坂元栄 報告
「で、要さんの所に行ってきたわけですが」
「そうですか」
―…何で、尚兄が、俺に敬語なんだろう…。
再び縁側に通された栄は、困惑しながら、尚顕を見た。
おどおどしている。
―ちょっとちょっと、しっかりして。
栄は、一呼吸置いて、話を切り出した。
「…あの、抑、御家族は、何て?急に御仲人様に相談かけました、って報告したんでしょう?正顕さん達、驚かなかった?」
「…父上に、一発、拳骨を御見舞いされた。珍しく、兄上にも小言を言われたし…」
「あら」
―理兄、優しいのにねぇ。よっぽどじゃないの。
「十年ぶりくらいの拳骨だったかな…。馬鹿たれが、あんな時間に何考えているんだ、って」
「あらら」
―またしても正論。まぁ、下手したら親が恥を掻くところだったわけだしね。御宅の息子さん、こんな時間に?って、親が躾を疑われても、宜なるかな、というところだね。
「喜久ちゃんとの縁談については?」
「誰も、何も。皆、好い御話じゃないか、って。年回りも合うし」
「其れは何よりで」
「アリガトウゴザイマス」
―何でまた、敬語なんだろう。
しかも、少し、片言の様な発音である。
―あ、喜久ちゃんの様子を早く聞きたいのか…。
尚顕が、恐る恐る、という感じで、栄の様子を窺ってきているのが分かった。
「で、要さんの所に行ってきたわけですが」
「はい」
尚顕は、栄に返事をしながら、小刻みに震えていた。
―あ、もう、今日、完全に駄目だわ、尚兄。
「結論から言うと、喜久ちゃん、好い御話なので、御受けします、と。ただ」
「ただ」
「…喜久ちゃんからしたら、好い御話だけど、如何して申し込まれたか、分からないんだって。殆ど話した事が無いから、って。…相当意外だったんじゃない?」
「うーわー」
栄の報告に、尚顕は、頭を抱えて嘆いた。
そりゃ、嘆きたくもなるでしょうねぇ、と思い、栄は言葉を続けた。
「えーと、別に嫌がってなかったけど。多分、吃驚しているんだと思う。単なる弟妹の担任だと思っていたんだろうから。…顔見知り?知り合い?くらいの感じの人に、行き成り求婚された感じ?」
―知り合ってから長いのに、未だに知り合いの域を出ないくらい、恥ずかしがって、ろくに話も出来ずにいたんだと思えば、逆に微笑ましい気もするんだけども。
「どうしよう」
「否、如何しよう、って。喋らないと。多分、喜久ちゃん、尚兄が如何いう人なのか、分からないんだと思う」
尚顕は、真っ赤になり、栄の方に向き直って、言った。
「何を喋れば良いの?挨拶と弟達の話と、天気の話以外で」
栄は思わず、話題少ないな、と、大きな声で言いそうになったが、グッと堪えた。
―そんな事言ったって、夫婦になったら、毎日何か話さないといけないのに、如何する心算なんだろう。
「そうだねぇ、でも、ほら、会った事も無い人と御見合い、っていうより、上方限では随分、良い方の縁談だと思うよ。一応、顔見知り?だし」
栄は尚顕を庇う心算で、そう言ってみた。
尚顕は、暫く俯いていたが、ハッとした顔をして、言った。
「あれ?夫婦になったら、毎日顔を合わせるんだよな?喋らないといけないんだ」
今更?と大声で言いたくなるのを、栄は、グッと堪えた。
―もう、今日、尚兄、本当に頭が回らないんだろうな。
「御前は、如何してるの?お初さんと、何を喋ってる?如何やって二人で過ごせば良いの?」
「突っ込んで聞いてくるねぇ」
もう、全然、何時もの尚顕らしくなかったので、栄は気の毒になって、普段はしない、其の手の話題に答える事にした。
「うちは、奥方が御喋りだから。前は、殆ど聞き役だったなぁ」
「え?お初さんって、そうなの?」
「そうそう」
大体、栄も、以前は其れ程、喋る方ではなかったから、聞き役は全く苦にならない。
初は逆に、今は本人が気を付けているが、本来、とても御喋りなのである。親しくなると、其れが、よく分かる様になる筈だが、尚顕は、相性が悪い事も手伝ってか、其れ程、初と話す機会が無かったのだろう。
―巫女さんは、家族以外の男と会えないからな。同じ実方家でも、其のくらいの交流だったんだろうし、巫女を引退した後は年頃だから、一緒に遊ぶ感じの関係性じゃなかったんだろうし。
其れにしても、と、栄は思った。
―懐かしいな。
六年前に、初と話をする様になった頃の事を、栄は思い出した。
ただ初の御喋りを聞いているだけでも、とても楽しくて、一緒に居るのが、とても自然に思えてしまって、会わないでいると、とても寂しかった。
如何やって一緒に過ごしているのかと問われても、特に、何か、此れといった特別な事が有るわけではない。
未だに、初と一緒だと、本当に、何でも楽しいのだ。
あの当時でも、草刈りだろうが、大根の芽の間引きだろうが、初と一緒なら、何だって楽しかった。何か無理して、頑張って一緒に居た記憶は無い。
だから、参考になる様な事など何も言えないので、今、尚顕に、何と言うのが一番良いのだろう、と、栄は思った。
「喜久ちゃん、大人しいもんね。御互い、喋らないとなると、まぁ…」
うう、と尚顕は唸ってから、言った。
「喜久ちゃんて、何が好きなの?」
そろそろ、今更?って言っていいかなぁ、と、一瞬悩んだ栄だったが、一応答えた。
「時々、安幾ちゃんと、コッソリ刺繍しているらしいよ。手巾に、花模様を入れたいらしい。そういうのが欲しかったらしいんだけど、買ってもらえなかったから、前掛け用の布で工夫しているみたいだよ」
要は割と娘達に甘いのだが、基は厳しいのだ。あまり、そういった装飾品を要に買わせないのだと聞いた。手拭いで充分、というのが基の主張らしく、恐妻家の要は、其れを忠実に守っているらしい。
「其れは良い話を聞いた、と思うんだけど。俺、刺繍について、何一つ語れない」
未だ震えながら、そう言う尚顕に、栄は、落ち着いて、と言った。
「今度、喜久ちゃんに手巾でも贈ろうよ、其処は」
「あ、そうかな?」
―会話しようとしているのに、『刺繍とは』とか尚兄に語り出されても、喜久ちゃんも困りそう。綴り方の課題じゃあるまいしさぁ…。相手も、多分、尚兄に、手芸の話題を求めてないんじゃない?
栄は、刺繍について尚顕に滔々と、講義宜しく、定義などを含めて演説されている喜久を想像して、少し不憫になった。
―教員らしいと言えば、こんなに教員向きの発想も無いだろうけど…。不器用としか言い様が無いよね。
浮気が不可能そうな人柄だとは言えるから、結婚相手としては良いんだけども、と思いながら、栄は、次の話題を探した。
「あとはまぁ、花かな?吉雄さんのところが園芸好きだから、時々、其の手伝いをしてる」
「花」
尚顕は、遠い目をして、もう一度、花かぁ、と呟いた。
―…刺繍の話よりピンと来てないだなんて…。
手巾よりは花の方が、性別問わず、好む人間が多そうで、理解しやすくは無かろうか、と思う栄だったが、尚顕は、やはり、其れ程理解してくれていない様子で、言った。
「花については刺繍より語れるだろうか」
「…生物学的に?」
「まぁ」
「授業じゃあるまいし」
こりゃ駄目だ、と思い、栄は、遂に溜息をついた。
栄は賭け事を遣らない人間だが、其の、花についての生物学的な見地からの話が、婚約者同士の会話として弾まない方に、幾らかの金銭を賭けてもいいくらいの気持ちになった。
「大丈夫だよ、慣れてきたら、尚兄の地が出て来るから。そしたら、喜久ちゃんが、黙って話を聞いてくれるよ…」
「御前、話を聞くの、面倒になったろ」
「朝から、此処まで話を聞いた俺に対して、随分な言い方じゃない?」
呆れて、そう言う栄に対して、だってさぁ、と言って、尚顕は膨れた。
栄は別に、面倒になってはいないが、頭が回っていない時に、此れ以上、何を話しても同じだと思う次第である。
―帰ろう…。
「御目出度い話なんだから、もっとニコニコしようよ。あと、あんまり計画練らない方が良いよ。相手の居る事なんだから、絶対、思った通りにならないし。多分、こういうのは、ある程度、行き当たりばったりじゃないと」
―特に尚兄は。
尚顕は、再び遠い目をして、行き当たりばったり、と呟いた。
―あ、行き当たりばったりは、最も苦手とするところだったね。大らかそうに見えるのに、変なところで神経質なんだよな…。
そして、忍耐強いのに、一度崩れると脆い。
こういうところを、喜久が上手く汲んでくれると良いのだが、と栄は思った。
「今日は帰るね。明日仕事でしょ、尚兄。寝た方が良いよ」




