坂元栄 一目惚れ
薄暗くなってきた納戸に洋灯を持って来てから、物語の様にはいかないものなのね、と言って、初が嘆息した。
「実際、恋をしている子達を見ると、現実の辛さばかりが見えるわ。年が離れた人を心に懸けてしまったり、相手に子供だと思われていたり。すんなりとはいかないものの様ね」
「…そういう、物語の様な事、してみたかったですか?」
惚れた弱味とでも言おうか、こういう話をされると、胸がチクリとする栄である。
一目惚れした初と、偶然見合いが出来て、今に至るのだ。
初にしてみれば、思い掛けない、三歳年下の自分との縁談だっただろうと思うと、胸が、グッと詰まった様に感じてしまうのである。
「あんまり」
「んっ?」
栄の感傷に反して、初が、あまりにもアッサリそう言ったので、栄は少しだけ、前のめりになって聞き返してしまった。
「あんまり、と、申しますと…」
「そうねぇ、数えで十三とか…十六になったくらいまでは、そういう話をする分には面白かったのだけど。実際、年頃になったら、其れどころではなかったのよね」
「其れどころではない?」
人生で一番、其ればかりの時期、というか、其の時期に恋愛の事を考えずして、何時考えるのだろう、と栄は思ったが、一応全部話を聞こうと思った。
「同い年の巫女が二人共、…お周ちゃんも、お富さんも、居なくなってしまったでしょう?もう、虚しくて、虚しくて」
栄は、自分の顔が青褪めるのが分かった。
初は、親友の周の死に際して、後を追おうとしていた時期が有るのだった。
其れを知った時は、初が思い留まってくれて本当に良かった、と、心から思った栄である。
「綺麗だ何だって言われたって、其処何年かの事で、時期を過ぎたら薹が立ったとか言われて、縁談も来なくなるのかしら、と思ったら、虚しくて、もう。決起で操殿が亡くなって以降、急に巫女ではなくなってしまうし。ずっと続くものなんて無いのね、と思ったら、其れどころではなかったの。流石に、数えで十八まで縁談が来なかった時は傷付いたけど。だから別に、あんまり、物語の様な事がしたいとは、当時は思っていなかったわね」
普段おっとりしている初が、ごく自然に、流れる様に御喋りする時は、長い時間を掛けて考えて来た、本音なのである。
おっとりした性格の妻なのだが、考えている事は、想像より甘くないな、と、毎度、初の本音を聞く度に思うのに、なかなか慣れない栄である。
聞いていて、其の、華やかな外見と、おっとりとした優しい語り口と、語る内容の差に、急に怖くなる事さえある。
栄は、恐る恐る聞いた。
「あの、ずっと聞けなかったのですが。俺との御見合いの話、如何でした?六年前…。如何して御見合いの日、求婚を受けてくださったのか、未だに分からなくて」
流れで、見合いの場で求婚する事になってしまったのだが、栄は本気だった。
だが、初の方は、其の場の勢いで返事をしたのだろう、という事だけは分かっていたのだが、其れを言われたら、かなり自分が傷付くのが分かっていたので、怖くて、ずっと、求婚承諾の理由を聞けなかったのだった。
「ああ、あれはね。実はかなり、気に入っていたの、貴方の事」
「んん?」
栄は、相手の予想外の答えに、変な声が出てしまった。
「でも、貴方の事が気に入っていたから御返事したのだって、一ヶ月くらい経つまで自分で分からなかったの」
―一ヶ月、理由が分からなかった?一ヶ月、自分が、俺からの結婚を承諾した理由が、分からなかった?
其れが、長いのか短いのか、あと、何故、一ヶ月経ったら分かったのか。栄は頭の中で疑問符が沢山、浮かんでは消える幻影を見た様な気になった。
「だから、気付いたら、怖くなったの。如何して御見合いの日に、貴方に求婚してもらえたのか、分からなくて。ほら、私、年上でしょう?思ったよりも自分が其れを気にしていたって事に気付いたのも、一ヶ月くらい経ってからだったの」
―…?
頭の中に、なかなか、初が話す話の内容が入って来ない栄だったが、最終的に、初の言葉を、愛情の告白と受け取った。
此れが愛情の告白だという事に、初が気付く日は来ないかもしれないが。
―いいんだ、此れで。
此の、おっとりした妻と、話が噛み合うまでの時間にズレが有るのを承知で一緒になったのである。
「其れはですね、一目惚れしたんです、多分。だからあの時、求婚しました」
―六年越しで、こんな事を白状する日が来るとは。
案の定、初はキョトンとしていた。
「初めてハナさんを御見かけしたのは、昭和三年の一月五日でした」
初は、栄の言葉を聞いて、目を見開いた。
「坂元分家で頼りにしていた、直さん達が里を出て行く日だったので、よく覚えています。あの日は、寂しくて、寂しくて。直さんにくっ付いて泣いたんです。もう、数えで十五だったのに。大好きだった兄が、お富さんと逐電して、里では立場が悪くなってしまった家の後継に、急に、ならざるを得なくなるし。子守をして可愛がっていた、直さんの子達とも会えなくなるし、こんなに小さい頃に別れたら、自分の事なんて忘れられると思って。何だか、里に居場所が無くなってしまった気がしました。其れなのに、後継としての責任だけは重くなったんです。分家の五男の冷や飯食いが、急に、本家後継ですからね。そういう心算で育っていなかったんです。心構えというものが、まるで無かった。環境の変化と突然与えられた立場の重責に、混乱していたんですね。其の時にですね、予てから噂になっていた人を見掛けたんです。見たら直ぐに分かりました」
初が、栄の目を見詰めてきた。
「其の頃、実方本家に、泣き黒子の美人が居るって噂で持ち切りだったんです。其の人は、巫女さんを引退されたばかりで、赤い晴れ着を御召しでした。長い二本の編み下げに、飾り紐をしていました。年上で色っぽいと聞いていたのですが、小柄で、とても愛らしくて、そんなに大人の様には見えなくて、でも、とても優しそうでした。御揃いの髪型をした妹さんを連れていて、とても可愛がっていました。其の妹さんが首に巻いていた首巻が解けてくると、笑って、直してあげていました。其処に、其の人の御兄さんが二人来ました。其の人達は四人で笑い合っていて、とても楽しそうに見えました。其の、楽しそうな感じが、其の日から、胸に住みついてしまいました。里の生活は、すっかり寂しくなってしまったのだけれど、其の、優しそうな、楽しそうな人の姿を探すと、心が救われる気がしました。勿論、毎日見られるわけではなくて。だから、偶に姿を見られた日は、とても良い日でした」
栄は、懐かしくなって、微笑んでから、続けた。
「あの頃は、見る度に、其の人の髪型が違いました。何だか、そんな事も、とても楽しそうに見えました。そして、其の人は、何時も絶対、妹さんの手を引いていました。同じ髪型に結ってやって、妹さんが絶対ついてこられる速さで歩くんです。そして、二人で、顔を見合わせて、笑いながら歩くんです。そして時々、実方本家の近くを歩くと、音楽が聞こえました」
そう、笑い声と、音楽。
無口な父の糺と、広い家に二人暮らしで、急に、直の子供達の笑い声が消えてしまった、寂しい生活をしていた栄には、其の、明るいものと、優しさの全てが、初から発されている様に感じていたのだ。
眩しくて、心が暖められて、しかし其れは、誰にも言えない物思いだった。
「誰が奏でている音か知っていたので、其の音を聞くだけで幸福でした。でも、全く期待していなくて。こんな、年下で、ただ遠くから見ているだけの奴なんて、歯牙にもかけてもらえなくて、きっと、ああいう綺麗な人は、直ぐ何処かに御嫁に行ってしまうんだろうって。分家の五男だった様な人間なんかには、急に本家後継になったって、実方本家の娘さんとの御話が来るなんて、夢にも思っていなかったんです。ところが…何だか、気付いたら御見合いの席に居たんですよ」
確かに、今考えても、あれは突然だったな、と思って、栄は少し可笑しくなった。
「そんな流れで御見合いをしたので、まさか、気に入ってもらえるとすら思っていなかったんですよ。其れが、求婚したらですね、『はい』と言ってもらえたんです。未だ数えで十五だから、籍が入れられないので、何年か待ってもらう事になるけど構いませんかと言ったら、『はい』と。もう、そうなったら、如何しても諦めきれなくなってしまって。其の人に楽をさせたくて、その…」
気付けば、此方を見ている初の目が潤んでいた。
「本当でしたのね」
「え?」
「俊兄が仰っていたの。貴方が私を心に懸けてくださっているのを御存じだったから、御見合いを仕組んで後押ししたって」
「え?何ですか、其れ。初耳ですけど。俺、誰にも此の話、した事無かったんですが」
「え?」
次の瞬間、顕彦が、我慢出来ない、という様子で噴き出した。
初は真っ赤になった。
二人共、と言って、顕彦は笑った。
「俺が居るの、忘れてないか?其れか、せめて、俺が眠っているか確認してから、そういう話、してくれない?」
「すみません」
栄は完全に顕彦の存在を忘れていたので、素直に謝った。
「あー、笑った。有ったねぇ、御見合いねぇ」
顕彦は、ゲラゲラ笑った。
初は、恥ずかしそうにしながら、箱膳を下げに、炊事場に逃げた。
栄も恥ずかしかった。
「あの、如何して俊顕さんが?」
―ハナさんに一目惚れした事は、誰にも言った事が無かったのに、如何して御存じだったんだろう。恥ずかしい。
「否、如何してかは俺も知らないんだけど。兄上は、何故か知っていらしたよ。いやぁ、話が纏まって、良かった、良かった」
じゃあ、また少し寝ようかな、などと、顕彦が御道化てみせたので、栄は、顕彦の背後に有る布団を退けて、近くに置いておいた枕を代わりに置いて、顕彦を丁寧に寝かせ直した。
籠も忘れてはならない。
上掛けも、一枚増やしてやった。
顕彦の近くに洋灯を置いてやると、顕彦が、有難う、と言った。
今日は此れで帰ります、と、栄は言った。
「先刻の御詫びに、俺、此れから尚兄の所に行きますね」
「え?尚顕?」
「ちょっと焚き付けて来ます。喜久ちゃんの事、話してみますよ。此れで尚兄が御仲人様を立てると良いんですけど」
「は?」
「ちょっと、掻き回す、というのが正解でしょうか。如何するかは尚兄次第ですけど。ハナさんも一緒に、此の帰りに寄ってみますね。尚兄とハナさん、相性が良くないので、丁度良いです」
「え?如何いう事?」
「尚兄って、計画立てて何かを遣るのは頗る上手いんですけど、予想外の出来事が突発的に起きるのが苦手で、焦ると、とんでもない事するんです。上手く遣ったら、上手くいくかもしれません。今なら、喜久ちゃんに縁談が無いのでしょうから、考え様によっては、今しか尚兄には機会が無いとも言えますし」
「…怖い事言うなぁ。何をする気なんだ?」
栄は、返事の代わりに微笑んで、上掛けが、キチンと顕彦の肩に掛る様に掛けて、お休みなさい、と言ったが、顕彦は、怖い、と呟いた。
栄が洋灯の灯りを吹き消すと、顕彦は、有難う、と言った。
「栄、明日の午後の約束、忘れるなよ」
「はい」




