母の寝物語が……
ウロニムというリザードマンについて話そう。
彼の生まれは、ここより西方にある二つの山脈を超えた所にある大きな湿地帯、その中でも最も大きな縄張りを持つグリーンスケイル族である。
その湿地帯には七つの部族のリザードマンが生活しており、今から四十年ほど前に飢餓による食糧争いが起きた。もちろん、一番大きな縄張りを持つグリーンスケイル族は複数の部族による同盟軍に敗れ、口減しのために数多くのリザードマンが死んだ。そんな中、まだ生まれたばかりのウロニムは母親に抱かれながら湿地帯を脱する。
しかし、リザードマンのほとんどは湿地帯から出た事がないため、土地勘などはなく、すぐに遭難することとなった。幸い、木の実や動物を狩って生き延びる事は出来たが、それも長くは続かない。母親は我が子のために寝ずの番を続けたせいで、過労に倒れる。そこに更なる悲劇が続く。
「へへ、こりゃラッキーだぜ」
「おい、こいつ、リザードマンか? 奴隷商に売りゃあ銀貨十枚くらいか?」
「あん? ガキもいるのか。ガキの方はどうする?」
奴隷狩りに見つかったのである。奴隷狩りの男三人はウロニムと彼の母親を縛り上げて、奴隷商へと売り払った。
銀貨八枚と銅貨六枚。
それが彼ら親子の値段だった。
そこからの生活は正に地獄である。奴隷の身分を表す首輪を付けられ、見せ物にされ、暴力に晒され、生物ではなく所有物として扱われ、何度も所有者が代わり、着る物はボロ布一枚、食べる物は少量の残飯、住むのは馬小屋の端。だが、生きる希望はあった。いつか必ず、英雄が現れて自分たちを奴隷から解放してくれる。そんな夢物語を母に聞かされながら、体を寄せ合って眠る。いつの日か、その英雄が絶対に母を自由にしてくれる。それだけが彼の生きる希望だった。
ただ、それは長くは続かない。
ウロニムが十歳の頃、母親が死んだ。しかも、その死に特に理由は無かった。敢えてあげるとするならば、その当時の主人が興味本位に奴隷の首輪を爆発させた、といった所だろう。
奴隷の首輪は正式な手続きを取らずに外すと、逃亡と見做されて自動的に爆発する。そんな当たり前の事を、ただ単純に、もしそうなら爆発する所を見てみたい、という興味によって、母は死んだ。
当時の主人は初めてみた爆発に大いに興奮し、ひとしきり笑った後、ウロニムにこう命じた。
「おいトカゲ。あの汚ねぇの、片付けとけ」
その瞬間、ウロニムの心は死んだ。
希望は打ち砕かれ、絶望の檻に閉じ込められ、感情を失った。
生きる理由が無くなったが、自死を選ぶ事も出来ない。主人に盾突いて殺して貰おうとさえ思った。
「分かりやした、ご主人様」
だが、染みついた奴隷としての在り方が彼をそうさせなかった。
目の前で母親が死んだ。その肉片を、飛び散った血を、笑顔で片付けた。
心は死に、だが体は生きていた。
もう死にたかった。
だが、心臓は強く鼓動をし続けていた。
生きたい、と強く、強く。
だから、彼は生きようと思った。
しばらくすると、また奴隷商へと売り払われる。
その頃には彼の肉体はリザードマンとしての成熟期を迎えており、身体能力も人間を遥かに上回るようになっていた。すると奴隷商もそれをアピールする事で、現在の主人に買われたのである。やる事は以前に比べればマシになったが、それでも暴力に晒された。それも以前の比ではなかった。亜人は殺す物、という考えが強い騎士に囲まれる生活だ。切られ、刺され、削がれ、剥がれ、殴られ、蹴られ、それでもそれら全てに耐え、かつての夢物語を思い出す。
「いい、ウロニム。いつかね、必ず英雄が私たち奴隷に自由を与えてくれるのよ。人と亜人が仲良く暮らせる世界を作ってくれる英雄が、私たちを助けてくれるのよ」
あの優しい声をもう聞く事は出来ない。
だが、母の言葉は正しかった。
自分を救ってくれる英雄が現れた。
母は間違っていなかった。
あの日、生きたいと強く思ったのは間違いでは無かった。もしかすると、あれは母が背中を押してくれたのではないだろうか。
まだ死ぬには早い、と。
まだ生きなさい、と。
もし、そうであれば……
母の寝物語が、本当になるところを見届けなくてはならない。
ウロニムはそう感じた。
もちろん、ウロニムが言葉を失った理由は他にも多々ある。あるのだが、そのどれもが今の過去に集約されるのだ。
「ん? どうした、ウロニム? あ、何を食いに行くか気になってんだろ? 心配すんな。風の囁き亭とかって言うちょっと良い所だ。鹿肉が美味いらしいぞ! あ、そういやお前好き嫌いとかあるか? 宗教的にこれダメとか、アレルギーがあるからあれダメとか、そういうのは?」
きっと、目の前の人間は自分たち奴隷にとって英雄なのだ。証拠があるわけではないが、どうしてかそう信じさせてくれるくらいには心が湧き立とうとしている。
先ほどまで話を聞いていた先輩奴隷ーーシロはもう奴隷ではないのだがーーは、このご主人様に買われ、それまでの生活とは真逆の生活を送るようになったという。食事も睡眠も、ご主人様と同じ。驚くべきことに、それに加えて勉強も教えてくれる。まるで人間のように……いや、一人の生命として接してくれるのだ。
それは、ウロニムが長年忘れていた……否、心に閉じ込めていた、リザードマンとしてのプライドを刺激する。何よりも、自分をあの過酷な環境から救ってくれた恩人に対する感謝の念が、自分がリザードマンだという事を思い出させてくれた。
「ご主人様。偉大なるお方……どうか、今後も、変わらぬ忠誠を尽くす事をお許し下せぇ」
自然と膝を折り、一の前に跪く。それは誰に強制されるでもなく、ただ心からそうしたいと思ったウロニムの精一杯の感謝の印である。
「あ? なんだいきなり……」
対して一は困った様に頭を掻きながら、ウロニムの肩に手を置いた。
「まぁなんだ……これからよろしくな、ウロニム」
この瞬間、ウロニムは一に認められたのだと、後に語っている。
さて、場所は変わり、一たちは再び浴室でウロニムの怪我に結石ポーションを振りかけていた。
傷の治り方を観察しているウィンとオストリンデの、あーでもないこーでもないというやり取りを見ながら、背中によじ登って肩からその様子を楽しそうに眺めているシロの頭を撫で、どうしてか狭い浴室に全員がぎゅうぎゅう詰になりながらもワイワイする。
その空気感は、例えるならば文化祭の準備期間のようなものだ。
思いがけずに懐かしい気持ちを味わった一は、ウロニムの傷を全て治し終えると、感謝の言葉をこれでもかと述べてくるウロニムから逃れるように薬学店の外へと出てきた。
懐からタバコを取り出して、火をつける。
彼の持っているタバコは開封済み、未開封がそれぞれ一つずつ。そこまで減っていないのは、途中で立ち寄った街でこの世界のタバコを買うことが出来たからだ。
もちろん彼の知るタバコとは味が違う。劣る、と言っても良いだろうか。だが、それでもあると無いとでは雲泥の差だ。心の安定感が違うのである。なので、基本的には異世界のタバコをメインに、特別な時には元の世界のタバコを吸うようにしていた。そして今は、その特別な時だと一は感じている。
「あー、くそ……なんか、無性に元の世界が恋しくなっちまった……」
あまり考えない様にしていたが、自分がいなくなった世界がどう回っているのかが妙に気になってくる。親しい友人や育ての親も、もう自分の事は忘れてしまっているのだろうか。
妙にセンチメンタルな気分になり、ちゃんと味わうべきタバコがおざなりになってしまう。気がつけばフィルターの根本まで吸いきり、二本目に行くべきか迷っていると、静かにウィンが店の外に出てきた。
「……大丈夫?」
「……何が?」
「だって……なんか、寂しそうな顔してたから……」
お見通し、って訳か……、と一は二本目に手を伸ばす。
「別に、寂しいって訳じゃない。ただ、あの空気が変に懐かしかっただけだ……変な哀愁に襲われただけだよ」
火を点け、一服。煙がユラユラと天に昇っていくのを見て、一は肩を落とす。
「なんかな……懐かしかったんだよ、あの雰囲気が」
「元の世界の事? 友達とか、恋人とか、家族とか、そういう人たちとの思い出が、そうさせるのね……」
「お見通しってわけね……」
「分かるわよ。それくらいには付き合いも長くなってきたし」
「それくらいが丁度いいよな。これから長い付き合いになるんだ。ちょっとは相手が何を考えているのか分かるくらいがさ」
「でも、あんたはあたしが何考えてるか分かってないじゃない」
「そりゃお前……まぁ、まだ修行中って事にしておいてくれ」
「そうしておく」
「んで? どうした? まさか慰めに来てくれただけじゃないんだろう?」
「そうだったらどうする?」
「素直に慰めてもらいたいね」
煙草を咥えたまま、一は上を向く。
思っていたよりもこのセンチメンタルな気分は重い。もう二度と帰る事が出来ないという点において、この気持ちは彼を蝕む毒になる。
「この世界に慣れてきたと思ってたんだがな……やっぱり無性に恋しくなる」
「あたしには分からない気持ちね」
そりゃそうだろ、と口にはせず、一は無言で煙草を吸う。モヤっとした気持ちのように吐かれる煙は、すぐに流れて消えて行く。
「……そういや、お前の故郷の話って聞かないな。やっぱり隠れ里みたいなところなのか?」
「そうね……別に普通の国よ? それに、あたしはエルフの国で生まれた訳じゃないしね」
「へぇ、そうなのか。てっきりエルフの国で生まれたお嬢様かなんかだと勝手に……」
「あんたねぇ……あたしはお嬢様でもなんでもないわよ。あたしが生まれた国はもう無いもの」
ウィンのいきなりのカミングアウトに、一は咥えていた煙草をぽとりと落とす。
「……そりゃ、すまん」
落とした煙草をすぐに拾い上げて、咥え直す。
「別に良いわよ。特に思い入れも無いし。物心が付いた時にはもう他の国にいたしね」
「そんなもんか?」
「そんなもんよ」
「ふーん……」
「……」
「……」
沈黙が数秒続き、妙に切ない雰囲気となったところで、二人に声が掛けられる。
「お二人で心地よい沈黙に浸っている所、悪いんだけど……そろそろお店に向かわない?」
声の方を向き直ると、オストリンデがシロとウロニムを連れていた。ウロニムはともかく、シロは妙にテンションが高そうで、白くてふわふわの尻尾をブンブンと振っている。
「ごしじんたま、ご飯いこ!」
その声はあまりにも無邪気で、どこまでも喜びに満ちていた。
別に一がウロニムのヒーローになったりはしませんよ・・・多分
どちらかと言えばシロのヒーローになりたいと思っている一です。




