実方顕彦 決起
「来てくれるって思ってなかった」
顕彦の言葉に、荻平は、俯いて言った。
「いや、階段から落ちたって聞いたもんで、怖くなってさ。双子の御供を命じられたというのもあるけど」
「ああ、弥五郎さん。もう、八年くらいになる?」
「そうだね」
実は、荻平の友人、弥五郎は、階段から落ちて、首を折って亡くなったのだ。
葬儀が坂元本家の操や富久と重なったので、顕彦は参列出来なかったが、弥五郎の遺体の状態は、見るものではなかったと言われた。
「あの頃の夢を見てた。起きたら荻平さんが来て、吃驚したよ」
「そうか」
長抜きで、何回か、あの後も飲んだくらいの仲である。
昭和初めの瀬原衆の決起以来、やや疎遠にはなっていたが、顕彦は、荻平や三郎次に、悪い感情は持っていない。
素直に、懐かしいと思った。
「三郎次さんは?」
「実は奥方が昼に産気付いて。三人目」
「おお!」
「うちの家も今、二人目。奥方が妊娠腹で。そろそろ生まれるかなって」
「へぇー、そうか。綜と周が数えで八つだからね。あの頃、嫁貰っていたら、そうだろうなぁ」
同い年が、どんどん子持ちになっていく。
やはり十年一昔である。
年寄ぶるなと栄には言われたが、ああして、若衆小屋で語らい合ったのは、一昔前の事なのである。
思わず、遠い目をする顕彦だった。
荻平が、其れでさ、と言った。
「あの時の事を、そろそろ教えても良いかと思って、来た」
「嘘だろう?どんだけ聞いても教えてくれなかったじゃないか」
決起というのは、大正十五年の四月、誠吉と富が瀬原集落を出奔した後、其れ程間を空けずに起きたものである。
瀬原集落では、決起と言えば、瀬原衆と吉野衆の若け衆の一部が起こした、当時の坂元本家襲撃事件の事を指す。
当時、先代の長、瀬原重蔵が、大正三年の噴火で亡くなった後、幼年だった頃の今の長を擁立して、其の後も補佐を務めていた、当時の坂元本家当主、坂元操に対し、長の権限を奪っている不敬な者として、長に心酔する若者たちが立ち上がり、有ろう事か、当時、上方限一の権力を誇っていた坂元本家に乗り込み、富の父である、当主の操を自刃に追い遣ったのだ。
其の場に居た、富の母、富久も、夫の死に衝撃を受け、卒中で亡くなってしまい、以降、坂元本家は絶え、操の従弟の坂元分家の糺が坂元本家当主となり、坂元本家後継に、糺の五男、坂元栄吉、もとい、坂元栄がならざるを得ない事になってしまったのである。
結局のところ、死人まで出しておいて、決起の首謀者は未だ不明であるが、以降、瀬原集落の勢力図は塗り替わった。
長は、操が持っていた実権を握り、長の内向きの仕事の補佐には、長の義兄の吉野保親、外向きの仕事の補佐には、長の取り巻きだった、瀬原荻平と瀬原八次が就いたのである。
瀬原衆の決起の時、本当は何が起こったのか。
其れは、長年、顕彦の中で謎の儘だった。
推論を組み立てられるくらいの情報は、無いわけでは無かったが、其れは、やはり推論の域を出るものではなかった。
結果から考えると、長が首謀者で、邪魔な操を、娘夫婦が出奔したのを理由に、謀反者と見做して排除しようとし、周囲が長の案に乗った、と考えるのが自然なのだが、長に遠慮してか、誰も、首謀者の名前を言う者が居ない。
幾ら長に心酔する若者達が行ったとは言え、其れは、顛末としては、あまりに奇妙だった。
荻平は、長年の秘密を、遂に語ってくれる、というわけである。
「実際、俺と三郎次と八次は、瀬原衆の決起に参加してなかったんだけど」
「其れは聞いたね、そう言えば」
あの日。
瀬原衆の決起を止めようとした三郎次は、足を怪我してしまったのだった。
荻平と八次は、其れを介抱していたのである。
そして、長の四人の取り巻きの中で、一人、決起に参加した弥五郎は、其の日に事故で亡くなってしまったのだった。
「荻平さん達って、長の取り巻きだったのに、結局、弥五郎さんだけ決起に参加して亡くなった事故だったっていうのは本当かい?」
「何とも言えないんだよね。うっかり階段から落ちそうな奴ではあったから」
「…まぁ、遣りそうではあったけど…」
「でも、殺されたんだろうなって、俺は思ってる」
「…そう」
「実は、決起の発起人は、吉野本家の次男坊の、保親さんだったんだけど」
成程、と顕彦は思った。そう、長の補佐、という立場の操を排除して、吉野本家の長男を差し置いて、次男の保親が其の座に就いたのには、何も、長の義兄という立場だけが理由、というわけでは無かったのである。不思議な事に、吉野本家は、保親のする事に対して、ほぼ無関係を決め込んでおり、長の補佐にまで昇りつめた次男の権力の恩恵に浴そうともしないのは、不思議と言えば不思議であったが、顕彦は、吉野本家当主と長男の高潔な性格を思い出し、納得した。
―首謀者は分かってなくても、次男の保親さんが、長男を差し置いて重職についた時点で、吉野本家は、次男坊を怪しんでいたって事だろうな。卑怯な事をして操殿を陥れて、権力を得た次男を、恥に思って切り捨てたいが、証拠が無いって事なんだろう。…成程、こりゃ、外から見ても分からないだけで、実質、勘当じゃないかね。
「あ、もしかして。糺殿に情報提供したのは荻平さんか?自分達は参加してないって」
「ああ。三郎次の遠縁が、糺殿の所の下働きなんだ」
「おテイさんか」
「そう。三郎次は、おテイさんが坂元分家で働いているとは其れまで知らなかったみたいだったけど、誠吉殿の祝言の頃、糺殿に雇われているって知って。其れで、おテイさんに頼んで、糺殿に引き合わせてもらって」
「そういう繋がりが有ったのか…」
「で、本題なんだけど。実は、其の発起人に煽られたのが弥五郎だったんだよね」
「え?」
「保親さんが、有る事無い事、弥五郎に吹き込んでくれて、其の気にさせてさ。坂元本家が実権を握っているっから長が肩身の狭い思いをしていると信じ込ませたみたいなんだよ。弥五郎は長に心酔していたから、怒り狂ってさ。三郎次が止めようとして、土手から突き落とされて、足の骨を折ってさ」
「そんな」
「あいつが、坂元家の実権が如何とか、難しい事を思い付くわけがない。最初から、決起の失敗の時に、首謀者として突き出す為に担ぎ上げられていたんだろう。弥五郎は弥五郎で、言い出したら聞かない。自分の発案だと思い込んでいる様な節まで有るみたいだった。何処を如何思ったら、そうなったか分からないが。三郎次は、必死で弥五郎を止めようとしたが出来なくで、結局、長に助けを求めてしまってさ」
顕彦は、荻平の話を聞きながら、自分が震えているのに気付いた。
荻平は話を続けた。
「長は、俺と八次に三郎次を任せて、決起を止めに走ってくださったんだ。でも、長が掛け合った時は、もう、止め様が無いくらい瀬原衆と吉野衆の若け衆が猛り狂っていた。其れで長は」
顕彦は、荻平に合わせた言葉遣いも忘れて、言った。
「待って、荻平さん。長は、其れじゃ」
「そう。決起を止めようとしてくれたんだ。弥五郎の為に。頭が弥五郎じゃ、決起は成功しなかったかもしれないね。其の時、首謀者と見做された弥五郎が如何なるかと考えると、長は長で、必死だったんだと思うよ」
「では、長が、代わりに首謀者になった、というわけか」
「そう。婚姻統制を餌にして、吉野本家の次男坊を黙らせたんだよ。次男坊は冷や飯食いだから、嫁は貰えないのが、あの女好きの保親さんの、一番の不満だったらしい。だから一つは、水配りなんていう、上方限も下方限も長男でないのも関係無く、参加すれば嫁が貰える仕組みを考えた、というわけ。長は、吉野本家の次女のお周さんを嫁にしていらしたから。つまり、長にしてみれば、保親さんは義兄だし。俺からしたら、長には何か、最初から、吉野本家の次男坊が怪しいというのが分かっていらした感じがしたよ」
そう、吉野本家の次女の周というのが、保親の妹で、双子の母親である。
苗の神教には、嘗て巫女が居たが、大正末で廃止になった。
其の、苗の神教の最後の巫女は六人。
坂元本家の娘、富。顕彦の妹で、実方本家の娘、初、仲。清水本家の娘、景。そして、吉野本家の娘、絹、周。
此の、四家の本家の娘が、苗の神教最後の六人の巫女だったのである。
操が亡くなって、巫女を引退する儀式を継承する者が居なくなり、保親の妹の周、顕彦の妹の初と仲は、巫女を引退する儀式を行えなかったのだが、操の存命中に嫁いだ、周の姉の絹、景、富は、正式に巫女を引退してから嫁いだ。
此の、周の輿入れというのがまた、奇妙だった。
顕彦の兄、俊顕と景、誠吉と富の合同で、巫女の引退の儀式を済ませた後の祝言の夜、其々が新枕を交わしている時間帯に、長が周の元に通っている事が発覚し、其の後、直ぐに、誠吉と富は出奔。長は責任を取る様な形で、関係発覚の翌日に周と祝言を上げ、其れから、殆ど間を空けずに、あの決起が起こったのである。
顕彦は、決起に、何か、其の事が関係しているのではないかと、前々から疑っていたのだった。
「では、逆だったのか。吉野本家の娘を嫁にして、何か吹き込まれたから、其処の次男坊と手を組んで決起をしたわけではなかったのか」
「お周さんは巫女さんだっただろう。何というか、そういう、人を陥れようとする様な人では無かったよ。外にも滅多に出ない人だった。御嬢様だな。お周さんと一緒になった事とは、決起とは関係無いよ、俺は思いたいけど」
荻平の言葉に、顕彦は黙った。
「顕彦さんって頭が回り過ぎるんだね」
「え?」
「近いものを関連付けて答えを出そうとするんだろうな。足りない情報を其れで補完しようとするんだろうね」
「其れ以外に如何やって答えを出す?」
「思い込みも無いかね?其れで出した答え、本当に合ってるかね?何か、あと少し情報が有れば、バッと違った見え方になる事は無いかね?」
「情報?」
「顕彦さん、妹の、お初さん達も巫女さんだっただろ」
「ああ」
「そして、長が仰るには、お周さんは、お初さんの親友だっただろ。外に殆ど出た事が無い、数えで十六の女の子、しかも、妹の親友だろ?そんな事をするわけない、って、信じてやらないの?」
「俺は、お周さんを知らないから。妹の親友ってだけじゃ、可能性を除外しなかっただけだ」
「また、眉一つ動かさずに、そういう事を言うよね。お初さんには、そんな話、全然しないんだろ」
そう言って、荻平は笑ってから、続けた。
「じゃ、お初さんを信じてあげてよ。そんな人を親友には選ばないって」
「…うちの妹が騙されていたかもしれないだろ」
「顕彦さん、泣きそうな顔してるよ」
本心じゃないね、と、荻平は、穏やかに言った。
足が痛いんだよ、と言って、顕彦は、プイッと、白百合の花の方を見た。
花の存在を意識すると、香りを強く感じる。
「ああ、そう言えば、御見舞いで来たんだったわ」
荻平が、態とらしく、そう言った。
「よく言うよ」
顕彦は、呟く様に、そう言って、美しい、沢山の煤竹を、竹の形の儘組んで作られた、納戸の天井を仰いだ。
じゃあ、と顕彦は言った。
「決起は、良い様に踊らされた弥五郎さんの暴走を止めようとした長が、身代わりに首謀者になった結果?」
「そう。…長が其処までし庇ってくださった弥五郎は、決起が終わってみたら、死んでたんだけど」
本当だとしたら、悲惨な話である。
荻平は俯いて、言った。
「弥五郎を見た時の長の顔は忘れられないよ」
顕彦は、荻平の顔を、ジッと見詰めた。
荻平は続けた。
「成り行きで、当時の坂元本家に乗り込んだら、操殿には自決されてしまって。首を掻き切りなさったんだ、操殿が。其の、吹き出す血を、長が必死に押さえていらしたらしくて。白張も何もかも血染めだった。操殿は助からなかったけど。其の足で、三郎次の所に来てくださって。其れで、弥五郎の事を知って。でも、すぐ後に、操殿の奥方の、お富久さんが卒中で倒れなさって。長は、走り回って葬儀の手配をなさったんだ。其れが、本来の長の仕事だから、というのはあるけど」
ねぇ、と荻平は言った。
「顕彦さん、そろそろ、長の事を許してあげてくれないか」
「荻平さん」
「俺は知ってるよ。顕彦さん、長に何か、腹を立てているんだろう?決起で操殿が亡くなった頃からかな?いや、其の、もう少し前からかな」
荻平の言葉には答えずに、顕彦は俯いた。
荻平は続けた。
「あんなに、仲が良かったのにさ」
「仲良くなんてないよ。一度も、仲良かった事なんてない。俺が許せないのは」
「やっぱり、腹を立てているじゃないか」
荻平の指摘に、顕彦は怯んだ。
仲良かったよ、と、荻平は言った。
「あんなに、他人に気を遣わないで話す長は、見た事も無かった。顕彦さんは、仲が良かったつもりは無かっただろうし、誰にも好かれようとは思ってなかったかもしれないけど。長は、顕彦さんには、比較的、本音を語ってたんだと思う」
「俺が許せないのは、長が許せない事をしたからだ。そりゃ、決起の事も有ったけど。其の前からだ。俺は」
―俺は。如何だった?俺は。長を、如何思っていた?
荻平が、白百合の花の方を見て、言った。
「此の百合さ、本当に、長が大事にしていなさるんだよ。誰かにあげた、なんて話、聞いた事も無い。其れが、双子が顕彦さんの御見舞いに行きたがったら、すぐ切って持たせてくれたんだよ。花粉を丁寧に取ってね。服に花粉が付かない様にさ。そして、俺を御供に付けてくれたのさ」
顕彦は、双子の為だろ、と、小さな声で言った。
荻平は、やれやれ、という顔をした。
「顕彦さん、時々悪い人ぶろうとするの、何なの?あんなに双子が懐いていれば、長だって、感謝してるよ。第一、そんなに腹を立てているのに、双子には凄く優しいじゃない」
「双子は何も悪くないだろ」
「そういう風には割り切れない人も居るよ」
荻平は、そう言って、また笑った。
顕彦は、荻平の方を見て、言った。
「割り切ってるのかな、俺」
「違うの?」
「いや、割り切ってるな。仕事だったから生徒に優しいだけ」
「其れは流石に嘘だって自分でも思わない?子供が好きではあるんだろうけど」
そう言って、荻平は、また笑った。
顕彦は、フン、と言った。
「俺みたいなのは、頭が、あの子等と同じくらいだから気が合うんだよ。遊んで遣ってるんじゃなくて、俺が遊んでもらってんだ」
凄い意地っ張りだね、と言って、荻平は吹き出した。
何だよ、と思って顕彦は言った。
「実際、生徒は皆可愛かったよ。誰の子とか、本当に関係無い」
「あ、其れは本心だよね。眉が動かないもん」
顕彦は、堪らずに、もう、と言った。
「荻平さんって、何なの?」
荻平は、クスクス笑った。
「自分で思ってるより正直者なんだと思うけどな、顕彦さんは」
「馬鹿って事?」
「教員つかまえて、そんな事を言う程、浅はかじゃないよ。まぁいいや。じゃ、教員に戻ってくれないか?」
「え?」
「別に、人が人を許さない、なんて事には、もう口出ししないからさ。双子の為にも、学校に戻ってやってくれないか?」
「双子の為に辞めたんだ。だから戻らない」
「は?」
珍しく、二人の間に沈黙が流れた。
其の間を埋めるかの様に、白百合が香る。
たまがった 魂が離れる程の驚き、魂離る、から来た方言。
奥方 妻。内室、内方の転訛。
妊娠腹 大きい御腹をしている、という意味の方言。
け死ぬ 『死ぬ』に接頭語の『け』が付いて、強調する語になる。物が壊れた時にも『時計が壊れた(け死んだ)』という使い方をする。
親友 『一の同士』の転訛。
首謀者 頭の転訛。上流、長男といった、立場が上の者を指す。




