大金貨600枚の来客
錬金術という言葉がある。簡単に言えば、卑金属から貴金属を生み出す術の事を言うのだが、その本来の目的は金属に限らず、生命や物質を完全な存在へ昇華させることにあった。
その到達点こそが賢者の石だ。
物体に触れれば金に変化させ、液体に触れれば不老不死の霊薬に変化させる。
「賢者の石が表舞台に出てきたのは、六百年前の事です。そこで初めて、賢者の石らしきものが登場しています。賢者レイガスの物語ですね。これがきっかけで、他の物語にも賢者の石が出てきます」
まぁ、名称が違うわけですが、とオストリンデは前置きする。
「賢者の石の特徴は三つあります。一つ目は赤色であること、二つ目は触れたものを変質させること、三つ目はその全てが人工物であること、です」
「どういうことだ? 天然の賢者の石は存在しないってことか?」
「そうです。賢者の石は自然発生するものではなく、幾つもの素材を調合して精製するものなのです。ですので、赤くなく、人工物でもないコレは賢者の石ではない、と言えます」
しかしながら、その本質だけは賢者の石そのものだ。
「でも、やってることは賢者の石だけど……」
「そこなのです……その一点でみれば、これは賢者の石なのです。ただ……道具鑑定の結果はこれが賢者の石だと判定していますので……その、賢者の石なのでしょう」
「ってことは、これは……なんだ?」
「暫定的には賢者の石であると言っていいです」
研究室のテーブルの上にある金色のシャーレ、その中にある結石。それを見つめる二人は、途方に暮れたような表情でお互いを見た。オストリンデは困惑したように薄く微笑んでおり、一は眉間に皺を寄せて難し顔をしている。
「って事は、これから始める研究では、この結石は賢者の石として扱うって事で良いんですよね?」
「えぇ、それで合ってます。今後、この物体は賢者の石として話しますので……あと、さっきから気になっていたのですが、ハジメさんが言う結石とはなんですか? 賢者の石の別名です?」
「え? あぁ、そうか……ちゃんと説明してなかったな。この賢者の石は、尿管結石なんだ。尿管結石って分かります?」
「いえ、初めて聞きました」
「簡単に言うと、水分不足でおしっこが出ずに、おしっこの成分が固まったもの、なんですよ。だからこれは、俺の尿成分が固まったものなんです」
「それは病気ですか?」
「まぁ、そうですね。病気ですよ」
一の言葉を聞き、オストリンデの顔つきが変わる。
「それは、どういう状況で発症するのですか? 発症した際の症状は? 体内にこんな大きな石が出来るってことは、ものすごい激痛がありますよね?」
「ありますね……もう二度と体験したくないですけど……」
そこから十数分の間、オストリンデからの質問責めにあっていた一の耳にカランコロン、と入店を知らせる鐘の音が聞こえてきた。それは正に救いの音であると感じた一は、鋭い眼光のオストリンデに今の音は客が来たんだから接客しなくちゃ、と言いながら、シャーレの上の結石を回収し、彼女の背中を押して店のある一階へと降りていく。
「ちょっと、ハジメさん! あとでちゃんと話を聞きますからね! 逃げないでくださいよ!」
「分かったから、今はお客さんを優先してくださいって!」
あーだこーだ言いながら一階へ降りていくと、店の中にいるのは薄緑色の立派なドレスを着た妙齢の女性が一人。その背後にはクラシカルなメイド服を着た侍女が一人、ボロボロの麻布のようなローブを身に纏い、深々とローブを被った小間使いが一人、控えている。更に言えば、店の中からは見えないが、店の外には護衛騎士が三人待機している。見るからに当たりのキツそうな切れ長の瞳は胡乱げな様子で店内をキョロキョロと見ており、一たちが姿を表すと不機嫌そうに眉を顰めた。
「ようこそ、オストリンデ薬学店へ」
オストリンデが貴族用の礼をしたことで、一もようやく目の前の女性が貴族だと気付き、慌てて、しかしそうは見えないように礼をする。
「あぁ、やっぱり貴方だったのね、オストリンデ・メイラード。確か、ペネストレーデの聖女、だったかしら?」
「お恥ずかしながら私でございます、パルミラ様」
「久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
「パルミラ様もご健勝で何よりでございます」
一の率直な感想は『誰?』と『胸でっか!』の二つである。
パルミラと言う名の女性は、正にぼんきゅぼんなスタイルの持ち主だ。立派な胸を強調するようにドレスも仕立てられており、薄緑のドレスと相まって本当にメロンのように見えてくるから不思議だ。
ドレスもそれほど華美なものではないのだが、彼女のスラッとした体型によく馴染んでおり、くびれからお尻に向かうラインがとてつもなく艶やかである。
「それで、当店にはどんな御用ですか?」
オストリンデは臆する事なく、彼女の目を見る。
「ファルメロから、ここなら薬があるかもしれない、と聞いたから来てみたのよ」
「ファルメロ……あぁ、ファルメロ・ペパイスラ薬師ですね。それで、どんな薬をお探しでしょうか?」
「今度、私の妹が結婚するのよ」
「それはそれは、おめでとうございます」
「ありがとう。それでね、妹の結婚相手なんだけど、マギアーベリの領主の側近の男なのよ」
そこから先の話は一にとって少しばかり憤りを感じるものだった。
「妹はステルニカーダの領主第一夫人だったのだけれど、子が産めなくてね。役目を果たせない女を寄越したのは領地の力を削ぐためか、って因縁を付けられたのよ。父上は領主会議で糾弾されて、その場で結婚解消を言い渡されて、げんなりして帰ってきたわ。そして、妹を散々怒って、政治にも使えないなら、下位の領地に恩を売るぐらいの役には立て、と、勝手に婚約を決めてきたの」
「それは……何とも……」
「それでね、探している薬って言うのは、確実に子を成せるような薬なの。あるかしら?」
パルミラが目を細めて首を傾げる。その仕草に見た目にはそぐわない可愛らしさを感じた一は、チラッとオストリンデを盗み見たが、どうやら答えに迷っているようだった。その表情を見て、会社員時代を思い出してしまったのは、その表情に見覚えがあったからだろう。だからオストリンデの心情は察して余りある。
つまりは、上から「出来るか?」と言われれば、その答えは既に決まっているようなもの。もし出来なかったら文字通り首が飛ぶかも知れないのである。
出来る出来ないではなく、やるしかなく、やるからには成果を出さなければならない。もちろんそれを情熱に変えて頑張れる奴もいたが、多くの人間はそのプレッシャーに押しつぶされて、あまり良い結果を出せないものだ。
「あの……」
と一が助け舟を出そうとした時だった。オストリンデが彼の言葉を遮るように手を出していた。どうしてそんなことをしているのかと一が理解する数秒の間で、彼女はパルミラに言った。
「ありますよ」
と。
「え、あるの?」
と間抜けな声が出た一は、そこでようやくパルミラから視線を受けることとなった。その瞳は、正しく『誰?』と言っている。
「はい、ハジメさん。そういう薬ならあります。『アルテミアの聖なる母胎』と呼ばれる霊薬で、妊娠を手助けするお薬になります。お持ちしますので、少々お待ちください。ハジメさん、手伝ってください」
「え、あ、はい」
優雅にお辞儀をして部屋の奥へと引っ込んだオストリンデの後に続くようにお辞儀をして、後を追って部屋の奥へと向かい、オストリンデが入っていた部屋へと入る。
「ハジメさん」
部屋の奥、パルミラ達からは何も見えない部屋で、オストリンデは薬品棚に背を預けて膝を抱えて蹲っていた。
「え、どうしたんですか? まさか、薬なんて本当は無くて、みたいな展開ですか?」
「いえ、そうではありません。ただ……その、あまりにも貴重なもので……値段が……」
「高いんですね?」
「はい……」
「いくらですか?」
「大金貨で六百枚です」
開いた口が塞がらない、とはこの事だ。
「だ、大金貨で、六百……枚? えっと、大金貨は普通の金貨十枚分だから、金貨六千枚? って言うと……確か、金貨七十八枚で贅沢しないで一年は暮らせるってウィンが言ってたから、えーっと、だいたい八十として、七五年くらい暮らせる金額か……? え、ヤバいな、それ」
「はい、いくらパルミラ様が領主の子供とはいえ、そこまでの金額を用意出来るとは思えません」
「え、あの人、お姫様なんですか?」
「はい。現ロルド・ペネストレーデの長女です」
「なるほど。でもまぁ、お金に関してはパルミラさんが決める事であって、オストリンデさんが決める事じゃないんですが……まぁ、金額が金額ですしね。とりあえず、持っていくだけ持っていって、正直に金額の話をしてみましょ?」
「そう、ですね……はぁ、これでまた顧客が遠のいていくのですね……」
「というか、そんな高価な薬、どうやって手に入れたんですか? あ、自分で作ったのか」
「いいえ、これは贈り物です。私の薬師としての師匠から、いずれこの薬を一人で作れるようになりなさい、と」
「良い師匠なんですねぇ」
「ふざけた人でしたよ。三年前に新しい薬を作るって言って旅に出たきりです。はぁ、師匠が帰ってくる前に、このお店を軌道に乗せておきたいのに……」
どんよりと暗い雰囲気のオストリンデはゆっくりと立ち上がると、もたれ掛かっていた薬品棚の上から二段目の一番奥に手を伸ばして小さな牛乳瓶のような薬品を取り出す。中に入っている液体はとても粘度が高そうな琥珀色だ。
これこそが、『アルテミアの聖なる母胎』である。
その原材料は魔獣・アルテミアのメスの髄液とアノロク蜂の蜜、ココット・ジュユーズの果実、その他諸々の素材や食材を使って、様々な工程を寝ずに十四日間ぶっ続けで行う事で完成する。使われている素材の値段も去る事ながら、一番の問題は、世界屈指の薬師たちが精製に挑戦しても、この薬が完成する確率はおおよそ四パーセントほど。
では、何故そんなに難しいのか。それは、精製工程における温度管理はもちろん、素材を入れるタイミングや量、そしてその日の気温や湿度など数えだしたらキリが無いほどの条件を全てクリアしなくてはならないからだ。故に、希少かつ高額な薬なのである。
「それが薬?」
「はい、これが『アルテミアの聖なる母胎』です」
「これ、普通に飲むだけで効果あるの?」
「えぇ。ティースプーン一杯分をお水がお湯に溶かして、行為の後に飲むだけです。ただ、飲み始めたら、この瓶を全て使い切るまで毎晩飲み続けなくてはなりません、一回でも忘れると効果は無くなります」
「へぇ、そりゃ大変だ。副作用とかは?」
「ありますよ。服用者にもよりますが……高熱と重度の酩酊感が出たり、一時的に身体中に発疹が出来たり、過去の文献では使用後に鼻血が止まらなくなり、出血死した方もいたそうです」
「うへぇ……でもまぁ、それに耐えてまで子供が欲しいって言う人もいるんだな」
副作用の内容を軽く想像してしまい、少しばかり気が滅入ってしまった一だったが、両手で大事そうに薬瓶を持つオストリンデのために扉を開けてやり、彼女の後に続く。
「お待たせしました」
ちょっと仕事が忙しくて執筆時間が短くなってきました。
頑張って毎週更新をしたいのですが、たまに2週毎の更新になるかもしれません。
がんばります・・・




