坂元栄 要宅
坂元分家で出迎えてくれた、黒っぽい着流し姿の要は、上機嫌だった。
「いやぁ、喜久が、実方分家の尚顕さんと、縁談が決まってねぇ」
「其れは御目出とう御座います」
栄が、心から、そう言うと、要は、有難う存じます、と言って、ニコニコしながら、炊事場に声を掛けてくれた。
炊事場から出て来た、野良着姿に赤い前掛けの喜久に、栄は、御重を返して、団子の包みも渡した。
喜久は、とても小さな声で、礼を言ってきた。
普段から、こうした大人しい娘であるので、見ただけでは、喜久が、縁談の事を、どの様に思っているか、栄には分からなかった。
喜久の母の基も上機嫌で、親しげに、御茶でも一杯、と言ってくれたが、此れから用事が有る旨を告げ、栄は、要宅を辞そうとした。
実際、尚顕の家に寄った後、午後には顕彦の待つ実方本家に伺う予定である。
そろそろ初も昼餉の準備を始めるであろうし、戻るなら今である。
御茶でも一杯と言われて素直に従えば、多分、御持たせで恐縮ですが、と、一緒に出て来るであろう、初が作った団子を食べる事になり、其の儘、要と小一時間は縁談の話をする事になる。
そして、恐らく、折角だから、と、昼も要宅で取る事になる。
昼を取るのは、初と一緒がいい栄である。
―そりゃ、見た目では分からないけど、喜久ちゃんだって、尚兄の事、泣く程嫌、って感じじゃないしね。
どうせ、他人の気持ちなど、全て分かりはしない。
其れでは、と栄が言うと、基が、喜久に、御見送りを、と、促した。昼餉の用意で手が離せないらしい。
―あ、今なら聞けるかも。
栄は、要宅の門前で、喜久と二人きりになったのをいい事に、切り出した。
「喜久ちゃん、縁談が決まったそうで、おめでとう」
有難う御座います、と、喜久が、恥ずかしそうに俯いて、栄に礼を言った。
「尚兄とだって?」
求婚する様に仕向けておいて、我ながら白々しいわぁ、と思いながら、そう言って、栄は、喜久の様子を窺った。
「ええ。どなたからか申し込んで頂けるとは思ってもみなかったのですけれど、御受けしようかと」
「ああ、そうなの」
―え?十八でしょ?何処からも申し込まれる可能性を考えなかったって?…なかなかの美人なのに、自己評価が、あんまり高くないのかな?…ま、そりゃ、自分の外見の良さを奢る様な性格の子じゃ無いけど…。
此れを慎ましいって言うんだろうな、と、栄は思った。改めて見ても、如何にも可憐な感じの親戚である。
「良い人だよ、尚兄。良かったね」
「はい、弟達の、良い先生ですし。とても好い御話だと、両親も喜んでおります」
「良かった、良かった。年回りも合うしね」
―此れは、好感触では?…もう少し聞いてみよう。
「喜久ちゃんは、尚兄でいいんだよね?」
―あ、聞き方を失敗しちゃったかも。尚兄『で』って言っちゃった。
しかし、言ってしまったものは仕方が無い。栄の其の言葉を聞いた喜久の表情は、と言えば、少し曇ってしまった。
―あれ。
「ええ、とっても、好い御話だと」
「ああ、そう?」
―うーん、此れは。此れ以上聞かない方が良いのかな。昨日まで実方本家に毎日通っていて、今朝から急に気持ちを切り替えましょう、というのは、無理が有るかもしれないしね…。
しかし、続く喜久の言葉は、栄の予想とは違った。
「ただ、その。尚顕さんって、殆ど御話した事が無いのです。其れは確かに、弟達の先生ですので、よく御見掛けしておりましたが…。如何して、申し込んでくださったのか…分からなくて」
―あちゃー。
栄は、思わず、自分の左手を額に当てた。
―確かに、喜久ちゃん、ちょっと不安そう。
「そうかぁ。そうだよね…。話した事が無いと、よく分からないよねぇ」
喜久は、栄の言葉に返事をせずに、俯いてしまった。
―あー。長い事、尚兄が恥ずかしがっていたのが、完全に裏目に出ているわけね。
喜久にしてみれば、突然申し込まれたと思っているわけで、悪い話ではないが、困惑するのは無理も無い話だった。多分、今まで、本当に、単なる『弟達の先生』だったのだろう。
―ああー、そういう気持ちは何と無く理解出来る。喜久ちゃんには、意外過ぎたんだ。
嫌というよりは、驚いたのだろう。喜久は、恐らく、今、『驚いた』以上の感想が出て来ない、というわけだ。
「…それじゃ、また。御団子、食べてね」
栄が、そう言って、軽く手を振ると、喜久は、丁寧に一礼してくれた。
髪一筋乱れない、キチンと結われた引っ詰め髪である。
尚顕の好みがこうだとしたら、初は、本当に、尚顕の好みと真逆なのだろうな、と栄は思った。




