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声聞くときぞ 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第三章 養生
19/34

坂元栄 思い出話

「ああ、嫌だわ」


 荻平と双子が帰った後、黄粉団子(きなこだんご)を顕彦に食べさせて、痛み止めを飲ませながら、(はつ)は目頭を押さえた。


 納戸(ナンド)の壁には、早くも、(しゅう)の描いた顕彦の絵が貼ってある。


「毎回、何だか悲しくなってしまって。いっそ、御見送りしないで帰してしまいたいと思ってしまうのだけれど。そんなの、後から、もっと悲しくなるだろうし。其れにしても、周ちゃんにあの顔をされると弱いわ」


 栄も、分かります、と言った。


「あの、ションボリした顔をしてから、小さーく、手を振るんですよね。綜に促されないと、さよならも言わなくて。あれ、『さよなら』って言いたくないんですよね、きっと…」


 そうなのよね、と、栄に同意する(はつ)の目が赤い。


 顕彦も、そうだなぁ、と相槌を打った。

 顔色が少し悪い。


「今、(かご)を持って来させていますよ」

「あ、バレてた?」


 顕彦は、本当は、足が痛過ぎて、布団が触れるのも(つら)(はず)である。痛み止めが効かない時は、(かご)に足を突っ込んで、布団が直接、足に触れない(よう)にして寝ているのを、栄は知っていた。


 来客の前では(おくび)にも出さなかったが、膝に子供を乗せる(たび)に振動が有った(はず)である。


―意地っ張りにも程が有る。


 下男が(かご)を持って来てくれたのに礼を言って、栄は、顕彦の左足を、そっと(かご)に入れさせて、上掛けを足まで(かぶ)せた。


 有難う、と言う顕彦の額を、(はつ)が手拭いで拭いた。

 脂汗である。


―痛そうだなぁ。痛み止めの薬が早く効くといいけど。


「夕餉の支度をしますから。此処は御願いしても宜しいかしら?」


 そう言う初に向かって、栄は、はい、と言って(うなず)いた。


 立ち去る(はつ)の背に、大袈裟だなぁ、と、顕彦は声を掛けた。

「こう面倒見るのに時間使ってもらっちゃ、悪いよ。新婚なのにさ。一人でも大丈夫なのに」


「一ヶ月は安静にしましょう。何日かは、吐く程痛い(はず)です。足首だって、膝くらいの大きさに腫れているではありませんか。二週間は、松葉杖(まつばづえ)無しでは、一人では歩けない(はず)です。厠は下男がついてくれるでしょうし、炊事場(ナカエ)も人が居ますから、平気は平気でしょうけど、妹なら心配する状態でしょうね」


 顕彦は、片目を閉じて、小さく舌を出した。


 ほら、痛いじゃないか、と思い、栄は嘆息した。

「誰も居ない方が、よく眠れるなら、退散しますが。薬は飲みましたしね」


「いや、ちょっと聞いても良いか?」

「何でしょう」

(そう)、もう術が使えるんじゃないか?」

「いえ、綜と約束したので言いませんが」


「其れ、(ほとん)ど言っちゃってるぞ」

 あーあー、と言って、顕彦は天井を見た。

「まぁ、慣れるしかないからな。其のうち、体力がついて、上手くなる」


「最近、術が使えない子が増えているというのは本当ですか?」

「そうなんだよ」


 皮肉にも、学校教育が瀬原集落に普及するのと比例して、術が使えない児童が年々増えているのだという。


 やれやれ、と、顕彦は言った。


「何も、祈祷師(ウセンシ)を養成したかったわけじゃない。学校では体術も教えているから、祈祷師(ウセンシ)が出来なくても、用心棒の仕事くらいには就けるだろうが。…苗の神教(ナエンカンきょう)の里とは言えなくなる気がするな」


「そうですね」


 顕彦も栄も、別に、苗の神教(ナエンカンきょう)も、其の宗教の術も、如何(どう)でもいいと思っている。

 だが流石に、里の存在意義が揺らぐのは、其れで良い、と言い切っていいのか分からない。

 だから御互い、如何(どう)したものかな、と思っている、という次第である。


「な、栄。明日さ、時間有るか?ちょっと話が有る」

「分かりました。明日も昼から伺います」

「有難う」


 薬が効いてきたと見えて、顕彦の顔色が少し良くなったので、栄はホッとした。


 ところで、と顕彦は言った。

(おさ)と俺って、仲良かった?御前から見て」


「んっ?」


 あまりにも突拍子も無い事を言われたので、藪から棒ですね、と言って、栄は少し咳き込んでしまった。


「いや、荻平さんが」

「荻平さんが?」


(おさ)と俺が、親友(しんゆう)になり損ねたんだろうな、なんて言うから」

「はぁ?そんな事を言われたのですか?」


「そうなんだよ、俺は別に、(おさ)と仲が良かった心算(つもり)は無かったからさ」


「はぁ、一の同士(イッノドシ)ってやつですか。まぁ、でも、仲は良い(よう)に見えましたよ、当時。大正十五年の春までは」


「え?何で?」


「何と申しましょうか。俺、(おさ)が他人を頼ったのを見たのが、顕彦さんだけなんです」


 顕彦は、大きな目を見開いて、鳩が豆鉄砲を食った(よう)な顔をした。


「うわ、何て顔をなさるんです」


―見慣れていた心算(つもり)だったけど、顕彦さんが目を見開くと、目が普段より更に大きいのに驚くなぁ。


「そんなに意外でした?」


「そんな事有ったっけ?」


「あの、覚えていらっしゃいますか?あの頃、男女の仲を教えてくださったのを。性教育と言ったら宜しいでしょうか」


「ああ、あれな」


「あれって、今思うと、うちの兄に泣き付かれた(おさ)が、顕彦さんに丸投げしたんですよね」


「ああ、そぉんな事も有ったねぇ、いや、全く」


 当時、諸事情で、栄に男女の話をしなければならなくなった兄の(せい)(きち)が、偶然(ぐうぜん)其の場に居合わせた(おさ)に泣き付いたのである。


 今にして思うと、如何(どう)も、誠吉は、そういう話が苦手だった(よう)なのだが、(おさ)も、自分では遣りたくなかったと見えて、何のかんのと理由を付けて、顕彦に教え役を(なす)り付けたのである。


 あの時の兄と同じ年になった栄だが、今考えると、誠吉が其の役を遣れば済んだ話である。

 顕彦も、話の流れからいくと、無関係というわけでも無かったのだが、そういった繊細な話を頼むとなると、(おさ)は、顕彦の事を結構信頼していたのではないかと思う次第である。


「あの頃はなぁ、本当に。懐かしいなぁ。誠吉さんって、何ていうか、放っておけない魅力の有る人だったよ。(おさ)はなぁ。ああ、そうだな、(おさ)は」


 顕彦が、其処で言葉を切ったので、栄は聞いた。


「長は、顕彦さんから見て、どんな人でした?」


「不思議な奴だった。喋んないんだよ、あんまり。俺とは無理して話してたみたいだけど」


「え?そうだったのですか?昔は時々、励まして頂いたり、御説教されたりしたものですが」

「え?そんなに構われてたの?栄」


 顕彦と栄は顔を見合わせた。


「じゃあ、あの性教育も、御前の為に(おさ)が一肌脱いだって事なのかね?」

「あ、そうですね。先生を呼んでくださる、と仰っていました」

益々(ますます)、よく分からんなぁ」

「口数の少ない方でいらしたのですか?」

「荻平さんや三郎次さんと居ると聞き役だったよ、あいつ」


「え?荻平さん達って(おさ)の取り巻きですよね?取り巻きって聞くと、こう、太鼓持ちみたいな感じだと思っていましたけど。(おさ)の方が聞き役って、如何(どう)いう事なんですか?でも、(おさ)が周りを引っ張っている感じはしていましたが…」


「な?よく分からんだろ?」

「はぁ、思っていた感じではない様子ですね」


「今なら、何と無くな。もしかしたら、本当は、(そう)みたいな奴だったのかな、って、思わなくはないが」

「…ああ、無口な甘え下手」


「そう。…周りには無理して合わせてたって事なのかな。其れで、本質的には聞き役だけど、乞われれば指導者役も遣ってたって事だろうか。まぁ、周りを引っ張っていくのが仕事だからな…。出来ませんとか遣りませんってわけにはいかないだろうが」


(おさ)と、どんな話をなさっていたのですか?」

「仕事の話が多かったな。大して弾まない(よう)な話」

「ああ、里で唯一の教員でいらしたし、そうですよね」


「…仕事の事以外、何を話せばいいか分かんない奴、って思ってたけど。今考えると、あの頃、本当は、俺、仕事の話がしたかったのかな」


 顕彦は、白百合を見詰めた。

 開いている納戸(ナンド)の戸と戸から吹き抜ける風に、仄かに白百合の香りが乗っている。


「教育の話なんて、考えてみたら、あの時は、あいつとくらいしか出来なかったんだよなぁ」

「ああ、そうでしたか」


「青臭い目標みたいな話、してた。誰にもした事が無い(よう)な話、(なん)でか、しちゃってたな。(なん)でだったんだろう。不思議だったな。何言っても、口で言う程、怒ってない(よう)だったし」


 (そう)の目は、あいつそっくりだねぇ、と、顕彦は呟いた。


「そう聞くと、凄く仲が良かったみたいですけど」

「え?」


(おさ)に、あんな口を利いていた人も、俺は、顕彦さんくらいしか知りませんし」


「いや、あれは。何か、敬うと気の毒な気がしてたから。本当は、あんな無口な奴なんだ、と思ったら、敬われる事も重荷なんじゃないかと思って。同い年の俺くらいは」


「え?そんな事思ってたんですか?」


―其れって、相当仲良かったのでは?


 そんな事を見抜いていた人間が、当時何人居ただろうか、と栄は驚いた。


 いやぁ、と顕彦は言った。

「本当に、考えてみたら、(おさ)と俺って、如何(どう)いう関係だったのかな」


「教育に対する情熱を語る仲だった、という事ですか?」


「否、俺は情熱を持たない(よう)にしていたから」


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