曰くつき
人間、嫌な事があると酒に逃げたくなる。それはエルフにも同じことが言えた。
「うはは! もっと持ってこい! いや、持ってこなくていい! ここの酒は全部俺が買い取ってやる! 全部俺の酒だ! ここにいる奴はタダで飲ませてやらぁ!」
「あはは! 何言ってんのよ、あんたは! そんなお金……あんた大金持ちだったわね!」
酔っぱらった二人の止める事は出来ない。
一は金を生み出せるという無限の財力を手に浮かれ、この酒場の店主にこぶし大の黄金を握らせた。店主はそれ以上開けば目玉が飛び出そうなほどにその黄金を凝視して、声高らかに「ありがとうございます!」と叫ぶ。
その場にいた誰もがタダ酒に喜び、今この時だけは最も狂乱に満ちた酒場となった。
とは言ったものの、酔っぱらいの夜はそう長くは続かない。よくて二時間が限度と言ったところか。店にいたほぼ全ての人間は酒に酔い、料理に酔い、空気に酔い、素晴らしき酔っ払いどもの驚くべき団結力に酔いながら、宴は終焉に向かっていた。
そんな中、事件は起きた。
「ほぅ、余程繁盛しているように見えるな」
三人一組の男がこの酒場に入って来た。
一人は忘れもしない、奴隷商人の小太りのおっさん。その後ろに控える細長いもやしみたいなおっさんと、筋肉しかないプロレスラーのような青年。恐らくボディーガードのような役割なのだろう。そして、もやしのような青年は商人仲間のようだ。
「繁盛しているという事は、いい酒やいい飯にありつけるものですよ、ペスト殿」
「ガハハ、そうだな」と、ペストと呼ばれた小太りの奴隷商人は笑い、「では給仕よ。この店で一番高い酒を持ってこい」というぺストに対し
「おい、おっさん! この店の酒は全部俺が買ったんだ。まず先にいう事があんだろぉ! あぁん!」とチンピラ然とした一。
いくら酔っているとは言え、その啖呵にウィンの顔は青ざめる。
「ちょちょ、ちょっと! あんた何言ってんの! 少し悪酔いしすぎよ!?」と止めに入ってみたものの、それはあまり良い状況にはならなかった。
「ほぅ、見た所どこぞの貴族でもなく、金を持っているようにも見えないな……その服から見るに、どこぞの流浪人か。そしてその連れのエルフ、と来たか」
ペストは「ハンッ」と鼻で笑い
「薄汚い亜人を連れた流浪人か。品位の欠片もない」
勝ち誇ったように堂々と笑う。
「………おいおっさん。あんた確か商人だったな」
その言葉は、一に冷静さを取り戻させるには十分だった。
「いかにも。私は商人だ」
「なら話は早い。ここの酒は俺が買った。飲みたければ金払うか、一言、飲ませてくださいって言うのか筋じゃあねえか?」
一の言葉に周りの男たちが同意の野次を飛ばす。
「俺はよぉ! 別に意地悪がしたいんじゃねぇんだ。ただよぉ! 人の酒を飲むときには、それなりの言葉ってのがあってもいいんじゃねぇかぁ?」
そうだそうだー、という野次を受け、一は手を上げる。
「ふん、だとしたら、そのお前が買い取ったという酒は私が買おう」
奴隷商人は汚い笑いを浮かべ、巾着を机の上に置いた。
「これは今日の稼ぎだが、ここの酒を買ったところで痛くも痒くも無いわ」
商人は中身を机の上にぶちまける。
「金貨が八十八枚! これでここの酒は買えるのか? うん?」
「おいおいおっさん。俺がここの店主に渡したのはこぶし大の黄金だぞ? 金貨八十八枚じゃ足りねぇな!」
酔っ払いもここまで来れば大した物だろうか。
「こぶし大の黄金だと? バカを言え。そんな巨大な黄金を貴様のような流浪人が……」
とペストの言葉は尻すぼみになりつつ目が丸くなっていた。もちろんその視線の先には店主がいて、その手には先程渡したこぶし大の黄金がある。
「お前のような……人間が……」
ズイッと店主がペストににじり寄る。その度に黄金がキラリと怪しく光る。
「どうだおっさん。これ以上に価値のある物が出せるって言うなら幾らでも譲ってやるよ!」
べろんべろんで呂律も回っていない一だが、椅子の上に足の乗せ、カッコつけてみる。
「おらどしたァ! 出せねぇか? だったら素直にありがとうございます、だッ! それが出来ないならお前には飲ませてやらん!」
そんなことはさておき、この状況を収めるためにはどちらかが引かなくてならない。もちろん一は引き下がる気はない。
「……よかろう。この店の酒がお前のものだと言うのなら、ありがたく頂戴しよう。全てを金で解決しようというのは商人の悪い癖なのかもしれんな。すまなかったな、別に事を荒立てようとしたわけではないのだ」
思いのほか簡単に引き下がった彼を見て、一は大いに勘違いをした。自分が勝ったのだ、と。
「おぅ、おっさん! なら話は早い! 今の事は水に流して飲もうぜ!」
ぐわんぐわんする視界の中で一はペストの肩に手を回し、強引に席へと座らせる。
「おら、飲め!」
一のその一言で、再び宴は始まった。
商人と営業マンの違いはそれなりにあったが、それでも苦労話は似たようなものだった。
世界が違えど、やはりする苦労は同じなのだ。
「あー、分かる分かる。買った後にやっぱり料金高いからキャンセルしてよ、とかざらにあったからなぁ。分かるぞおっさん」
「おぉ、分かってくれるか。既に金を貰っている身としては返金なぞしたくないのだがね、こればかりはしょうがない。返金しないで変な噂を流されても困る」
「だよなぁ! 俺は違うけど、おっさんなんか生活に直結するもんなぁ!」
「だが、お前のような流浪人が、私のような商人の苦労話を分かってくれるとはな」
「俺も前は商人みたいなもんをやっていたからな。おっさんは経営者側だろ? 俺は労働者側だ。上からアレ売れコレ売れってうるさくてよ。馬車馬のように働かされてな! でも給料だけは良かったんだよなぁ」
「ほう! そうだったのか。それであの苦労話か……お前もそれなりに有能なのかもしれんな」
「当たり前だろ! こちとら月に八百万売り上げる営業マンだぞ!」
「営業マンが何かは知らんが、共に苦労してきたのだな! 悪かった! 先ほどの非礼を詫びよう」
「おっしゃ! じゃあ仲直りの握手!」
ガシッと交わされる男同士の握手。
異世界間の変な友情が芽生えた瞬間だった。
「でもよぉ、おっさん。奴隷なんて儲かるわけ?」
「当然だ」
「ふーん……」
「しかし、前に仕入れた奴隷の中に曰く付きのがいてな……商人仲間が持て余していて、格安で譲ってくれたんだが……そいつが来てからというもの、取引が激減してしまってな。まぁ今日は良かった方だが、このままなら処分しなくてはならん。良かったら買わないか?」
「……処分。処分って、どうするんだ?」
「殺すか娼館に送るかだが……娼館に送った方が金にはなるだろうな」
下品に笑うペストに対し、バン、と机を叩き、立ち上がった一は
「……便所」
とボソリと言い放ち、店の奥に消えて行った。空気が悪くなったというわけではないが、それでも彼らのテーブルだけはどことなく刺々しい雰囲気だったのは誰が見ても明らかだろう。
彼が去った後、テーブルではペストとその従者、ウィンの三人がただ無言で酒を煽っているだけだ。そして数分が経ち、一が戻って来たと思えば、彼は少し雑な造りの麻の巾着袋をペストの前に置いた。
ドサッと音を立てた麻の巾着袋からはジャラジャラという音がする。
「その曰く付きの奴隷、俺が買う」
そう言って袋を開く。
「これで足りるか?」
袋の中身は金だけだ。大きいもので二センチほど、小さいと砂金のようなものまである。その量、男が砂利を一すくいしたくらいだろうか。
「お前、この店の酒を買い占められるほどの金を持っておきながら、さらにこれほどの量を持っていたのか」
「悪いな、おっさん。俺はあんたが思っている以上に金持ちなんだ。必要ならもう一袋持ってくるぞ?」
酔っているにも拘らず、一は一切のブレが無い瞳をペストに向けている。そんな一を止めたのはもちろんウィンだ。
「ちょちょ、ちょいちょーい! 待った待った! あんた一体何考えてんのよ! ちょっと来なさい!」
「ぐぇッ! おいやめ、やめろ! あ、おっさん! すぐに契約書作ってくれ! 今すぐだぞ! 俺が戻ってくるまでに出来るところまで手続き進めておいてぐぇッ!」
ウィンに首根っこを引っ掴まれてズリズリと引きずられながら店の奥に引きずり込まれていった。
「ちょっとあんた!」
店の奥に連れ込まれ、乱雑に通路に放り投げられた一。
「なんだよ痛ぇな」
「あんたバカなの? バカなのね? バカなんだわ! 奴隷を買うって? 自分が何を言っているのか分かってる?」
「分かっとるわい、それくらい。なんだ、俺が奴隷を買っちゃいけないのか?」
「そういう事じゃなくて! あんたが哀れみとか同情で奴隷を買うつもりなら、やめとけって言ってんのよ!」
「なんで?」
「そんなの……救われないからよ」
「誰が?」
「全員よ!」
「おいおい……お前ってばよ……」
ここで一はようやく気付いた。気付いて呆れたような声音で肩を竦めた。
「何よ!」
「いや、なんつーか……少なくとも俺は救われるぞ。それにな、俺の世界には幾つもの格言がある。曰く『誰かを助けるのに理由はない』とか『やらない善よりやる偽善』とか。まぁとにかく。俺は救われるし、別に哀れみだろうが同情だろうが、俺にとっては理由にならん! そもそもだ。お前はまだまだ色々考えちまう年頃なんだな」
やれやれ、と溜息を吐き、一はウィンの肩をポンポンと叩く。
「おじさんくらいの年齢になるとな、そういうのは別に気にしないのよ。救うとか救われないとか、そういうのは後で幾らでも言えるのよ。問題は俺がどうしたいか、だけなのよな。んで、俺は奴隷を買いたい、って思っただけよ。それ以上でも以下でもないわけ。んで、俺にはそれが出来る秘密の魔法があるわけ。お分かり?」
その言葉にウィンは唖然とする事しか出来ない。
「ついでに言えば、お前は色んな事にがんじがらめになり過ぎてんぞ。何十年かしたら分かると思うが、もっと世の中は単純だ。本当にびっくりするくらい単純だぞ。ただその単純がいっぱい重なっているから小難しく見えるだけなの。お分かり?」
「で、でも――」
「納得できないならそれで良いぞ。別に分かってもらおうってわけじゃないしな。ただまぁ、今はあんまり深く考えずに俺を信じてみろ。な?」
快活な笑みを浮かべて、ぐりぐりとウィンの頭を撫で繰り回すと、満足気に酒場へと戻っていく。その後ろ姿がどうしてか、とてもかっこよく見えたのは、一時の気の迷いかも知れない。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよぉ!」
きっと顔が紅いのは、飲み過ぎたせいだ。
そう言い聞かせてウィンはその後ろ姿を追った。
「おうおっさん! もう出来てるか?」
席に戻ると、ペストが複数枚の書類と格闘している最中だった。
「待て。書類に不備があれば後々面倒なことになるのはお前も分かっているだろう?」
「あぁ、確かに。印鑑とか特になぁ。代筆が発覚した日にはもうお終いだし」
「これで大丈夫だ……では契約について説明を」
そしてそれから三十分ほど、ペストから契約についての説明を受け、複数の書類にサインをしていく。
「これで」
最後の書類にサインをし終えた一は、大きく背伸びをする。
「終わったぁ! んじゃ、その曰く付きちゃんの所に連れて行ってもらおうか!」
既に一の目には酔いなど残っていなかった。
じ、次回こそ、さいかわ犬耳幼女が登場するよ(小声)