実方顕彦 雇用問題
「でも、俺も分かった。文化なんて言葉、俺と関係無いと思っていたけど」
荻平が、感心した様に、そう言ったが、稍あって、あ、と言った。
「あ、でも、無くなるのか?」
「そう。奉公しなくなるかもしれないし。雇用関係が無くなれば、そういう文化も無くなるかも」
「あ、雇用」
成程ね、と荻平は言った。
三郎次は、再び首を傾げて、こよう?と言った。
顕彦は再び説明を試みた。
「そう。雇っている、雇われている、という間柄の事を、雇用関係、というわけ。旦那様、若様、なんて呼ばれて、良い格好をしている、と思う人も居るのに、如何して奉公が今も無くならないか、というと、仕事が、其のくらいしか里に無いからよ。あんまり仕事の種類が無いだろ?」
「無い…かな。無いね」
「他の仕事に就ける様になったら、そんなに、上方限の家に住み込みで奉公しなくなるだろ?」
「そうかな?」
―あら、話しの通りが悪いかな。
教えるのは、やっぱり向かないねぇ、と顕彦は思ったが、続けた。
「例えば、行き成り、使用人を使うなんて、偉そうで良くないからって、上方限の家が使用人を辞めさせたら、奉公してきた人達は、如何やって次の日から食っていく?凄く困らないか?」
「困る!」
三郎次が分かってくれた様子なのを確認してから、顕彦は続けた。
「実際有り得るよ。此れからは家事炊事や畑を自分達でするから、辞めても良いよって、言えない事は無い。使用人が居ない所の方が里には多いのだから。今、使用人が居る所が、今日から雇わないと言い出す事は有る。雇う金が無くなるとかさ」
「そうか。うん、下方限だと、普通居ないから、良い格好をしている、って思うのかも」
「だから、問題は其処だ。他に仕事が有れば、別に、奉公しなくて良いだろ?」
「うん」
「つまり、雇用、働き口の問題だ。仕事は、働き口は多い方が良いだろ?」
「うん」
「働き口が増えたら、上方限に奉公する人達は減るかもしれない。ただ、今は働き口が無い、というのが、問題だ。上方限の人達が雇う事で給金が貰えて、暮らしていける、という関係が何時か変われば、こんな細かい決まりは無くなる文化になるよね」
そうか、と言って、三郎次は俯いた。
「仕事が無いか。祈祷師じゃなかったら、猟師か畑の野菜を売るか、か。他の仕事は、奉公するくらいか。無いか、今は」
「そうだろ?」
顕彦と三郎次の会話を黙って聞いている長の何時もの無表情な顔が、顕彦には何処と無く悲しそうに見えた。
―何時になったら此の雇用関係の格差が縮まるのか、なんて、誰にも分からないからな。
しかし、しんみりしそうになった顕彦に聞こえてきた三郎次の言葉は意外なものだった。
「じゃあ…今は、なるべく金持ちの所に奉公すると良いかもね」
割と強かな其の言葉に、他の三人全員で吹き出した。
三郎次は続けて言った。
「ねぇ、顕彦さん。何処の家が金持ち?」
「え?そんな事を知りたいのか?」
顕彦は戸惑ったが、荻平も興味が有りそうな顔をして顕彦を見てきたので、そりゃあ、と言った。
「他所の家の金銭の事情は分からないものだからなぁ。暮らし振りと内情が一致しない事も有るし、一概に言えないけど」
「ん?」
三郎次が、また、分からない、という顔をした。
顕彦は再び説明を試みた。
「見栄張って豪華な暮らしをしていなさるけど、実は借金持ちとか、逆に、質素だけど実は裕福、とか。見た目だけじゃ分からない事が有るわけさ」
「はー」
三郎次は、感心した様に、そう言って、コクコクと頷いた。
まぁねぇ、と顕彦は続けた。
「見分け方とまではいかなくても、目安くらいは有るだろうけど。どんな事も絶対は無いだろ」
「え?金持ちの家の見分け方が有るの?」
荻平が食い付いてきたので、顕彦は、戸惑いながらも、有るよ、と言った。
長も興味深そうに顕彦の方を見てきた。
「え?皆、此の話題に、そんなに食い付くの?」
顕彦は驚いて、そう言ったが、荻平は興味津々の様子で、うん、と言った。
「だって面白そうじゃないか。外から見て分かるのかい?」
「そうそう。炊事をする所の窓とか厠を見ると良いよ」
「え?」
荻平は、キョトンとした顔をした。
他の二人も顔を見合わせている。
顕彦は続けた。
「炊事屋の窓が硝子の所を知っているかな?」
「うん」
荻平は、未だピンと来ていない様子だったが、思い当たる家は有るらしかった。
上方限は、二つ家、と呼ばれる造りの家が多い。
来客を通して接客をしたり、家族が生活したりする本屋と、内向きの作業をする、客等を通す前提の造りにはなっていない、中に向かった場所、炊事屋の二つを、樋の間という、雨樋の役割をしている渡り廊下で繋いでいるから、二つ家、と呼ばれるのだ。
「客に見せない炊事屋に、見栄を張る必要は無いのに、其処に硝子が使ってある、というのが、如何いう事か、という話だよ」
「あ」
顕彦の言葉に長と荻平が、ハッとした顔をした。
三郎次は未だピンと来ていない様子だったので、顕彦は続けた。
「其処の家は、明治の中頃か今くらいまでに炊事屋に硝子を嵌める金が有った、という事さ」
荻平と三郎次は、声を合わせて、成程、と言った。
まだまだ硝子は高級品なのである。
「本屋の硝子障子みたいな物は、客に見栄で見せるのに使う事が有るから分からないけど、炊事屋に硝子が入っていれば、使用人が使う様な所にも硝子を入れられる様な金が有る、という事よ。裕福でも、質素な暮らしをしていたら、入れない所も在るから、必要条件じゃないけど、十分条件だろ?」
顕彦の説明に、三郎次が、じょうけん?と問うてきた。
顕彦は、より丁寧な説明を試みた。
「金持ちの条件って、絶対ナカエに硝子を入れている事が必要では無いよね?」
「うん」
「でも、ナカエに硝子を入れられるって事は、金持ちっていうのには十分な条件だろ?」
「おお、成程」
三郎次が、大きく頷いて、そう言うと、続きを顕彦に促した。
「厠は?」
そんなに興味が有るのかぁ、と思いながら、顕彦は続けた。
「上方限の住まいは内風呂と厠と井戸が有るから、其処だけ見ても何処も変わらないだろうけど」
「内風呂と厠と井戸が共同じゃないだけでも豪い裕福じゃない」
荻平の驚きの声に、顕彦は、其処からか、と思った。
下方限だと、共同風呂、共同厠、井戸も四、五軒の家で、共同である。其処で、水汲み等で集まった主婦達が井戸端会議をする、というわけである。
上方限まで貰い湯をしに来る者も多い。理解している心算でも、共同では無い風呂や厠や井戸が当たり前で育った顕彦と、下方限の者とでは、やはり意識に溝が有るらしい。
難しいな、と思いながら、顕彦は黙ってしまった。
「まぁ、其れで?」
珍しく長が口を挟んだ。
顕彦が困っているのを察してくれたのかもしれなかった。
「其れで、大正に入ってからも金が有る家だと、厠が二つ在る事があります」
顕彦の長への言葉に、荻平と三郎次が目を丸くして、二つ?と言った。
―共同厠が当たり前で育ったのに、厠が二つ在る家が金持ちだ、と言われても、そりゃそうだ、と言われそうだよな。
顕彦は、少し不安だったが、荻平も三郎次も分かってくれた様だった。
「へぇ、厠が二つ有るって、考えた事も無かった」
荻平の感心した様な其の言葉に、顕彦は、少し安心して、続けた。
「不浄の物は建物の外に作るだろ。住まいの中を汚したくないだろ。後は見張りな」
「見張り?」
三郎次が不思議そうに言ったので、顕彦は説明した。
「態と玄関近くに厠を作る所が有るのさ。用を足す振りをして、門の近くを通る人達を、こっそり見張るわけ。防犯な」
荻平と三郎次は、声を揃えて、知らなかった、と言った。
顕彦は、内緒だよ、と言った。
「防犯だからね。内緒にね」
分かった、と言う荻平の横で、三郎次が、如何してなの?と言った。
荻平が説明した。
「そりゃ、知れ渡ったら防犯の意味が無いだろうがよ。簡単に見張りの裏をかけるだろう」
「成程」
兎に角、と顕彦は続けた。
「外の厠から、通りで通行人がしている内緒話も聞けるみたいだったよ。俺の家は、門の脇に厠は無いけど」
荻平は、へぇー、と、感嘆の声を上げた。
三郎次も、真剣な顔をして聞いている。
「其れで、金の有る所は、大正に入ってから、来客用に、住まいの中に、もう一つ厠を作っている事が有るわけ。俺の家には無いけど」
荻平が、え?と言った。
三郎次も、キョトン、とした顔をした。
「西洋式の真似だろね。来客に外の厠を使わせるのは忍びない、っていう、気遣い、というか。まぁ、見栄も有るかもしれないけど。其れで、住まいの内と外、例えば庭に一つ、床の間の横とかに一つ、という風に、厠を二つ持つ所が有るわけ。硝子と同じで、厠の数も、絶対では無いけど、金持ちの家を見付ける目安にはならないかな?だから、奉公先を決める時に、厠の場所を聞くなり、炊事場の様子を見るなりしてから決めても良いかもよ、という話」
「へぇー!顕彦さん、有難う。面白かった」
荻平が、顔を輝かせて顕彦に礼を言った。
三郎次も、ありがとう、と言った。
「ああ、面白かったなら良かった」
―雇ってもらえれば、の話だけど。
一先ず、理解してもらえた様なら良かった、と顕彦はホッとした。
人に、ものを教えるのは、本当に難しい。
簡潔にしようとすると取りこぼしが有る気がするし、詳細を伝えようとするとダラダラ長くなる気がする。
―やっぱり向かないねぇ。
しかし、自分には向いていない、と顕彦が思っても、給金を貰う以上は、向いていないからといって、教える技術を向上させる為に努力しないわけにもいかない。
―まぁ、慣れだろう。何時か上手くなるかもよ。
顕彦は、毎回一度、そうして心の中で自分を慰める事にしている。
「…御前、そんな事を考えながら、他人の家のナカエや厠を見ているのか?」
長が、やっと口を開いたと思ったら、実に不思議そうに、腕組みをして顕彦を見て、そう言った。
「考えないのですか?」
「あんまり」
また、長と顕彦の間に沈黙が流れた。
―此れだよ。仕事の話以外は本当に、弾まねぇなぁ。
厠の数と硝子の話は、2017年に出水武家屋敷群で聞かせていただきました。
硝子は高価だったので、大体、何処で聞いても、例えば、古い硝子が残っていたりすると、昔の御金持ちの家が分かります。古い硝子は、透明でも、歪みが有るので、割合分かりやすいです。割れた部分は、現在の透明度の高い硝子を嵌め込んで修復する事が多いので、他の硝子と比べて其処だけ透明度が低いと、大体其れが古い、貴重な硝子だったりします。
あとは、家にお風呂が有るのが当たり前になったのはかなり最近なので、古い家で内風呂が有ったら、御金持ちだと思って間違いないです。
実地だと、資料に絶体載せられない、婚姻関係の範囲の話等が聞けたりするので、流行り病が明けたら、色々な所に行ってみたいです。
あと、長野ですが、いまだに名字が五つぐらいしかない場所、というのも実在しました。
徐々に他所の人が入って来て名字が増えてきている、という時に御話を聞けましたが、こういうのも、記録しないと、どんどん消えていくのかもしれません。
出水武家屋敷群は、大河ドラマ『篤姫』の撮影等でも使用されているので、見た事が有る方もいらっしゃるかもしれません。
因みに大河ドラマ『西郷どん』では、戦乱や空襲で焼けて、今では鹿児島市内には残っていない筈の、上町辺りの、武家の二つ家造りの家が、セットで再現されていて面白いです。
西郷さんの家の、樹を挟んだお隣が大久保さんの家、というように、お話の設定上変更点も多いようですが、「多分、川のあの辺でウナギを取ったんだろうな~」等、リアルに想像出来る設定も多く、地理が、かなり研究されていて、NHKのドラマ資料の明治維新前の物は、今も一見の価値が有ると思います。




