バスルームにて
オストリンデなら有り得そう、と思い、ウィンは店の中へ入っていく。もちろんだが、店内には誰もいない。しかし微かに声だけは聞こえてくる。
「オストリンデー、どこー?」
シロの手を引いて、声のする方へと歩いていく。どうやら声はバスルームから聞こえてきているようだ。近づくに連れて声が鮮明に聞こえてくる。ハジメとオストリンデは一緒にバスルームにいるようだが、真っ先になんで? という疑問が浮かぶ。続いて何が起きてるの? と眉を顰める。
何をしているのか、とバスルームに近付くと、くぐもった二人の声が中からはっきりと聞こえてくる。
「ハジメさん……早く、早くしてください、ウィンが帰ってきますよ?」
「そんなに急がなくても、これは逃げませんよ。ほら、これが欲しいんでしょう?」
「意地悪しないでください……それをここに入れてください! 絶対にすごいですから! というより、もうすでにすごい事になってるんです!」
「それはオストリンデさんだけですよね?」
「それは……そうですけど……でも、ハジメさんもきっと満足してくれると思いますよ?」
この数秒のやり取りの中で、ウィンはシロの耳を塞ぎながら顔を真っ赤にし、あたふたしながらもシロの耳を塞いでいた手を話して勢い良くバスルームの扉を開けた。
「ちょ、ちょっと! 何やってんのよ、あんたたち! こんな真昼間……か、ら……へっ?」
そして飛び込んで来たのは、バスルームの中で両手に試験管とフラスコを持つハジメと、試験管とスポイトを持つオストリンデが、見ず知らずの全裸のリザードマンにスポイトで薬品を垂らしている、という意味不明な光景だった。
「おぁ、ウィン。お帰り。意外と早かったな。旅の準備の方は大丈夫なのか?」
「あら、お帰りなさい、ウィン。ちょうどいいわ。貴方、アケトーの葉を持ってるなら、アケトーの根粉を持ってない? この子の実験に使いたいから分けてくれないかしら?」
「は、初めやして、ご主人様の奥様。あっしはウロニムと申しやす。これからは、誠心誠意、お仕えさせていただきやす」
一はまるで町中で偶然出会ったかのような呑気な声で、オストリンデは一切ウィンの方を見ずに真面目な声で、そして、見ず知らずのリザードマンは真剣な声で、それぞれが喋ったため、ウィンの頭は更に混乱する。さらに追い討ちを掛けるように、三人が再び同時に喋り始めた。
「そう言えばよ、前に買ったナイス・ナイバッツさんの『英雄の愛した世界の歩き方』って本、この街にも売ってるかな? 旅に出る前に見てきたいんだけど、本屋とかあった?」
「ちょっとウィン聞いてる? アケトーの根粉が無ければファナークの髭油でも良いわよ? それかコムラゴオラの甲羅の乾燥した皮とかでも良いかもしれないわね」
「つい先ほど、ご主人様に引き取られた所でごぜぇやす。ご主人様は旅の護衛にどうか、とお話をされていやしたが、どうでしょうか、奥様」
三者三様の言葉に耳を傾ける事なぞ、出来るはずがない。それも、思考が混乱している中での追撃であるため、彼らの言葉を理解するための準備も出来ていない。
昼間から変な事をしていたわけでは無い、と分かってホッとしたのも束の間、バスルームで繰り広げられていた異様な光景のせいで、彼女はその整った綺麗な顔に感情らしきものは見えない。無感情、と言うわけではない。単に思考回路がショート寸前でこれ以上負荷をかけないようにしているだけ。そして、その状態は長くは続かず、彼女の思考回路はそれらを何とか理解して、解決しようとする。
その結果、ウィンはこのよく分からない光景を作り出した原因はハジメである、と勝手に決めつけた。もちろん、これまでの経験に基づき導き出された答えのため、ウィンは疑う事なく、一を強く睨み付ける。
「ちょっとハジメ! 一体全体、これはどう言う事なのよっ!」
一歩で一に詰め寄り、腰に手を当てて、ぷんすかと怒ったウィンに、一は半歩仰け反り、嫌そうな顔でウィンを見下ろす。
「どういう事、って言われても……成り行きで、としか……」
「はぁ!? あんた、バカぁ!?」
「あ、今の良い感じ。例のツンデレパイロットに似てた」
「真面目に聞きなさい!」
「はい、ごめんなさい!」
「それで? 性懲りも無く、このリザードマンの奴隷を買ったってわけ?」
溜息を吐き、全裸のリザードマンを見たウィンは、やれやれ、と肩を落とす。
「いや、買ってはない。引き取っただけ」
「なんで?」
「話せば長いから、掻い摘んで話すけど……」
そして一は、ウィンたちが出掛けている間にオストリンデ薬学店で会った一悶着についての話をしてやる。別に隠す事でもないし、嘘を吐く必要もないので、ありのままに起こった事を話したのだが、話を進めていく内にどんどんウィンの表情が曇っていく。そして最後まで話し終わった時には眉間に皺を寄せて、イラついたような瞳で何も言わずに一を睨み付けていた。
「なんであんたって! あぁ、もう……そうよね、そういう男だったわよね、あんたは」
久しぶりに鋭い眼光を向けれられ、一はうっっとたじろぐが、今回ばかりは反論する余地がある。と言うよりも、どうすれば目の前のエルフ少女が納得してくれるか、その落とし所を良く良く考えた結果、正直に事の顛末を話し、その上で、ウロニムの重要性に話題を持っていく事で納得してくれるだろう、という結論に至った。
「ほら、どっかの街に寄った時に門番の人に言われただろ? 護衛の一人二人はいないと野盗や魔獣に襲われた時に危ないってさ。確かにお前が強くて可愛いエルフだってのは認めるぜ? でも、万が一って事もある。お前と別行動してる時に、って事もあるだろ? 目を離した隙にシロが攫われるとか、考えたくないけど、そうなったら俺、死にそうなくらい悲しいもん」
「だったら他の奴隷でも良いでしょ! それか正式に護衛を雇うとか、ギルドに依頼するとか! ちょっとは考えてから行動しなさい馬鹿! あんたはあたしたちの行商を亜人のパレードか何かと勘違いしてるんじゃない!?」
ウィンが珍しく本気で怒っている、と言うのが分かるくらいには付き合いも長いのだが、こうなってしまった場合の対処法は知り得る限り一つしかない。もちろん一が潔く自分の非を認めて謝罪するのである。とは言え、彼も自分の行いが悪いことだとは思っておらず、同時に毎回毎回ウィンに口を出されてアレコレ言われ続ければ、不満の一つや二つはすぐに溜まるものだ。ましてや、ほとんどの場合において、彼は溜める側に回るのだから、そろそろ堪忍袋の限界も来ようと言うものだ。
「だぁーうっせえな! 毎回毎回あーだこーだって怒鳴りやがってよ!」
と言えたらどんなに気持ちが良いのだろう、と一は泣きそうになりながら、項垂れる。そして短く溜息を吐き、顔を上げてウィンをジッと見つめる。
「……な、なによ」
困ったように眉を顰めて、ウィンは唇を尖らせた。そんな様子に拗ねた様な表情も可愛いじゃん、とは思いながらも、言葉にはせずに、ジッとウィンを見つめ続ける。
「な、何か言ったらどう? それともあたしが正しいって事が……」
ここだ! と彼は訪れた好機を逃さずに掴み取る。具体的にはウィンの両手を掴んで胸の前で包み込み、半歩を踏み出して、グッと顔を近づけた。その勢いに押されてウィンは半歩を後退り、反射的に身を引こうとする。だが、ハジメはそれを許さずに、ジッとウィンの瞳を見つめた。
「なぁ、ウィン。俺はウロニムの境遇を知って、助けてやりたいと思ったんだ。誰もが、そういうチャンスすら無く、世界に絶望していくんだよ。俺だって同じような経験をしたし、同じ様な人を何人も見てきた。だから俺はそんな人たちを救いたいと思ってる。それが偽善だって言われても、俺はそれをやり続けるし、止める気もない。それが俺の生き方だからだ。別にお前にそれを強要しようとは思わないけどさ、ちょっとは理解してくれても良いだろう? お前にまで見放されたら俺……悲しいよ」
切なさに顔を歪め、悲しそうな声音で、辛そうに手を握る。それがウィンには一番効く、と一はちょっとだけ分かってきていた。何だかんだ言いながら、この美少女エルフはそう言うのに弱い。更に言えば、別に一のやり方が嫌いだとか、理解出来ないだとか、そう言う事は無い。単に自分に相談せずに勝手に決めるのが気に食わないのだ。口ではあーだこーだと言いつつも、結局は一の言葉に耳を貸し、最後には受け入れてくれるのだから、それに甘えてしまっても問題は無いだろう、と自分の少しばかり悪い部分がそう囁いてくる。
「でも、そう言う時に限ってあたしに相談しないじゃない……」
「相談しなくても受け入れてくれるって知ってるから、ウィンのそういう優しい所に甘えちゃうんだよ」
側から見れば、喧嘩を終えて仲直りフェイズに突入しているいちゃ甘な恋人同士にも見えなくもない……と言うより、そのものと言っても誰からも文句は言われないだろう。
「あたしも、ハジメのそういう優しい所は好きだけど……色々と準備だってあるし……」
「分かってる。それでも、俺は彼を救ってあげたいんだ」
真摯な瞳、とは今この瞬間の彼の瞳の事を指すのだろうが、瞳が真摯だからと言って、心まで真摯だとは限らない。その証拠に彼は今、全く別の『うわ……こいつ、ちょろい』と本気でウィンのちょろさを心配していた。
「まぁ、ハジメがそうしたい、って言うなら止めないわ」
「ありがとう、ウィン」
出来るだけ優しく見えるように微笑み、そのまま視線を唖然としているオストリンデたちに向ける。
「じゃあ、紹介するよ。こいつはウロニム。リザードマンだ。何日かしたら正式に所有権が俺に映るから、そうしたらシロと同じ様に首輪を外して、一緒に旅をしようぜ」
「え? 所有権はまだないの? あぁ、そう言ってたわね。で? ロルド・ペネストレーデの長女に薬を届け行くんだったわね? 三日後だったかしら?」
ちょっと怪訝そうな表情で腕を組むウィンは、むむっと小さく唸る。こういう時、ウィンに何か意見を言うとジトッとした視線と共に「邪魔しないで」とツンケンとした言い方をされるため、黙っている方が身のためだ。
「ねぇ、それって同行者がいてもいい?」
「は? どう言うことだ?」
「あたしたちもちょっと訳ありでね。あぁ、そうだ、言っておかないといけないわね。オストリンデ、今、店の前にレクス・フローウェルと王国騎士団長が待ってるわ」
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!
頑張って2章を終わらせたいなぁ、と思いますので、お付き合いくださいませ!




