ウィンチェスカ・フランドル
充分に休息した一は気持ち新たに、歩き出す。
まだ見ぬ異世界の住人と出会うために!
などと言ったが、ここでようやく冒頭の話に戻る。
「ぅううっぐぅ……」
一は道の真ん中で倒れ込み、右のわき腹を抑えながらのたうち回っていた。
「な、なんで!」
彼がのたうち回れば、砂埃が舞う。
「い、ってぇ! くそが! なんで! なんで! っぐくうぅッ!」
その激痛に呼吸は乱れ、吐き気も催し、彼は大声で気を紛らわそうとする。
「っく、そ、がぁッ! っぐ! がァッ……クッソ、ふざけんなやゴラァ!」
この痛み、彼は知っている。だから叫ぶ。
「なんで異世界に転生したのに尿管結石が治ってねぇんだよぉおおおおおおおおおおおおお!」
断末魔にも似た叫びが木霊する。
「なんで……なんでぇ……」
同じ言葉を何度も何度も繰り返す人形に成り果てた一の視界は涙で歪み、それに気付かなかった。
「痛いよぅ……痛い……」
心なしか幼児退行をしているようにも見えるが、本人は至って真面目で、激痛に悶えているだけだ。
「誰か……誰かぁ……」
もう一度だけ言う。本人は至って真面目で、激痛に悶えているだけだ。
だから気付かなかった。
「ふぇ……助けて……」
視界の隅に移った、荷馬車の存在に。
「助けてほしいの?」
まるで胎児のようにうずくまり、痛みに耐えていた一に投げかけられた声は、彼にとっては救いでしかなかった。
のたうち回るような痛みの中で、一は声のする方に顔を向けた。
「…………え?」
そこにいたのは少女だ。
「………え?」
ただの少女ではない。
「…え?」
そこにいたのは――
「エルフぅ!?」
「えぇ、そうよ。貴方、どこか痛いの?」
――エルフだった。
黄金と見間違うほどに美しい金髪と、宝石のように煌く碧眼。スレンダーな体躯と整った顔立ち。そして何よりも特徴的な耳。エルフ特有の尖った長い耳だ。
服装はいわゆる冒険者然としており、動きやすさを重視したような目立たない地味な色合いの服装。フード付きのローブも使い込まれているようで、裾はボロボロになっていてワイルドだ。
「治してあげるわよ? どこが痛いの?」
「わ! わき! 脇ばら! 右のわき腹!」
「ちょっとジッとしててね」
そう言うとエルフは右わき腹を抑えていた一の手をどかし、自分の手を置いた。
「我、主の恵みに感謝を捧げ、大気を踊る精霊の癒しを与える」
その光景は、正しく異世界だった。
一の右わき腹に置かれたエルフの手が淡い緑の光を放っているのだ。その光のおかげなのか、一を苦しめていた激痛はいとも簡単に取り除かれた。
「ふぅ……どう? 大丈夫?」
それまで感じていたわき腹の痛みは既になく、一は驚きながら起き上がる。
「あ、あぁ、大丈夫。ありがとう。今の、魔法?」
「えぇ、そうよ。魔法を見るのは初めて?」
目の前にエルフがいる、というだけでも驚きなのに、そのエルフと会話をしているのだ。これぞ正しく異世界だ。
「あぁ、初めて見る。すごいんだな、魔法って! やっぱりここは異世界だったか! 病気まで治してくれるとは!」
「ううん、痛みを無くしただけだから、病気が治ったわけじゃないよ」
「あっ……ふーん……そっか」
それよりも! とエルフが物珍しそうに一を見ながら、訪ねてきた。
「貴方、どこから来たの? ここら辺じゃ見かけない恰好をしているけど……」
その質問を予想していなかったわけではないが、単純に今この異世界体験に心が躍っていた一にとっては何とも答えにくい質問であることに違いはない。
「あー、俺は……」
と言葉に詰まる。本名を言っていいものか、素性を明かしてもいいものか。
正体を明かした場合、頭のおかしい人だと思われるのがオチだろうか? 或いは簡単に信じてくれるのか。
逆に正体を隠した場合、記憶喪失という事にした方がいいのか。だが魔法で治してあげると言われてしまえば困る。或いは全く架空の国でも作ってそこから来たことにした方がいいのだろうか。
そうやって考えていると、エルフの少女は「どうしたの? まだ痛い?」と一の顔を覗き込んでくる。
「ッ!? い、いや! 大丈夫! そ、それよりも、助けてくれてありがとう。俺は……一って言うんだ。君は?」
考えた結果、話題を逸らすという答えに辿り着いたのだが、それはそれで間違っていないと思う。
「ハジメ? 変な名前ね。私はウィンチェスカ。みんなはウィンって呼んでるわ。 見ての通りエルフよ」
「エルフ……本物?」
「失礼ね! 本物よ、ほら」
ぴょこぴょことエルフ耳が動くの見ると、何だが感慨深い気持ちになる。生きている内にエルフ娘を拝むことが出来ただけでも満足なのに、さらに会話までして、ぴこぴこ動くとんがった耳を見られるとは……と、一は目を閉じて大きく深呼吸をした。
「ありがとうございます」
思わず口から洩れた感謝の言葉。だが、その意味をエルフは勘違いする。
「ん? どういたしまして。でもさっき言ったけど、病気が治ったわけじゃないから、そこんとこ、よろしく。それより……これからどうするつもり? 村に戻るなら乗せて行ってあげようか?」
「村? この先に村があるのか!」
「え? あんた、この先のカッスラーの村から来たんじゃないの?」
「あ、あぁ、そう! そうなんだよ! いや、助けてもらった上に、乗せてくれるなんて、なんて優しいエルフなんだ、君は!」
「へぇ……あんまり抵抗ないの?」
「抵抗? なんで? こんな可憐なエルフとお知り合いになれて、激痛も無くしてくれたんだ。何の抵抗があるって言うんだ?」
「不思議な人ね……まぁ良いわ。ほら、乗って」
さて、現代で荷馬車に乗った経験がある日本人など絶対にいないだろう。断言できる。
「ほら早く!」
急かされるまま、一は初めての荷馬車体験を味わう事になった。
荷馬車というのは意外と乗りにくくて座り心地も良くない。そんな最悪な初体験を終えたのは、それから四時間後の事だった。
ただ、最悪な事だけではなかった。カッスラーの村に着くまでのその四時間、ウィンとの世間話の中でかなりの収穫を得ることに成功した。
彼が手に入れた情報を整理すると、こうなる。
この世界には魔法が存在する。亜人も存在する。ドラゴンや精霊と言った存在もいる。
おおよそ四百年前には世界は滅亡の危機に瀕していた。その元凶となった憎悪の魔女と呼ばれる魔女は、強大な魔力と配下に加えた亜人たちを率いて世界に破滅を振りまいたらしい。もちろんその魔女を封印した英雄たちもいたとか何とか。
他に得た情報と言えば、ここはフローウェルという王国で、今いるのはアルメルディアという領地で、最東端に位置するカッスラーの村の近くだということ。そして、この街道はフォークレム街道と言って、王都まで一直線の珍しい街道であること。
経済の方へと話を広げると、通貨は小銅貨、大銅貨、銀貨、金貨、大金貨が流通しているが、こればかりは覚えるのに苦労しそうだが、フローウェル王国自体はそれなりに栄えていて、浮浪者のような存在は無いのだという。
他にも、この国では魔法が使える者が貴族で、使えない者が平民として区別されているらしい。貴族が魔力で土地を富まし、平民が農作業をし、税としてその一部を収める。それ自体は人間社会の中では普通の事らしく、人が築いた王国では基本的にそんな構造になっているとのこと。
そして最後に、彼女の事を少し。
ウィンチェスカ・フランドル。
二百二十六歳の少女。ただ、エルフは長寿のためまだまだ若く、見た目だけで言えばまだ十七歳くらいだろう。風と氷の精霊を使役する魔法使いであり、世界中を旅しながら魔法具の行商を行っている行商人でもある。
特筆すべきはその外見だ。
金髪碧眼のスレンダーな身体はエルフの特徴であるらしい。狩猟民族でもあるエルフの肉付きがスレンダーなのは分かるが、それでも金髪碧眼の爆乳ロリエルフの存在が否定されて、少し残念な気持ちになったのは内緒だ。
さて、そんな約四時間の旅もあっと言う間に終わりを告げる。
ようやくヒロイン登場です!
金髪碧眼の爆乳ロリエルフはいるんだよ! 絶対にいるんだ!!