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声聞くときぞ 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第三章 養生
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坂元栄 坂元富

 顕彦が栄の目を見て来た。


 黒目勝(くろめが)ちな双眸が、光源の、そう多くない納戸(ナンド)で、窓からの光を受けて、少し光って見える。


 時々、こういう、吸い込まれそうな瞳で他人を見るのだ。

 色々な娘さんに、さぞ誤解された事でしょう、と、心配にはなるが、実は此れは、顕彦が、とても沢山、物を考えている時の(くせ)なのだ、という事を、栄は経験的に知っている。


「お(よし)さんって、どんな人だった?」

「え?」


「俺が(おさ)を尊敬してたのはさ。一つは、女児に字を教えていたからなんだよ。()()()()にはなってしまったけど」


「ああ、そうでしたね」


 (おさ)は、義理の従妹(いとこ)である、坂元本家当主、(みさお)の一人娘、坂元(さかもと)(よし)に、字を教えていたのである。


 其の(よし)が、祝言の後に、栄の兄である誠吉と逐電してしまった。


 其れで、(よし)の婿になり、坂元本家を継ぐ(はず)だった誠吉に代わり、今では栄が坂元本家の後継(こうけい)なのであり、更に、二人の逐電が、此の隠れ里での坂元家の立場を悪くした一因となったのであるが、(そもそも)、何故二人が里を出たのか、という事について、知る者は(ほとん)ど居ない。


「お(よし)さんって、そんなに綺麗な人だったのか?俺、見た事無いんだよ、一度も。そんなに、色々な男の人生が狂うくらい美人だったのかと思ってさ」


 栄は、一瞬で、自分の顔が耳まで赤くなるのが、自分でも分かった。


 顕彦は、気の毒そうに言った。

「あ、いや、言いたくないなら良いんだ。大体分かった」


 そんなになのかぁ、と、顕彦は、腕を組んで、首を傾げた。


 その、と、栄は慌てて言った。

「そうですね。二回会ったきりですが、そうだと思います」


 実際、栄には義姉にあたる(よし)を心に懸けてしまったばっかりに、とんでもない事を仕出かした男達が居るのだ。


「一度だけ、操殿と、夕方、うちに、内密にいらした事が有りました。古風な御高祖(おこそ)頭巾(ずきん)などで顔を隠して、見事な、孔雀柄の、(かすみ)(いろ)の振袖を御召しになっていて。何でも、お(よし)さんの気分が優れなかったとの事で、息抜きだったという事ですが。あとは、祝言の日ですね。其の二回だけ御会いしましたが」


 へぇ、と言って、顕彦が、()だ栄を見詰めている。『どんな人だったか』という問いの答えが欲しいのだろう。


「その…妖艶な感じがしました」


「え?御前、数えで十三歳くらいだっただろ?子供から見ても、そんなだったのか。お(よし)さんって、ハナちゃんと、学年違いの同い年だったよな?」


 そんなに?と言って、顕彦は、益々(ますます)首を傾げた。


 栄は余計赤くなって、言った。


「いえ、かなり前の話ですから。数えで十三だった人間から見たら、そうだったのだろう、という気もしますが。()(かく)、親切にして頂きました。(しし)(にく)の味噌漬けを作って、兄に持たせてくださったり、浴衣を縫ってくださったりしましたよ」


「ほう」


「今考えると、巫女さんにしては家庭的だった、と言うべきでしょうか。当時は子供だったので、親切だという事以上には、何も考えませんでしたが」


 ()だ、顕彦に見詰められているので、栄は俯いて、続けた。


「…その、髪が、とても長くて。巫女さんだったのですから、当たり前ですが。色白でした。…あとは、その…」


 いい匂いがしました、と、栄が、真っ赤な顔の(まま)、小声で言うと、顕彦が栄に謝った。


「あ…、いいや、いいや。何か…ごめん。有難うな」


 気不味い空気になってしまった。




 (やや)あって、顕彦が、厠に行くのを手伝ってくれと言うので、栄は救われた思いがした。


―助け舟を出してくれたのかもしれない。




 あの日。


 奇しくも、顕彦に男女の仲を教わった日、栄は、初めて(よし)に会ったのだった。


 (かすみ)(いろ)の美しい振袖と、豪華な金糸入りの帯に流れる黒髪は、座ると囲炉裏端の床まで届いていた。


 栄は、あんなに豊かな美しい、長い髪を見たのは、あの時が初めてだった。


 そして、兄との(むつ)まじい様子。


 あんな、艶っぽい事の苦手な(はず)の、おっとりした誠吉が、ウットリとしていて、別人の(よう)だった。


 心持ち(そば)に寄ると、(こう)の香りが鼻孔を(くすぐ)った。あの香りは、今でも覚えている。


 芳しい残り香が、(よし)が帰った後も、広間(ヒロマ)(ほの)かに漂っていた。


 栄は其の晩、とても他人には言えない夢を見て、次の日は朝から洗濯だった。


―深く掘り下げて聞かれなくて良かった。第一、こんな事話したって、数えで十三の時の、俺の主観でしかなくて、『どんな人だったか』っていう問いの答えではないもの。二回会ったくらいじゃ、俺も、よく知らないのと同じだし。


 少なくとも、新妻(にいづま)の兄に聞かせたい内容ではない。


―誰かの人生を狂わせてしまう程の美人だったかって?


 其れを問われたら、栄は、そうだと思います、としか答え(よう)は無い。


 兄の逐電は残念だが、本音としては、(よし)が、遠方に居る義姉で良かった、と栄は思っている。


 たった二回会っただけで、此れ程、強烈に覚えているのだ。


 あれ以上の関りが有ったら、自分も、()しかして、何か悪い心を抱いてしまっていたのではないか、と、栄は、少し怖くなる事が有るのである。


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