我、異世界で莫逆の友を得たり
炎龍に飲み込まれた一。
文字にすればたったそれだけのことだ。だが、その光景を実際に見た者にとって、それは絶望的な光景である。何が起きたのか、それを理解するまでにかなりの時間を有したのだが、それでも一番早く状況を飲み込んだのはウィンであった。
「………ハジメ……そんな……こんなのって……」
絶望した彼女だったが、その場に膝を付くことはなかった。そうしてしまえば、その現実を受け入れるのと同義だと認めてしまう事になる。
それは絶対に嫌だ。
心がそう叫んでいる。だから折れる訳にはいかない。力の入らない足は震え、気を抜けばすぐにでも泣き出してしまいそうになるのを心で抑え、彼女は大きく息を吸い込んだ。
「炎龍ッ!」
殺意の塊を瞳に宿し、仇を睨み付ける。
「いと仄白き雪の王! 煌く氷の翼をもって、その瞳が映す大地を白銀に染めよ!」
始めた詠唱は、彼女が知る中でもっとも強力な魔法の一つ。
「凍てつく心は汝の元に! 果て無き力を解き放て! 其は神々の息吹さえも白き悪夢の暴風へと変えるだろう! 我が身を食らいて顕現せよ、遥かなる災いを齎すものよ!」
得意とする風魔法と氷雪系の魔法を同時に詠唱し、その二つを融合させる高位魔法である。その威力は、術者の魔力量に依存するのだが、今の彼女にそれを気にするほどの余裕などは無かったし、怒りによってブーストされた力がそれを可能としてしまっている。
「駆け抜けよ、厄災を告げる銀翼の白狼! 契約に従い、理に従い、我に応えよ、氷雪の王、風の女王!」
彼女の周囲が凍り付いていき、逆巻く嵐が生まれる。
「咲き誇れ、永劫を眠る薔薇! 来たれ永久の風雪! 氷れる風の刃をもって、真なる敵、大いなる闇を討たん!」
この魔法が炎龍にどれほどのダメージを与えられるのか、彼女には分からない。あの集束魔法が片角を折っただけと考えれば、きっと鱗の一枚を剥がす程度かもしれない。しかし、それは彼女が詠唱を止める理由にはならなかった。
「歌え! 静寂の庭園と静謐なる棺の内で! 汝は怨敵を討ち滅ぼす永遠の牢獄なり!」
逆巻く嵐は氷の刃となり、氷雪圏をさらに広げていた。
「ものみな全て凍てつく、終わりなき嵐よ! 真なる敵を抱擁し、永遠の眠りへと誘え!」
全ての詠唱を終えたウィンは、鋭く息を吸い、その一呼吸で炎龍を捉えた。
「白き災いを齎す災禍の氷槍!」
その一瞬で形成されたのは、炎龍と同等のサイズの氷で出来た槍だ。以前、彼女が放った魔法の上位互換であり、その性能は術者の力が持つ限り絶対的な追尾を可能とし、触れた相手の完全氷結化、四層までの障壁を貫通する。また巨大な槍を砕き、無数の鏃として広範囲を攻撃することも可能なのだが、それほどまでに強大な魔法には、莫大な魔力と繊細なコントロールが必要になる。
「死ねッ、炎龍ッ!」
今の彼女が放つことが出来る限界、最大火力を炎龍に投擲した。魔力によってブーストされた氷槍は投擲された瞬間には亜音速にまで達し、一瞬で炎龍に直撃した。
『馬鹿なエルフよ……それだけ長い詠唱をすれば、相手に護って下さいと言っているようなものだと何故分からない。いや、怒りで思考が曇っているな。愚かな事だ』
炎龍が低い唸り声をあげてそう言うが、ウィンにはやはり低い唸り声にしか聞こえない。
「嘘……」
魔法は直撃していた。ただし炎龍に、ではなく黒龍に、だが。
「黒龍を、盾に、したの……」
氷の大槍が黒龍の身体に突き刺さり、傷口から凍り付かせ、やがて物言わぬ氷像となる。持てる全ての力をつぎ込んだ魔法が、そんな卑怯な盾によって阻まれたことも相まって、ウィンの戦意は完全に喪失していた。
初歩魔法を使う魔力も、もうない。
これで終わりなんだ……とその場に崩れ落ちた彼女は、それでも毅然と炎龍を睨み付ける。
「……あたしも」
その瞳には未だ怒りが燃えていた。
「あたしの事も食べてみなさいよ!」
邪悪に歪んだ炎龍の口が動く。
『頂点たる余に、よくぞ立ち向かった。称賛に値するぞ、エルフの娘よ。我が腹の中で、愛しき片割れと共に眠るが良い』
一歩、また一歩、と死が近づいてくる。もう誰も、炎龍に対峙する者はいない。王国騎士たちも彼女よりも先に戦意を失っている。あのグラムでさえ、固まった足を動かせずにいるのだから、誰が彼女の前に立ち、彼女を守ろうとする者などこの場には誰もいない。
そして、迫り来る死の音が止まる。
死が、目の前にいた。
『さらばだ、猛きエルフよ』
炎龍の邪悪な口が大きく開き、ウィンはそれが訪れる事を覚悟し、ギュッと目をつぶる。
「…………」
だが、いつまで経っても何も起こらない。
「…………あれ?」
固く閉じていた目をゆっくりと開ける。炎龍の邪悪な顎は彼女の目の前にあったが、それ以上動くことはなかった。何が起きているのかすぐには分からなかったのだが、そのすぐ後に炎龍の体が金に侵食されているのを見て、唖然とした。
「………なにこれ……え? 金? まさか……そんなの、あり?」
そして、炎龍の全てが金になる。完全に沈黙した炎龍だった金の彫像と睨めっこをしていると、目の前の邪悪に開いた口の中から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「おーい、誰かー助けてくれ。金になって食道が広がらないんだー。おーい、誰かー。おーい、誰かいないかー?」
その呑気な声は、当分忘れることは出来ないだろう。
「ハ、ハジメ!?」
「お、その声はウィンか? 何かくぐもっててよく聞こえないんだが、大丈夫かー? 悪いんだが助けてくれ、食道が金になって広がらないんだよ」
一が生きている。
その事実が彼女にとってどれほど嬉しいことか、彼女自身も気づいてはいなかったが、それでも心からの安堵と共に、その気持ちを言葉として紡いだ。
「良かった……生きていてくれて。本当に、良かった……」
大粒の涙をこぼし、ウィンは何度も何度もそう繰り返した。
一が炎龍の中から助け出されたのは、それから五時間後の事だった。
何故かと言えば、彼の救出の優先順位が一番低かったからだ、としか言いようがない。
炎龍が金になった一部始終を見ていた人間たちは、ようやく戦いが終わったのだと心の底から安堵し、グラムを中心に被害報告が行われた。今回の炎龍討伐戦では奇跡的に死者は出ていなかった。逃げ出した奴隷や青年たちの中にも怪我をした者はいたが、死者はいない。
「ドラゴンを、しかもあの炎龍を相手にして死者がいないというのは奇跡でしかない」
とグラムは言う。
そして金になった炎龍の中に、一がいると知ったグラムは、彼を助けるために一度町へ戻って工具やら何やらを調達する必要があると言った。もちろんすぐにでも助け出してあげたいが、ウィンには魔法を使う余力は無かったし、無理やり壊そうとすれば、一に何かあるかも知れないと、慎重になっていたのもある。
「ハジメ、これから町に戻って必要な道具とか用意して戻ってくるわ。だから少し待ってて」
「え! 今すぐ助けてくれよ!」
「あたしだってそうしてあげたいわよ。でもあたし魔力切れてるし、無理に壊そうとしてあんたが死んじゃったら元も子もないでしょ?」
「分かったよぅ……大人しくここで待ってれば良いんだろ?」
「大丈夫よ、ハジメ。別に何時間もかかるような事じゃないから」
と、ウィンはそう言っていた。
「――そう言ったのに!」
「ごめんってば」
彼が救出されたのは五時間後の深夜のことである。様々な道具を持ってきたウィンの手によって炎龍の腹部に穴が空けられ、引きずり出されるように救出された一は開口一番にそう言った。
「言ったのに!」
「だからごめんってば! グラムが村長に今回の件を報告したら、村中が大騒ぎになっちゃってね。そしたら皆が騎士団に奢りたいって言い出し始めて、宴会になっちゃったのよ」
そして薄情な事に、今この場にいるのはウィンとシロの二人だけだった。
「シロ、ごしじんたま、たしゅけにきた!」
ふんす、と得意げに胸を張るシロは一にペットボトルを差し出した。
「ありがとうな、シロ。それにウィンも」
受け取った水を一口飲む。
「別にいいわよ。待たせちゃったしね……」
「前にも同じような事があった気がするが……」
「あったわ」
「お前、人の事待たせる趣味なわけ?」
「んなわけないでしょ! バカじゃないの!」
「へぇ、さいですか」
「ねーねー、ごしじんたま! あのくろいどらごんしゃん、だいじょーぶ?」
ちょんちょんとシロが一の袖を引き、指差していた。その指の先には、氷漬けになった黒龍の姿がいる。
「うえぇえッ!? 何あれ! どうしたの、あれ! なんで氷漬けになってるわけ!?」
自分の知らない所で何かが起きていたのは炎龍の腹の中にいても分かっていたが、まさか黒龍が氷漬けになっているとは思わなかった。
「あたしがやったの。というか、魔法を撃ったら、炎龍が黒龍を盾にして防いだ」
「……アレ、死んでる?」
「どうかしら……あれに貫かれて死んでない方がおかしいと思うけど?」
「お前の魔法だって言うなら、氷漬けを解除とかできない?」
「無理ね。あの魔法の永遠氷結化は完全なものよ。高度な解呪魔法でない限り不可能よ」
「マジか………ん? 解呪? って事はアレ、状態異常のカテゴリーに入るのか?」
「そうねぇ……まぁ、そうなるのかしら?」
「それを早く言え、バカもん」
そう言うと、一はペットボトルの水を全て飲み干すと、金になった炎龍を見た。
「始めからこうしておけばよかったよな……」
そして、今しがた自分が出てきた穴を覗き込む。そこには溜まっていた液体は炎龍の胃液だったものだ。今はもう胃液ではなく賢者の石を触れさせた万能回復薬となっているのだが。一はペットボトルにそれを入れると、黒龍の元へと駆け寄った。
「頼むからこれで元気になってくれ」
ペットボトルの水を半分ほど凍った黒龍の体に振りかけると、ジュー、と蒸発するような音と共に黒龍の体を覆っていた氷が溶けていった。残った半分を黒龍の口に無理やり流し込み、また炎龍の腹から水を汲み、同じように黒龍の口へと流し込む。それを何度か繰り返し、ようやく黒龍の傷が癒え始めていく。
「ごしじんたま、どらごんしゃん、たしゅかる?」
不安そうに一を見上げるシロの寂しそうな声音に、一はうっすらと微笑む。
「助かるよ、助かってもらわないと困る」
そして十二往復目に、ようやく黒龍が意識を取り戻した。
『………ここは』
『起きたか、黒龍。あ、おい、まだ起き上がんな! 大丈夫か?』
『……うむ』
『そうかぁ……良かった……』
黒龍が呻き声をあげるが、そこに悲痛さが感じられる。そんな黒龍が首をもたげ、辺りを見渡し、金になった炎龍を見つけた。
『人間よ……これは、どういう事だ。何故、炎龍は金へと姿を変えた。お前の仕業か?』
『あー、うん、まぁ……そう、ですね』
『普通の人間が炎龍を金にしたのか?』
『あの石を使ってな』
『む……賢者の石か。では何故我を助けた。炎龍を倒した今、我は他に望むことなど無かったというのに』
「ごしじんたま、へんなことばでおしゃべりしてるね、おねえたん」
「そうね……改めてみると、違和感しかないわね。人間がドラゴンの言葉を喋っているなんて」
蚊帳の外の二人はそのままに、一は黒龍との話を続ける。
『………この後、どうするんだ?』
『そうだな………故郷に戻って森を治めようと思っているが……』
彼の言葉を聞き、一は大きく息を吸いこみ、溜息と共に吐き出す。そして長い思案の後、一は口を開いた。
『なぁ、黒龍さんよ』
『なんだ?』
『もし良かったら、あの町の復興を手伝ってくれないか?』
『……何故だ?』
『原因はどうであれ、あんたがあの町を襲ったんだ。それなりの責任は取ってもらわないと』
意地悪そうに笑う一の快活な笑みは、黒龍を困惑させていた。だから答えに困った黒龍はたじろぎながら答えた。
『……それは提案か? 命令か?』
『どっちでも無いさ。これは……そうだな……戦友への頼み、って感じか?』
『戦友、か……』
『なんて言ったかな……何とかの友………反逆の友? いや、逆らってどうする。何だったかな……ぎゃく、何とか逆………莫逆だ! 莫逆の友ってやつだ!』
『……なんだ、それは?』
自分の心に逆らう事が莫い友。
この一連の戦いを経て、一はこの黒龍の事を理解したし、きっと黒龍も彼の事を理解しているはずだ。それほどまでに二人の間には絆が生まれているのだと、一は感じていた。それは黒龍も同じなのだが、それがどういうものかを理解していない黒龍にとって、その莫逆の友という概念は不思議なものなのだ。
『自分の心に逆らう事の莫い友、それが莫逆の友だ』
「え、見つめ合って、何してんの?」
「うるせぇ、男同士の友情に水差すな」
「ごしじんたま、うれしそう!」
『自らの心に逆らう事の莫い、友……か。良かろう、気に入った! 人間よ。お前は黒龍の永き血の中で唯一の莫逆の友となった。その証にこれをやろう』
そう言って、黒龍は自身の顎の下に生えている鱗を取り、一に差し出す。
『これは?』
『黒龍の逆鱗である。我の力が必要になった時に使うが良い』
それは魔法使いであれば、喉から手が出るほど欲しい魔法の道具だ。この逆鱗は、一度だけノーコストで黒龍を転移召喚することが出来るという代物である。
『いいのか?』
『構わん。お前は既に友なのだからな。我が力が必要な時は、いつでも力を貸そう』
『そうか………なら、俺からは名前をプレゼントしよう』
『名前? 我にか?』
『嫌だったか?』
『そうではない。ただ……名前を貰うというのが初めてなのでな……』
『なら、お前の偉大さに負けないような名前を付けないとな……』
一は唸る。
シロに名前を付けた時は初めての経験だったが、中々に良い名前を付けたもんだ、と自画自賛していた。しかし、こうも早く二度目の名付けチャンスが回ってくるとは思わなかった。
ドラゴンに付けてもダサくない名前。カッコいい名前。色々と候補は出てくるが、やはりここはシンプルで且つ力強い響き、そして何より黒龍の体現する名前が良いだろう。となれはやはり候補は一つに絞られた。
「うーん、黒いからクロ!」
幼稚園児ですらもっといい名前を付けるだろうというほどに安直なネーミングセンスだったが、
『クロ、か。良い名だ』
ドラゴンには好評だったようだ。
『俺はハジメだ。よろしくな、クロ』
『あぁ、こちらこそ、ハジメ』
長い歴史の中で初めて龍種と人種が、絆によって結ばれた瞬間であった。
季節の変わり目は、風邪ひくのよ・・・
いきなり寒くなりましたからね、皆さまもお気をつけてくださいませ。




