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声聞くときぞ 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第三章 養生
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坂元栄 尚顕

 朝、(はつ)に持たされた、団子の詰まった包みと、(から)御重(おじゅう)の包みを持った栄は、尚顕に会いに、実方分家に(おもむ)いた。


 そして、尚顕と対峙した栄は、此の、一つ上の幼馴染の友人に、見た事も無いくらい(ひど)(くま)が出来ているのを、驚きながら見詰めた。


「其の、目の下のは、(くま)?昨日、眠れなかったの?(なお)(にぃ)


 青白い顔をして、いや、その、と尚顕が口籠るので、栄は心配になって、何処かに座る(よう)に勧めた。




 庭から縁側に通されたので、栄は、尚顕と並んで、縁側に腰掛け、傍らに御重を置いた。


 藍色の着流しをスッキリ着こなしている尚顕は、今朝は、幾らか、昨夜よりは落ち着いている(よう)に見えた。


 教員になってからというもの、稼ぎを貯めていると見えて、全く着物を新調しなくなったが、元は洒落っ気の有る、華やかな友人だった。

 こんなに顔色が悪くなければ、今日も、実に若々しい、良い男ぶりだったと思う栄である。




 (しばら)く、そうして黙って座っていた尚顕が、(ようや)く口を開いた。

「返事が来た。良いって。(かなめ)さんが、是非御願いします、って」


「わ、良かった!良かったねぇ」


 栄が心から祝福した次の瞬間、尚顕がボロボロ泣き出したので、栄は思わず、ええー、と言った。こんなに泣く尚顕を、栄は、もう、十数年くらい見ていなかった。泣くのを恥と捉えているからだ。特に、目下の栄の前で泣くとは、余程の事と思われた。


―物凄く不安定だな、今日の(なお)(にぃ)


「大丈夫?」


 栄が手拭いを渡すと、すまん、と言って、尚顕が、手拭いで顔を覆った。


 そういう時はねぇ、と、栄は、精一杯優しい声で言った。

「顔を洗っておいで、って、言われた事が有るよ、昔。其れ、貸すから」


 尚顕は、そうする、と言って立ち上がった。


「うん、此処で待っているから」




 尚顕を待つのに庭を眺めながら、栄は、(かつ)て、顔を洗っておいでと言ってくれた人の事を思い出していた。

 あの人との思い出は、春が多い。

 あの人は、栄が進学の為に里を出た後、里の桜を、全部切ってしまった。


 今は秋である。


 (はつ)との思い出は秋が多い。


 此れから、四季折々の思い出を、(はつ)と作るのである。


―あの人は、如何(どう)いう気持ちで桜を切って、如何(どう)いう気持ちで白百合を育てているのだろう。


 そして、桜が見られないからと、白梅を植えようかと考えて、怪我をして、其の人から白百合を贈られた顕彦の事を、栄は自然と思い出していた。


―何かが、あと一つ揃っていたら。皆、仲良く出来たのかな。


 しかし、あの(まま)では、栄は分家の五男の冷や飯食いで、きっと、其の身分では、本家の長女(スヨムイメ)(はつ)とは一緒になれなかったであろう。事に依ると、双子も生まれなかったかもしれない。


 栄は、そっと、手元にある団子の包みを撫で、其れを作った人の事を思った。


 全ては繋がっていて、全ては独立している。生まれるのも死ぬのも、必然であり、偶然である、という気がする。


 一つだけ確かなのは、今の自分は、あれらの出来事の結果である。


―あの(まま)だったら、ただの冷や飯食いの五男で、(ヨメジョ)も貰えなくて。兄上達に甘えながら、御情けで実家に居候(いそうろう)させてもらって暮らして、親の世話をしていたか。祈祷師(ウセンシ)をして、里の外をうろついて、(ほとん)ど里に居つかないか。


 しかし、『其の自分』の事を、栄は、もう自分だと思えない。


 何が、誰にとって、一番良い事だったのかは、栄には分からない。




 (やや)あって、尚顕が戻ってきて、再び、栄の隣に座った。

「有難う。手拭いは洗って返すよ」


「スッキリしたなら良かった」


―顔を洗うの、効果有るよね、やっぱり。


 昔を思い出して少し寂しくなったので、栄は、其れを振り払う(よう)に微笑んで、言った。

「昔は俺の方が泣き虫の寂しがり屋だったのに。珍しいね、(なお)(にぃ)が」


 泣くなんて、という語尾は、敢えて飲み込んだ。揶揄(からか)う意図は栄には無いので、泣いた事を、あまり指摘するのも、目上の尚顕に悪い気がしたからである。


「改めて、おめでとう。本当に良かったね。…嬉しくないの?」


 尚顕は俯いて、言った。


「その…上手くいったらいったで、喜久(きく)ちゃんが、如何(どう)思っているのか考えると、怖くなって。あの子は、あんなに顕彦さんの事を…」


 確かに、喜久(きく)は一言もそんな事は言わないが、顕彦に惚れ込んでいたのは、栄にすら分かったのである。何年も喜久を目で追っていて、遠慮していた尚顕には、尚更、よく分かったであろう。


 そりゃあ、と尚顕は続けた。


(かなめ)さんが了承してくれなければ(つら)かったとは思うけど。当たり前だけど、了承してくれたのは飽くまで親であって、喜久(きく)ちゃんが俺を如何(どう)思っているのかは、分からないから」


―いや、親が決めた人と結婚するのが、此処では普通だからさ。実は結婚自体には、喜久(きく)ちゃんの意思は関係無いじゃない。()ず求婚して、結婚出来なきゃ始まらない土地柄なんだからさ。…って、口を挟むのは、目上には流石に()めておこう。


 喜久(きく)には悪いが、喜久(きく)には結婚相手は選べないし、結婚相手と上手く行く、行かないは、一緒になってから悩むものなのだ。申し訳ないが、そういう土地柄だから、仮に尚顕が嫌でも、我慢しておくれとしか言い(よう)が無い。


―ま、上方限(カミホーギリ)の人間なら織り込み済みの事だから、(なお)(にぃ)も、そういう事を言いたいんじゃないだろうし。


 尚顕は、ボソリと続けた。

「親が決めたから渋々(しぶしぶ)一緒になってもらうのは、何だか悪い気がして」


―うん、そうだよね。そういう事が言いたいんだろうとは思うんだけど。


 喜久(きく)の気持ちに配慮する分には、其れは尚顕の優しさなので、良い事では有るのだが。


―否、其れは、一緒になる以上、一緒になってからでも幸せにすると思わないと、始まりを如何(どう)こう言っても、恋愛結婚(ヒッツキアイ)自体が珍し過ぎる上方限(カミホーギリ)では仕方が無いんだってば。()ず、親が認めてくれないと。逆に、親が了承さえしてくれれば、絶対結婚出来るんだから。親が認めてくれなかったら、駆け落ちでもするか、っていう、極端な話になっちゃうでしょうに。


 実方(さねかた)家の人は少し夢想家(ロマンチスト)なところが有るよな、と栄は思った。


―映画の観過(みす)ぎじゃない?


 (はつ)に鍛えられて、以前程感傷的にならなくなった栄である。


―現実は甘くないし、物事は計画通りにいくとは限らないんだってば。おっとりした美人の(ヨメジョ)を貰ったけど、(ほとん)ど甘い事なんか口にしてくれないし、美人の婚約者だった頃も、俺が里に居ないのを寂しがってくれた様子も無かったよ。片思いじゃなかったらしいから、まぁ、其処は本当に良かったんだけどさ。


 しかし栄は、今は、黙って尚顕の話を聞く事にした。


 答えを求められている相談と、ただ悩みを聞いてほしい長尺(ちょうじゃく)の語りは、入り口が似ているので、如何(どう)いう反応をしていいか迷う。


 其処を見誤って、自分がこう思うという説明を始めると、大体相手に、そんな事は分かっている、と叱られる。如何(どう)思うか、と聞かれた時だけ返事をするのが得策である。


 第一、友人とは言え、一つ年長の、尊敬すべき相手である。実際、努力家なところや、上下関係の厳しい此の土地柄で、()を言うな、と、栄に言わない、優しい人柄を、栄は本当に尊敬している。だから、尚顕が求めるなら、意見を求められれば言うし、黙って聞いていてほしいのなら、其の(よう)にしよう、と思い、栄は、尚顕の顔を見詰めながら、黙って話を聞いていた。


「御前は如何(どう)だった?」

「え?」

「相手に、自分の事を気に掛けてほしい、とか、思った?」

「うーん…。其れは、好かれたくはあったけど」


 何しろ、両想いだったと知ったのが、昨日の夕方だったので、何と答えたものだろうか、と栄は思った。


「一緒になるのが嫌ではない程度に思っていてくれたらいいや、と思っていたんだよね」


「御前、そんなに(そげん)慎ましかったのか(とや)?」

 尚顕が、驚きの声を上げて栄を見た。


―え?普段の俺って、そんなにも、慎ましそうには見えないの?


 栄は少し動揺したが、続けた。


「相手より三つも年下だし、六年も待たせたんだもの。待ってもらえただけでも有難くて、他の事は、あんまり」


「…そうだったのか。いや、あんまり、御前と、こういう話をした事が無かったな、と思って。御前が、お(はつ)さんに惚れ込んでいたのは、見ていれば分かったけどさ」


「そうだね」

 照れ臭いので、栄が、意図的に、こういった話を避けていたのである。


「そりゃ、せめて、同い年だったら、とか、早く大人になりたい、って、思わなかったと言えば嘘になるけど」


 其れでも、一目惚れした(はつ)の事が諦めきれなくて、柄にも無く頑張って、結婚まで漕ぎ着けたのだった。


―そういう意味じゃ、ハナさんに出会わなければ、今の、努力して医学生になった自分は居ないんだろうな。


 尚顕が、ボソリ、と言った。

「…()しかして、俺、贅沢を言っていると思われているのか?」


「いや、そんな事無いけど…。でも、ちょっと羨ましい。俺の時は、そんなに、すんなりいかなかったもの。六年だよ?相談(ソダン)かけて、次の朝には了承されているなんて、昔の俺に言ったら、夢だと思うんじゃないかな」


 尚顕は、あれ?此れ、夢?と呟いた。

 落ち着いて、と栄は言った。


(なお)(にぃ)()ず、(くま)凄いから、寝てないでしょ。夢じゃないと思うよ」


 思わず吹き出しそうになりながら、栄は、手元に置いておいた団子の包みと御重の包みを持ち直した。


「其れじゃ、俺、ちょっと(かなめ)さんの所に伺ってくるね」

「え?態々(わざわざ)、俺の為に、様子を見に?」


 身構えた尚顕に、栄は堪えきれず、笑って、何言ってるの、と言った。


「こっちも用が有るの。(かなめ)さんの所に御重を返さなきゃ。うちの奥方(ウッカタ)が、御重の御礼に団子作ったから、其れも渡さないといけないし」


 ついでに喜久(きく)の様子を確認してくる心算(つもり)ではあるが、尚顕の為ではあっても、そうだと言って、恩を着せる気は無い栄である。


「妙にでかい荷物だと思ったら。…煮物作り過ぎたり、団子作ったり、働き者の(ヨメジョ)だな」


 尚顕が、褒めるとも(けな)すともつかない、何とも抑揚(よくよう)の無い声で、そう言うので、そうでしょう、と栄は答えておいた。


 実際、下働きにテイを雇っているのだから、炊事場(ナカエ)に立たなくても良い身分の人なのだが、(はつ)は毎日、何か一品、其れと、双子達の為のおやつを作ってくれるのである。


 尚顕は珍しく舌打ちして言った。

惚気(のろけ)かよ」


「何とでも」


 (はつ)と両思いだったと六年越しに知って、今、とても気分が良いので、栄は、何を言われても平気だった。


 栄は、じゃあ帰りに、また寄るから、と言うと、笑顔で去って、(かなめ)宅に向かった。


長女(スヨムイメ) 惣領娘(そうりょうむすめ)の転訛。

()を言うな 「目上に意見するな」という風潮。

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