坂元栄 説明
「其れで、昼の、あれは、如何いう事でしたの?」
洋灯の点いた奥座敷で二人になるなり、初が栄に問うてきた。
御互い、もう寝巻の浴衣姿である。
布団も敷いて、テイも下がっている。
秘密を話すのにも、閨は都合が良いものだな、と栄は思った。
並べて敷かれた布団に、其々、上掛けを捲って座り、向かい合って話をするのは、静かで、栄は、妙に落ち着いた気分になった。
「やっぱり、巫女さんでも御存じないのですね。あれこそが、苗の神様の御利益なのですよ」
「嘘でしょう?あれが?」
里の男児だけが里の教え処や学校で教わる、術、と呼ばれているものである。
女児が、共学となっても、実質、校舎を分けて教育を施すのには、此れが、原因の一つとして有る。
「此の集落の、男性だけの秘密なのです。男児だけが、あれを教わるのです。あの術を使って、祈祷師の仕事を遣り易くしているというわけです。女性には、巫女さんにすら存在を教えていないとは、徹底したものですね」
「如何して、あんな事が御出来になるの?御利益、ですって?」
「元の形が殆ど残っておらず、伝わるうちに、巫女舞と、あの術だけが残った、といったところでしょうか。苗の神教の里とは言いつつ、里に残っているのは、巫女も廃止された今となっては、もう、術くらいのものですね。宗教と言いつつ、教義も何も残っていないのですが。ただ、あれが『御利益』です。あんなものを、何も知らずに見せられたら、何でも信じてしまうでしょう?其れを御祈祷の仕事に利用して御金を頂いて、出稼ぎの生業にしている、という次第です。其れが、女性には詳らかにされていない、『祈祷師の仕事』です」
「何でも信じてしまうかって…ええ、そうね、だって、あれは、確かに、お周ちゃんだったわ。亡くなった人を、あんな風に見せてしまえるのが術だと仰るの?」
「あれは実は、双子とハナさんにしか見えていなかった幻なのです」
「え?貴方には、あれが見えなかったと仰るの?」
「結局、突き詰めると、強い暗示に近いものが有るので、仕組みを知っている分、俺には見え難いのです。だからこそ、俺に術を見せる事が出来たら、大したものだと言えますが。まぁ、俺が今回見えなかった原因は、綜の術の上手い下手ではなく、記憶に有るのでしょうが」
記憶?と、初が尋ねて来た。
そうです、と栄は言った。
「先程も御伝えした通り、術は、強い暗示の様なものなので、其の人が知っているものを、恰も眼前に存在するかの如くに見せるのでしょう。例えば、俺には、お周さんの姿の記憶が一切無いので、術を掛けられたところで、其の姿は見えないのです」
「あ、そうね。貴方、お周ちゃんを御存じないのだわ」
「そう。双子には、絵や写真で母親の姿を知っているとか、此れが母の姿だ、と教えられた何かが有るのでしょう。だから見える。其の場合、恐らく、見えているのは、実際は、見ている人自身の記憶なのだと推測します。だから実は、あの時、双子が見ていたものと、ハナさんが御覧になったものは、同じでは無かった可能性も有ります」
初は、心底驚いた様に、口元に両手を遣った。
真新しい、寝巻の、筒袖の浴衣は、白地に紺色の花柄が入っていて、何処を取っても透けた所など無いが、体の線が、とてもハッキリ分かる。
栄は、初に、そっと掛け物を掛けてやった。初は素直に布団に横になって、掛け物を肩まで被った。栄も、隣の布団で俯せになり、頬杖をついた。
洋灯が、ボンヤリと、奥座敷に籠った二人の姿を照らしている。
ああいう事をなさるのね、と初は言った。
「あれが、祈祷師の御仕事なのね」
「ええ、話術が主体で、術は添え物なのですが、あれが出来ない人間は、習った体術を利用して、用心棒みたいな事をしているらしいですよ。ああやって、里の外から、御金を稼いでくるわけです」
「亡くなった方の姿を、御祈祷を依頼された方に御見せするの?」
「場合に寄りけりですが、其れが一番多い様子ですね。まぁ、術を使っても全く見えない方もいらっしゃいますし、術を使わないで、祈祷や説法で終わる事も有れば、術の秘密が漏れない様に、暗示で記憶を曖昧にする場合も有ると聞きますよ」
「実際には無いものが見えるのね。…見たい方も、きっと、いらっしゃるのでしょうね。廃れないで、御仕事として続いている理由も分かる気がするわ」
「そうですね。ま、仕事として成立しているのは、術が暗示の一種なのだと思うと、結局、使い方や、使い手の腕次第、というところが大きいでしょうが。祈祷の値段の相場なんて有りませんから、どのくらい謝礼を引き出せるか、というのも、話術によるところが多いみたいですし」
「暗示、ねぇ。其れで私、あの時、何かが見えていると思っていたのね」
「はい」
こんな風に何かが、と、栄が声を掛けると、初が目を瞬かせた。
昔、兄に教わった、呪文無しで暗示が掛けられる方法を、栄は、周囲にもひた隠しにして、知らない振りをして生きている。
「え?え?御団子だわ。わ、消えてしまったわ。此れも暗示?」
「はい。え?…御団子の事を考えていらっしゃいました?若しかして…」
―…団子?
「ええ。喜久ちゃんが彦兄に御重で食べ物を持って来てくれたでしょう?そろそろ御重を返さなくちゃ、と思って。其れで、明日は日曜日でしょう?御客様が彦兄の御見舞いに沢山いらっしゃるかもしれないし。双子ちゃん達にも約束したから、御団子を作ってあげようと思っておりましたの。其れで、ついでに、要さんの御宅の分も作って、御重を渡そうかしら、って。まぁ、御団子が見られるなんて、何だか美味しそうで、楽しゅう御座いましたねぇ。ふふふ」
―団子…。し、親友の姿とかじゃなくて良かったのかな、見たいものって。まぁ、いいか、平和で…。…夜に感傷的になるよりもね。
薄々気付いていたが、新妻は根明である。
「…明日、要さんの所に持って行きますよ、御重と御団子」
「まぁ、貴方が?宜しいのですか?」
「ええ、確認したい事が有るので」
―例えば尚兄の結婚の行方とかね。
「えーと、其れで、ですね」
団子の御蔭で、盛大に話の腰が折れたので、栄は、頭を本題に切り替えるのに苦労した。
―尚兄と相性が悪い筈だよね。俺は此れを面白いと思うんだけどさ。正直、新婚の今なら、何でも痘痕も笑窪で乗り切れそうだけど。
抑、自分も派手顔の部類に入る顔をしている尚顕は、其のせいか、昔から、派手顔の初が好みではないのである。痘痕が笑窪にならないのだ。
「術の話に戻させて頂きますと。此れで稼げてしまっている以上、此の術は、里にとっては、とても重要な『御利益』で、門外不出のものなのですよ。里の中でも、女性には教えません。だから綜は、ハナさんに、内緒にしてほしい、と言ったのです」
―此の術を門外不出にしている事が、更に外界から隠れ里を疎遠にさせているとも言えるけど。術が使えない子が増えているのは、隠れ里でなくなるには、良い事なんだろうな。
栄の説明に、初は、そうでしたの、と言った。
ええ、と栄は言った。
「極秘の事ですが、綜は、周の為だから遣ったのだし、ハナさんにだから御見せしたのでしょう」
そうね、と言って、初は涙ぐんだ。
「私、絶対、誰にも言わないわ」
教えてくださって有難う、と言って初が泣くので、栄は、初を、そっと抱き寄せた。栄は其の儘、自分の布団に初を引き入れて寝かせ、また抱き締めた。
暫くすると初が泣き止んだので、栄は、初の額に唇を寄せた。
初が、そっと両目を閉じた。
閨で睦言を言い合う以上の幸福は無いと栄は思う。
兄の誠吉は、里では此の様な機会を得られなかったのだと思うと、栄は、とても切ない気持ちになる。
其れでも、此の場所ではない場所で、此の様な穏やかで幸福な時間を、兄も過ごせている様に、と、栄は願っている。
「そう言えば、あれ、如何なさいました?」
栄は、洋灯の灯火を消しながら、初に尋ねた。
「最近御召しになっていませんね」
初は、だって、と言って体を縮こませた。
栄は、初の頬に、自分の頬を寄せた。触れた初の頬は熱かった。恥ずかしいらしい。
あれ、というのは、赤い長襦袢の事である。
坂元家は、舅が花嫁に赤い長襦袢を贈り、子孫繁栄を願う習わしが有る。勿論、娘を嫁に出す時は、親が娘に、赤い長襦袢を持たせる。
糺から其れを贈られ、初夜の晩に其れに初めて袖を通した初は、大変困惑していた。
『子孫繁栄』を願うだけあって、縁起の良さそうな色といい、生地の薄さといい、大胆と言うか、露骨と言うか、兎に角、『子孫繁栄』に対して、大変積極的な装いと言えた。
何せ、身八つ口が、さぁ、此処から御手をどうぞ、とばかりに大きく開いている。
折角の舅からの贈り物という事で、頑張って、三日は着た初であったが、如何にも恥ずかしいらしい。
まぁ恥ずかしいだろうな、と栄が納得する様な代物で、あの堅物の糺が、どんな顔をして仕立てに注文を出したのだろう、と思う程である。
実際、薄々気付いていたが、着痩せする新妻だな、と、目視で確認可能なくらいだった。
踊りを嗜む人とあって、意外にしっかりした体付きで、全く太ってはいないのだが、洋灯のみの暗がりの中でも、身八つ口と腰元の周りだけが、とてもふっくらして見えた。夫以外には見せない、本物の花嫁の装いである。
「受け取った以上はハナさんの持ち物なのですから、気が向いた時に御召しになったら宜しいですよ」
初は、小さな声で、はい、と言ったが、此の恥じらい様では、何時までも気が向かないかもしれないな、と栄は思った。
本音を言うと、どうせ脱いでしまう物だから、個人的には如何でも構わないのだが、そういう本音は隠して生きようと、栄は心に決めている。
―要は縁起物でしょ。
普段の白米に対する赤飯の様な物だと栄は思っているので、白米も赤飯も、食べれば何方も旨い。大体、初は早寝早起きで、起きて、何時までも寝巻の儘で過ごす様な人では無い。此の白地の寝巻だろうが、赤い長襦袢だろうが、着用時間は大変短い。
「此の浴衣だって御気に入りなのでしょう?御好きな物を御召しになったら宜しいですよ」
嫁ぐ時、初の母、逸が、三枚も縫ってくれた物のうちの一つだそうである。特に、此れに、淡い桃色の帯を合わせるのが、初の御気に入りなのを、栄は知っていた。
ええ、と初が返事をする。
小柄な初と、こうして、同じ布団に身を横たえていると、六尺の自分が、急に、雲を衝く様な大男になった気分になる。其れでも、初の、小柄な割に、顔が派手なせいか、儚さを感じないところが、栄は気に入っている。
―しかし、父親譲りで、六尺まで背が伸びるとは、六年前は思ってなかったなぁ。
背が伸び過ぎたかなぁ、などと、ボンヤリ考えながら、栄は目を閉じる。そっと抱き締めている初の顔が、とても近くにある。
栄は、とても穏やかな気分だった。
―しかし、片思いだった時期が、そんなに短かったとは、知らなかったな。
此の儘帯を引っ張っても叱られない間柄というのは良いものだ、と、栄は、しみじみ思った。
どの辺りまで解説するか迷うところですが、子孫繁栄を願って、花嫁に赤い、身八つ口の大きくあいた長襦袢を贈る地域は実在したようです(地域は失念しましたが、関西圏でした)。
調べる時は、一事例や資料としてフラットに扱えるのですが、文字に起こすと、「どの辺まで書いて大丈夫なのかな」と、悩む時が有ります。
一地域の嫁取りの文化としては記録しておきたいので、一旦、このまま書き進めます。
また、『術を男児にしか教えない』のには、『巫女舞と術を同じ人間に一緒に教えない為』に『男児には術』『巫女舞は巫女のみ』に分けて教えている、という理由が有るのですが、詳しくは、同じ『瀬原集落聞書』シリーズの『山行かば』で書いております。




