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声聞くときぞ 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第三章 養生
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実方顕彦 教育

 (やや)あって、荻平が(いぶか)しげに口を開いた。

如何いう(いけな)(コッ)()?」


「いや、退職した理由は一つじゃない。別に、あの双子の為だけに辞めたんじゃない。でも、もう教職に戻る気は無い」


あんなに(あげん)懐いてるだろう(なつきよるがね)寂しい(とぜんね)()(タッ)だから(やっで)学校(ガッコ)で味方になってくれないか(っちゃくれんね)


「味方になる為に辞めたんだ」


 荻平は、そう言う顕彦の顔を見た。

本当(まっこて)()?」


「眉、動いてる?」


「いや、冗談(わやっ)じゃなくて(ねじ)本当(まっこて)()?」


 顕彦と荻平は、(しば)し見詰め合った。


 (やや)あって、荻平は、顕彦の言葉を信じた様子で、そうなんだ(そうね)、と言った。


「え、如何いう(いけな)(コッ)()


「桜の葉は、秋には何色に変わりますか」


「え?」

 顕彦の突然の問いに、荻平は眉を(ひそ)めた。


(なん)だって(ちね)?」


「教科書通りだと、黄色(きいろ)って答えになる」


「ああ、そうだっけ(だっけ)


 荻平は、遠い昔を思い出す(よう)に目線を少し上に上げて、そう言った。


「ところで、(しゅう)は何て答えたと思う?」


「答えを間違ったのか(まっごたのけ)?赤とか?」


「黄色に、黒い点々が入っている色です。茶色い所も有ります」


「ほー」

 映像的な答えだね(やっどなぁ)と、荻平は褒めた。


 確かに、秋の木の葉が目に浮かぶ(よう)な回答である。


「そうだろ。でも、黄色って答えないと、学校だと丸が貰えないんだよ」

「成程」


「もう、指導は(なお)(あき)になっててさ。俺は後ろで授業風景を見てたんだけど。(なお)(あき)が困っててさ。指導する時、(なお)(あき)は黄色っていう回答を期待するわけ」


「ああ、そりゃね(そらな)


「で、もう仕方が無いから、(なお)(あき)も、はい、黄色ですね、と、流して進めるわけだ」

「うん」

「間違ってないよな、どっちも」


「そうだなぁ。自分(わが)()ったら、何て(なんち)言った(ゆた)かなぁ」


「其れが、後でな、周が、他の子に、黄色って言えばいいだけなのに、って、言われたらしいんだよ」


「うーん…」

「其れで、ああ、此れはいかんな、と思った」


()()(トッ)だけ()?」


「いや、其の…。(そう)()(かく)(しゅう)は、かなり個性的なんだよ。他にも色々あった。画家とか、芸術家に向いてるんだろうな。芸術家肌と言うか」


そうなのか(そうね)子供(コドン)らしい、可愛らしい(むぜ)()だと(やち)思っていた(ちょった)が」


(そう)(そう)で、甘え下手で、物凄く気を遣う子なんだよ。気の毒なくらい。だけど、気を遣うからなのか、教科書通りの答えが言える。二人共、頭は良いぞ、かなり」


「でも、黄色いと言えない(きいかちゆえん)と丸が貰えない(をもらいがならん)、と」


「そう。でも、(しゅう)は間違ってない。其れで、ああ、引き時かな、と思った」


引き時って(ひっどきちね)?」


「此れが、俺の遣ってきた事だったんだよ」


 顕彦は、そう言って、溜息をついてから、続けた。


()ず、読み書きが出来なければ。算術が出来なければ。皆が学校に行けなければ。女児も男児と同じ(よう)に学べなければ。そう思って、遣ってきた。実際、時代が、そうだった。こんな僻地(へきち)の隠れ里でも、外と同じ水準の教育を、と願うなら、一つ一つ、そうやって、教えていかなければならなかった。でも、時代はまた、変わってきている。明治、大正。今は昭和だ。読み書きが出来る親の子供が就学しているのさ。今は、ある程度親が字を教えてから入学させる家もあるだろ?前とは、ちょっと違うんだ」


「うちもだ。言われて(ゆわっ)みれば、親世代は読み書き出来る(でくっ)人が少なかったけど、俺は出来るわ(おやでくっわ)自分の子(わがこ)(ない)か、ちょっと教える(ちといっかすっ)(コッ)有る(あい)な」


「金持ちしか遣らなかった(よう)な事が、全員遣るのが当たり前になると、如何(どう)しても、其れが合わない者や、遣りたくない者が出てくる」


 荻平は、納得した(よう)に、コクコクと(うなず)いた。


「弥五郎や、(しゅう)か。…方向性は違っている(ちごちょっ)けど、そうなる(そげんない)よな」


「何故勉強を遣らなければならないのか分からない、って、考えてみたら怖い事だよ。贅沢品だった、読み書き、算術を習うっていう行為が、此の里では、無償の強制になったって事なんだ。時代が全然違うよ。其れが、俺達の世代だろう?弥五郎さんは、算術を習うのを強制に感じていたんだから。そして(しゅう)達になると、弥五郎さんや俺の世代が親なんだからな。其処で、前の遣り方で遣っていると、やっぱり歪みが出てくると思う。昔が間違っていた、とか、そういう事じゃない。時代と価値観が変わってしまったんだ。前の時代の価値観を、今の時代の価値観で語って否定する必要は無いが、『教科書通り』というのが、もう、恐ろしい言葉じゃないかね?俺達の頃は、教科書自体、有った(よう)な無かった(よう)な、って感じだったじゃないか」


 そうだね(じゃらいねぇ)、と荻平は言った。


「でも一応()此れ(こい)が正解です、というの(ちゅうと)無い()と、教えるの(ゆっかすと)難しい(むっかし)よな」


 そうなんだよな、と顕彦も、同意して言った。


(しゅう)に、黄色って言えばいいだけなのに、って言った子も、どの子が、如何(どう)いう言い方をしたのかは分からないが、間違った事は言っていない。でも、(しゅう)も間違っていないんだよ。ただ、黄色だって教えてきたのは俺だったんだ」


 荻平が、うーんと(うな)って、腕を組んだ。


 顕彦は続ける。


「間違ってないのに丸が貰えないっていう経験を、ずっとさせるのが、本当に、(しゅう)の為になるんだろうか?」


何だい(なんね)何時(イッ)も、双子達(ふたごンシ)に、世間を知れって()言ってたじゃない(ゆちょったがね)、顕彦さん。『要領良く生きていける方が勉強より大事だ』って。教科書通りの(どおいん)答えを覚え込ませておけ(しちょれ)ば、世間で要領良くやっていけるだろう(がね)


 荻平の言葉に、返す言葉の無い顕彦だった。


 あーあー、と言って、荻平は、正座にしていた足を、胡坐に崩した。


(おい)思っていたより(おもちょったよい)、あ()双子に肩入れしているんだねぇ(ちょいやんなぁ)


 顕彦は答えず、下を向いた。


 荻平は、ごめん、と謝ってきた。


其れ(そい)で?じゃあ、どうして(ないごて)学校辞めた()。教員の(まま)の方(んほ)が助けてやれる(やいがなっ)(コッ)が有っただろう(がね)


「教員だと、所詮、教科書の枠を出られない。如何(どう)しても黄色だって言わせないといけない時が有る。黄色じゃない答えも良いねって言ってやりたかったら、其処で給料貰ってるわけにはいかないと思った」


「へぇ、成程」


「其れと、依怙贔屓(えこひいき)みたいになると、(そう)が気にするんだよ。双子に構うと、如何(どう)しても、そう見える事が有るから。長の子だから依怙贔屓(えこひいき)、ってな。だから、教員でない方が味方になってやれるかもって」


「何だぁ、(おい)が気にする(すっ)(コッ)じゃ無か(ねが)ったかぁ。両想い()


気色(きぞ)(わる)。誰と誰がだよ」


気色(きぞ)(わる)とか言っている(ゆよ)時点で分かってるんだろ(わかっちょったろ)。ああ、良い香りだな(よかかざじゃが)


 荻平が、(わざ)とらしく深呼吸して、白百合を見た。


(おさ)(ない)があったか教えてくれないか(ゆっかしっくれんね)?」


「俺と(おさ)の間に何かあったわけじゃないんだ。(おさ)がした事を、如何(どう)しても俺が許せないだけなんだ」


 荻平は、()だ白百合を見詰めた(まま)だから其れは何だ(じゃっでそやなんな)?と言った。


 顕彦は、いいや、と言った。

「此ればっかりは、俺の問題じゃないから、言えない」


とぜんね 『徒然(とぜん)ね』の転訛。寂しい、うら悲しいの意。徒然(とぜん)なか、とも。徒然(つれづれ)(退屈だ、物足りない)と同義。

冗談(わやっ) 冗談(わや)く。枉惑おうわくの転訛。「道に外れた事をして人を惑わす事」という意味が変わって『冗談』になった。

可愛い(むぜ) 可愛い、小さくて愛らしい。古語の『無慙(むぞう)』が転訛したもの。痛ましい、可哀想、から、意味が変化して、可愛い、というニュアンスになった。

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