閑話 アルメルディアへ向かった日
エルフと言うだけで蔑まれてきた。
それはエルフだけではない。人間種以外の亜人は全員が奴隷だった時代がある。
今もなお、人間の中には亜人たちを蔑む人がいるが、その意識も少しずつ薄れてきているのも事実だ。だが、差別が無くなったわけではないのも事実だ。
「エルフのくせに生意気だな、お前。これでも払ってやってる方だぞ?」
フローウェル王国の第四位領地、ダヴリス。王国の南西に位置するここは、建築技術に置いて他領の追随を許さず、現在の王城や他領の城の建築を一手に引き受けた大領地だ。建築家を目指すならダヴリスに行け、と必ず言われるし、建築家を名乗りたいならダヴリス工匠の資格は取れ、と言われるほどに建築の領だ。
その領内の西に位置する街、オルドルはダヴリスの台所と呼ばれ、様々な建築物資が貯蔵されている。他領や他国の商人が卸した建築資材は、ここから各地の現場へと運ばれ、職人たちが仕事をするのだ。
そんなオルドルの大通りで店を構える建築現場で職人たちが使う道具や機材の販売を行う専門店の応接間に響く声は、苛立ちに満ちている。
「じゃあ良いわ、トレアの所に行くから」
そんな苛立った声に対しても、ウィンーーウィンチェスカ・フランドルは涼しげな態度を崩さない。行商をしていれば、もっと理不尽な人間はいるし、最悪な性格をしている人間もいるからだ。もちろん、目の前の男がそうではないとは知っているのだが、それでも前に会った時より少し老けて、威厳のようなものを感じるのだが、本気で怒っているようには見えない。
「はぁ、これだから蝙蝠耳はよ……てめぇがそうやって商売出来てんのは俺が周りより高い金で商品買ってやってるからだぞ? 舐めんのも大概にしろ?」
蝙蝠耳はエルフの蔑称だ。今時、言う人いるんだ、なんて思いながらウィンはテーブルの上に広げた商品をしまい始める。今回の商品はランスヴァール共和国産のアディプス・クリスタルだ。その中でもまだ魔力に染まっていないものを中心にしている。
魔石には細かいランクがあるのだが、まだ魔力に染まっていないと言うだけで、ランクは二つも三つも上がる。アディプス・クリスタルは魔石としては中の上辺りのランクだが、まだ魔力に染まっていないので、上の中辺りまでいくはずだ。
仕入れ値を考えると、少しでも利益を乗せたいが、乗せすぎると在庫が捌けない可能性がある。だから目の前の不機嫌そうな円形ハゲ親父の出した価格には、正直なところ不満は無い。
「そっちこそ大概にしなさい。ランスヴァールからここまでの輸送費と、あたしの利益を考えればこの金額は適正だし、なんなら無色の魔石をこの価格で卸すのは薄利なのよ? それでもお世話になったから、初めに話を持ってきたわけ!」
商売であるなら、取れる時に取れる所から取れるだけ取るべきだ、と師匠に教わったのはいつだったか? あの時は、師匠には商人の才まであるのかと愕然としたが、今となっては感謝しかない。魔法だけでなく、生きるための術まで学べたのだから、あの師匠に師事出来た事は幸運だったのかもしれない。
「だけどよ……」
ハゲ親父はキョロキョロと周囲を警戒し、チョイチョイと手招きをする。
「あんまり詳しくは言えねぇが、今フローウェルで貴族の数が減ってるんだ。デカい粛清があったみたいでよ……だから魔石の需要は高まってるんだ。だがな」
ハゲ親父はそこで話を止め、さらに周囲を警戒するように見渡す。
「グートマン商会って知ってるよな?」
「えぇ、フローウェルの中でもそれなりに大きい商会よね?」
「あぁそうだ。そのグートマン商会が魔石の高騰を受けて、抱えてる在庫を出すらしい」
「つまり、魔石の価格が暴落する、と?」
「いや、そうじゃねえ。価格のコントロールはするだろうよ。問題はそこじゃない。これは本当に極秘で頼むぞ」
「……分かったわ」
「アルメルディアで鉱石窟が見つかった。噂では鉱石埋蔵量は六千二百トン以上らしい」
それが本当ならば、魔石は値崩れをする。大商会がコントロールをしても、追いつかないほどの速さで魔石の供給量が増え、暴落するだろう。そうなる前に抱えている在庫を捌かなくてはならないが、そうなると今の価格で売り抜けるのは難しい。
「ふーん、なるほどね……じゃあ、アルメルディアへ行くわ」
「……話を聞いていたか?」
「聞いてたわよ! 鉱石窟が稼働するなら、魔石は必要になるわよね? 採掘したばかりの魔石を使うより、軌道に乗るまでは加工済みの魔石を購入した方が楽だもの。だから、アルメルディアに魔石を売り付けに行ってくるわ!」
「だから、話はちゃんと聞けってんだ……何のためにグートマン商会の話をしたと思ってんだ。いいか? グートマン商会が抱えてる在庫を出すってのは、一般に向けて、じゃねぇ。アルメルディア領に向けてだ。ロルド・アルメルディアが直々に契約魔術を取り仕切って、取引が決まったそうだ」
「その見返りに利益の何割かを貰う、って感じ?」
今のフローウェル王国の内情について詳しくを知るわけではないが、それでも以前訪れた際と領の順位は変わっていないのは確認済である。であれば、アルメルディアの順位は十三位中十位。下の三領は小領地と呼ばれているが、ギリギリ中領地で踏み留まっている、特に面白味も無い領地だ。しかし、今回の件で鉱石窟が発見され、一大産地となれば領の順位は上がるだろう。それに準じて他領との取引が増え、影響力は大きくなる。上手くいけばフローウェル中の魔石流通を握れるだろう。
「詳しくは知らないが、そうだろうよ、きっと」
「なるほど、だったら尚更行かないとマズイわね」
「今から行っても、魔石なんぞ二束三文で買い叩かれるだけだぜ?」
「魔石を売りに行くんじゃないわ! 流通ルートを探すために行くのよ」
「はぁ、分かったよ。んじゃ魔石はどうする? トレアのとこでも俺より高い金額は出せないぜ?」
「そうね……これでどう?」
ウィンが指を四本立てる。するとハゲ親父はすかさず指を二本立て、三角を作るようにもう片方の人差し指を置く。
「ダメよ、最低でも四は貰うわ」
「ダメだ、最高でも四は出せん」
「じゃあ六割で三」
「七割で三だ」
「七割で三と半分」
「七割で三だ。これ以上は無理だ。もちろん、他行けばこれ以下にしかならんぞ?」
「ぐぬぬ……分かったわよ! 七割で三! あとは情報量としてサービスするわ」
不服そうな表情で、ウィンは商品を約束通り七割だけ取り出して、テーブルに置いていく。
「品質は保証するし、何なら魔力注いであげようか?」
「いらん、色無しは貴族様に良く売れんだからよ」
卸す量をもう一度確認すると、ウィンは納品書の記入に移る。それと同時にハゲ親父も商品の確認を始め、一通りのチェックが終わると、席を立つ。ハゲ親父が戻ってきた時には納品書や領収書が完成しており、ハゲ親父の手には小さな巾着袋がある。
「毎度あり」
ハゲ親父から袋を受け取ると、中身を改める。
「次は魔石じゃなくて、魔法薬の原料の方が嬉しいぜ」
「そうね……アルメルディアなら黒龍山脈も近いし、何かしらの素材採集でもしてこようかしら?」
「はは、お前さんくらいの魔法使いなら、黒龍山脈でも余裕で出来るな。確か、レガルマリアの出身だったろ?」
「……何で知ってんの?」
金貨と銀貨の数を確認していた手を止め、ウィンはハゲ親父を睨みつける。その眼光は先ほどまでの呑気なものではなく、少しばかり苛立ちを感じるようなものであった。その何とも言われぬ眼圧に気圧されて、ハゲ親父は言葉に詰まる。
「あぁ、いや……そりゃ、商売相手の事は知らなきゃ不味いからな……少しばかり調べさせてもらった」
「そう、それだけ?」
「へっ? あ、あぁ……別に詮索しようとしてるわけじゃねぇ。ただ、まぁ、エルフってだけで難癖付けてくる奴がいるからな。そいつらを黙らせるには、箔が必要なんだよ。その点、レガルマリアって言えば、世界最大の魔術国家だろ? そこの魔法使いとなりゃ、亜人だろうが何だろうが、下手出来ねぇってわけよ」
「ふぅん、なるほどね。だったら良いわ。ま、別に調べられても何かあるわけじゃないし、問題無いんだけど。それより、ここからアルメルディアまではどれくらい掛かるの?」
「ここからなら、どうだろうな……ほとんど反対側だからな。馬車で行ったとしても一月はかかるんじゃねぇかな?」
一月かぁ、と眉間に皺を寄せたウィンに、ハゲ親父は思い出したように、口を開く。
「あぁ、そうだ。アルメルディアに向かうなら、途中で武具でも買い付けとけ」
「なんで?」
「黒龍山脈の側にある村にはアルメルディアの騎士団の一部が常駐してるんだとよ。山脈の近くだから武具の消耗が激しいらしいぞ? 上手くいきゃ相場より少し高く売れるんじゃねぇか?」
「あぁ、そういう……それなら大丈夫よ。取り扱ってる魔法具の中には武具もあるから」
「魔法の武器だけじゃなくて、普通の武器も用意しときな。じゃないと買ってもらえねぇぞ」
「それもそうね」
納得したようにウィンは頷き、テーブルにある冷め切ったお茶を一息で飲み干すと、立ち上がる。指をちょいちょいと振ると、片づけられた荷物がふわふわと浮き上がり、自動的に扉から出ていく。
「やっぱり魔法ってのは便利だな」
「そうね、興味あるなら、レガルマリアの扉を叩いてみれば?」
くすくす笑いながら、ウィンはハゲ親父に向き直り、笑みを浮かべる。
「勘弁してくれ。この歳でガキ共と一緒に仲良くお勉強なんざゴメンだね」
「あ、そ。ま、色々と感謝するわ。今度来る時は、魔法薬の材料をたんまり持ってくるから、ちゃんとお金用意しときなさいよね!」
「そりゃ、商品を見てみないと分からんな」
「じゃあ度肝抜くくらい高品質なもの、用意しとくわ」
「期待しないでおくぜ」
「じゃ、行くわ」
ひらひら、と手を振りながら、ウィンは応接間から出て行く。
その後ろ姿を追い、ハゲ親父は苦い笑みを浮かべる。
「全く……いつまで経っても変わらねぇな、あのエルフはよ……」
ポツリと呟き、そのまま仕事へと戻っていった。
オルドルを経ったウィンはダヴリス領を抜けると、すぐに東を目指す。その途中で寄った武具や武芸を名産に持つエギルメギン領内で刀剣類や弓矢、クロスボウとボルトなどを少しずつ買い込み、在庫の確認を行う。
現在、荷馬車にある商品の八割ほどは武器類だ。購入した通常の武器は少量なのだが、在庫にある魔法の武器類はそれなりに買い手も多く、売れ筋の商品である。残りの二割は無色の魔石とウィンの荷物や食料なのを考えれば、歩く武器庫と言っても過言ではないだろう。
エギルメギンを出る際に「これから戦争でもおっ始める気かい?」と関所の兵士に笑われ、途中で立ち寄った村や街では「近いうちに戦争が始まるのか?」と心配され、アルメルディア領内に入った時には、逆に「黒龍山脈への届け物か! 助かるよ! アルメルディアには武具類を新調しようにも数を揃えられないからな!」と感謝される始末。
「急いで来たのは良いけど、どうしようかしら。黒龍山脈があるのは、確かカッスラーの村だったわよね」
王都・フローウェルレンスから一直線に伸びるフォークレム街道をそれなりに急いで来たは良いものの、一月は掛かる道のりを三週間ほどで到着したため、食料も水も少しの余裕がある。
「ここら辺で、野営でもしようかしら……」
遠目に見える森林群はフォガーズ大森林。このフォークレム街道の終点であるカッスラーの村の手前まで来た証拠だ。だが、この大森林には凶悪…とまではいかないが、それなりに魔獣が原生している。抜けるのは陽が高いうちの方が良いだろう。
と言うわけで、ウィンは荷馬車を止め、馬を離して、野営の準備を始める。少しばかり時間が早いとは思うが、たまにはのんびりとしようと思う。
「カッスラーに着いたら、忙しくなりそうだし……」
探知用結界、侵入阻害結界、飛び道具に対する結界など、複数の結界魔法を構築し、野営の準備を進めていく。こう言う時、魔法使いは便利だと、実感する。枯れ枝を探す必要もないし、水の心配をする必要もない。火起こしの準備も無いし、周囲を警戒しながら緊張状態で寝る必要も無い。
「あーあ、いつまでこんな事を続けないと行けないのかしらね……」
ごろん、と原っぱに寝転がり、流れていく白い雲を眺めながら、ウィンはポツリと呟く。
頬を叩く風を感じ、運ばれてくる草木の香りに心を休める。
「何か、面白い事でも起きないかしら……」
ゆったりとした空気に包まれ、瞼が重くなるのを感じたウィンは、それに逆らわずに受け入れる。しばらくして可愛らしい寝息が聞こえてきた。
そして明日、彼女は運命的な出会いを果たす事になる。
街道の真ん中でのたうち回る変な人間と。
それが、彼女の運命を大きく動かす事になると、今のウィンはまだ知らない。
ウィンの前日譚、のようなもの・・・