異世界へ転生したけど・・・
目の前に広がる景色。
頬を撫でる風。
鼻をくすぐる草の香り。
耳を和ます鳥の声。
紛れもなく、ここは大草原。
「……ん?」
大草原の中に一人寂しく立ち尽くす男こそ、一一である。
「………どこだ、ここは?」
草以外何もない平原にただ一人。遠くに見える山のてっぺんはまだ白く、辺りを見渡せば後ろには森林が、左右と前には草原があるのみ。
「俺は……なんでこんなところに? 確か……」
太陽を仰ぎながら、彼は自身が置かれた立場について考える。
「ユーキちゃんのイベントに行って……それから……それから…………」
思い出す。
「そうだ……包丁を持った男がユーキちゃんに……何とかしようと思って、俺……」
ハッと、一は気付く。
「俺、死んだ? 死んで……ここ、病院じゃないし、天国でもなさそうだよな……という事は……俺、もしかして、異世界転生、しちゃった感じ?」
気付き、自然と笑みが零れる。
「となれば、ステータス画面とか、特殊なスキルとか、そう言うのが!」
あると思って、右手で空を切る。
「……あれ? ステータス画面が出ないぞ?」
どんな方向から空を切っても、左手で同じことをしてもステータス画面など出てこない。そんなスキルなどもらっていないのだから当たり前である。
「じゃ、じゃあ特殊なスキルとか身体能力がめちゃくちゃすごいとか!」
一はグッと踏み込み、跳躍する。
「…………あれ?」
が、特別何も起こったりしない。ジャンプも一般人のそれと同じでただぴょん、と飛んだだけに過ぎないし、パンチ力が五万倍! と言うわけでもなさそうだ。当たり前だ。能力強化ボーナスに類するものももらっていないのだから。
「じゃあ、魔法か!? 魔法なのか!」
と感情の赴くままに喋っても、魔法の呪文や発動条件が分からないので、それは断念せざるを得なかった。これまた当然である。あのアホ天使がそんな異世界技術体系の結晶のような代物をホイホイ授けるわけがない。
「あ! もしかして伝説の武器とかチートアイテムか! それなら!」
と、一はさらに周囲を見渡す。
「きっと転生した時に最強武器とか一緒に……あ、俺の荷物!」
自分が立っていた場所から数メートル離れた場所に、自分の荷物が散乱していた。
「………あれ、おかしいな。武器なんてないぞ」
当たり前である。そんなチートアイテムを授けてくれるような気前のいい天使が担当していたら可能性はあっただろうが、彼の担当はあのアホの擬人化のような天使である。
「ってか、荷物はあるのか……何があるんだ?」
所持品のチェックをしてみても武器は見つからない。あるのは、スマートフォン、充電用モバイルバッテリー、タバコ三箱、ライター、同人誌十五冊、ペットボトルのお茶二本、グミ、ガム、飴、ユーキちゃんの写真集、ユーキちゃんの初回限定版CDと店舗特典のポスター、それら所持品が入っていた鞄。
「財布の中は、免許とクレカとポイントカードとレシート。所持金は四万八千二百九十一円。まぁ、異世界転生したと仮定して、おそらく財布の中身は何にも意味がないんだろうな」
他の物も確認してみる。
まずはスマートフォン。最新のものだが、特に壊れている箇所があるわけではない。しかし、使用できない機能がほとんどだった。
「それもそうか……圏外だし、WiFiもない。そもそも電波があるのか怪しいしな」
使用できないのは電話、メール、SNS、地図、通信のあるゲーム、GPSなど。とにかく電波に依存にする全ての機能が使用不可だ。対して、日付や時刻、撮影、録画、録音、ライト、音楽、メモ、通信の必要ないゲームなどは使用できるようだ。
「死んだ直後の状態のまま、転生したって感じだな、こりゃ。知識とかも普通に元いた世界の知識があるから、そこら辺は引き継がれてるんだな」
続いてタバコとライター。
「これは……喫煙者にとっては厳しい世界かもなぁ……タバコあるかな?」
とりあえず煙草を一本取り出し、火をつけて一服。
続いて同人誌十五冊。
「これは……十八禁が九冊、健全なのが六冊、か。まぁ、しばらくは困らないな」
続いてペットボトルのお茶二本とお菓子類。
「新品一本と飲み掛け一本。ガムと飴はまだ未開封で、グミはあと少しで終わりか……まぁ、一日二日は何とかなるか?」
最後にユーキちゃんグッズ。写真集とポスター、それから生写真。
「はぁ……まぁ、ユーキちゃんグッズがあるだけで未知の世界でもなんとかやっていけそうな気がするよ。ありがとう、ユーキちゃん!」
一通りの確認を終え、一は鞄に所持品をしまう。
「まずは人を探すか。サバイバル生活だけは避けないとなぁ……」
タバコを吸い終わり、鞄を背負った一は歩き出す。とは言え、三十路手前のサラリーマンの体力などたかが知れていた。日ごろの運動不足も祟り、すぐに疲労が現れる。しかし、嬉しい事に森林を背に歩き続けていた一は、ようやく開けた道に出る。ここまでで四十分の時間をかけているが、まだ日は高い。
「これは……どっちに行った方が良いんだ?」
道、というより街道と言った方が合っているかもしれない。舗装もされていない道が、左右に向かって伸びている。
「右か左か……まぁ、街道ならどう転んでも町に着くか。それか行商人とかにも会えるかも知れないしな」
と、何とも楽観的な考えの元、一は左の道を行くことを選び、ただひたすらに歩く。唯一の救いは今が夏や冬でないことだろう。汗をダラダラ流して歩くのは苦行だし、雪の降る中を防寒具も無しに歩くのは耐えられてなかっただろう。
「……はぁ、疲れた」
どれほど歩いたのだろうか。かれこれ数時間は歩き続けているような気がするが、時刻を確認すれば、まだ一時間も歩いていない。
「………まさかとは思うが、時間の流れが違うのか?」
重大な秘密に気付いてしまったかのように言っているが、ただ単に一の思い込みである。彼が歩き始めてからまだ一時間も歩いていないのは確かだ。
「ダメだ……ちょっと休憩しよう」
荷物を置いて、街道の脇に座り込む。鞄からお茶とグミを取り出し、しばしと休息。
「それにしても……本当に異世界なのか、ここ」
改めて周囲を見渡す。
日本にまだ舗装されていない道があるとは思えないが、海外なら話は別だ。
「フィンランドとかそこら辺にこんな景色ありそうだしな……下手すりゃ、壮大なドッキリ番組とか、或いは拉致されたとか、そういうことはないのか? いや、ないな。うん、ない。刺されたのも覚えてるし、目覚めるなら普通は病院とかだし……そもそも俺みたいなアラサーのおっさんを拉致した所で何にもメリットなんてないし、ドッキリを仕掛けられても芸人みたいな反応も出来ないしな……そんなの見て誰が喜ぶんだ?」
ここまで歩いてきたが、ここが異世界であるという確証は得られていない。異世界特有の超巨大な世界樹的な物が見える訳でもないし、太陽が二つあったり、ドラゴンとかワイバーンが飛んでいるわけでもない。ただひたすらに平和な風景が続くだけだ。
「これでエルフとかリザードマンとか、そういう亜人的なものがいてくれればなぁ……」
ぼやきながら、もきゅもきゅとグミを食べ、この平和な景色をボケっと眺めるだけ。それだけのなんと心が安らぐことか。
「はぁ……落ち着くな……会社員やってた頃はこんな長閑な景色を堪能する暇なんてなかったからなぁ……自分で言うのも何だけど、よくあんな精力的に動けてたな、俺」
飲み掛けのお茶を飲み干し、残っていたグミを食べ終えた一はゴミを鞄に詰め込み、立ち上がる。
「よし、行くか!」
充分に休息した一は気持ち新たに、歩き出す。
まだ見ぬ異世界の住人と出会うために!
などと言ったが、ここでようやく冒頭の話に戻る。
すいません、あんまり進まなかったです。
次回、ようやくヒロイン登場します!