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モナ・ペトロネアの苦悩  作者: 在ル在リ
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41 毒にも薬にも

 朝七時。

 毎日ミラー会長はこの時間から事務所を開けている。


 いつも誰もいないこの時間に開発室を使って魔法術式の研究をしていた。また、商会で販売していない個人製作の魔法道具を、王族など一部の者に販売している物もあった。


 普段こんな時間に出社してくる者はいないが、誰かが玄関ロビーの認証システムを解除した。ミラー会長は作業台に広げていた製作物を箱に仕舞うと、自分のデスクへ運んだ。


「会長、おはようございます」


 開発室を出ると、現れたのはグレンだった。


「おはよう。随分早いな」

「ええ、モナから精霊の祝福の事を聞いたので会長と話したくて」


 ミラー会長はグレンの表情を窺う。聞きたいことが沢山あるらしい、そんな顔をしている。


「いいよ。こっちも話す事があるから開発室に来てくれる?」


 ミラー会長はデスクに仕舞っていた別の箱を取り出して開発室へ移動し、グレンも後に続いた。



 開発室の椅子に二人は向かい合って座った。


「ペトロネアにはどこまで聞いたの?」

「彼女の左目の祝福の能力の事から眼鏡をかけている理由まで全て聞いています。俺が無理やり聞き出したので、モナの事は責めないでくださいね」

「なら祝福酔いが覚めた感覚はわかる?」

「はい、覚めてると思います。でも彼女への気持ちは変わってませんよ」


 グレンの真っ直ぐ澄んだ目を見て、ミラー会長は頷く。


「聞きたかったんですけど、会長の方がモナといる時間は長いのに祝福酔いの影響は受けなかったんですか?」

「俺も祝福を受けてるからな。近くにいてもお互い影響はない」


 グレンはミラー会長まで祝福持ちだという事に驚く。


「会長まで……。まさかモナを採用したのはそれのせい……?」

「彼女は優秀な成績で試験をクリアしただろ。祝福持ちなのも決め手にはなったがな」

「それモナに言わない方がいいでしょうね。祝福があるせいで採用されたと思い込むから」


 それを聞いてミラー会長は笑った。本当の事は言えないな、と。



「彼女の目の能力は聞いた?」

「遠くまではっきり見えたり、見たまま記憶できたりですよね?」


 グレンが疑問形で返すと、ミラー会長はまだ続きを待っている様子だ。


「他にもあるんですか」


 するとミラー会長は自分の腕をグレンに見せる。


「これ見える?」

「え?」


 腕を見せられて何をと問おうとしたグレンはハッとした。


「あ……認識阻害を使ってるんです? アクセサリーを付けてるんですか?」


 意識してよく見れば、ミラー会長の腕にはバングルが二つ付けてあった。


「そう、このバングルは魔法道具で認識阻害が働いてるから大抵は付けてる事を気付かれない」

「今言われるまで気付きませんでした」


 似たような話をモナとした事をグレンは思い出す。図書館でモナは、男子学生が魔法道具を身に着けていると言っていたが自分は気付かなかった。


「彼女の目には、認識阻害等の魔法による視覚的誤魔化しが一切効かないみたいだな」

「そんな事まで出来るんですか……」


 グレンはモナにそんなに凄い事が出来るのかと、ただ感心した。


「気付かないか? 彼女の能力は諜報員にぴったりだと思わない?」


 一瞬で記憶できて、認識阻害も無効化出来る。機密情報を簡単に盗む事だって出来る能力だ。能力だけ見れば諜報員にとても向いているかもしれないが、モナに向いているとはとても思えない。


「そんな能力のある人間がいたら国や諜報機関が欲しがるだろう。でも彼女は一般人だ。普通にここで働いて欲しい。彼女にはそれを詳しく話していない。取り敢えず口止めだけしてあるが無意識に祝福の力を使ってしまうからな、あの眼鏡を作った」


 ミラー会長は、誰にも知られないようにモナを守っていたのか。グレンは浅慮で嫉妬していた自分がなんと愚かだったかと恥じた。



 すると会長は立ち上がり、持ってきていた小さな箱を開く。


「グレンにはこれをメンテナンスできるレベルになって貰いたい」


 箱の中からミラー会長はモナに作った眼鏡レンズの予備を取り出してグレンに見せた。


「モナの眼鏡の……。祝福の制御という役割ですよね? どういう仕組みなんです?」

「このレンズは全く同じ内容の予備だ。制御なんて大層なもんじゃない。まあ術式を見てみろ。……内容は秘匿しろよ」

「勿論、秘匿します」


 それを聞いたミラー会長は、レンズの術式を展開した。何重にもセキュリティを入れてあるレンズにグレンは息を呑む。一度でも間違えれば中の術式は破棄されるのだろう。


「見せてもグレンに術式を理解出来るかどうか……。もし理解出来なければこの話は忘れてくれ」


 グレンは見せられた魔法術式に目を見張った。ミラー会長の綺麗で簡潔な術式にはいつも感心させられたが、これはとんでもなく複雑で、打ち消しや上書きを重ねてしてあり、とても美しい術式とは言えなかった。


 ミラー会長が熱いコーヒーを淹れて戻ってくると、ゆっくりそれを飲み、やがてカップが空になる。その間も、何度も何度もグレンは術式を読み込んだ。長い時間をかけて術式を読む内に、これがどういう物か理解し驚愕する。


「何……なんですか、これは」

「理解できた? それが秘匿しなければならない理由だ」


 グレンはあまりに驚いて一瞬言葉を失った。そして一呼吸置いて口を開く。


「精霊の力を阻害するなんて……こんな物、世には出せませんね。こんなとんでもない物をモナに付けさせてたんですか」


 モナが今までかけていた眼鏡にこんな恐ろしい術式が書かれていたとは、グレンの全身に衝撃が走った。


「精霊の力を使えないよう封じれば人は無力だからな」


 ミラー会長は一呼吸すると話を続ける。


「……とはいえ、全部人間の考え方次第、使い方次第で毒にも薬にもなるって話だ。治安隊で使えば犯罪者を捕まえるのに役立つし、戦争で使えば敵の魔法を無力化して圧倒的優位に立てるかもな」


 少し低い声で話すミラー会長に、これを扱う責任の重さを自覚させられた。


「兎に角これは書面に残せないから全部頭に入れて。そもそもグレンにこの術式作れる?」


 グレンは少し緊張して冷たくなった手を握る。


「やってみないとわかりません。よくこんな物思いつきましたね……。あと材料に使っている物は何です? 精霊の力を阻害するなんて一体どんな……」

「それは意外と簡単で、採掘場に行けば直ぐに見つかった。精霊石が取れる付近に精霊の力が宿らない鉱石がある。何の価値もないクズ石だ。それを調べたけど、恐らく精霊が嫌うような性質なんだろう。それをレンズの縁に付けてある。魔法術式で左目だけに展開してそこだけ精霊がいない空間を作ってる。祝福の能力が使われても精霊に力を借りれないから祝福の能力は発動せず失敗するって事だ。無理矢理阻害してるからかなり強引なやり方だな」


 それを聞いてグレンは感嘆の声を漏らす。


「はあ……相変わらず発想が凄いですね」

「これはホークに見せられないから、グレン一人でやるんだよ」


 何故自分に教えようとしているのか、グレンは疑問を抱く。


「もし、俺のモナに対しての気持ちが冷めてたら……どうしてました?」

「何も教えなかっただろうな」


 その答えにグレンはまるで自分が試されているかのような感覚を覚えた。

 自分の抱く好意は勘違いだとモナに話したのもミラー会長だ。それが切っ掛けでモナとグレンの関係は変わった。ただの同僚でいるか恋人になるか、試したのだろうか。


「俺とモナの事を試したんです?」

「いいや。仕事に支障が出なければ何でもいい」


 ミラー会長は作業台に置いた空のカップをいじりながら淡々と答えた。どちらでも良かったという事か。彼の根底にあるものは商会の経営だ。障害になるものがあれば早めに対処する、ただそれだけなのかもしれない。


「俺みたいな一年も働いていない技術者によく教えようと思いましたね」


 ミラー会長は腕組みをし、それに対する答えをゆっくり考えながら話す。


「うーん……焦ってるのかもな。優秀な技術者が少ないから。君がホーガンじゃなくこっちを選んでくれた事は、かなり喜んだんだよ。それにこれは仕事じゃない。彼女の為にこんな面倒な事出来る奴は君しかいないだろ」


 その言葉にグレンの体が熱くなった。この人がそんな風に言ってくれるなんて、信じられない事だ。


 グレンは時間の許す限り、何度もミラー会長の術式を読み込んだ。


「気になる部分があるんですけど。ここの術式、三つの条件のうち一つを打ち消して違う条件で上書きしてますよね? もしかしてこれで無理矢理瑕疵(バグ)を消してます?」


 グレンが正確に問題の箇所を見つけた事にミラー会長は安堵した。


「そこはどうやっても上手くいかなくて無理矢理消してる。不具合自体は起こらないが根本的な解決にはなってないな」

「会長でもそんな事あるんですか。滅茶苦茶難問じゃないですか……」


 途方もないお題を出されたようだ。グレンは挑むように沸き立つ感情を抑えながら、術式に深く潜る。


 ミラー会長はただ黙って、グレンの作業を見守り続けた。



〈ルームシェア/終〉

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