


 あぱち?と言って目を見開いた俊顕に、顕彦が、笑って言った。

二十歳(はたち)の事らしいですよ」


 実弟(じってい)の報告に、俊顕は、うーん、と唸って、言った。

「一つ年上の周が言えないなら、(たつ)も、()だ言えないのかな」


 来年も言えないのかねぇ、と言いながら、目上の俊顕が茶を啜ったので、顕彦も茶を一口啜った。二人が湯呑を置くのを見てから、栄も、一口、茶を飲んだ。


 (なお)も、やれやれ、と嘆息する俊顕に、顕彦が、まぁまぁ、と言った。


「其の辺りは個人差が有りますから。急に言える(よう)になる事も有りましょうが。其れより、如何(いかが)です?向こうは」


 向こう、とは此の場合、()原集落(ばるしゅうらく)の外の事を指す。


 俊顕は、再び、うーん、と唸った。


「仕事は上手くいっている。御近所さんも親切で、環境は悪かないが。…うちの子達には、如何(どう)かねぇ」


 顕彦が、少し心配そうな顔をしたので、栄は、俊顕に聞いてみた。


(たつ)の四月の就学に合わせて、今年の三月に向こうに行かれたのでしたよね?…あまり、良くないですか?」


「そうだなぁ、(たつ)は、あの通り、負けん気も強いし、頭も悪かないし、足も早いし、体も丈夫だし。(いじ)められたり、仲間外れにされたりはしていないんだが。仲良しとなるとなぁ。里を出て半年以上経つけど、綜と周の方が()だ、良い友達だと思う。…浮いているんだな、如何(どう)しても。言葉は違うし、身形(みなり)が良い、とか言われて」


「ああ、上方限(カミホーギリ)で育つと、(ほとん)ど方言を使いませんからね…。俺も、最初は慣れませんでした。普段から少しずつでも方言を使っておかないと、里を出た時に、相手の話している言葉は分かるけど、一瞬、相手と如何(どう)話していいか分からなくなるんですよね」


 栄が、自身の経験を(まじ)えて語りながら同意すると、俊顕も、そうそう、と言った。


「祖父母も両親も、揃って、(ほとん)ど方言を使わんからなぁ。自然と、そうなるよな。…しかし、身形(みなり)ったって、親は()(かく)()()に、其処まで良い物を着せて遊ばせている心算(つもり)も無いのだが。親が医者だっていう偏見かね?此の間なんて、近所の年寄に士族(シゾッ)(サァ)かい、と言われたよ」


 其れを聞いて、怖い(よう)な気持ちになった栄は、動揺を隠して、そうだとしても、と言った。


「昭和にもなって、もう士分(しぶん)も何も無いでしょうにね」


 栄の言葉に、全くだなぁ、と、顕彦が同意した。


 しかし、俊顕は、其れがねぇ、と言った。

「在るんだよ、武士集落が」


 顕彦と栄は、声を揃えて、え?と言った。


 其れがさ、と俊顕は続けた。


「顔を覚えられている可能性を考慮して、昔、よく行ってた、祭りをやっていた隣村は(わざ)と避けて、なるべく、里の近くになる場所に引っ越したんだけど。隣村の、更に隣に、小さな…、(フモト)って言って良いのかね、あれは。(えら)く小規模だから、そんな呼び方もしないかもしれないが。()(かく)、川の近くに、小高い所が有って。其処は、元士族しか住んでいないらしい。其処の出身か、と聞かれたよ。見当違いだが、はぁ、今時分(いまじぶん)、そんな事も有るのか、と思ったね」


 栄は、再び、動揺を隠して、言った。

(フモト)が在ったのですか」


 いや、と俊顕は言った。


「実際に(フモト)と呼ばれているか否かは、先刻(さっき)も言った通り、微妙なんだが。立派な門構えに石垣、という程の規模じゃない様子だからな。ただ、まぁ、此の県は、百二十近くもの外城(とじょう)が在って、人口の四分の一が武士だったらしいからな、江戸の頃は。そりゃ、在るだろうな、という感じだったが。何でも(いま)だに、元士族同士でしか婚姻しないらしいぞ。俺達には関係の無い話だが」


「そうですね。昭和も九年にもなって、不思議な事ですね」

 自分達には関係無い、と聞くと、栄はホッとした。


 囲炉裏端から、子等の走り去る足音がした。団子を食べ終えた三人の子等が、外に出て行ったらしい。


 なぁ、と、顕彦が栄の言葉に同意してから、俊顕に向かって言った。

(しず)ちゃんと(さえ)ちゃんは如何(いかが)です?」


 顕彦の問いに、俊顕は、再び、うーん、と俊顕は唸った。


()だ学校に上がる年でもないし、近所の女の子達(オナゴンコンシ)とは仲が良いのだが。男の子(オトコンコ)がなぁ」


(いじ)められていると仰るのですか?」


 顕彦が、許せん、という口調で、そう聞き返すと、俊顕が、言い(にく)そうにいった。


「いや、あれだ、ほら。可愛い(こやらし)子を(いじ)めるってやつ」


 顕彦と栄は、声を揃えて、あー、と言った。


 一番面倒な、あれですね、と言って顕彦が顔を(しか)めると、そうなんだよ、と俊顕が言った。


(きら)って(いじ)めているのとも少し違うし、親同士も注意し(にく)いし、注意しても()めないし、で」


 俊顕と顕彦は、揃って、うーん、と唸った。


「有るんですよねぇ。里も、共学にしたのは良いですが…」


 顕彦の嘆きに、俊顕は、おや、そうかい、と言って、茶を一口飲んだ。

 其れに合わせて、栄も、茶を一口飲んだ。


 そうなんですよ、と顕彦は言った。


「特に、下方限(シモホーギリ)男の子達(オトコンコンシ)には、上方限(カミホーギリ)女の子(オナゴンコ)が眩しいらしくてですね。共学と言いつつ、術やら体術やらを男児にだけ教える都合で、校舎は一応分かれているから良い(よう)なものですが。男児は制服として全員白装束でも、女児は普段着、尋常中学の女生徒には、服装で貧富の差が出るのを避ける為に、水兵(セーラー)(ふく)を支給して導入しましたもので。…いや、中学の水兵(セーラー)(ふく)導入は、かなり迷いましたが、女子に、男子の正装の白装束で登校させるわけにもいかなくて。制服に、都会の上流の、女学校の意匠(デザイン)を取り入れたら、保護者にも評判が良くて、結局採用されまして。…しかし、そうなると、教室が、里では(ほとん)ど見掛けない洋装の、しかも若い女の子だらけになってしまいまして…。やれ、窓から蜥蜴(とかげ)が入れられただの、長い御下げ髪を引っ張って枝を引っ掛けられただの」


「ああ、あれな。上品な濃色(こきいろ)の袖無しワンピースの上から、同じ色の水兵(セーラー)(えり)装飾用布(スカーフ)の付いた白い襯衣(シャツ)を着ているやつだろ。夏だけ半袖でな。生地が良いから、何年か前の猛暑に外で流行った、アッパッパより、うんと上品で、愛らしいものな。少女らしいとでも言おうか。黒い羊毛(ウール)のバルキータイツと革靴も支給したんだって?」


「ああ、タイツは防寒に。夏は莫大小(メリヤス)も許可しています。其の辺は支給しておりませんから、色も何もかも自由ですね。革靴は、支給しないと、下方限(シモホーギリ)じゃ、草鞋(わらじ)も無い所も在りますから。いじらしい事に、支給されたのが嬉しくて、入学前に革靴を抱いて寝ていた娘さんも居たとか何とか」


「…着物じゃ出さない脚を出して、タイツや莫大小(メリヤス)を履いた、水兵(セーラー)(ふく)の、年頃の女の子(オナゴンコ)だらけの教室が、目と鼻の先に在るのか…。加えて、襞女袴(プリーツスカート)なんて、生まれて初めて見た連中ばっかりだろうしな。其れで、長い御下げ髪に飾紐(リボン)か…。ま、(いじ)めないまでも、男の子達(オトコンコンシ)に、気にするな、と言うのは無理だろうなぁ。やれやれ、何処も大変だな」


 俊顕は、またも溜息をついた。


 栄は、周囲に年の近い女の子は(ほとん)ど居ない環境で育ったので、全く覚えの無い感情であるが、確かに、よく聞く話ではある。


 可愛い女の子の気を惹きたいが、相手はサッパリ自分に興味が無い。

 大人なら、褒めたり贈り物をしたりして気を惹く努力をするところを、心身共に幼いと其れが出来ない。発想自体が無いのか、技術が無いから出来ないだけなのか、(はた)(また)周りに冷やかされるのを恐れて出来ないのかは分からないが、()(かく)、出来ない。

 故に、やはり、相手には、自分にサッパリ興味を持ってもらえない。

 そうすると、せめて、好かれなくても、嫌われてもいいから、自分の方を見てほしい、と思うものらしい。否、嫌われてもいいから、などという自覚も()だ無いのかもしれない。


 そして結局、好かれたい筈の女の子に、逆効果の行為を繰り返す事になるようだ。


「…(しず)ちゃんも(さえ)ちゃんも、あの年で、もう顔が出来上がってますからね。相手にしてみれば、半年前、急に美人姉妹が近所に引っ越してきたわけですよね」


 栄の言葉に、顕彦が、あーあ、と言った。


「ひこじーが思うに、年頃になったら、もっと大変なんじゃないですか?」


 空気を柔らかくしたくてなのか、少し()道化(どけ)(よう)に、顕彦は、そう言ったが、俊顕は、そうだなぁ、と言ってから、また唸った。


「うーん、それじゃあ(ふせ)(よう)が無いから、慣れてもらうかね」

 やれやれだわ、と俊顕が呟くと、また来客の声がした。


 (フモト) (ふもと)集落(しゅうらく)とも。武士集落。近世の薩摩(さつま)藩における半士半農の在郷武士団の居住地。


 人口の四分の一が武士 七割と書かれている資料も。


 日本が、イギリス海軍の男子の制服であるセーラー服を女子の制服に取り入れたのは、一九二〇(大正九)年から。


 濃色(こきいろ) 濃い紫。上品な色として古くから好まれた。


 アッパッパ 夏用の衣服として着られる、サッカー生地などの木綿製ワンピース。簡易服、または清涼服などとも呼ばれる。大きめで、ゆったりとしたデザインが特徴。一九二〇~一九三〇年代に流行したが、地方では平成に入ってからも、年配女性の夏服に、よく見られた。特に、一九二九(昭和四)年の東京は四十年ぶりの猛暑であり、清涼着と名づけて売りに出されたアッパッパが流行した。


 莫大小(メリヤス) 靴下。靴下自体は普及していたが、『靴下』と呼ばれるようになったのは一九五〇年代以降。日本で最初に靴下を履いたのは徳川光圀、所謂(いわゆる)水戸黄門と言われる。江戸時代の後期になると、武士が内職として莫大小(メリヤス)を編んでいた。『メリヤス』を幕府に献上していた藩も。当時、靴下は「メリヤス」と呼ばれ、古書の記述は「莫大小」。「大小莫かれ」、つまり、大きくなったり小さくなったりするものという意味で、伸び縮みする靴下の表現。

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