坂元栄 近況
「先刻もだったんだけどさぁ、見ただろ、辰の奴」
俊顕は、ドッカリと胡坐を掻いて、溜息をつきながら、言った。
「ハナには辰って呼ばれても何も言わないんだよ。美人には甘い」
「未だ、そんな歳では無いのでは」
栄の言葉に、俊顕は、いいや、と言って、首を大きく振った。
「近所でも、可愛い女の子には優しいんだよ。そうでも無い子には興味が無さそうに見える。母親が美人な子にも優しい。将来美人になりそうな子を見抜いているんじゃないかと思うんだ。思うに、顔で選り好みしてるんじゃないか、とね」
顕彦と栄は、口々に、其れは考え過ぎでは、と言ったが、俊顕は、そうかぁ?と言って、再び溜息をついた。
「全く、今から面食いなんて、誰に似たんだか」
顕彦と栄は、俊顕の顔をジッと見た。
俊顕は、驚いた様に言った。
「え?俺?」
「兄上そっくりですよ」
顕彦が真顔で、そう言うと、俊顕は、俺かぁ、と言って、頭を抱えた。
顕彦は、其れが本当なら、の話ですけど、と、小声で付け足した。
―そうなんだよなぁ、此処までの話、全部、俊顕さんの主観だからなぁ。
少なくとも、栄には、俊顕が、特定の女児の母親を美人だと認識している、という内容の話にも思えたのだ。『俊顕が』そう感じているから、辰顕が『面食いに見える』、というだけなのではないか、と思う次第である。
無論、現場を見ていないので、真偽の程は定かではないが。
「ま、親子ですからね。辰が兄上に似るのは、仕方が無い事だと諦めましょうよ」
顕彦が、実に軽い口調で、そう言った。
全くねぇ、と、俊顕は更に嘆息した。
「彦叔父もハナ子おばちゃんも、未だ、ちゃんと言えないし。大体、ハナ子じゃないってのに。柔らかい、は、やらわかい、とか言うし。玉蜀黍は、とうもころし、とか言うし。何を殺すってんだ。『とうも』って何だよ」
俊顕は、ブツブツと、其の様に文句を言うと、ああもう、と嘆かわし気に言った。
色々と心配らしい。
親というのは大変そうだな、と思いながら、そう言えば、と栄は言った。
「周も、はなこばちゃん、って言ってましたね。あぱち、とか」
あぱち?と言って目を見開いた俊顕に、顕彦が、笑って言った。
「二十歳の事らしいですよ」
実弟の報告に、俊顕は、うーん、と唸って、言った。
「一つ年上の周が言えないなら、辰も、未だ言えないのかな」
来年も言えないのかねぇ、と言いながら、目上の俊顕が茶を啜ったので、顕彦も茶を一口啜った。二人が湯呑を置くのを見てから、栄も、一口、茶を飲んだ。
尚も、やれやれ、と嘆息する俊顕に、顕彦が、まぁまぁ、と言った。
「其の辺りは個人差が有りますから。急に言える様になる事も有りましょうが。其れより、如何です?向こうは」
向こう、とは此の場合、瀬原集落の外の事を指す。
俊顕は、再び、うーん、と唸った。
「仕事は上手くいっている。御近所さんも親切で、環境は悪かないが。…うちの子達には、如何かねぇ」
顕彦が、少し心配そうな顔をしたので、栄は、俊顕に聞いてみた。
「辰の四月の就学に合わせて、今年の三月に向こうに行かれたのでしたよね?…あまり、良くないですか?」
「そうだなぁ、辰は、あの通り、負けん気も強いし、頭も悪かないし、足も早いし、体も丈夫だし。苛められたり、仲間外れにされたりはしていないんだが。仲良しとなるとなぁ。里を出て半年以上経つけど、綜と周の方が未だ、良い友達だと思う。…浮いているんだな、如何しても。言葉は違うし、身形が良い、とか言われて」
「ああ、上方限で育つと、殆ど方言を使いませんからね…。俺も、最初は慣れませんでした。普段から少しずつでも方言を使っておかないと、里を出た時に、相手の話している言葉は分かるけど、一瞬、相手と如何話していいか分からなくなるんですよね」
栄が、自身の経験を交えて語りながら同意すると、俊顕も、そうそう、と言った。
「祖父母も両親も、揃って、殆ど方言を使わんからなぁ。自然と、そうなるよな。…しかし、身形ったって、親は兎も角、子等に、其処まで良い物を着せて遊ばせている心算も無いのだが。親が医者だっていう偏見かね?此の間なんて、近所の年寄に士族様かい、と言われたよ」
其れを聞いて、怖い様な気持ちになった栄は、動揺を隠して、そうだとしても、と言った。
「昭和にもなって、もう士分も何も無いでしょうにね」
栄の言葉に、全くだなぁ、と、顕彦が同意した。
しかし、俊顕は、其れがねぇ、と言った。
「在るんだよ、武士集落が」
顕彦と栄は、声を揃えて、え?と言った。
其れがさ、と俊顕は続けた。
「顔を覚えられている可能性を考慮して、昔、よく行ってた、祭りをやっていた隣村は態と避けて、なるべく、里の近くになる場所に引っ越したんだけど。隣村の、更に隣に、小さな…、麓って言って良いのかね、あれは。豪く小規模だから、そんな呼び方もしないかもしれないが。兎に角、川の近くに、小高い所が有って。其処は、元士族しか住んでいないらしい。其処の出身か、と聞かれたよ。見当違いだが、はぁ、今時分、そんな事も有るのか、と思ったね」
栄は、再び、動揺を隠して、言った。
「麓が在ったのですか」
いや、と俊顕は言った。
「実際に麓と呼ばれているか否かは、先刻も言った通り、微妙なんだが。立派な門構えに石垣、という程の規模じゃない様子だからな。ただ、まぁ、此の県は、百二十近くもの外城が在って、人口の四分の一が武士だったらしいからな、江戸の頃は。そりゃ、在るだろうな、という感じだったが。何でも未だに、元士族同士でしか婚姻しないらしいぞ。俺達には関係の無い話だが」
「そうですね。昭和も九年にもなって、不思議な事ですね」
自分達には関係無い、と聞くと、栄はホッとした。
囲炉裏端から、子等の走り去る足音がした。団子を食べ終えた三人の子等が、外に出て行ったらしい。
なぁ、と、顕彦が栄の言葉に同意してから、俊顕に向かって言った。
「静ちゃんと冴ちゃんは如何です?」
顕彦の問いに、俊顕は、再び、うーん、と俊顕は唸った。
「未だ学校に上がる年でもないし、近所の女の子達とは仲が良いのだが。男の子がなぁ」
「苛められていると仰るのですか?」
顕彦が、許せん、という口調で、そう聞き返すと、俊顕が、言い難そうにいった。
「いや、あれだ、ほら。可愛い子を苛めるってやつ」
顕彦と栄は、声を揃えて、あー、と言った。
一番面倒な、あれですね、と言って顕彦が顔を顰めると、そうなんだよ、と俊顕が言った。
「嫌って苛めているのとも少し違うし、親同士も注意し難いし、注意しても止めないし、で」
俊顕と顕彦は、揃って、うーん、と唸った。
「有るんですよねぇ。里も、共学にしたのは良いですが…」
顕彦の嘆きに、俊顕は、おや、そうかい、と言って、茶を一口飲んだ。
其れに合わせて、栄も、茶を一口飲んだ。
そうなんですよ、と顕彦は言った。
「特に、下方限の男の子達には、上方限の女の子が眩しいらしくてですね。共学と言いつつ、術やら体術やらを男児にだけ教える都合で、校舎は一応分かれているから良い様なものですが。男児は制服として全員白装束でも、女児は普段着、尋常中学の女生徒には、服装で貧富の差が出るのを避ける為に、水兵服を支給して導入しましたもので。…いや、中学の水兵服導入は、かなり迷いましたが、女子に、男子の正装の白装束で登校させるわけにもいかなくて。制服に、都会の上流の、女学校の意匠を取り入れたら、保護者にも評判が良くて、結局採用されまして。…しかし、そうなると、教室が、里では殆ど見掛けない洋装の、しかも若い女の子だらけになってしまいまして…。やれ、窓から蜥蜴が入れられただの、長い御下げ髪を引っ張って枝を引っ掛けられただの」
「ああ、あれな。上品な濃色の袖無しワンピースの上から、同じ色の水兵衿と装飾用布の付いた白い襯衣を着ているやつだろ。夏だけ半袖でな。生地が良いから、何年か前の猛暑に外で流行った、アッパッパより、うんと上品で、愛らしいものな。少女らしいとでも言おうか。黒い羊毛のバルキータイツと革靴も支給したんだって?」
「ああ、タイツは防寒に。夏は莫大小も許可しています。其の辺は支給しておりませんから、色も何もかも自由ですね。革靴は、支給しないと、下方限じゃ、草鞋も無い所も在りますから。いじらしい事に、支給されたのが嬉しくて、入学前に革靴を抱いて寝ていた娘さんも居たとか何とか」
「…着物じゃ出さない脚を出して、タイツや莫大小を履いた、水兵服の、年頃の女の子だらけの教室が、目と鼻の先に在るのか…。加えて、襞女袴なんて、生まれて初めて見た連中ばっかりだろうしな。其れで、長い御下げ髪に飾紐か…。ま、苛めないまでも、男の子達に、気にするな、と言うのは無理だろうなぁ。やれやれ、何処も大変だな」
俊顕は、またも溜息をついた。
栄は、周囲に年の近い女の子は殆ど居ない環境で育ったので、全く覚えの無い感情であるが、確かに、よく聞く話ではある。
可愛い女の子の気を惹きたいが、相手はサッパリ自分に興味が無い。
大人なら、褒めたり贈り物をしたりして気を惹く努力をするところを、心身共に幼いと其れが出来ない。発想自体が無いのか、技術が無いから出来ないだけなのか、将又周りに冷やかされるのを恐れて出来ないのかは分からないが、兎に角、出来ない。
故に、やはり、相手には、自分にサッパリ興味を持ってもらえない。
そうすると、せめて、好かれなくても、嫌われてもいいから、自分の方を見てほしい、と思うものらしい。否、嫌われてもいいから、などという自覚も未だ無いのかもしれない。
そして結局、好かれたい筈の女の子に、逆効果の行為を繰り返す事になるようだ。
「…静ちゃんも冴ちゃんも、あの年で、もう顔が出来上がってますからね。相手にしてみれば、半年前、急に美人姉妹が近所に引っ越してきたわけですよね」
栄の言葉に、顕彦が、あーあ、と言った。
「ひこじーが思うに、年頃になったら、もっと大変なんじゃないですか?」
空気を柔らかくしたくてなのか、少し御道化た様に、顕彦は、そう言ったが、俊顕は、そうだなぁ、と言ってから、また唸った。
「うーん、それじゃあ防ぎ様が無いから、慣れてもらうかね」
やれやれだわ、と俊顕が呟くと、また来客の声がした。
麓 麓集落とも。武士集落。近世の薩摩藩における半士半農の在郷武士団の居住地。
人口の四分の一が武士 七割と書かれている資料も。
日本が、イギリス海軍の男子の制服であるセーラー服を女子の制服に取り入れたのは、一九二〇(大正九)年から。
濃色 濃い紫。上品な色として古くから好まれた。
アッパッパ 夏用の衣服として着られる、サッカー生地などの木綿製ワンピース。簡易服、または清涼服などとも呼ばれる。大きめで、ゆったりとしたデザインが特徴。一九二〇~一九三〇年代に流行したが、地方では平成に入ってからも、年配女性の夏服に、よく見られた。特に、一九二九(昭和四)年の東京は四十年ぶりの猛暑であり、清涼着と名づけて売りに出されたアッパッパが流行した。
莫大小 靴下。靴下自体は普及していたが、『靴下』と呼ばれるようになったのは一九五〇年代以降。日本で最初に靴下を履いたのは徳川光圀、所謂水戸黄門と言われる。江戸時代の後期になると、武士が内職として莫大小を編んでいた。『メリヤス』を幕府に献上していた藩も。当時、靴下は「メリヤス」と呼ばれ、古書の記述は「莫大小」。「大小莫かれ」、つまり、大きくなったり小さくなったりするものという意味で、伸び縮みする靴下の表現。




