考えすぎ
その夜のことだ。
大して明るくも無い月明りの中、一は夜の町を一人で歩いていた。
寝付けないと言うのもあるが、先程酒場で自分が言った事を思い出し、色んな不安が芽生えてしまった。元の世界でもそうだったが、夜、布団に入って目を瞑れば、色々と嫌な事を考えてしまう。異世界でもそれは同じのようで、どうしてもこの世界の事や自分の生き方について、不安がよぎってしまうのだ。
破壊された町、静まり返った闇、そんな中で一はポケットからタバコを取り出して火を点けた。残りの本数も少ない。少しは我慢しなくてはならないのだが、それは中々の難題でもある。
さて、少しばかり憂鬱な一はタバコをゆっくりと味わいながら夜の町を歩き回る。
灯りが一切ないこの時間、誰もが寝静まっている中で、まるで時が止まってしまったような感覚を味わうも、時折聞こえてくる風の音や鳥の声に、平穏を感じる。
考えるのはこの世界のこと。
幸運な事に無傷のまま残っていた噴水を見つけ、その縁に腰を掛けた。
この世界には魔法が存在する。亜人も存在する。
元の世界とは常識も経済も技術も文化も、何もかもが違う。
まぁ、そこら辺は外国に来たと思えば納得出来るし、順応もしてきたつもりだ。とは言えやはり現代人である彼にとっては違和感を覚えることもあるし、何よりも娯楽が少なすぎるのも考え物だ。何かあった時のためにスマホの電源は切り、バッテリーを温存しているが、それでも一ヶ月もすれば電源が入らなくなるだろう。充電するための機械を探そうにもそんな技術なんて無いに違いない。まぁ電気を操る魔法があるようだが、下手すればスマホそのものを壊してしまいそうでウィンに頼む気はなれない。
それに……、と一は首から下げている金の巾着袋を取り出す。
「この石だって……」
どうして自分の尿管結石が賢者の石などという重要アイテムになっているのかも疑問がある。
「これはあれか、いわゆる転生した時に神様がくれたチートアイテムなのか?」
巾着から結石を取り出す。
「それにしては色々と雑だよな……」
尿管結石自体は治っている訳ではないし、あの痛みも健在だった。あの時、あの場所でウィンに出会わなければ、きっと彼は野垂れ死んでいたのかもしれないと思うとゾッとする。
「もっと分かりやすい能力とか欲しかったんだがな……」
薄光に石をかざしてみると、禍々しい形の結石もどこかミステリアスな輝きを湛えているように見えた。
「前の世界じゃ、この石にどれだけ苦しめられたことか……」
考えるのも億劫になって来た彼が、ギリギリまで吸ったタバコを噴水の水につけて火を消した時だった。
「眠れないの?」
いきなり掛けられた声に情けない悲鳴を上げてしまった一は飛び上がり、声のした方に素早く向いた。
「変な声出さないでよ、みっともない」
「なんだ、お前か」
そこにいたのはウィンだった。
「なんだとは何よ……」
ウィンはそれまで彼が座っていた噴水の縁に腰を掛ける。
「あたしも眠れないの……」
どこか艶っぽい声音をしているように感じ、一はドキリと心臓が動くのを感じた。
「ねぇ……」
「な、なんだ?」
「座らないの?」
「……え、あ、あぁ、じゃあ、あの、失礼します」
まるで初めてホテルに入った童貞のような反応で一はウィンの隣に腰を下ろした。
「あんた……この村の事、どう思う?」
「どう? そうだな……良い村だと思うよ。人も良いし、ご飯も美味い」
「そう……確かにそうかもね」
「なんだ? 何が言いたい?」
「この世界が滅びてしまうと、こういう風景も見れなくなっちゃうのかしらね」
夜空を仰ぎながらウィンは語り始めた。
「ほ、は? え? 滅びる? 黒龍ってそんなレベルなわけ?」
「え? 違うわよ! あ、違くない! そ、そうよ! 黒龍ってそんなレベルなの!」
どっちだよ、とぼやき、一はウィンと同じ様に夜空を仰ぐ。
「でもさ、俺の世界でもそうだったけど、そう言う時って必ず人間は団結するんだよな。人種も宗教も言葉も全ての壁を壊して、生存するっていうただそれだけのために、いがみ合っていた人間が手を取ってさ……そういう事が出来るんだよな。まぁ、そんな状態になる前に団結しておけよ、って話なんだけどな」
自虐を含めた笑みを浮かべ、一はウィンの横顔を盗み見る。
薄い月明かりに照らされた彼女の横顔は、ユラユラと揺れる噴水の水面から照らされるゆらゆらとした光を纏って幻想的に見えた。
「四百年前」
ポツリと呟いたウィンの言葉は風に攫われる事なく、一の耳に届く。
「憎悪の魔女は、その強大な魔力によって死を振りまいた。当時は迫害されていた亜人たちに自由と権利を与え、友好の手を差し伸べた。私たち亜人はそれが悪いことだとは思っていなかった。あの時は、その手を取ることが、それが最も光栄な事なのだと、全員が思っていた」
その横顔から、感情は読み取れない。ゆらゆらと揺れる光の反射が、まるでヴェールのように彼女の表情を隠している。
「亜人が人間に負けることはなかった。当たり前よね。魔法が使えて、人間よりも身体能力が上なのだもの。でも、人間は負けなかった」
四百年前、憎悪の魔女を封印したのは四人の英雄だった。国籍も肌の色も宗教も性別も違う四人の英傑たちが、世界中の希望を背負い、魔女を打倒した。その物語は今もなお語り継がれ、舞台や寝物語にもなっている。
人間たちは、対峙する度に変わっていた。
顔触れが変わり、武器が変わり、鎧が変わり、戦術が変わり、戦略が変わる。
初めは吹けば飛ぶ埃のようなものだった。だが、その内吹いても飛ばなくなり、やがて、人間が吹き飛ばす側になっていた。
「それこそが人間の強さなのだと、おじいちゃんは言っていたわ。あなたの言う通りね。人間は団結出来る。団結すると想像以上の力を発揮する。でも、それだけよ」
「……何が言いたいんだ?」
「団結は共通の敵を倒せば、簡単に解けるのよ」
ズァッ、と生温い風が吹き抜ける。
「団結が無くなった人間たちは、敗者である亜人を排除し始めた。あの戦争で、あたしたちエルフは一番最初にセヴァリスの手を取ったという理由だけで、亜人のリーダーとなって戦ったわ。でも負けた。捕らわれた亜人たちがどうなったか、なんて考えなくても分かるでしょ? 男は労働力に、女は慰み者になった。壊れればまた新しい物が手に入るんだから、それはもう生物じゃなくて単なる消耗品よね」
人間たちの亜人に対する差別と侮辱。
戦争に負けた彼らは、人間の下僕というレッテルを貼られ続けたまま今も生きている。
「でもこの町の人たちはそんな感じは……」
「この町はあまり戦争に関わっていなかったのよ。だから、私はこの村が好きよ」
そして、ようやく一は彼女の声が震えていることに気付いた。
チラッと彼女を盗み見ると、彼女は俯いて身体を震わせていた。
「あたしを守るために、色んな人が奴隷狩りに捕まった。友達だって、両親だって……目の前で殺された。あたしを守っても何にも良い事なんて無いのに……なのに、あたしは、生き残ってしまった」
そう言って体を小さくして震えるウィンが、とても小さく見える。
少女の肩には、彼女が抱えきれないほど多くのものがあった。それを支え切れるほどの力などないのに、それらは構う事なく彼女を苦しめている。
そんな彼女の姿を見た彼は、心臓を悪魔に鷲掴みされているかのような激しい痛みを感じた。その痛みは心を蝕み、身体を冷たくさせ、頭を赤く染め上げた。だから、自分が考えるよりも先に身体が動いたことに気付かなかったし、自分が何をしたのかもよく分からなかった。
「え、ちょ、ハジメ!?」
一がウィンを抱き締めていた。
「お前、色々と考えすぎだよ……」
強く、熱く、互いの鼓動が感じられるほどに、抱き締めている。
「ね、ねぇ! 離して! ちょっと!」
ウィンが暴れるが、本気の抵抗ではない。ギャーギャーうるさく騒いでいるが、一の温もりが伝わるにつれ、声は小さくなったし、抵抗も収まっていく。
「もぅ………バカ……」
やがて無抵抗になったウィンは、あろうことか一の背中に腕を回し、自分も思い切り一を抱き締めた。
「もう少し肩の力を抜けよ、ウィン。お前は強くあろうとしているみたいだが、別に強くなくていいんだ」
「でも……」
「考えてみろ。俺なんて普通の人間だ。魔法も使えないしすげぇチート能力だってない。物を作る頭もない。でもさ、そんな俺でも今こうやってお前をあやすことくらいは出来るんだぜ? お前の悩みを聞いて、苦しみを一緒に背負ってやることくらいはな」
抱き締めていた腕を緩め、一は彼女の憂いた顔を見つめた。
「それに……お前みたいな可愛い女の子に、そんな顔はさせておけないだろ?」
「ハジメ……」
「何だ? 惚れたか?」
「そうね……ほんの少しね……」
ウィンの視線が彼の瞳から外れ、一瞬、唇を見た。
「もっと……惚れさせてやろうか?」
その視線に気づき、一も彼女の唇を見る。ほんのり綺麗な桜色の唇はすこし震えていた。
「やってみなさいよ……」
ゆっくりと、まるで世界そのものが元ある形に戻ろうとするみたいに、二人の唇が近づく。そして予定調和の如く、唇が重なる――その瞬間。
巨大な爆発音が、二人の世界を壊す。
「なんだ!?」
突如響いたその音に、ビクッと身体を震わせた一は、ウィンの背後に立ち上る黒煙と火柱を見た。
「何? 何なの!?」
ウィンも彼と同じものを見る。黒煙と火柱は町の外、そしてそこには
「黒龍!? もう戻って来たの!?」
その原因たる黒龍が夜空を舞っていた。
「いや、様子がおかしい」
一が目を凝らす。この場所からではよく見えないが、黒龍は口から火を漏らしながら、まるで蛇行するかのように飛んでいるのだ。
「くそ、ここからじゃよく見えん! ウィン、行くぞ!」
「え、ちょっと!?」
一はウィンの手を引き、黒煙と火柱が上がった方へと全力で駆け出した。
彼らが町の外へ出るまでに、黒煙と火柱と爆発音は断続的に発生していた。だが、それらはその場所からあまり動かない。そして二人が町の外、小高い丘が見える場所まで辿りついた時には、あり得ない光景が目の前に広がっていた。
「何が……起きているわけ?」
彼らの目の前には、黒龍は口から火を漏らしながら、その巨躯を地面に横たわらせていたのである。その巨躯、暗くてよく見えないが、翼はボロボロ、頑丈な鱗に守られた胴体は血だらけだった。
巨大な黒煙が立ち上る中、もう一度ウィンは同じ言葉を呟いた。
「何が……起きているわけ?」
だが、その言葉は一の耳に届かない。
「ハジメ?」
一は黒龍など見ていなかった。
彼が見ているのは、黒龍が見ているものだ。
黒龍が首を上げ、その鋭く獰猛な瞳を空に向け、遠雷のような低い唸り声を発している。
「おい、ウィン。俺でも分かるぞ。あれは……………アレは、ヤバい!」
その言葉で、ようやくウィンは一と同じものを見た。
「………炎龍」
久しぶりの更新です。
お待たせしました!
ちょっと色々とありましたが、何とか生きてます!