坂元栄 焚き付け
「と、言うわけなんだけど」
尚顕の家で、玄関で立ち話をしながら、栄は、今日の事を掻い摘んで尚顕に話した。
「え、そんな話をしに、こんな、夕餉時に、うちに来たの?」
尚顕の父親の正顕、母親の賢、そして、尚顕の兄、理顕夫婦は、栄夫婦の来訪に驚いた様子で、そっと囲炉裏端から此方を窺っている。
尚顕の甥っ子が二人、囲炉裏端で、キャッキャッと笑っているのが聞こえる。
初は、いえ、と言った。
「煮物を作り過ぎてしまったので、御裾分けに、持ってまいりました」
「あ、有難うございます」
初が急に煮物の話をしたので、尚顕は、え?という顔をして、布巾を掛けてある鉢を、初から受け取った。
相変わらず相性が悪いなぁ、と、栄は、少し面白く思った。
初と尚顕は、なかなか話が噛み合わない。
初は其れを全く気にしていないのだが、尚顕は、話が上手く噛み合わなかったり、話の腰を折られたりするのが苦手なので、既に、初を伴った栄を見た時から、ソワソワしていた。
其れなのに、囲炉裏端からは家族の視線は有るし、栄は、今日聞いたという喜久の話をしてくるしで、先刻から、物凄く動揺している。
栄の読みは当たった。
尚顕は、受け取った煮物入りの鉢を囲炉裏端に持って行き、再び玄関に戻って来た。
囲炉裏端から、口々に、御礼の声が聞こえる。初が、其方に向かって、丁寧に一礼した。
栄は、兎に角、と言った。
「そんなわけで、喜久ちゃん、毎日、実方本家の門の所に来るぐらいだから、未だ縁談が無いんだろうなって」
「いや、その」
尚顕が、小さい声で何か言おうとしたが、栄には全く聞こえなかった。
「あ、いや、其れだけだから、今日は帰るね」
「あ、あの」
帰ろうとする栄を、尚顕は引き留めようとしたが、震えて、何も言葉が出て来ない様子である。
喜久が顕彦に憧れているのは、百も承知の尚顕である。其れで、今まで遠慮して、仲人を立てなかったのだ。其れが此の前、不可抗力ではあったが、喜久が顕彦に泣かされてしまったのである。尚顕も、其れを目撃したのだ。だから、其処に付け込め、とは言いたくないが、喜久の家に仲人を出すなら、縁談も無く、喜久が傷付いているであろう、今しかない。うかうかしていたら、他所から話が来る年齢の娘である。
其れは確かに、喜久は顕彦が諦めきれていない様だが、顕彦は、現状困っている。
さぁ、如何する、といったところである。
「えーと、分家してもらえる予定なんだ、来年の三月に」
「おお」
尚顕の報告に、其れは御目出とう、と、栄は心から言った。
「そしたら、家を貰えるから。あの、亡くなった祖父の家なんだけど。其れで、家を継ぐついでに、嫁を貰えたらな、って…。其の時に、その…。喜久ちゃんに…」
「はー。え?じゃあ、来年の三月に?」
―え?半年後に御仲人様に持ちかける気だったの?
栄は、努めて驚きを隠した。
正月になれば、喜久は数えで十九である。
―…ちょっと悠長過ぎやしない?
「そう、其の頃、声を掛けようかと思ってた。先ず、家が無いと、って…」
―ああ、条件が揃うまで行動に移せない性格していたっけね、そう言えば。資格が取れてから働こう、とか、家が手に入ってから結婚しよう、とか、そういう感じ?…じゃあ、条件が揃うまで、絶対、嫁は貰えないのか。家が貰えなかったら如何する心算だったのかな…。だって、教職に就いているんだから、冷や飯食いの次男坊でも収入は有って、祈祷師だけを現金収入にしている長男の理兄より、月の手取りは有る筈じゃないの。遣っていけるから親も反対しないだろうし、行く行くは分家してもらえるなら、住処は後で考えても良いじゃない?先に求婚して、走りながら必要な条件を揃えていく、じゃ、駄目なのかな…。俺とは逆だなぁ。…うーん、女の子の方が、待っててくれれば良いけどねぇ。もう九月なんだけど。
尚顕の言葉を聞いて、初が、物凄い呆れ顔をした。
わ、ハナさん顔に出てる、と栄は思ったが、効果としてはとても良かった。
尚顕は、ビクッと震えて、言った。
「え?何です?」
「ああ、いえ…」
尚顕の問いに、初は言葉を濁した。
「ハナさん、尚兄が気になるみたいですよ。思った事を言ってみませんか?」
栄は、穏やかに微笑んで、初に促した。
「宜しいのかしら」
初は、そう言いながら、尚顕をチラッと見た。
尚顕は、小さな声で、はい、と言った。
「私が御見合いしたのって、数えで十八の八月でしたの。其れでも、自分では、とっても遅いと思っていて、なかなか御話が無い事に対して、少し傷付いていたのですけれど」
―お、いいぞ。
言ってやれ言ってやれ、と思ったが、栄は黙っていた。
尚顕は、小刻みに震えながら、黙って俯いている。
初は、優しい声で続ける。
「其れでも、其の時は、実は、親が、私に内緒で話を進めていたのです。喜久ちゃんって、数えで十八?いえ、九日で十八だったわね。重陽の節句に生まれた菊の日の子なのだから。親御さんが、本人に言わずに話を進めていてもおかしくないとは御思いになりません事?」
いいぞ、言え、と栄は思ったが、表情一つ変えずに黙っていた。
尚顕は、冷や汗を掻いている。
初は更に、おっとりと続けた。
「其れで、今度御正月が来たら、喜久ちゃんは、数えで十九でしょう?三月になってから、実は喜久ちゃんに求婚する心算でした、と仰られても、後出しになってしまっていたら、尚顕さん、恥を掻く事になってしまうかもしれませんよ。あ、もう後出しになっている可能性も有るのね。あ、御無礼様でした。ごめんなさい」
尚顕が、いえ、と、蚊の鳴く様な声で言った。
そろそろ止めるかな、と栄は思ったが、様子を見る事にした。
様子を見ただけの事は有り、尚顕は、直後に止めの一発を食らった。
「もし、尚顕さんが、喜久ちゃんに御話を持って行く気が御有りなら、の御話ですけれど」
初は、実に優しい声で、そう言い添えた。
尚顕は、一瞬両目を閉じて、ぐぅ、という言葉すら発さず、震えすら止めて、黙った。
―うわ、嫌な念押しするなぁ。
しかし、初には、尚顕を責める様な気も悪気も全く無いので、栄は黙っていた。
―悪気も何も無いから、其れだけに、何て事無い話の様な言い方で突き付けられる内容が、妙に刺さるんだよなぁ。また、声だけで惚れそうなくらい、優しい声音で話すんだよね。日本語が分からなかったら、良い話をされているって勘違いするんじゃないかってくらい。声が優しく無かったら慇懃無礼って感じになるかもしれないのに。
初は、優しい声で締め括った。
「三月にはお家を頂ける予定だから、と、前もって御伝えしておいた方が宜しいのではないかと思いましたの。予約、という言い方だと可笑しいかしら?でも、そういう事です」
其れだけです、と言って、初は、丁寧に一礼した。
―其れだけです?いや、いやいやいや。『だけ』というか、全部言っちゃってたというか、凄い事を言っていたけどね。
ふんわり柔らかに、今から仲人を立てても求婚が後出しになっていたら恥を掻くぞとまで言っておいて、『其れだけ』だと思っているのは凄い、と、栄は、もう寧ろ拍手したいくらいの気分になったが、黙っていた。
ともあれ、初の言葉は、尚顕には相当効いたらしい。
―だって、おっとりした言い方をされただけで、中身を要約すると、『何をうかうかしているのだ』って言われた様なものだからねぇ。
其れこそ将に、栄が、言いたくても、目上の尚顕にはハッキリ言えない事だったので、本当に、初を連れて来て正解だったなぁ、と思った。
「あら、顔色が」
初の、優しい、気遣う様な声音に、尚顕は、う、と言った。
―凄い冷や汗。ああ、此れが『ぐうの音も出ない』、か。
尚顕は、顕彦より一つ上の段階の損傷を心に負った様子だったが、初は、では、と言った。
「今日は御暇致しましょう。後は顕将さんの所に伺ったら宜しいでしょうし」
尚顕は、ハッとした様子で、露骨に狼狽えた。
「え?顕将?将のとこに?何で?」
「何で?って…」
初は、キョトンとしながら、事実では有るが割合酷い事を、豪く優しい声で言った。
「此れ以上御話する事が無いんですもの。夕餉時に、あんまり遅くなると悪いですし」
―『此れ以上、御前と話す事は何も無い』!…そうなんだけどさ。大体全部言っちゃったからさ。でも、実は凄い事を言っているよね。俺、未だ他人に『此れ以上、御前と話す事は何も無い』って言った事無いかも。本当に、言い方が柔らかいだけなんだよなぁ。悪気が無いって凄い。尚兄、顔真っ青じゃない。
さ、行きましょ、と初は言った。
「あ、いや、ま、待って、待ってください、ちょっと。わ、わぁー!」
尚顕は、叫びながら家を飛び出し、走り去った。
初は、ポカンとして、尚顕の後ろ姿を見た。
栄は、絶叫しながら家を飛び出した次男坊の様子にザワザワとし始めた囲炉裏端の人々に向かって、丁寧に一礼して、初を促し、帰った。




