坂元栄 仲人
「如何して尚顕さん、叫んで走って行ってしまったのかしら」
栄と二人で、坂元本家の囲炉裏端で、遅めの夕餉を食べながら、初が、実に不思議そうな顔をした。
其れはですね、と言って、栄は微笑んだ。実方本家から持ち帰った煮物が旨い。
「尚兄が、色々と誤解したから、ですね」
誤解する様に仕向けたのは栄だが、初は、偶然とは言え、実に良い仕事をしてくれた。
「誤解?」
洋灯と囲炉裏の火に優しく照らされた新妻は、仕事用の野良着から、既に、淡い紫の紬に着替えていて、キョトンとした顔で、そう言った。
「ハナさんが、将の所に行こう、と仰ったでしょう。俺達が、今日、此れから、将の家に行って、喜久ちゃんの事を頼もうとしていると思ったわけです」
「え?私、そんな心算じゃ。別の日に、顕将さんの所に、安幾ちゃんの事を話してみようか、という御話でしたわよね?」
そう。
栄は、初には、そう言った。
尚顕には其れを言っていない。
オマケに、夕餉時に悪いから、煮物を渡してサッサと帰ろう、とまで、初には言っておいた。
案の定、初は、話を早々に切り上げようとした。
尚顕にしてみれば、グサッと来る事を立て続けに言われて、何をうかうかしている、と、言われるだけ言われたら、普段おっとりしている筈の初に、サッサと話を切り上げられて帰ろうとされ、もう別に話す事は無いから他所へ行こうと言われた様に感じた筈である。
敢えて、色々、誤解を訂正せずにいた栄だったが、正直、初が、此処まで良い働きをするとは思わなかった。
―ハナさんが言わないなら、俺が『今日は御暇致しましょう。後は将の所に伺いますから』って言う心算だったんだよな。案の定誤解して、突っ走ったよ。
「今頃、とんでもない事をしているでしょうねぇ」
尚顕は、焦ると、斜め上の事をしてしまう性格なのだ。
頭が良いのに、全然、祈祷師向きではない。
何処へ走って行ったやら、と、栄は、努めて穏やかに言ったが、尚顕に悪いとは思いつつ、内心、笑い出したい気分だった。
長い付き合いだと、此処まで尚顕の性格を折り込み済みで話を動かせるのが申し訳ないくらいである。
―他人の動きを操作しているみたいで、罪悪感は有るんだけど。…顕彦さんは困っているし、此の儘じゃ尚兄は喜久ちゃんと一緒になれないし。上手くいけば、上手くいかないかなぁ。結局さ、切っ掛けは如何あれ、求婚しないと始まらないんだよ。頑張れ。
稍あって、下働きのテイの声がした。
土間に来客が有ったらしい。
「まぁ、今時分、何方かしら」
初が、そう言って、口元を押さえた。
栄がテイに問うと、実方分家の若様です、との返事だったので、玄関に回ってもらって、広間に通す様にテイに言った。
来客は、案の定、息を切らした尚顕だった。
初は、まぁ、と驚いた。
栄は、初に、中座しますね、と告げて洋灯を持ち、尚顕を、下座敷の縁側へ、そっと招いた。
移動の途中、炊事場に声を掛けて、テイに、後で御茶を、と告げた。
「まぁ、座って」
尚顕がドッカリと縁側に座り込んだので、栄も隣に胡坐を掻いた。
汗びっしょりで、如何にも普段着、といった様子の鉄色の着流しが、かなり開けている。栄が、見かねて手拭いを渡すと、尚顕は其れを受け取り、サッと身繕いをした。
其処に、テイが御茶を運んできた。
「まぁ、御茶でも一杯」
栄は、テイに礼を言い、尚顕に御茶を勧めた。
尚顕は、勧められるが儘に、茶を、グイッと飲んだ。
栄も、一つだけ啜る。
温い番茶だった。
分かっているな、と思い、栄はテイに感謝した。
走って来たと見える尚顕が、喉が渇いているかもしれないと察し、直ぐ飲める温度で出してくれたのだろう。
―テイさんらしい気遣いだな。人によっては、温い番茶なんて、気に入らない気遣いかも知れないけど、幾ら何でも、こんな時間に急に本家に来て、玉露や雁ヶ音が出されるとは、相手も思ってないでしょ。上等、上等。
思った通り、尚顕には、気にした様子は見られなかった。
―まぁ、今日の此の様子だと、水を出されても、白湯を出されても、茶だと言われて出されたら、茶だと思って飲むかもしれないな…。
番茶を飲んで落ち着いたらしい尚顕が、やっと口を開いた。
「仲人立てて来た」
「あ、やっぱり?」
「…あ、御前。誘導した?」
尚顕が、ハッとした顔をした。
栄は、嫣然として言った。
「…話術は祈祷師の基本だって教えてくれたの、尚兄じゃなかったかなぁ」
尚顕は、くー、と、悔しそうに言った。
「そうだよ、向いてないから祈祷師辞めて教員になったんだよ俺は。ああ、もう」
苦々しそうに、そう言う尚顕だが、祈祷師の稼ぎで、何と、親を一度も頼らず、自分の学費を全て自分で捻出したのだ。栄は其れを尊敬している。
「其れで、如何だったの?」
「こんな時間に来よってからに、何考えてんだ、って、叱られた」
「あらー」
―正論。
仲人は、清水分家の老人だろうか、と、栄は推測した。
―上方限の年嵩の人が、訛り倒して罵倒してくるくらい腹を立てたのかぁ。まぁ、そう言うわな。
至極当然、と思った栄だったが、黙って、尚顕の話の続きを待った。
「でも、走って来た気持ちは買ってやるから、明日、朝一番で、坂元分家の要さんの所に行ってくれるって」
「おお、喜久ちゃんの所に。良かった、良かった」
要は、喜久の父である。
栄が、そう言って微笑むと、尚顕は、恥ずかしそうに、両手で顔を覆った。
「何か、思っていたより、急になって。何か、計画してたのって、もっと、こう」
―計画通りに物事が進むとは限らない。
オマケに、尚顕は、石橋を叩いて渡るどころか、石橋を叩き過ぎて石材が割れ、川に橋を流してしまうのではないかというくらい慎重なのである。結局、水に浸った石材と化した橋の上を、危なっかしく伝え歩きする羽目になったりして、そうなると今度は、勢いで、其の上を走って移動してしまったりするのだ。
―計画が思った様に行かないと、混乱して、自分で自分の計画を壊しちゃう事が有るんだよな…。何と無くだけど、喜久ちゃんくらい、落ち着いた嫁が良いかもね。
喜久の方が尚顕より四つ年下だが、勢いで、仲人の家に、夕餉時、行き成り駆け込む男よりは多分落ち着いている。そして喜久は、初の様な話の腰の折り方もしない。初よりは絶対、喜久と相性が良い事は、栄も保証出来そうである。
「…尚兄って、何時から喜久ちゃんの事を?」
傍目に丸分かりだっただけで、喜久や尚顕の気持ちを、ハッキリ聞いた事は無い栄だったので、今なら聞いても良いだろうか、と、口にしてみた。
尚顕は、やっと顔を上げ、栄の方を見て、言った。
「此処、二、三年かなぁ。教員になってからだな」
「嘘だぁ。俺の見合い話の出る頃には、もう、喜久ちゃんの事、気にしていたでしょう?」
六年前くらいから、予感は有った栄である。
尚顕は、え?え?と言って慌てた。
栄は更に言った。
「楚々としている、とか何とか言っていたじゃない。未だ喜久ちゃん、数えで十二とかだったのに」
あまり、そういう事を言わない尚顕なのに、喜久の事は、敢えて『楚々とした』などという表現まで出して褒めていたのである。
「いや、そりゃ、可愛いなとは」
「…ああ、前々から可愛いとは思っていたのね」
―そりゃ、そうだよね。
栄の指摘に、尚顕は、あれ?と言って硬直してから、頭を抱えた。
―嘘。自覚は無かったって事?
栄は反応に困ったが、今は尚顕の顔を見ないであげる事にした。
「…兎に角、朝一番に、結果が分かるね」
「…もう、他の縁談が行ってて、断られたら、如何しよう」
―はぁ?先刻まで来年の三月に相談かける気だった癖に、今更何を言ってるの?
栄は内心呆れたが、其れでも、尚顕が喜久に求婚する様に仕向けたのは自分だったのである。今日行動に移した事については、目上に対して不敬ではあるが、でかした、と思っていたので、言わないであげよう、と思った。
でも、と尚顕は、頭を抱えた儘、呟いた。
「来年の三月に相談かけに行くよりはマシかな?」
―あ、自覚は有るのね。言わなくて良かった。
栄は、左手で髪を掻き上げながら、そうだね、と言った。
「でも、明日の朝行ったら、叱られなかったかもよ」
栄の言葉に、尚顕は黙った。
そう、どのみち、明日中には結果が分かった筈である。非常識な時間に駆け込んで、仲人の心証を悪くしても、何も良い事は無い。偶々、仲人になる事を、相手に了承してもらえただけの話なのだ。
話の進展の為に状況を引っ掻き回そうとは思っていたし、尚顕の性格上、今夜中に動いてしまう可能性も考慮してはいた栄だったが、やはり、褒められた話では無い。
―仕向けておいて悪いけど、釘は刺しておこう。落ち着いて、明日の朝一番で行けば良かったでしょう、ってね。
如何してこうなのかなぁ、と栄は思った。
―良い人だし、男前だと思うんだけどなぁ。
変なところで思い切りが悪いし、変なところで衝動的なのである。
多分、完璧主義なのだ。
ある程度自分に自信が有って、目標も高めに設定するのであろう。
其れで、計画通りに行かないと、途中で混乱して、自分で面倒になったり、投げ出したりして、壊してしまうのだ。
―ああ、顕彦さんと尚兄って、そういうところ、真逆かも。
其れを喜久が如何思うかは、栄も、確かに気になるところである。
「今日は帰る。邪魔したな。…ありがと」
「うん、朝、尚兄の家に行くよ」
尚顕を見送って、テイに湯呑を下げる様に頼むと、広間で、初が、栄を待ってくれていた。
食べないで待ってくれていたとは申し訳ないと思いながらも、やはり、一人ではない食事は嬉しい栄だった。




