No.8
あくる日の未明、コントロール室の通信スピーカーから声が上がった。
「誰か聞こえるか? ここはどこだ? 誰か、私の声が聞こえるか?」
未明の時刻、当直オペレーターは若干うつらうつらとしていたが、眠気が吹き飛んだ。
「こちらオペレーター。〈レギオン〉どうしました?」
「違う! 私はリアムだ。リアム・ミラーだ。空軍の、」
そこまで聞いたところで、オペレーターは椅子をひっくりかえして立ち上がった。
「た、大変だ」
「おい、聞いているのか? ここはどこだ?」
オペレーターは迷わず緊急時用の鎮静剤投与プロセスのスイッチに触れた。
「私が置かれている状況を教えてくれ。そこにいる君はいったい……」
そこでスピーカーからの声は、ふっつりと静かになった。オペレーターは、すぐさまサンチェス教授に連絡を入れた。
早朝、コントロール室を訪れて事態を把握したサンチェス教授は、落ち着かない様子だった。
「まさか……非常に恐れていた事態が起きてしまった」
やり取りの音声記録を聞いた後、教授は頭を抱えた。
「どうしましょうか? かといって、いつまでも鎮静剤で眠らせておくわけにもいきません」
「それは分かっている。とにかく、制御系統は全て手動に切り替えておくんだ。それから地上電源を接続の上で、機体の補助電源も落とせ。残っている燃料も全て取り出しておくんだ」
「はい、了解しました」
教授はトンプソン大佐に連絡をすると、大佐はその日のうちに駆けつけてきた。
「教授、何か問題でも起きたのか? さっきの電話じゃずいぶん深刻そうな口ぶりだったじゃないか」
「ああ、リアム・ミラー君がお目覚めらしい……」
「なに?」
だが、大佐の表情は思ったよりも冷静だった。
「記録音声を聞けば分かるよ」
教授はそう言って音声を再生した。オペレーターとの短いやりだが、大佐も事態を理解するのは難しくなかった。
「なるほど、悪い予感的中ということか? 何か対処するプロトコルが、」
しかし教授は虚しく首を振った。
「ここまでの事態は想定していないのだ。これまでの実験でも、ここまではっきりと、被検体の自我意識が戻ったことはなかった」
「そじゃあ、もう一度記憶処理を」
「それも危険だ。廃人同然に、まったく使いもの……いや、死亡する可能性もある」
大佐は小さく鼻を鳴らした。「打つ手なしというのか?」
「無くはないだろうが……」
「かといって、ずっとほっとく訳にはいかないだろう」
「そうだよ。だから君を呼んだ。何か知恵を貸してくれないかね?」
「まあ、私だって監督する立場だ。協力は惜しまないが、もう一度状況を整理してみよう」
それから大佐と教授は技術部責任者、医療担当責任者も交えて議論を行なった。ひとまずは、リアム・ミラーの意識が戻った時には、大佐が直接対話することになった。
「とにかく彼に、事態をそっくりそのまま伝えるわけにはいかん」
「それは当然だ。なんせ本人に許可も何も……いや、そもそも一度彼は亡くなっている。なにかストーリーをでっち上げて聞かせるしかない。本当に何も考えてないのか?」
「私は研究者であって、空想家じゃない」
「そうだな……」
大佐はしばらく顎に手を当てて何か思案している様子だった。
「どうだろう、あの演習時の事故で、超常的な現象の発生でリアム・ミラーの意識だけが戦闘機の制御システムに入りこんでしまった。というのはどうだろうか?」
だがそれを聞いた教授は笑った。
「大佐。君もそんな、突飛なファンタジーをよく思いつくね。今どきの子供でも信じないだろうよ、そんな話」
「あくまでシナリオだ。他に適切な設定を思いつくか? 少なくとも状況はごまかせると思うが」
居合わせた他のメンバーは、大佐の意見におおよそ肯定的だった。
「まあ……そうだな。彼が幽霊の存在を信じてるなら、この話も信じ込むだろう」
「では決まりだ。この設定をもとに、今から私がプロトコルを作成する。ここのオフィスを借りても?」
「どうぞご自由に。私はその間、少し休憩させてもらうよ」
それだけ言って教授は部屋の隅へ移動した。
大佐は通信システムをオンにするよう、オペレーターの一人に目で合図した。
「私だ。ヘンリー・トンプソンだ。リアム? リアム・ミラー、聞こえるか?」
「その声は……大佐ですか?」
「そうだ」
「大佐、私はいったい、今どうなっているんです!? まったく状況が分かりません。それで、事故です! 墜落して、演習中のとき、」
「ああ、分かっているよ」
「私は生きているということですか?」
「まあ、落ち着いて聞いてくれ。君は今、非常に特殊な状況に置かれている」
「どんな状況です」
「落ち着いて聞くのだ」
「落ち着こうにも、深呼吸も出来ません! なのに、」
「いいかリアム、君は今、肉体を失っていて、意識だけの存在という状態に置かれている」
束の間の沈黙があった。大佐はオペレーターの方に視線を向けると、オペレーターの一人は片手でオーケーサインをだした。バイタルに問題はないようだった。
「大丈夫か? リアム」
「はい、大佐。ですが仰っていることが理解できません」
「私たちの方も、状況の理解が追いついていない」
大佐は少し間をおいてから、ゆっくりと話した。「君の意識は、何らかの理由により、戦闘機のコンピュータの中に転移した。簡潔に言えば、そういうことだ」
「信じられません」
「それは私たちの方も同じだ」
「これから、どうなるのですか?」
「私にもわからない。ただ、ここには研究者やエンジニアがいる。事態解決に向けて足場を作っているところだ」
「わ、分かりました」
再び長い沈黙があった。
「リアム?」
「はい、なんだかひどく疲れた感覚です。少し休んでもよろしでしょうか?」
「ああ、大いに休んでくれても結構だ」
「ありがとうございます」
大佐は音声通信入力用のカフをオフにした。
「当面はこれでしのぐしかない」
教授は部屋の隅のテーブルに落ち着き、コーヒーとトゥインキーにありついていた。状況を把握してから、だいぶ余裕を取り戻した様子だった。
「大した演技力だ、大佐殿。いやはや、しばらく計画の進行はお預けだな」
「そうだな。だが、いろいろと思案する時間ができたことだろう」