ちょっとした休日
金貨を受け取った一は、ウィンと共に必要な日用品であったり、身の程を弁えた衣服であったり、ご飯を食べたり、ねだられてアクセサリーを買ってやったり、と、まぁ比較的穏やかな異世界の日常というのを体験していた。
その夜のことだ。
「ねぇ……明日なんだけど……」
「うん」
ウィンの部屋に運び込まれた簡易ベッドと、その上に広げられた服や日用品たちと睨めっこしている一は、自分のいた世界と異世界との生活レベルの差に行き場のないやるせなさを感じていた。
「あたし、午前中に仕事が終わるから、午後から賢者の石を調べてみない?」
「そうだな……」
服はともかく、洗面用具や入浴道具などの品質がとても粗末だ。歯ブラシ、なんて高価なものはなく、江戸時代かよ! と突っ込まざるを得ないような木のブラシが主流だ。もちろん歯磨き粉なんてものはないから、塩を使うらしい。
次に風呂だ。現代人からすれば毎日入りたいほどだが、この異世界ではそうではないらしい。いや、この世界が、ではなく、この地方が、の方が正しいだろうか。もちろん浴場はあるが、一回の入浴料が金貨一枚とかなり高い。だったら川で水浴びした方がマシだ。ただ、その劣化版と言うわけではないが、公衆サウナのようなものがある。前者は国営、後者は民営といった違いはあるが、どうやらここの住人は普段はサウナに行き、たまに浴場へ行く、というような利用方法をしているそうだ。
「風呂、入りてぇな……」
「行けばいいじゃない」
「全く環境が違うせいか、行こうとは思えないんだよ……」
「めんどくさい人ね、あんた……」
「うるせぇ……」
「それより、明日の午後、ちゃんと空けといてね?」
「ん、分かった」
「朝早いから、あたしはもう寝るわね」
「ん、おやすみ」
「……? なにそれ」
「は? 何が?」
「いや、今言ったやつ。おや、すみ? ってやつ」
「……あぁ……そういう……」
ここは本当に異世界なのだ、としみじみ思う瞬間である。
「おやすみ、ってのは、寝るときの挨拶だ。寝る時がおやすみ。起きたらおはよう。俺の世界の挨拶だ」
「ふーん、変なことする世界なのね」
「うるせぇ、この世界ではそういうの無いわけ?」
「寝る時の挨拶? うーん、特にないわね」
「そうか……じゃあ、おやすみ」
「うん、じゃあ……」
微笑んだウィンに、少しばかり見惚れてしまったのだが、それはきっと異世界フィルターのせいだろう。
「……って、言わねぇのかよ!」
「あはは、言うとでも思った?」
お茶目にウインクして、ウィンはベッドに潜り込んだ。
お約束ではあるが、やれやれ、と肩を落として、一もベッドの上に広げた物を片付けて、ベッドに入った。
こうして、一一の長い異世界生活の記念すべき一日目が終わりを迎えたのである。
目を覚ますと、隣で全裸のウィンが寝ていた。
などと言うラノベやエロゲ特有のサービスシーンを期待していたか、と聞かれれば、やはり期待していた部分が大きい。だが、現実はとても寂しいものだった。
目が覚めたのは午前十一時過ぎ。どうして時間が分かるのかと聞かれれば、使えないスマホがあるから、と答えるしかない。
そしてもちろん、隣で全裸のウィンが寝ている、なんてこともなかった。
「それにしても……久しぶりに良く寝たなぁ……」
まだまだ眠れそうなくらいに眠たいのだが、そこまで堕落した生活を送りたいとも思わないので、とりあえず起床。
思っていたよりも自分が異世界にいる事に驚きはない。普通なら「知らない天井だ……」などと言っていたはずだが、それなりに自分の境遇を理解しているのだろう。
寝癖を整えながら部屋を出て、一階の酒場へ向かう。やはりというべきか、酒場に客はいない。
「あら、ようやく起きたのね!」
酒場のおばさんに声を掛けられた。
「あ、あぁ、どうも……久々に良く寝れたもんで」
「そうかい! なら良かったよ! ちょっと待っておくれよ、今朝ごはん用意するから!」
「あ、すんません」
寝起き特有のボケーっとした思考回路のまま、カウンターに腰かけていた一は、奥の厨房から聞こえてくる小君の良いリズムを刻む包丁の音や何かを焼く音に懐かしさを感じてしまう。
「立花のおっさん、元気かな……」
そう言えば、と一は思う。
前の世界で死んだことになるなら、きっと葬式とかあったんだろう。育ての親には酷い事をしたな、とは思う。とは言え、まだそういう実感が湧かないのも正直な所だ。だってまだ生きてるもん、と思ってしまうのもしょうがない事だろう。ただ、色々と保険とか降りて、少しばかりの孝行は出来ただろう、とも思ってしまうあたり、少しばかり親不孝者かもしれない。
死んだ時の事を詳細に覚えているわけではないが、それでも自分がなんで死んだのかは覚えているし、その死の理由が誰かを、ましてや好きな人を助けるため、と言うのは誇らしい気分だ。きっとあのおっさんも誇らしい気持ちだろう。
はるか遠い別世界に住む育ての親に思いを馳せていると、おばさんがご飯を持ってきてくれた。
メニューは異世界であれど、そこまで知らない物がないわけではない。
焼きたてのパン、豆のスープ、野菜サラダ、目玉焼きと厚切りベーコン、おそらくデザートなのだろうが、見たことのない果実。
「いただきます」
やはり誰かが作ってくれたご飯というのは、格別に美味い。コンビニやレトルト、ジャンクに慣れてしまった身体に染み渡る温かさに泣きそうになる。
しかし、この見たこともない果実には不安になる。ただ出されたという事は食べられるということだ。見た目は繋がった黒い里芋、と言うのが一番近い。触った感触は岩みたいにとても固い。どう食べればいいのか分からないが、とりあえず繋がっている部分を割ってみた。その瞬間に濃厚なドロリとした甘ったるい香りが鼻に刺さる。
「これ………ココナッツか?」
似たような香りだが、知っているものとは違う気がした。もちろん、中身はココナッツの様に液体が入っているわけではなく、白い果肉だ。
「ここを喰うのか?」
割った部分から皮を剥いてみたが、思っていた以上に皮が剥きやすい。例えるならバナナだろうか。白い果肉はバナナのようなものではなく、モッチリとしているようだ。
「い、いただきます」
恐る恐る一口。
「……これは」
もちゅ、っとした食感は白玉のようだが、中にある種がアーモンドのような良いアクセントになっている。味はココナッツミルクとアロエヨーグルトを足して二で割ったような感じだ。甘いのだがくどくないし、さっぱりした口当たりは食後のデザートとして完璧だ。
「あー、おばさん? この果物、なんて名前なんですか?」
「ん、あぁ、クレアルを食べるのは初めてかい? どうだい、それ? 美味いだろう?」
「はい、こんな美味しいの初めて食べました。ここの特産品ですか?」
「特産品ってわけじゃないよ。昔はここら辺でしか作ってなくて、王族に献上していたって話だけど、今じゃどこでも作れるようになっちまったからね」
「そうだったんですか………」
「腹ごしらえはばっちりかい?」
「えぇ。美味しいご飯でした、御馳走さまです」
遅い朝食を終えた一は部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。
ダラダラするはずだったが、満腹感と共にやってきた睡魔には勝てず、二度寝を決め込んでしまったのはしょうがないだろう。
「――起きなさいよ!」
少女の声が遠くに聞こえ、一は目を覚ました。
目の前にはウィンが腰に手を当てて仁王立ちしている。
「……んあ? あれ……寝てたのか……」
起き上がり、大きく伸びをするとポキポキと背骨が小気味の良い音がする。
「遅いお目覚めね。昨日は寝れなかったの?」
「いや、寝れたよ。異世界だっていうのにやけにぐっすりとな。自分の適応力の高さにびっくりしたぜ」
「そう、それは良かったわ」
「あれ……もう用事は済んだのか?」
「えぇ、大体はね。あと少し残っているけど、夕方にしてくれって言われちゃってね。だからさっさと始めるわよ!」
何を? と口に出しそうになったが、何とか踏みとどまり、思い出す。
「……あぁ、賢者の石のやつか」
まだ頭が上手く働かない状態のまま、一はまたもやウィンに手を引かれて部屋を後にした。
今回は短い&休息回です。
次回、賢者の石の効果について調べる回!